新潟総合テレビ

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テンプレート:Mboxテンプレート:Infobox テンプレート:日本のテレビ局 株式会社新潟総合テレビ(にいがたそうごうテレビ、Niigata Sogo Television, Co., Ltd.)は、新潟県放送対象地域としてテレビジョン放送をする特定地上基幹放送事業者である。 略称はNSTコールサインJONH-DTVフジテレビジョンFNNFNS)系列。

テレビ欄、EPG等では、「新潟 NST」及び「NST 新潟」及び「NST 新潟総合」及び「新潟総合」及び「新潟総合テレビ」及び「NST」及び「NSTテレビ」と表記されている。 現在のキャッチフレーズは、「Niigata Smile ТV(にいがたスマイルティービー)」(2014年4月から使用)。

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本社・支社概要

  • 本社の郵便番号はNST専用。社用の他、視聴者プレゼントなど一般向けに使用している。2004年10月初旬に完成した現在の本社は万代シテイに程近い、信濃川右岸(旧新潟鉄道管理局グラウンド跡)に位置している。
  • 長岡支社・〒940-0033長岡市今朝白2-1-4

※開局当初は長岡のスタジオ(演奏所)≪NST長岡放送センター≫で番組制作。1991年10月に新潟本社(上所)に移転統合。

  • 東京支社・東京都中央区銀座3-9-11(紙パルプ会館)
  • 関西支社・大阪府大阪市北区堂島浜1-1-8(堂島パークビル)
  • 上越支社・上越市西城町3-5-24(上越大同生命ビル)
  • 佐渡通信部・佐渡市窪田538-1

概要

1968年12月16日開局。新潟県内で2局目の民間放送局で、県内初のUHFテレビ局である。

新潟県に2局目の民放テレビ局のチャンネルプランが発表された際、フジテレビなどフジサンケイグループ日本テレビなど読売新聞グループ、NETテレビ(現テレビ朝日)など朝日新聞グループをはじめ、複数の免許申請が出されたが調整により一本化され、3社が相乗りする形で会社を設立。トリプルクロスネットであったことから、社名には“総合”の名称がつけられた。なお現在はフジテレビ系列のフルネット局のため、“総合”の意味合いはほとんどなくなった。

複数の放送局申請を調整し設立の行司役を田中角栄がしたことから、設立時には本社は新潟市、演奏所スタジオは長岡市でスタートし、越後交通グループや田中真紀子ほか田中家一族らとも親密であった。さらにフジサンケイグループのネット局として設立され、また当時から現在に続くフジテレビのネット局である。

社長には、当時新潟県経営者協会会長の桜井督三(北越製紙社長)が就任。4年後の1972年に大光相互銀行(現大光銀行)の会長だった駒形十吉が就いた。駒形は長年大光相互銀行の社長を務め、後に子息の斉に社長の座を譲り会長に退くが、大光は1979年秋に乱脈融資事件が発覚し強制捜査を受けることとなった。更にこれを巡って大幅な債務超過に陥っていることが発覚。1980年春には上場廃止となり、これを引責する形で駒形一族は大光を追われたが、十吉のNST社長職については個人大株主であったこともありそのまま留任、1990年代半ばまで実権を掌握し続けた[1]

開局当初は「楽しいテレビNST」というキャッチフレーズを掲げ、PRを図った。また初のUHF局であったことから、開局前には県内各地で催事が行われる折に、VHFチューナのみを備えたテレビで視聴するためのUHFコンバーターの普及促進活動を行っていた。クロスネット当時は、上記3局に加えて東京12チャンネル(現テレビ東京)の番組も購入して放送しており、実に4局の番組が混在する状態が続いていた。しかし一方、自社制作番組の割合が著しく低く、会社側も自社番組に関して非常に消極的な姿勢を見せていた。

その後1981年4月にテレビ新潟放送網が開局し、まず日本テレビ系列を離脱。1983年10月に新潟テレビ21が開局してテレビ朝日系列も離脱し、フジテレビ系列のフルネット局となった。しかしNSTはそれ以後も、昼間や深夜時間帯にはフジテレビの番組よりもむしろテレビ東京の番組を主体とした編成体制を敷いていた。更にはフジテレビの日曜の競馬中継(現『みんなのKEIBA』)も、フルネット化以後も新潟放送からネットチェンジせず、なおも自社制作率は低いままであった。営業に貪欲で、CM制作やコマーシャル収入で大きな収益を上げつつも、番組制作に対しては消極的な姿勢は現在まで続いている。消極的な事例として、トリプルネットの頃は報道部が事実上機能していない時期もあった。

駒形氏の影響力が薄れた1990年代に入ってからは、まず1991年に長岡放送センター(長岡市)を本社(新潟市)に移転統合する。2000年代には自社制作率は徐々に上昇し、フジテレビの番組の遅れネットも減少。2000年には新潟競馬場開催の中継と『スーパー競馬』のネットを開始、長年の「腸捻転」(ネットワークのねじれ現象)がようやく解消。2004年には本社を新潟市中央区八千代に移転するなど、設備投資を積極的に行っている。

