韓国野球委員会

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テンプレート:Infobox テンプレート:スポーツリーグ 韓国野球委員会(かんこくやきゅういいんかい)は、大韓民国プロ野球の球界団体。韓国にプロ野球が生まれた1982年に設立されている。英名より韓国野球機構と訳されることもある。

2013年からNCダイノスが韓国野球委員会に加入し一軍は1リーグ制9球団で構成されている。なお、2015年からは新球団KTウィズ(2014年シーズンは二軍リーグに参加)が一軍リーグに参加し10球団制に拡大する予定。

構成球団

参加球団

球団名 縁故地 本拠地球場 収容人数 創設
斗山ベアーズ
(Doosan Bears)
ソウル特別市 蚕室総合運動場野球場 26,000人 1982年1月15日
LGツインズ
(LG Twins)
ソウル特別市 蚕室総合運動場野球場 26,000人 1982年1月26日
起亜タイガース
(Kia Tigers)
光州広域市 光州起亜チャンピオンズフィールド 22,000人 1982年1月30日
サムスン・ライオンズ
(Samsung Lions)
大邱広域市 大邱市民運動場野球場 10,000人 1982年2月3日
ロッテ・ジャイアンツ
(Lotte Giants)
釜山広域市 社稷野球場 27,500人 1982年2月12日
ハンファ・イーグルス
(Hanwha Eagles)
大田広域市 大田ハンバッ運動場野球場 13,000人 1985年3月11日
SKワイバーンズ
(SK Wyverns)
仁川広域市 文鶴野球場 27,600人 2000年3月31日
ネクセン・ヒーローズ
(Nexen Heroes)
ソウル特別市 木洞野球場 12,500人 2008年3月24日
NCダイノス
(NC Dinos)
慶尚南道昌原市 馬山総合運動場野球場 13,700人 2011年8月2日
KTウィズ
(kt wiz)
京畿道水原市 水原総合運動場野球場 25,000人 2013年5月7日

参入予定球団

球団名 縁故地 本拠地球場 収容人数 創設
KTウィズ
(KT Wiz)
京畿道水原市 水原総合運動場野球場 20,000人 2013年1月
  • 2014年から大手通信業者・KTが経営母体の新球団KTウィズが二軍リーグに参加している。2015年に一軍リーグへの参入が予定されている。

過去に存在した球団

球団名 縁故地 本拠地球場 収容人数 創設 消滅
サンバンウル・レイダース
(Ssangbangwool Raiders)
全羅北道全州市 全州公設運動場球場 10,000人 1990年3月31日 2000年1月6日
現代ユニコーンズ
(Hyundai Unicorns)
仁川広域市
ソウル特別市
仁川公設運動場野球場
水原総合運動場野球場[1]
14,000人 1982年2月5日 2008年3月10日
  • いずれも解散時のデータ。

