HiHiHi

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テンプレート:Otheruseslist テンプレート:複数の問題 HiHiHi(ハイハイハイ)はRKBラジオ1986年(昭和61年)4月7日から1993年(平成5年)4月30日までに放送された夜ワイド番組である。

番組のサブタイトルは「おとなは・いけない・課外授業」。

パーソナリティ

メインパーソナリティ
  • 山崎銀之丞(~1991年9月)- 1987年3月までは月曜・木曜・金曜担当、1987年4月から月~金全曜日担当
  • 坂口卓司(~1987年3月の火曜・水曜日のみ)
  • 足達ヒデヤ(現・安達ひでや、1991年10月~)
アシスタント

アシスタントは番組公募の女性で、曜日ごと日替わりの「象足シスターズ」。

放送時間

  • 月曜日:21:30~24:00 (JST)
  • 火曜~金曜日:21:00~24:00(JST)
番組開始当初
  • 月曜~金曜日:21:30~24:00(JST)

概略

KBCラジオ「PAO〜N ぼくらラジオ異星人」がスタートしたことによって、リスナーが離れていった[1]RKBラジオの名番組「スマッシュ!!11」の後番組としてスタート。番組第一期の86年度のみ、山崎銀之丞(月・木・金)と坂口卓司アナ(火・水)の2人体制だったが、87年春の改編で、坂口アナが「歌謡曲ヒット情報」担当になったため番組を離れ、山崎が毎日担当となった。なお、この番組はニッポン放送の番組「ヤングパラダイス」を手本として製作されたという[1][2]

初期の1年間はなかなか軌道に乗れなかったが、山崎が毎日担当となった87年頃より人気が出始め、通常の「日替り定食」「うまか情報局」といったハガキネタコーナーよりも、むしろ週1回は必ず行われていた街角収録「突撃ティーンズクラブ」や番組主催のキャンプ、クリスマスパーティーを始めとしたイベントの多さ[2]で、リスナーの心を掴んでいた。

しかし、90年のPAO~N終了までその牙城はなかなか崩せず[2]、更にその頃からは街角収録中止・イベント激減といった下降線をたどるようになり、リスナーも離れ始めた。そして、91年10月には山崎が劇作家つかこうへいにスカウトされて降板、上京。後任は「イカすバンド天国」で名を馳せた「たけのうちカルテット」のボーカルの足達ヒデヤ(現・安達ひでや)だったが、この頃には既に深夜ラジオブームが去っていたこともあってかつての勢いを取り戻せず93年4月にあっけない最後を迎えた。なお、打ち切り寸前に足達は不満を抱きながら「怒りの自主降板」をしており、残りは女性アシスタントが代役を務めた。尚、7年間の歴史の中で、様々なコーナーが生まれては消えたが、当番組の看板コーナー「クイズBOKAN」だけは、放送開始から終了まで続いた。 番組コーナーは年々変化したが、番組開始当時のRKBラジオ番組表(昭和61年4月)によると

上記の他は以下のようなコーナーがあった。

  • オープニングドラマ(山崎銀之丞が月~金の毎日担当するようになってからスタート)
  • 勝ち抜きクイズ・私が先よ!(2ヶ月間勝ち抜くことが出来ると15万円獲得となるリスナー参加のクイズコーナー)
  • 突撃ティーンズクラブ(22:10→21:25 1987年~1992年9月)
  • 千夜一分渡辺ショー劇場(23:50 1987年~1988年)
  • そこが知りたい(23:15 1989年~1992年9月)
  • 毎日がバレンタイン(23:45 1989年~1992年9月)
  • 青春、すべて冒険の時(水曜22:50 1989年~1991年)
  • Today Best 10(11:30 1989年~1991年)
  • 山崎銀之丞のバイト一発!(火~金21:40 1990年~1991年)
  • パネルクイズ・アタック7(月曜のみ21:50 1990年~1991年)
  • クイズ・なんじゃこりゃ(21:10 足達ヒデヤに交替後の1991年~1992年3月)
  • ナイト・スクランブル(22:10 1991年~1992年9月)
  • コズミック・コズミック(21:30 1992年4月~1992年9月)
  • クイズ・はやくイッてー(21:10 1992年4月~1992年9月)
  • ショッキング11(23:40 1992年4月~1992年9月)
  • オペラ座の夜(21:10 1992年10月~1993年4月)
  • チャンプルーUNIT(21:30 1992年10月~1993年4月)
  • SONIC BOOM(22:10 1992年10月~1993年4月)
  • しょっつるUNIT(22:40 1992年10月~1993年4月)
  • SO WHAT!(23:15 1992年10月~1993年4月)
  • ジャンバラヤUNIT(23:40 1992年10月~1993年4月)