2002年、新潟市中央区上所にあった本社の建物の老朽化と、後に開始される地上波デジタル放送におけるハイビジョン化を視野に入れ、現在の新社屋の建設を決定。新社屋は2004年10月に完成、2004年10月20日に本社の全機能を新社屋へ移転し、放送を開始している。この新社屋は全てハイビジョン放送に対応しており(県内では一番早かった)、省エネ設計の建築であるばかりか、屋上にはわずかだが太陽電池パネルまで取り付けられている。新社屋移転後、毎年10月には「NSTまつり」を開催している。

2010年3月29日、地上波デジタル放送移行に先駆けて社名の通称名称の整理を目指し、呼称を「NST」に統一した。なお登記上の商号は改称せず、引き続き「新潟総合テレビ」を維持している。放送上では、フジテレビ系列番組(FNS27時間テレビなど)の表記は引き続き「新潟総合テレビ」を使用しているが、報道番組の制作協力、主催クレジットや新聞テレビ欄などは「NST」と表記され、呼称する(但しFNSの日では系列局を紹介する際、「新潟総合テレビ」(2014年は「新潟NST」)と呼称する場合がある)。

キャンペーン、キャッチフレーズ

  • 2003年度から6年間
    • 新潟県内外で夢を追う人々を応援する「『Dreaming.』キャンペーン」を展開。同年のCI導入に合わせ、当時のキャッチフレーズ「もっと、いい夢。」に因んで開始した企業キャンペーンで、「人と、人の持つ可能性を応援する」というコンセプトの下で2008年度まで展開した。
  • 2005年
    • 「Digital Dreaming.」をキャッチフレーズに、地上波デジタル放送のPRを展開していた。
  • 2009年度から(現在も実施)
  • 2010年1月1日から約1年間
    • 「新潟総合テレビからNSTへ」と銘打ち、地上波デジタル放送に完全移行する2011年の干支が「」であることや「地上デジタル移行に際し、さらなる跳躍を目指す」という企業理念に因んで、黒いタキシード姿のウサギをモチーフにしたキャンペーンを展開、自社のスポットCMや新聞広告で呼称統一のPRを行った。なお、このキャンペーンCMに、タキシード姿のウサギが出てくるが、これは自社のキャラクターではない。
  • 2010年4月から1年間
    • 前述のキャンペーンの途中から並行して使用を開始。風景の中から女性の顔の部位がアップで現れ、キャッチフレーズ「NSTは、あなたを、刺激する」をPRする自社のスポットCMを放映していた。ちなみに、このCMに流れる音楽を唄っているのは新潟市在住のソプラノ歌手のアマリア・ネクラエシェである。CMヴァージョンは以下の通り。
      • 「唇編」(空から唇が現れる。ナレーション:「あなたが、話したいこと、それは私たちが見せたいこと。」)
      • 「瞳編」(海の上空から瞳が現れる。ナレーション:「あなたが、見たいこと、それは私たちが見せたいこと。」)
      • 「耳編」(森の上空から耳が現れる。ナレーション:「あなたが、聴きたいこと、それは私たちが見せたいこと。」)
      • 「天使編」(これは2011年1月に初公開。天使の子供達が唇のようなソファに座る。ナレーション:「明日の向こうを、見ませんか。私たちと、ご一緒に。」)
  • 2014年4月から
    • 略称がNSTであることと、ローカルの看板番組の1つに「スマイルスタジアムNST」があることをもじり、2018年12月16日に迎える開局50周年に向かい、「Niigata Smile TV(にいがたスマイルティービー)」キャンペーンを行っている。

マスコットキャラクター

局のマスコットキャラクターは「ナシテ君」。他にガールフレンドとして「ドシテちゃん」、友達として「ロボッチョ君」がいる。いずれも、開局35周年である2003年に登場した。開局45周年を迎えた2013年12月には、ナシテ君とドシテちゃんの顔のデザインが変更された。 テンプレート:FNN-character

地上波デジタル放送

ファイル:FNNID.png
フジテレビ系列のリモコンキーID地図
  • しかし、同局は2004年にハイビジョン及び地上デジタル放送に対応した新社屋に移転したため、設備がほぼ万全だったので、地上波デジタル放送への移行が他局よりも比較的に楽だった。さらに将来のハイビジョン化をにらみ、新社屋移転後から局のローカル看板番組である「スマイルスタジアムNST」では、早くも一部コーナーでハイビジョンでの取材を始め、更にサイマル試験放送開始後では、直ぐに一部の報道取材をハイビジョン化するなど、ハイビジョン化においては、地上デジタル放送開始以前から、新潟県の民放で最も積極的に取り組んでおり、2007年の時点では、「スマイルスタジアムNST」では取材部分まで全部ハイビジョン化されていた[2]。しかし、ローカル番組のハイビジョン中継車を使った生中継では、自社がまだハイビジョン中継車を導入していなかったため、他社よりそれをレンタルするしかなく、まず、地上デジタル放送開始記念番組として新潟ビッグスワンからのJ1リーグ「アルビレックス新潟VS名古屋グランパスエイト」のハイビジョン実況生中継を行ったが、ハイビジョン大型中継車のレンタルであった。しかし翌年、新潟テレビ21が、ローカル番組において、新潟スタジアムからのJ1リーグの生中継や高校野球の新潟県大会の準決勝及び決勝戦をハイビジョン実況生中継で行ったり、地上波デジタルテレビの大幅な普及も手伝い、2008年からは、『NSTみんなのKEIBA』が、フジテレビ等のハイビジョン中継車の貸与と中央競馬の主催・スポンサーでもあるJRAの金銭面でのサポートもあり、当番組のローカル部分が全てハイビジョン化される様になった[3]

