大塚範一

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テンプレート:基礎情報 アナウンサー 大塚 範一(おおつか のりかず、1948年9月28日 - )は、日本フリーアナウンサー司会者。元NHKアナウンサー

来歴

東京都江戸川区小岩出身。千葉県柏市在住[1]。血液型はB型→A型。信条は「身の丈程の放送を背伸びせず、縮こまらず、のびやかに」。趣味はゴルフドライブ[2]。結婚歴は1度もなく、未だ独身である。

東京都立両国高等学校卒業。高校在学中は新聞部に所属していたほか、進学校である同校で落ちこぼれとなっていたことがあるという(後述の2013年4月発表の闘病記での記述より)。

早稲田大学政治経済学部教授の岩井方男と坪井善明は高校の同級生で、特に岩井とは両国高校の新聞部出身で、早大の学部・学科も一緒という共通点がある[3]

NHKアナウンサー

1973年、早大卒業後にNHK入局。同期に池上彰宮本隆治佐塚元章など。

1982年8月8日(奇しくもフジテレビの日)、第64回全国高等学校野球選手権大会1回戦・佐賀商業高校木造高校戦で、佐賀商業の投手・新谷博ノーヒットノーランを達成した時のテレビ放送の実況を務めた(あとアウト1つで夏の大会史上初の完全試合になるところだった)[3]

退職直前には『NHK歌謡コンサート』の司会に内定していた。

フジテレビ専属→フリーアナウンサー

1994年3月にNHKを退職し、翌4月からフジテレビめざましテレビ』のメインキャスターを担当。長らくフジテレビの朝の顔となっていた。このフリー転身はフジテレビからの引き抜きの形で、しばらくの間フジテレビと専属契約していた。

2006年にフジテレビ『メントレG』にゲスト出演した際、『めざましテレビ』の初期において、NHK出身であるが故にCMの入り方が分からず苦労したと語った(本人曰く「CMの入り方は八木さんに任せていた」とのこと)。

「フリーになっていなかったらどうしていたと思いますか?」と聞かれた時、「『その時歴史が動いた』(NHK)」の司会に興味がある」と答えた。大塚がフリー転身を考えた理由の1つに、オリンピック中継のキャスターを務めることが出来なかったことを挙げている(大塚は各種スポーツ実況が得意であったため)。なお、大抵のフリーアナウンサーは事務所に所属しているが、大塚は文字通りフリーランスの立場でのフリーアナウンサーである。理由として、1995年の『朝日新聞』のインタビューで「今まで組織の中で長くやってきた。だから今度は組織に縛られずやっていきたい」と述べている。

朝から生放送の『めざましテレビ』を受け持つようになってから、健康管理には徹底しており、どんなに忙しくても、5時間の睡眠と1時間の仮眠を心掛け、毎朝3時に起床し頭がしっかり回転するよう朝食をしっかり摂り、ヨーグルトを欠かさず食べていた。また自身の好きなゴルフなどをするなど暇さえあれば体もマメに動かしていたという。その他、嫌煙家でもある[4]

番組で共演する女性アナウンサー・キャスターと食事をするなど交流の場を多く持ってきた。大塚はこれを番組を続けていく上の大きな活力として公言していたという。

ABC現代進行形TV イマジン!』、フジテレビ『情報プロジェクトS』→『土曜LIVE ワッツ!?ニッポン』でもキャスターを務めた。

1996年7月には、フジテレビ系列の毎年夏の恒例イベント/FNS27時間テレビ・『FNSの日 十周年記念:1億2500万人の超夢リンピック』で、当時フジテレビアナウンサーであり、『めざましテレビ』で司会コンビを組んでいた八木亜希子と恒例の朝一列島中継形式で「1億2500万人の超夢リンピック 全国名所でバスケット・フリースロースーパー大予選会」の総合司会を務めた。