主なイベント

  • 突撃ティーンズクラブ (定番である週1回の街角収録。毎週土曜日又は日曜日に行われていた。本来は福岡都市圏JR鹿児島本線西鉄天神大牟田線・九州唯一の地下鉄である福岡市交通局沿線の駅や商業施設などがメインだが、89年度は長崎県壱岐市でも収録が行われ、リスナーを驚かせた。90年度前半まで実施され、それ以降も番組最終年度である92年度まで年に2、3回程復活していた)
  • 突撃ティーンズクラブスペシャル (街角収録&アイドルのミニライブ、年に2、3回程行われた。この年度の参加アイドルは千葉美加など。89年度まで実施[3]
  • レッツ!うがい (毎週月曜日の21時台に行われていたイベント。福岡都市圏がメイン。リスナーがうがいをしながら様々なパフォーマンスを行い、その模様は番組に生中継されていた。89年度前半に実施)[4]
  • レッツ!リンボー (「レッツ!うがい」のリンボー版。89年度後半に実施)
  • 山崎先生の家庭訪問 (その名の通り、山崎銀之丞がリスナーの自宅を家庭訪問する。その模様は一週間後に番組で放送されていた。89年度前半に実施)[3]
  • 山崎銀之丞と行くHiHiHiツアー旅行 (山崎が同行する宿泊形式のツアー旅行。春に開催。行き先は88年度が沖縄、89年度は北海道であった。89年度まで実施)
  • HiHiHiサマーキャンプ (88年度から続く1泊2日のキャンプ。行き先は88年度と同じく八女郡黒木町(現・八女市)の「グリーンピア八女」であった。89年度まで実施)[3]
  • うまか仲間大集合 (当番組最大のスポンサーであったハウス食品とタイアップしたイベント。ゲームや体操をしながら商品を獲得していく。夏に開催。90年度まで実施)[3]
  • HiHiHiクリスマスパーティー (福岡市中央区の電気ビルにて行われていたライブ主体のイベント。アイドルのライブに加え山崎本人によるライブも行われた。89年度の参加アイドルは中山忍河田純子田山真美子から成るユニット「楽天使」であった。尚、90年度にはかつて当番組のリスナーであった諸岡なほ子が新人アイドルとして番組に錦を飾った。91年度まで実施)[5]
  • 祈願の旅 (毎年2月上旬に山崎がリスナーから送られて来たあらゆる祈願の葉書を宝満山山頂まで届けて祈願する。リスナー参加型のイベントではないがスタート地点で山崎の応援に駆けつけたリスナーもいた。尚、後任の足達ヒデヤにも受け継がれている。最終年度まで実施)[6]
  • 象足シスターズ卒業式 (1年間、象足シスターズとして活躍した女性5人を送り出す卒業イベント。中洲明治生命ホールにて91年度まで実施)
  • 座禅大会「HiHiHiヤル気の会」 (糟屋郡篠栗町城戸南蔵院にて。当時RKBラジオにてレギュラー番組を持っていた林寛乗住職のご好意による)[4]
  • バイリンガルトークショー (神津カンナを迎えてのトークショー)
  • 篠栗春爛漫ウォークラリー (本来は当時RKBラジオで放送されていた「ほがらかウィークリー」のイベントであったが、山崎がウォークラリーに挑戦することもあって多くのリスナーが参加した)
  • 博多どんたく港まつり中洲Nパサール舞台 (89年5月3日及び4日の博多どんたくでは山崎が象足シスターズを引退したばかりの倉品淳子と一緒に中洲のNパサール舞台で司会を2日間に渡って担当し、山崎や倉品目当てに多くのリスナーが訪れた)
  • クイズ「スペースチャレンジャー」公開録画 (90年春にオープンが決定していた北九州市八幡東区スペースワールドをPRする目的で89年7月から8月にかけてRKBテレビで放送された少年少女向けクイズ番組の司会を山崎と大島さと子が担当。この年の4月にオープンしたばかりの天神イムズビルで公録が行われ、多くのリスナーが観客席に座っていた)
  • UCC「ジョルトコーラ」ラジオCM (UCCが88年秋に発売した「ジョルトコーラ」のラジオCMに当番組のリスナーが日替わりで出演していた。88年度後期から89年度前期まで実施)
  • ハウス食品「うまかっちゃん」ラジオCM (当番組のハガキネタコーナー「うまか情報局」のスポンサーを担当していたハウス食品の主力商品「うまかっちゃん」のラジオCMに当番組のリスナーから寄せられたアイデアが毎週金曜日放送分に限り起用されていた。89年度後期に実施)尚、当番組主催のイベントに関してはハウス食品をはじめとする各スポンサーからのお土産が参加者全員にプレゼントされていた。また、以上の様に多くのイベントを開催してくれる当番組には当然のことながらリスナーからの差し入れが絶えなかった[3]
  • 今日のいただきもの (89年度に入った途端、当番組には連日リスナーからの差し入れが来るようになった。リスナーは差し入れ品をRKBの警備室へ渡すのだが、運が良ければスタッフ陣が受け取りに来てくれた。又、差し入れ品と差し入れしたリスナーの名前がその都度番組内で紹介されていた。90年度前半まで実施)[7]
  • テレオケスター誕生!(86年当初行なわれていたイベント。いわゆる「のど自慢」であるが、歌い手はスタジオではなく電話で歌うことが斬新であった。毎週4~5組のリスナーが電話越しにカラオケを歌いチャンピオンを決定していた。 更に週間チャンピオン同士による月間チャンピオンを決定。 また、月間チャンピオン同士による、年間上半期、下半期グランプリ大会まで行なっていた。審査は週間、月間においてはリスナーの電話投票で行なわれていたが、グランプリ大会においてはハガキ投票の形式がとられた。)