駒形十吉について

駒形は現代美術収集家としても知られ、大光相互銀行やNSTの社内には「大光コレクション」と呼ばれる数多くの美術品が飾られていた他、大光相互銀行は長岡市内に美術館も持ち(長岡現代美術館)、一般にもこれらコレクションを公開していた。しかし乱脈融資事件をきっかけに経営危機に陥った大光相互銀行は、国や各地の金融機関から融資を受けるため現代美術館を閉鎖し、これら収蔵品の約半分を全国各地へ売却することとなった。その際、売却を免れた一部の作品は現在、同市の新潟県立近代美術館とNST長岡支社敷地内の放送センター跡地に建設した駒形十吉記念美術館に収蔵されている。

チャンネル

親局、中継局共、リモコン番号は8である。

  • 親局:19ch JONH-DTV 弥彦送信所(出力:3kW)
  • 中継局
中継局 ch 中継局 ch 中継局 ch 中継局 ch 中継局 ch
高田 25 津南 24 新井 45 守門 34 妙高高原 45
三川 43 津川 43 村上 25 村松 43 高柳 38
津南上郷 24 両津 31 外海府 24 関川 45 青海 20
小出 28 相川 30 湯沢 19 栃尾 45 川口 19
鹿瀬 19 大和 34 津南田中 19 六日町 34 高千 17
糸魚川大野 18 糸魚川早川 34 朝日 34 府屋 33 土樽 33
安塚 32 勝木 20 小千谷真人 37 中里 47 黒川 33
湯之谷 28 柿崎 30 松代 32 新発田赤谷 40 越路 39
鯖石 40 塩沢 45 新津 37 45 下相川 19
牛野尾谷 46 関川女川 36 津南中津 24 柏崎山口 28 中郷 48
宮古木 22

アナログテレビ放送

2011年7月24日停波時点

  • 親局:35ch JONH-TV 弥彦送信所(出力=映像:30kW、音声:7.5kW。)
  • 中継局
中継局 ch 中継局 ch 中継局 ch 中継局 ch 中継局 ch 中継局 ch
高田 33 相川 58 小出 43 津南 57 松代 43 高柳 48
守門 61 関川 59 青海 43 三川 58 55 村上市府屋 43
村上市勝木 57 両津 44 高千 58 安塚 44 新井 57 村松 57
栃尾 58 塩沢 58 土樽 54 越路 57 新津 42 村上市村上 40
川口 44 大和 58 黒川 58 中里 34 鹿瀬 42 村上市朝日 43
早川 44 湯沢 44 糸魚川 33 津川東 51 湯之谷 27 六日町 61
外海府 27 下相川 43 牛野尾谷 57 川口大島 55 妙高高原 24 津南田中 27
津南上郷 34 津南中津 41 柏崎鯖石 57 柏崎山口 43 関川女川 44 小千谷真人 27
糸魚川大野 57