最初の白血病発症

2011年11月2日から体調不良を理由に『めざましテレビ』の出演を休業することになった。急性リンパ性白血病と診断を受け治療を受けることになる[5]。大塚は同年11月7日放送分の『めざましテレビ』に生電話出演し、闘病生活へ入った経緯について他の出演者や視聴者に向け説明を行った。『めざましテレビ』の司会はフジテレビアナウンサーの伊藤利尋が代行した。この電話出演の際に「完全復帰は(2012年の)34月頃になるんじゃないかと思います」と語った。この後、大塚のもとには約3000通の激励メッセージが寄せられたという[注 1]

しかし回復になお、時間がかかることが判明したことから『めざましテレビ』への復帰を断念し、2012年2月28日、フジテレビアナウンサーの三宅正治に後任を託す形で司会をバトンタッチすることが発表された[6]。このバトンタッチに伴い、大塚本人のコメントも発表された[7]。そして、『めざましテレビ』のリニューアルに伴い2012年3月30日、本人不在のまま正式に番組を降板[注 2]。大塚は同日の放送にも生電話出演しており、「(自分は)元気過ぎる入院患者」「現在は半年かかる長期治療のおよそ3分の1が終わった状態で、強い副作用がなければ普段と変わらない生活を送れている」「秋口にはスタジオに行きたい」などと語った後、スタジオ出演者に1人ずつメッセージを述べた[8][注 3]

『めざましテレビ』降板後、各メディアで大塚に関する様々な情報が行き交った。2012年8月発売の『週刊女性』に、「『めざましテレビ』側がビデオメッセージなどの形で大塚のサプライズ出演の可能性を探っている状態にある」と報じられた。2012年9月3日付の『ZAKZAK』に、「(大塚は)9月で治療終え仕事復帰に意欲を見せている状態にある」と報じられた。2012年秋には『めざましテレビ』に電話出演程度は可能ではないかとの推測や、一時退院をして『めざましテレビ』のスタッフと東京都内での寿司店で食事していたこと、当時の大塚がスキンヘッド状態であることも報じられていた[9]。なお一時スキンヘッドとなったのは事実であり、後述の『めざましテレビ』へのVTR出演の際は帽子を被っていたが、徐々に髪も回復していき、後のスタジオゲスト出演の際は帽子は被らずに登場した。

2012年3月30日放送分の『とくダネ!』で当時フジテレビアナウンサーの中野美奈子が大塚について、「凄く元気で、食べ物も沢山召し上がっている」と語った。

2012年7月7日、フジテレビが開催する『お台場合衆国』内サンサンアイランド会場内特設ステージで『桑田佳祐の音楽寅さん』(11日放送)の公開収録ライブを行った桑田佳祐(『めざましテレビ』の2010年度のテーマソング『EARLY IN THE MORNING』を担当。桑田は2010年8月食道癌を患っている)がその場で「私達は大塚キャスターを待っていますので早く帰って来てね!」と大塚の早期復帰を願うコメントをした[10]。また桑田の妻である原由子も大塚への応援コメントを行った。

入院生活並びに『めざましテレビ』休業・降板という状況の中、2012年2月中旬に母親(享年94)を亡くしている。この時、大塚の体調が相当悪かったため、母親の最期は看取れず、通夜・葬儀にも出席できなかった。母親の死は無菌室のベッドの上で姉(長女)から聞き、声もなく涙を流したという[11]。また、同年2月25日開催の『めざましテレビ』で司会コンビを組んだ高島彩結婚披露宴にも体調不良により参加できず(ビデオレターや手紙を送ることもできなかった)、事前に高島に「おめでとう」と伝えるに留まった(2010年10月1日放送分の『めざましテレビ』において、同日出演最終日で結婚間際だった高島に「今度は結婚式でスピーチさせてください」と話していたが、叶わなかった)。