チーム名・本拠地の遍歴

  • 消滅した球団は背景を灰色、新規参入球団は背景を水色にしている。
チーム名 遍歴
斗山ベアーズ
  • 1982〜1998年までOBベアーズ
  • 1999年にOBブランドの持ち主である子会社のOB麦酒(創設当時の社名は東洋麦酒で、OBはその英語名Oriental Breweryの略称)が株式売却により斗山グループから分離、球団は斗山グループが持ち続けることによって、チーム名を斗山ベアーズに改称。
  • 当初、縁故地(ホームタウン)は親会社の縁の地であるソウルを希望。だが、MBCもソウルを縁故地として希望していたことと、韓国中部圏の大都市である大田市が空席となることから、縁故地配置のバランスを測ったKBOとの協議で新球団創設を前提に1984年までは大田広域市を使用し、1985年シーズンからソウルに移転することに合意。
  • 1985年、約束どおり大田を縁故地にするビングレ・イーグルス(現、ハンファ・イーグルス)の加入に伴い、ソウルへ移転。
LGツインズ
  • 1982〜1989年までMBC青龍(チョンニョン)。英語圏ではMBCブルードラゴンズ(または単にMBCドラゴンズ)と紹介された。
  • 度重なる成績不振によってMBC放送局の首脳部が経営意欲を喪失して、1989年シーズンオフに130億ウォン(当時のレートで約26億円)でラッキー金星グループに売却。新しい親会社の頭文字を取って、チーム名をLGツインズに変更。
  • 縁故地はMBC球団創設時からソウル特別市。
起亜タイガース
  • 1982年〜2001年7月はヘテ・タイガース
  • 2001年8月に起亜自動車が買収し、同シーズン途中にチーム名を起亜タイガースに変更。
  • 本拠地は創設の時から光州広域市。フランチャイズ保護区域は光州広域市のほか全羅南道全羅北道済州特別自治道の全域。サンバンウル・レイダースの創設時に全羅北道のフランチャイズを譲って、その補償金を貰ったが、同チームの解散とともに同地域のおけるフランチャイズは再びタイガースに返還された。
サムスン・ライオンズ
  • 1982年から名称変更なし。過去には「三星」という表記を用いていた時期もある。
  • 縁故地は大邱広域市。フランチャイズ保護地域は大邱広域市慶尚北道の全域。
現代ユニコーンズ
  • 1982〜85年前期は三美(サンミ)・スーパースターズ。海運業などで構成される三美グループが親会社。
  • 1985年後期に、元々プロ野球チームの経営に興味がなかった三美グループが食品販売業などで構成される青宝グループに球団を売却。1985年後期〜1987年は青宝(チョンボ)ピントゥス
  • 1987年シーズン後、青宝グループが倒産し、化粧品メーカーの太平洋グループ(現:アモーレパシフィック)が球団を買収。1988〜1995年は太平洋(テピョンヤン)ドルフィンズ
  • 1995年シーズン後、太平洋グループが現代グループに球団を売却。1996年からチーム名は現代(ヒョンデ)ユニコーンズになった。
    現代に売却されるまでは他の球団と比べて小規模な親会社だったことからチームが弱く、観客動員も低迷。これが数度に亘って球団が売却される主な原因となった。
  • 最初の縁故地は仁川広域市でフランチャイズ保護地域は仁川のほかに京畿道と江原道。また、暫定処置として北朝鮮全域もフランチャイズ保護地域に入る。
  • 1999年にサンバンウル・レイダースの解散とSKワイバーンズの誕生に伴って、縁故地のソウルへの移転を希望。移転当時は名目上はソウルを縁故地とするものの、ソウルに新たなプロ野球規格の球場が出来るまでの暫定の本拠地球場として水原市内の水原球場に移転し、同時に空位となった仁川はSKが縁故地を定めた。
  • その後、親会社である現代グループの分割相続による規模の縮小および経営不振から身売り話も取り沙汰された。現代グループが球団を手放す意向を示して、2006年末から深刻な経営危機に陥った。2007年中には農協、STX、KTなどへ球団買収を打診したが、諸事情によって頓挫。
  • 2008年1月30日、韓国の外資系投資会社であるセンテニアル・インベストメント社が新球団を創設する代わりに、球団の解散が決定。これはサンバンウル・レイダースの解散の時と同様に、現代側への買収金およびユニコーンズが抱えていた負債の返済義務を省くため。
  • 2008年3月10日、韓国野球委員会の理事会で球団の清算手続きに入る事を議決し、これをもって正式に球団は解散した。解散時点での現代所属の選手たちの保有権は新球団「ウリ・ヒーローズ」に譲られ、大半の選手がウリ・ヒーローズ所属となった。
ロッテ・ジャイアンツ
ハンファ・イーグルス
  • 1985年に大田広域市を本拠地にビングレ・イーグルスとして加盟。
  • 1986年シーズンから一軍リーグに参入。
  • 1994年にビングレが韓国火薬グループから分離され、親会社の韓国火薬グループはハンファに名称変更。球団は親会社のハンファグループが保有し続けることにより、チーム名をハンファ・イーグルスに変更。
  • フランチャイズ保護地域は大田広域市のほか、忠清南道忠清北道の全域。
サンバンウル・レイダース
  • 1990年に加盟。ビングレ同様、加盟初年度は二軍リーグだけ参加。
  • 1991年から一軍のリーグ戦に参入。
  • 1999年シーズン限りで経営難により解散。解散時点でのサンバンウル所属の選手たちの保有権は新球団「SKワイバーンズ」に譲られ、大半の選手がSKワイバーンズ所属となった。
  • 縁故地は全羅北道全州市で、全羅北道全域をフランチャイズ保護区域で持っていた。
SKワイバーンズ
  • 2000年、サンバンウル・レイダースの解散による空位により新規加盟。
  • 仁川を縁故地として持っていた現代ユニコーンズも同じく、仁川広域市、京畿道と江原道をフランチャイズ保護地域に持つ。また、暫定処置として北朝鮮全域もフランチャイズ保護地域に入る。
ネクセン・ヒーローズ
  • 2008年、現代ユニコーンズの解散による空位により新規加盟。
  • 命名権取得によって2008年からはウリ・ヒーローズ。 
  • メインスポンサーのウリたばこの要請で、2008年8月26日からスポンサー名を外すことを決定。チーム名がヒーローズに。
  • 2010年2月8日、ネクセンタイヤと新たにメインスポンサー契約を結び、ネクセン・ヒーローズにチーム名を変更。
  • 縁故地はソウル特別市。
NCダイノス
  • 2011年に新規加盟。
  • 2012年シーズンは二軍リーグだけ参加。
  • 2013年シーズンから一軍リーグに参加。
  • 縁故地は昌原市。
KTウィズ
  • 2013年に新規加盟。
  • 2014年シーズンは二軍リーグだけ参加。
  • 2015年シーズンから一軍リーグに参入予定。
  • 縁故地は京畿道水原市