沿革

  • 1967年11月1日 予備免許取得。[4]
  • 1968年3月2日 NST 新潟総合テレビ設立。
  • 1968年10月頃 NST 長岡放送センター完成。屋根に取り付けられた大きなNSTの看板が印象的な建物であった。
  • 1968年11月7日 放送試験電波発射。マスターは松下(現パナソニック)製で、1981年6月下旬の音声多重放送開始に伴う更改まで使われ続けた。送信機は東芝製。
  • 1968年11月29日 本免許取得。これに伴い、サービス放送を開始する(カラー放送も同時に開始)。
  • 1968年12月1日 地元の新聞紙新潟日報に同局の番組表が初めて掲載される。午前11時55分~放送開始。
  • 1968年12月9日 この日より、フジテレビの朝の看板番組『小川宏ショー』の同時ネットを開始する(1981年3月31日まで)。これに伴い、平日の朝の放送を開始する。
  • 1968年12月16日 FNNNNNNET-朝日テレビニュース3系列のトリプル・クロス・ネット局(ダブル・クロスネットも含めて、クロスネットではUHF局で全国初)として開局。
  • 1968年12月20日 開局記念として、新潟市体育館での「プロレスリング中継」が、日本テレビの制作で全国で放映される(但し、白黒放送だった。)。[6]
  • 1969年4月1日 FNS発足と同時に加盟。
  • 1970年1月1日 ANN発足と同時に加盟。
  • 1970年9月 松下製の番組自動送り出し装置(APC)稼動
  • 1971年10月25日 平日が全日放送になり、完全全日放送化完了。これと同時に、フジテレビの「ママとあそぼう!ピンポンパン」の放送開始[7]
  • 1972年4月 カラーテレビ中継車(FPU)導入。
  • 1972年11月 レギュラー情報番組『エンドランサタデー』スタート。
  • 1972年12月26日 アンペックス社製のハイバンド方式による放送業務用2インチカラーVTR(アンペックス方式)を導入、稼動開始。(同VTRは1983年頃まで運用された。)
  • 1975年3月31日 腸捻転(ネットワークのねじれ現象)解消に伴い、毎日放送制作の番組が新潟放送へ移行。朝日放送制作の番組をネットするようになる(1983年9月30日まで続く)。
  • 1975年10月5日 それまでTBS系列局であるBSN新潟放送で放送されていたフジテレビの看板アニメ番組「サザエさん」がNSTへ移行し、同番組はこの時より、フジテレビとの同時ネットで放送されるようになる。[8]
  • 1977年頃 アンペックス社製1インチVTR導入、運用開始。
  • 1980年頃 報道取材として、U規格3/4インチVTRを使ったENGを使用開始。
  • 1980年3月 アンペックス社製のCMバンク稼動開始(尚、同システムの本格稼動の開始は、翌年3月頃からとなる)。
  • 1980年4月 デイリーのレギュラー情報番組『NSTですこんにちは』放送開始
  • 1980年9月 FM放送の開設を申請。しかし、後に却下された。
  • 1981年4月1日
    • テレビ新潟開局に伴いNNNを脱退。FNN,ANNのクロスネット局となる。
    • 地元ニュースをワイドに伝える「NSTワイド630」がスタートする(同局初のワイドニュース番組で、1984年9月まで続いた)。
    • CM送出にアンペックス社製1インチVTRを2台採用し、CM送出の効率化を図る。 
  • 1981年6月下旬 音声多重放送免許取得。これに伴い、新しい主調整設備(松下(現パナソニック)製)に更改、稼動開始。
  • 1981年6月26日 通常番組終了後(深夜)より、音声多重試験放送を開始(画像は静止画、音声のみ)。
  • 1981年7月1日 音声多重放送を開始。最初の番組は、朝日放送制作の、甲子園球場からの阪神巨人戦の実況生放送だった(ステレオ放送。ANNの「水曜スペシャル」枠での放送)。
  • 1981年7月27、28日 高校野球県大会の準決勝、決勝の模様を長岡市悠久山野球場から、同局ローカル番組初のステレオ(生中継)で放送。[9]
  • 1983年4月 ローカルの天気予報の一部時間帯がステレオ化される[10]
  • 1983年4月頃 番組送出用VTRに、日立製1インチVTRを導入、稼動開始。これにより、新潟県の民放全局の1インチ番組送出用VTRは、全て日立製となる。(後に開局する新潟テレビ21も番組送出用1インチVTRは日立製を採用。)
  • 1983年10月1日 新潟テレビ21開局に伴いANNを脱退。FNN系列のフルネット局となる[11]
  • 1989年7月 フジネットワークの衛星利用放送システム(F-SAT)運用開始
  • 1989年12月 衛星利用ニュース中継システム(SNG)運用開始。
  • 1991年10月1日 長岡にあった放送センター(演奏所設備)が本社のある新潟(上所)に移転統合。これに伴い、新潟に新しい運用設備が稼動開始。
    • 新しい主調整設備はNEC製。
    • 一部の画像・音声送出用に、書き換え可能の光磁気ディスク(MO)が採用される。
  • 1993年頃 ソニー製D-2方式のデジタルVTRを導入、運用開始。
  • 1997年10月 字幕放送開始。
  • 2000年1月 TBS系列局である新潟放送(BSN)で放送されていたフジテレビの『スーパー競馬』がようやくNSTに移行される。