2012年4月発売の『週刊女性』の報道では、高島は結婚披露宴直前に夫であるゆず北川悠仁とともに大塚のもとを訪れ、大塚に祝いの言葉を貰ったとしている。しかし、高島は「大塚さんを元気付けようと思って行ったつもりが、大塚さんのあまりの変わりように涙が出そうになり、慌てて顔を背けた」という。それでも精いっぱいの声で「絶対に復帰する!」という大塚の気丈な振る舞いに、高島・北川は息を呑んだとのこと。後述のVTRでの『めざましテレビ』への出演の際、高島にはまだお祝いができていないことを明かした。なお退院後に高島と再会を果たした。

闘病生活は試練続きだったという。『女性自身』は「入院直後から抗がん剤を用いた化学療法を始めました。この時期は副作用で吐き気やめまいがして起きていられなくなり、ただ寝て1日が過ぎるのを待つという苦しい日々が続いたそうです。当初はこの年8月末に退院する予定でしたが、後1ヶ月で退院という時に感染症や合併症を併発。2ヶ月間は命を失いかねない危険な状況だったそうです。大塚さんは『よく助かったなというのが実感』と語っていました」とのフジテレビ関係者の話を掲載した[12]

寛解(完治ではないが、病状が一時的あるいは永続的に軽減また消失すること)と診断され、2012年10月1日に退院を果たした。今後について「自宅から定期的に通院し、検査を行いながら体力の回復を図る」という。本格的な仕事復帰については、体調を見ながら年明けか新年度を目指すとしていた[13]

なお、病院側は退院にあまり積極的ではなかったという。医療関係者が「再発もしやすい病気ですし、病院外では感染症の危険も増すので、病院としては、できれば退院させたくなかったそうです。ですが、退院が延期になって落ち込む大塚さんを見て、“そのストレスが快復の妨げになっているのではないか”と判断して、退院を決めたようです」 と語っている。大塚が早期復帰を希望したのは「生きる気力を見出すこと」と「高額な入院費・治療費の捻出のため」とされる[14]

10月16日放送分に生電話、10月24日放送分にVTRで『めざましテレビ』にそれぞれ出演を果たした。前者では「外の景色はいいですね。晴れてもいい、雨が降ってもいい、本当にすがすがしい気持ちです。外の空気がおいしい」「いつ退院できるか、そういう日が来るのか、不安と葛藤があった」とした上で、視聴者から寄せられた3000通もの応援メッセージが、そんな孤独な闘いの救いだったと語った。

退院後は帽子を被って黙々と散歩をして、復帰に向けて体力作りに励んできた。また同年10月には鹿児島県霧島温泉に旅行した。先述のVTR出演はこの温泉旅行中にフジテレビアナウンサーの軽部真一のインタビューを受けた際のものである。その他、年の差婚をすることを目指しているという。

『週刊女性』2013年1月8日・15日合併号に、「2013年4月より『めざましどようび』(『めざましテレビ』の土曜版)にコメンテーター役として出演開始(仕事復帰)することが決定的」と報じられた。しかし、これは実現しなかった。

2013年2月4日放送分の『めざましテレビ』に生出演し、461日ぶりテレビ生出演を果たした。同時に4月開始の『アゲるテレビ』のメインキャスターを務めることが発表された[15][16]。『アゲるテレビ』にて『めざましテレビ』担当時に一時期(2005年4月 - 2011年3月)長年ライバルだった裏番組ズームイン!!SUPER』(日本テレビ)のメインキャスターを務めていた西尾由佳理とコンビを組むことも決まっていた。

  • この生出演時に、この時点で西尾とはまだ対面していないことを明かした(軽部より大塚が西尾をお気に入りと言っていたことも紹介された)ほか、「最近気になる芸能人は誰か?」との問いに「壇蜜さん」と返答していた[17]

当初は『めざましテレビ』のレギュラーに就いて仕事復帰とする案もあったが、「早朝での仕事は体に負担が大きい」「病気で降板した自分が新しい出演者・スタッフの中に入っていくのは自己中のようで申し訳ない」という本人の意向で辞退し、代わって『アゲるテレビ』の打診を引き受けたとも言われている[18]

復帰後の大塚について、大病を経験したことで健康系の企画なども説得力が出てくるとの向きもあった[19]