概要

韓国は、1905年キリスト教のアメリカ人宣教師の手により野球が伝わったとされる。同年に設立されたYMCA野球団は、1912年11月、朝鮮スポーツ史最初期の海外遠征として日本で試合を行っている(成績は1勝5敗1分)。1920年頃が野球ブームのピークとなった。

第二次世界大戦後も各級学校における野球や社会人野球などは続き、1981年12月11日、サムスン、ロッテ、MBC、OB、ヘテ、三美の6球団により、プロ野球創立総会が開かれ、翌年の1982年に6球団でプロリーグが開幕し人気を博した。人気が加熱するあまりに暴動も起きたが、その後も観客動員数は順調に伸びた。1986年にはピングレ、1991年にはサンバンウルが加盟し、8球団体制へと拡大した。1995年には、LGとロッテの2球団が年間100万人動員を超えるなど、観客動員数が540万人を記録、プロ野球の人気は絶頂に達した。

しかし、1990年代中盤にメジャーリーグで朴賛浩、日本プロ野球で宣銅烈など海外で活躍する選手たちが登場し始め、野球ファンの目がそちらに注がれるようになり、それに加えて1997年の経済危機の影響も受け、低迷に拍車がかかる。経営難に陥った球団も現れ、1999年限りでサンバンウルが解散(解散したサンバンウルの代わりに、2000年SKが創設される)し、2001年シーズン途中には9度の韓国シリーズ優勝を誇ったヘテが起亜自動車に売却された。2000年には5年前の半分にも満たない250万人、サッカーワールドカップが開催され6月はまったく観客が入らず、悪天候も重なった2002年はそれを下回る239万人台まで観客動員が落ちた。

人気復活の対策としてFA制度導入や、1999年に2リーグ制(「ドリームリーグ」と「マジックリーグ」)導入など行ったが、観客動員数減少は続き、2001年には1リーグに戻っている。また2007年は親会社から資金提供を打ち切られた現代の球団売却交渉が、KBOの不手際や他球団の反発なども重なり1年間で3度も失敗し、最終的には現代が解散する事態に発展した(解散した現代の代わりに、2008年にヒーローズが創設された)。

2005年頃から観客動員は復調を見せ、2006年は低迷したが2007年は動員数が11年ぶりに400万人を、2008年は13年ぶりに500万人を突破した。2009年は、前年の北京五輪優勝、開幕前のWBC準優勝など韓国代表の好成績もあり、新記録となる約592万5000人の観客動員数を記録した。2010年も観客動員は好調で、前年の観客動員数を若干上回り(約592万8000人)、2年連続で新記録を達成した。2011年も観客動員は伸び、シーズン中の9月前半に年間観客動員数が593万人を突破し、さらには史上初となる約680万人と600万人台を記録した。2012年は史上初の700万人台となる約710万人の観客動員となり、4年連続で新記録を更新した。