  • 2001年3月 放送データ作成システム及びCMバンク更新。
  • 2001年10月6日スマイルスタジアムNST』スタート。
  • 2002年4月1日 CIの一環として、ロゴ変更。
  • 2003年3月 新社屋(市内八千代2·旧新潟鉄道管理局グラウンド跡)起工式・着工。
  • 2003年 開局35周年に伴い、自局初のキャラクター「ナシテ君・ドシテちゃん」が登場する。
  • 2004年4月 新社屋竣工。
  • 2004年10月20日 ハイビジョン放送に対応した新社屋に移転。同日午前5時30分から本格運用開始。新しいスタジオ(スタジオSWITCH、面積:100坪)もハイビジョン対応になる。
  • 2004年10月23日 新社屋移転後の初イベントとして「NSTまつり」を開催(この取材が、同局初のハイビジョン報道取材となる)。また同日の『スマイルスタジアムNST』も特別スペシャルを組む予定だったが、生本番直前の17時56分に新潟県中越地震が発生し[13]、災害報道に切り替えられ、NSTまつりも24日は中止となる。なお、地震直後の初期報道が他局に比べ遅れたために、非難の声も上がった[14]
  • 2005年6月10日 - 地上デジタル放送の予備免許を取得(新潟のNHK、他の民放テレビ3局も同時に取得)。[15]
  • 2005年10月1日 地上デジタル放送の試験電波送信開始(弥彦山送信所。出力30W)。
    • デジタル放送マスター設備及び送信機ともに東芝製。
    • デジタル放送の番組送出媒体として、VTRをそのまま使わずハードディスクレコーダーを使用。
  • 2005年10月25日 地上波デジタル放送の試験放送開始(弥彦送信所のみ。出力3kW)。
  • 2006年2月27日 地上波デジタル放送のサイマル試験サービス放送開始(データ試験放送、ワンセグ試験放送も同時開始)。これを期に、ローカルニュースを含めローカル番組のほとんどがハイビジョン化される。[16]
  • 2006年3月30日 - 地上デジタル放送の本免許を取得。[17]
  • 2006年4月1日 午前4時40分、地上波デジタル本放送開始(UHF19ch、出力3kw 、コールサインJONH-DTV,チャンネルはリモコンキーID8)。同時にワンセグの本放送も開始[18]
  • 2006年4月15日 ローカル番組で、新潟ビッグスワンからJ1リーグ「アルビレックス新潟VS名古屋グランパスエイト」の模様をハイビジョンで生中継する。[19]
  • 2008年5月3日 JRA新潟開催時に於けるローカル番組「NSTみんなのKEIBA」の新潟ローカル部分がハイビジョン化される[20]
  • 2008年6月 報道取材・中継用のヘリコプターを導入、運用開始。
  • 2008年8月4日 開局40周年記念特別番組として、「昭和20年8月1日~語り継ぐ長岡空襲~」を午後7時から放送(ハイビジョン、ステレオ制作)[21]。放送後、同局の慈善事業としてこの放送をDVDに録画し、長岡市内の様々な学校に寄贈した。[22]
  • 2008年11月3日 翌月の開局40周年に先立ち、同じ翌年の4月1日に開局40周年を迎えるフジ系のNBS長野放送と共同で両局開局40周年特番の共同制作「スマイル・これだね!」をNBSと同時に生放送を行う。これを機に、同局とは毎年11月に同番組の共同制作を行う様になる。
  • 2008年11月24日 地上デジタル放送でウォーターマークの表示が開始される。
  • 2009年1月12日 アナログ放送でウォーターマークの表示が開始される。
  • 2009年初旬 ハイビジョンSNGFPU中継システムを自社導入、稼動開始[23]。これにより、主に報道用等に於けるローカルテレビ中継でのハイビジョン運用が、設備をレンタルしなくてもできる様になった。[24]
  • 2009年4月 前年の6月に導入した報道・中継用ヘリコプターがハイビジョン対応になる。
  • 2010年3月29日 新潟総合テレビの呼称をNSTへ変更。
  • 2010年9月6日 フジテレビ系列以外からのハイビジョン・デジタル・ネット回線の受け入れ態勢が整う。これに伴い、平日にテレビ東京から生放送でネットしている番組「レディス4」が、ようやくNSTにてハイビジョンで放送される。[25]
  • 2011年3月22日 同年3月11日に東日本大震災が発生し、これにより福島県にある福島原子力発電所から放射能が出た影響で福島県民が新潟県に避難。これに伴い、県内に避難している福島県人向けに、同じFNS・FNN系列のFTV福島テレビの協力を得て、平日16時45分から10分間、「FTVスーパーニュース 」の福島ローカル部分のダイジェスト放送を、「福島テレビニュース」として放送を行う(同年4月29日まで継続された)。
  • 2011年7月24日 正午、アナログテレビでの本放送が終了。同日23時58分頃に、同電波が完全に停波する。
  • 2012年4月1日 フジ・メディア・ホールディングス の持分法適用関連会社になる。
  • 2012年4月2日 気象システムがリニューアルされる。これに伴い、新潟県内の放送局の気象システムが全局ハイビジョン化がされた。
  • 2013年12月16日 開局45周年のこの日に、自局のキャラクター「ナシテ君・ドシテちゃん」の顔のデザインが変更される。
  • 2014年4月 開局50周年に向かい、「Niigata Smile ТV」(にいがたスマイルティービー)キャンペーンをスタートする。