スタッフ

プロデューサー

  • 野見山實(音楽プロデューサー、当番組では「シーラカンス野見山」の愛称で呼ばれていた)
  • 千々和昭

主なディレクター

  • 植山信一(初代ディレクター、当番組では「バックスバニー植山」の愛称で呼ばれていた)
  • 野上克郎(コピーライター、山崎銀之丞のマネージャーを兼任。その為、当番組では「ジャーマネ野上」の愛称で呼ばれていた。現在は福岡放送の子会社であるFBSエンタープライズに勤務)
  • 家村裕之(大学在学中に当番組のADとして活躍、AD時代は「ピグモン家村」の愛称で呼ばれていた)
  • 種田守倖(放送作家、当時は「唐沢竿(からさわ かん)」名義で活動)

主なAD

※当番組のADは過半数が福岡大学九州芸術工科大学(現・九州大学)の学生で占められていた。
※最末期に活躍したADの多くは後番組「もっとももんが」のADとしても活躍した。

象足シスターズ

  • 初代(1986年度)
    • 月曜日:倉品淳子(象足時代は「倉品遊子」として活動、現在は劇団員として活躍)
    • 火曜日:池田潤子
    • 水曜日:山口はるみ(象足卒業後、地元リポーターとして活躍)
    • 木曜日:梶原美樹
    • 金曜日:味園由美子(1988年度より「RKBベスト歌謡50」のリポーターを担当)
  • 2代(1987年度)
    • 月曜日:倉品淳子
    • 火曜日:阪田友美(象足時代よりシンガーソングライターとして活動)
    • 水曜日:中野典子
    • 木曜日:富永倫子(象足時代は同じ漢字で読みは「とみなが みちこ」として活動、1988年度よりRKB毎日放送アナウンサー)
    • 金曜日:味園由美子
  • 3代(1988年度)
    • 月曜日:倉品淳子
    • 火曜日:藤本秀美
    • 水曜日:今林奈美
    • 木曜日:竹下寛子
    • 金曜日:山地緑
  • 4代(1989年度)
    • 月曜日:大畑奈津子
    • 火曜日:八木朋子(モモコクラブ出身)
    • 水曜日:小林香苗
    • 木曜日:竹崎弘美
    • 金曜日:大平真由美(4月のみ)→光藤美和子(5月より)
  • 5代(1990年度)
    • 月曜日:高橋三恵子
    • 火曜日:柏木絵理(当番組のAD出身)
    • 水曜日:須藤陽子
    • 木曜日:西村由美
    • 金曜日:長谷川綾
  • 6代(1991年度)
    • 月曜日:岩崎美樹
    • 火曜日:石松朋子
    • 水曜日:桜庭まい
    • 木曜日:山本康子(象足卒業後、FM佐賀のADとして活躍)
    • 金曜日:前田陽子
※第一期から第三期までは名前を通称として活動していた。その為、同じ読み方の女性が複数在籍していた第一期と第二期に関してはどちらか一方が名前又は名前の読み方を変えていたが、味園由美子のみは苗字を通称としていた。
※パーソナリティが足達ヒデヤ(現・安達ひでや)に交代してからは、足達の意向により「象足」という名称が原則的に使われなくなった。
※尚、7期に渡り常に最低1人は福岡大学の女子学生が象足の一員として加わっていた。

主なリスナー

主なゲスト

1986年12月4日放送に出演。当日は、ザ・ベストテンTBS制作でRKBテレビでもネット放送)にランクインし出演した為、RKBではテレビ・ラジオ同時放送の状態になった。

脚注

  1. 1.0 1.1 月刊ラジオパラダイス 1988年8月号特集「全国4大エリア 夜ワイド合戦絵巻」より。
  2. 2.0 2.1 2.2 「なつかしラジオ大全」(三才ブックス刊 170ページ)より。
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 月刊ラジオパラダイス 1989年10月号(76ページ)掲載。
  4. 4.0 4.1 月刊ラジオパラダイス 1989年9月号(76ページ)掲載。
  5. 月刊ラジオパラダイス 1989年12月号(74ページ)掲載。
  6. 月刊ラジオパラダイス 1990年1月号(76ページ)、月刊ラジオパラダイス1990年4月号(75ページ)掲載。
  7. 月刊ラジオパラダイス1990年4月号(75ページ)掲載。

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