2011年、慶尚南道昌原市を本拠地とするNCソフトによる新球団NCダイノスが設立され、2013年より一軍リーグ戦に参加することとなった。10番目のプロ野球球団を設立する動きも起こり、2012年6月の臨時理事会で当面の間設立を見送ることとなったが後に方針転換し、同年12月の理事会で10球団制への拡張を決定した。2013年1月、京畿道水原市を本拠地とする韓国大手通信業者KTによる新球団の加盟を認めた。2013年5月、新球団名はKTウィズと発表され、2014年から二軍リーグに参加、2015年には一軍リーグの参加が予定されている。なお全羅北道を本拠地とする富栄グループも球団設立に名乗りを上げたが、審査により落選した。

2013年はNCダイノスの加入により9球団制となり、前年の532試合から576試合と公式戦の試合数は増加したが、年間観客動員数は約644万人で前年比約10%の減少と、2006年以来7年ぶりに前年を下回った。

外国人選手

創立年から在日韓国人および外国に帰化したもと韓国国籍の選手(韓国系日本人だけでなく、生まれながらアメリカの市民権を取得した韓国系アメリカ人も含む)に限って門戸を開放して、これらの選手が日本プロ野球においての外国人選手の役割を果たした。1983年の福士敬章(韓国名:張明夫)、1984年には新浦壽夫(韓国名:金日融)などが活躍して成功を収めた。これに刺激を受けて、その後もしばらくの間、日本プロ野球を経験した選手のスカウトが続いた。しかし、韓国プロ野球のレベルが上がるにつれ、日本で一定レベル以上の技量を持っていない選手は韓国でも通用しなくなり、韓国プロ野球で十分働ける選手は年俸の面で日本でプレイした方が得という状態になって、日本プロ野球出身者に対する関心は次第に落ちていった。

韓国プロ野球では設立以来長年にわたり、元韓国国籍以外の外国人選手を認めてこなかった。1998年より外国人枠が設定されたものの、2003年以降1チームにつき2名に限るなど厳しい制限があり(2014年より外国人選手枠は拡大された)、また上述のように韓国で通用しそうなレベルの選手は年俸の面でつり合わない(たとえば韓国で年俸2億ウォンだと高年俸者として認識されるが、2008年ごろからの円高が進んだ為替レートで日本円に換算すると2000万円前後で、韓国で通用する技量の日本プロ野球出身者を取るには物足りない金額である)ため、日本人選手が属することは少ない。そういった状況でも、2000年代末から日本プロ野球でそれなりに実績があるが、行き場がなくなった選手の選択肢の一つに韓国プロ野球進出が検討されるようにはなり、実際に入団テストを受けているケースはある(ただほとんど契約に至らない)。日本人は選手としてではなく、契約に制限のないコーチとしての需要が高く複数年にわたって活躍している指導者もいる。

また、2006年以降は在日韓国人やそれに類する選手も期待以下の働きで二軍暮らしが続いて1年で退団するケースが続いている。2012年シーズンから2013年シーズンにかけ、韓国野球委員会に登録された全選手のうち在日韓国人はいなかった(各球団2名ずつ、在日韓国人など在外同胞選手枠がある)。

球団数の増加(2013年よりNCダイノスが新規加盟、2015年よりKTウィズが加盟予定)もあり、2014年より各球団最大3名まで外国人選手と契約できるようになった。なお3名全員が投手あるいは野手であってはならず、試合出場は2名までとなっている。また、NCは2014年まで、KTは2015年から2016年まで外国人選手との契約が最大4名まで認められている(こちらも4名全員が投手ないし野手であってはならず、試合出場は3名まで)。これは2012年から2013年まで韓国の球団と契約した外国人選手がすべて投手だったという極端な事態になってしまったことも一因である。2013年まで外国人選手の年俸は上限30万ドルとなっていたが、実際はその何倍もの報酬を得ていた選手が複数いたとされ形骸化していたため、2014年より上限は撤廃された。