ネットワークの移り変わり

オープニング/クロージング紹介

  • 6代目・「海と日の出」【オープニング】「海と月」【クロージング】バージョン(2006年4月1日~現在)
    • いずれもステレオで、ハイビジョン収録のCG映像。オープニングは海から上り出る太陽と流れ行く雲、クロージングは月明かりに照らされた海の上を流れ行く雲。いずれも「新潟総合テレビ」「JONH-TV」「JONH-DTV」のロゴが次々と表れ、最後に「NST NIIGATA SOGO TELEVISION CO. LTD」の社ロゴが表示される。アナログ・デジタルで共用している。
    • オープニング曲は、アルバム「THE VERSATILE VOICE」より「L'Oiseau Bleu」、クロージング曲は、アルバム「BITE SIZE」より「Beautiful Day」である。
    • 放送されている曲は30秒の「ショートバージョン」であり、アルバムには60秒の「ロングバージョン」や「サウンドトラック」バージョンが納められている。なお、発行元である「KPM MUSIC」のサイトで、試聴することが可能である。
    • 2010年3月29日からは新潟総合テレビの呼称がNSTに変更したことにより、ロゴは「NST」「JONH-TV」「JONH-DTV」の表示のみになった。
  • 5代目「もっと、いい夢。」八千代社屋バージョン【オープニング】(2004年10月~2006年3月31日)
    • 現本社移転後、このオープニングが制作された。本社周辺の風景や社内の設備や機器を紹介している(BGM:Fields and Hedgerows/Johnny pearson)。事実上オープニングとして放送開始時に使用していたが、コールサインや周波数・出力などの技術情報は全く入らず、むしろ新社屋のPRというきらいがある。
    • 地上波デジタル放送のサイマル放送のオープニングにも使用されていた(2006年2月27日~3月31日)。
  • 4代目「もっと、いい夢。」空飛ぶ少年バージョン【オープニング・クロージング兼用】(オープニングでの使用:2002年4月~2004年10月・クロージングでの使用:2002年4月~2006年3月31日)
    • 林の中を駆け抜ける少年と犬の映像から始まる。林を抜けたところで少年は突如空へと飛び立ち、弥彦山と「はざ木」の上空を旋回しながら(この映像をバックに弥彦送信所の周波数・出力と中継局数を表示)、新潟市内上空へと飛んでゆく(この映像をバックに「JONH-TV 新潟総合テレビ」のテロップを表示)。最後に「もっと、いい夢。」のキャッチフレーズと共に「NST」の社ロゴが表示される。
    • 新潟市上所の旧本社(1991年10月に放送所が新潟に移動してNEC製のマスターになってから)では、東京等からのアナログ・マイクロ回線を通して入る番組と、ローカル送出番組での技術的な違和感を無くすため、ローカルでの送出では音声をイコライジング処理して音質を故意に劣化させる処置をとっていた。しかし、同市八千代の現本社に移転した際に導入したアナログ放送用マスターは映像・音声共に全てデジタル信号で処理するようになっており、前述のイコライジング処理を行う必要がなくなった。このため、旧本社の時のものと現本社移転後のものとでは音質が微妙に異なっている。
    • 地上波デジタル放送のサイマル試験放送でも流されていたが、コールサインのテロップには手を加えないまま使用された(2006年2月~3月31日)。
  • 3代目 旧ロゴ最終バージョン(1994年4月頃~2002年3月)
    • オープニングは、弥彦送信所をモチーフにしたイラストをバックに「JONH-TV」のロゴが映し出され、続いて「NST 新潟総合テレビ」の社ロゴと弥彦送信所の周波数・出力が表示される。続いて新潟県の地図をバックに各中継局のチャンネルが表示され、最後に白バックを背景に「NST 新潟総合テレビ」の社ロゴが再び表示される、30秒間の映像。
    • エンディングは、弥彦送信所のイラストをバックにコールサイン、社ロゴ、弥彦送信所の周波数・出力が表示され、「今夜もNSTの放送をご覧頂き、ありがとうございました。本日の放送はこれで終了致します。JONH-TV」とナレーションが入る(ナレーションなしのバージョンもあった)。
    • 尚、CI導入前にはOPをEDとして使用していた時期があった。NSTのカラーバーは、右下の黒地の部分に「NST」と入ったものと、右上にテロップで「新潟 NST JONH-TV」と入ったものがあったが、CI導入前にはこれら社ロゴの表示を取りやめていた。なお、「つまらない」という人も中にはいた。
  • 2代目「子供とお年寄り」バージョン(1991年10月~1994年3月頃)
    • 弥彦送信所のアンテナや上所社屋の鉄塔・パラボナアンテナなど4つの写真の上に新潟県の形のCGから電波をなし続け、その目の前に様々な年代の新潟県民の顔を写した映像がスライドインし、最後に局名と技術情報が載る。技術情報はこのころから周波数・出力ともに載るようになった。
    • BGMはNST県民茶会の告知CMで使われていたものを引用。このBGMは3代目でも使われることになる。尚オープニングでは、クロージングのロングバージョンで多少異なるものを使用。
  • 初代 「サイケアニメーション」バージョン(サービス放送開始1968年11月1991年9月
    • 全篇イラスト。目・耳・口、そしてストップウォッチを押す画の後、花々と男女、働く人々、港、工場の画が次々とフラッシュしてゆく。そして新潟県の画をバックに「JONH-TV」、「新潟総合テレビ」のロゴが映し出され、モザイク模様をバックに「NST」のロゴ、最後に「35ch 弥彦送信所、中継局43局」のテロップが表示される。以上、セル画制作フィルム収録による1分間の映像。エンディングは30秒間(1980年代前半までは1分間)で、映像構成が一部異なる。映像は全体を通して紫色、朱色、オレンジ色など原色系をふんだんに使用していた。BGMは音楽のみが流れ、ナレーションは無く、詳細な技術情報も表示されなかった。
    • 1986年頃までは全中継局とチャンネルを表記していたが、以後は「35ch 弥彦送信所、中継局41局(中継局の増加に伴い、のちに42~43局に変更)」のみに。
    • クロージングの前には、黒い背景に越後獅子の人形2体が立っている静止画をバックに翌日の番組紹介や啓蒙メッセージが流された後、テロップで「火の元 戸締りを もう一度 確かめましょう」と表示された画面が登場する。そして「火の元、戸締りには気をつけて。」というアナウンスのあと、テロップが「おやすみなさい NST」に切り替わり、「おやすみなさい。」というアナウンスが入り、サイケアニメーションに切り替わる。1983年頃までは中継局のアナウンスがあり、季節の話⇒火の元と戸締りのアナウンスの後サイケアニメに入る。この頃は30秒のアニメーションではなく1分という長い物だった。
    • 2007年5月26日放送の自社制作番組「第55回全広連新潟開催記念 CMで見えるテレビの今昔」(13時30分~14時25分)の冒頭で16年ぶりに登場。フィルム特有の傷、劣化は見られず非常にクリアな映像だった為、23年間使用したコピー・フィルムでなく、オリジナル・ネガマスター・フィルムから直接デジタル化した映像、またはそれかサブ・マスター・フィルム等からデジタル修復が施された映像だと推測される。なお1980年代前半頃までは1分間だったがその後30秒に短縮されている。
    • 対外向けの呼称を「NST」に統一した2010年4月から、同年初頭から採用したキャッチフレーズ「NSTは、あなたを、刺激する」をPRするスポットCMを放映している(概要を参照)。このスポットCMは、女性の顔の部位をクローズアップした映像を用いた「唇編」「瞳編」「耳編」の3つのバージョンが放映されている。