同年2月6日には3月18日放送のテレビ朝日クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』の収録に臨んだ。

白血病再発後

しかし本格復帰目前の2013年3月16日、白血病が再発したことが判明したため、フジテレビより『アゲるテレビ』への出演予定を当面キャンセルし、再び病との闘いに入ることが発表された[20]

フジテレビでは、『アゲるテレビ』での大塚の扱いについて、「降板ではない。回復して番組に出演できる状態になれば、復帰をお願いすることになる」との見解を示していた。そのため、番組開始から同年6月7日まで、情報キャスターの中村光宏(フジテレビアナウンサー)が西尾とともに総合司会を担当していた(中村の扱いは「司会代行」に近い)。その後、同年6月10日放送分より軽部が総合司会に加わった。『アゲるテレビ』の初回放送では、オープニングで西尾が「大塚さんとスタートが切れなくて残念」と述べた。

大塚と西尾が番組立ち上げに向けての顔合わせ時に衝突し、確執が生じたとする報道が複数あったが、チーフプロデューサーの西村陽次郎がこれを「事実無根」と否定している[21]

大塚の白血病治療について、骨髄移植は困難であると見られた。3人の姉は高齢のため骨髄提供は難しい状態(姉達は提供希望の意思)で大塚本人もこの時点で60代であり、手術を受けるには厳しいとされた[22]が、後述の通り手術を受けることはできた。

同年4月、闘病記『耐えて、咲く』を発表した。

『週刊女性』2013年7月23日・30日合併号に、同年6月初旬にフジテレビ本社の喫茶店に来店し、『めざましテレビ』のプロデューサーらと会談(現状報告と復帰についての話し合い)していたことが報じられた。同誌によると、大塚の顔色は悪かったという。

『アゲるテレビ』は同年9月27日を以って打ち切りとなった。結局、最終回まで1度も出演しなかった。その後、同年9月に退院を果たした。同年10月5日放送の『めざましテレビ』の特別番組に生電話出演。その際、臍帯血移植(血液提供はA型の少女)による手術をしたこと、また手術により血液型がB型からA型に変わったことを明かしている。この時、スタジオ出演をしなかったのは、「体重は変わらないものの、後遺症で顔と腹が丸くなった」ことが原因と言われる。本格復帰は2014年春を目指していた[23]。2014年3月、大塚が激やせ状態であることや杖頼りの生活をしていることが報道されている[24]

2014年5月4日放送分のフジテレビ『ワンダフルライフ』に出演した。

主な出演番組

NHK時代

フジテレビ専属→フリーランス

映画

脚注

注釈

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出典

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関連項目

  • 池上彰 - NHK同期入局。
  • 宮本隆治 - NHK同期入局。
  • 佐塚元章 - NHK同期入局。初任地が隣同士。甲子園での高校野球実況を入局3年目で歴代最年少(大塚が4年目で2番目、日本シリーズは大塚の方が早かった)。大塚が入院した際には一番お見舞いに多く行った。
  • 後藤完夫 - NHKのアメリカンフットボール中継(ライスボウル、スーパーボウル、NFL)でコンビを組んだアメリカンフットボール解説者。

外部リンク

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  13. テンプレート:Cite web
  14. 女性セブン』2013年4月4日号
  15. 2013年 春の新番組 報道・情報 フジテレビ 2013年3月1日閲覧。
  16. テンプレート:Cite news
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  18. テンプレート:Cite journal
  19. テンプレート:Cite news
  20. テンプレート:Cite newsテンプレート:リンク切れ
  21. テンプレート:Cite news
  22. http://news.livedoor.com/article/detail/7524006/ 女性セブン 2013年4月4日号
  23. 『女性自身』2013年11月12日号
  24. 『女性自身』2014年3月25日号
  25. 若い広場 「執念の着地」―障害を越えて― 「若者紳士録」 「マイ・ブック」―鉄腕アトム―手塚治虫・作 NHKアーカイブス公式サイト 番組表詳細検索


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