自社制作番組

この他、傘下のNSTサービスによる『新潟いい品小路』の通信販売の案内が不定期に流れる。但しスポットCM枠内であり、番組ではない。

SP番組·催事関連番組

ほか テンプレート:Main2

ネット番組、過去の番組

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アナウンサー

NSTは会社の方針として、新潟県出身者や同県育ちの人材を数多く採用することで知られており、アナウンサーについても同様で、県内の民放テレビ局の中でその割合が最も高い。以下のリストには、現役のアナウンサーについて、新潟県出身者・育ちの人のみ、その地を記す。

男性

女性

過去のアナウンサー

男性

女性

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. NSTは、かつて大晦日深夜(元日未明)にはフジテレビのネット受けを行わず、駒形自らの出演による10分間の「社長挨拶」を放映していたことからも、それが窺える。『ニュースJAPAN』等FNN全国ネットの最終ニュースのスポンサー全てがローカルスポンサー、またはネットスポンサーの一部とローカルスポンサーの混在のいずれかであること、クロスネット時代にネットしていた『ANNニュースファイナル』が、ネットスポンサーとローカルスポンサーが混在していたこと、およびフルネット化後も駒形が「この時間帯のスポンサーになってくれる地元企業を大切にしたい」との意向から、同時間帯のニュース番組の完全ネットスポンサー化を辞退したことは、その名残である。ローカルスポンサーについては、提供読みで企業名の読み上げを要するスポンサー料が高額な企業となる場合が多い。
  2. 但し、取材用のハイビジョンカメラが全部出払っている状況の時もあり、その場合は、標準画質の取材である場合も稀にあったが、現在は勿論、取材も全部ハイビジョンである。
  3. 時々、フジテレビのハイビジョン中継車が全部出払っている状況やそれをレンタルできる別の会社でもそれが日によってはできない場合もあるために、標準画質の普通中継車を使って放送する日もある。移行初期にはFTV福島テレビからその後BSNから中継車を借り受け、NSTのロゴを貼って対応した事もある(当時の雑誌ラジオライフに写真が掲載)。
  4. 当時のUHF第1次チャンネルプランに基づくもので、この日は他にも長野放送テレビ静岡岡山放送を初め、全国の民放15局に一斉に予備免許が交付された。
  5. この日の同番組では、「ジャイアント馬場VSブルート・バーナード」の30分一本勝負がメイン・イベントとして放送された。
  6. この番組の試合でのメイン・イベントは、「ジャイアント馬場VSブルード・バーナード」だった。
  7. NSTの同番組での放送は、初めは17時からの1日1回の放送だったが、後に朝からの放送も開始し1日2回の放送となるが、後にフジテレビが同番組は朝の放送のみとなったため、それから番組終了までは朝の放送のみとなる。
  8. 当番組がBSNで放送されていた時は、フジテレビから1日遅れの月曜日午後6時からの放送であったが、この月より、フジテレビと同じ、日曜日午後6時30分からの放送となり、今でも続いている。これは、NSTが開局当初から、良質な子供向け番組の放送に力を入れていたこともあって、移行がある意味スムーズにいった。しかし、同じフジテレビの番組でも、「ズバリ!当てましょう」については、スポンサーの松下電器(現パナソニック)の意向により、放送終了までBSNにて放送されていた。
  9. しかし翌年からは、ANNを脱退して自局で同番組を放送しなくなるまでモノラル放送だった。
  10. CM用に使われる1インチVTRによる映像・音声をバックに、字幕による予報情報が出る番組構成の場合のみにステレオ放送となる。この方法での天気予報番組のステレオ化は、この時既に、BSNテレビテレビ新潟でも行われていた(ちなみにBSNテレビでは、天気予報のほぼ全時間帯がステレオ放送だった)。
  11. それと同時に、これまで新潟県で放送されていなかった『笑っていいとも!』がフジテレビと同時放送を開始した。フジテレビと同時放送開始当時から、この番組を放送する一部の放映局は、番組編成の都合上、時差ネットを行っていた。当時に比べれば、現在ではこの番組の時差ネットをする局は少なくなった。また、この番組の新潟での放送開始に伴い、柏崎市に本社のあるブルボンが同番組の全国版CMスポンサーの1社となった経緯がある。
  12. 後の地上デジタル放送開始に備え、後にデジタルマスターを増設させてアナログ・デジタル統合型にできる様に設計させている模様である。
  13. 地震発生時、同局は『NSTスーパーニュース』のローカルニュース枠の放送で、新社屋4階のニューススタジオでフリーアナウンサーの菊野麻子が天気予報を読み終える直前だった
  14. フジテレビの『ミュージックフェア』がネットされていないこと、18:30~19:00枠がローカル枠だったことが影響している。
  15. この日は、新潟県を含む全国のNHKの地方局13局と、全国の地方民放40局が同時に予備免許を取得した。インプレス社AV Watch 2005年6月9日付記事
  16. 同時ネットによるハイビジョン放送はフジテレビ系列の番組のみで、テレビ東京の番組で同時ネットをしている『レディス4』についてはハイビジョン化されなかった。同番組は、テレビ東京がこの時点で既にハイビジョン放送をしているにもかかわらず、NST側で同局のハイビジョン・デジタル・ネット回線の受け入れ体制が整っていなかったため、しばらくの間は、アナログ放送用の回線をアップコンバートして4:3の額縁放送の処置をとっていた。但し同じテレビ東京の番組でも、ビデオ送出の番組についてはこの限りではない。例えば、『いい旅・夢気分』、『開運!なんでも鑑定団』等は、サイマル試験放送開始当初からハイビジョン放送だった。
  17. 総務省信越総合通信局報道資料 平成18年3月23日付
  18. これに伴い、20時台の『NSTニュース』・『NSTゴールデンニュース』・ニュース・放送開始前後に放送される天気予報の各OP/EDと、放送開始・終了時のOP/EDをハイビジョン化させ、デジタル放送対応にした。デジタル放送開始記念番組として、『はっしん! デジタル2006』(NHK新潟放送局、BSNとの共同制作番組)、シリーズ『ふるさと新潟の童謡(うた)』等のハイビジョン番組が放送された
  19. この中継時、ハイビジョン中継機材をレンタル使用して生中継放送を行った。しかし、その際のレンタル料金が余りにも高価だった為、その後約2年間はローカル番組に於いてのハイビジョン中継機材のレンタル及び使用は自粛される。
  20. 新潟競馬場からの中継時のハイビジョン中継車は、スポンサーであるJRAの金銭面でのサポートも手伝い、フジテレビ等(日によっては別のレンタル会社の場合あり)が貸与する
  21. これにより、いつもレギュラー枠であるフジテレビ同時ネットの『ネプリーグ』は、この回については、4日後の同月8日午後2時より放送された。
  22. 同番組は放送後に再放送の要望が多数寄せられ、これに答えるべく、同年10月9日の14時05分より再放送された。
  23. ハイビジョンによる同中継システムの自社導入は、県内民放ではテレビ新潟(Teny)新潟テレビ21に次いで3局目で、FNS系列では最も遅れた方である。
  24. 但し、スポーツ中継等の大規模を要するローカルのハイビジョン番組については、引き続きそれ用の中継車等の設備をレンタルして放送を行う。
  25. 新潟民放で系列局以外のハイビジョン・デジタル・ネット回線の受け入れ態勢を整えたのは、NSTが初である。
  26. しかしその一方で『火曜ワイドスペシャル』、『おじゃまんが山田くん』、『世界名作劇場』(1981年当時は『ふしぎな島のフローネ』を放送)、『オールスター家族対抗歌合戦』など同時ネットになったフジテレビ系番組も存在する。
  27. NSTホームページ内の彼女の自己紹介の一部に記載されている。

外部リンク

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