韓国プロ野球に所属した非韓国系日本人選手

選手名 KBO NPB
宮城弘明 ピングレ(1988 - 1992) ヤクルト(1981 - 1987)
入来智 斗山(2003) 近鉄(1990 - 1996途)広島(1996途 - 終了)近鉄(1997 - 1998)巨人(1999 - 2000)ヤクルト(2001 - 2002)
森一馬 ロッテ(2003) 日本プロ野球選手経験なし
塩谷和彦 SK(2006) 阪神(1993 - 2001)オリックス(2002 - 2005)
高津臣吾 ヒーローズ(2008) ヤクルト(1991 - 2003・2006途 - 2007)
門倉健 SK(2009 - 2010)サムスン(2011) 中日(1996 - 1999)近鉄(2000 - 2003)横浜(2004 - 2006)巨人(2007 - 2009)
岡本真或 LG(2010) 中日(2001 - 2007)西武(2008 - 2009)楽天(2011)
  • 宮城が在籍していたのは外国人の登録が認められていなかった時期のため「本来韓国籍でもないにもかかわらず、知人の韓国人の協力で身分をごまかして入団、在籍したのではないか」という疑惑が後年持ち上がった。しかし当時登録上は韓国人選手となっていたため、現在も韓国では日本人ないし外国人選手として見なされていない。韓国では金弘明(キム・ホンミョン)という韓国式の登録名でプレーしていた。
  • 高津はNPB・KOCの他に、メジャーリーグベースボール(MLB)・中華職業棒球大聯盟(CPBL)にも在籍経験があり、史上初の日米韓台全てのプロ野球リーグでセーブをあげる記録を樹立している。また、入来もCPBLに所属経験がある。

韓国と日本、両国のプロ野球に所属したことのある主な外国人選手

本節での外国人とは、日本国籍でも韓国籍でもない人物を指す。太字は2013年にNPB球団に在籍している選手。

選手名 KBO NPB
ホセ・パーラ サムスン(1998)ハンファ(2002) 巨人(1999)オリックス(2005)
スコット・クールボー 現代(1998) 阪神(1995 - 1996)
デリック・ホワイト ロッテ(2000) 阪神(2002)
フリオ・フランコ サムスン(2000) ロッテ(1995・1998)
トロイ・ニール 斗山(2001) オリックス(1995 - 1997・1998途 - 2000途)
ベン・リベラ サムスン(2001) 阪神(1998 - 1999)
ブライアン・ウォーレン ハンファ(2001) ロッテ(1998 - 2000)
ゲーリー・ラス 起亜(2001) 斗山(2002・2004・2008) 巨人(2003)楽天(2005)
ホセ・フェルナンデス SK(2002) ロッテ(2003途 - 終了)西武(2004 - 2005・2010途 - 2011)楽天 (2006 - 2008・2012)オリックス (2009・2013途 - 終了) 
タイロン・ウッズ OB・斗山(1998 - 2002) 横浜(2003 - 2004)中日(2005 - 2008)
ナルシソ・エルビラ サムスン(2002 - 2003途) 近鉄(2000 - 2001)
シェーン・バワーズ 現代(2003) 横浜(2001 - 2002)
ライアン・グリン サムスン(2003途 - 終了) 楽天(2006途 - 終了)日本ハム(2007 - 2008)横浜(2009)
クリフ・ブランボー 現代(2003 - 2004・2007) ヒーローズ(2008 - 2009) オリックス(2005 - 2006)
セス・グライシンガー 起亜(2005途 - 2006) ヤクルト(2007)巨人(2008 - 2011)ロッテ(2012 - )
スコット・シーボル 起亜(2006) 広島 (2008 - 2009)
ダニエル・リオス 起亜(2002 - 2005途)斗山(2005途 - 2007) ヤクルト(2008 - 2008途)
クリス・オクスプリング LG(2007 - 2009)ロッテ(2013 - ) 阪神 (2006)
ウィルソン・バルデス 起亜(2008 - 2008途) ヤクルト(2008途 - 終了)
カリーム・ガルシア 起亜(2008 - 2010) ハンファ(2011途 - 終了) オリックス(2005 - 2006)
ロベルト・ペタジーニ LG(2008途 - 2009) ヤクルト(1999 - 2002)巨人(2003 - 2004)ソフトバンク (2010途 - 終了)
クリストファー・ニコースキー SK(2009 - 2009途)斗山(2009途 - 終了)ネクセン(2010) ソフトバンク(2007 - 2008)
ブランドン・ナイト サムスン(2009途 - 2010途)ネクセン(2011 - 2014) ダイエー(2003 - 2004)日本ハム(2005)
ケルビン・ヒメネス 斗山(2010) 楽天(2011 - 2012)
ビクトル・ディアス  ハンファ(2009) 中日(2012- 2013途)
ダグ・マシス サムスン(2011途 - 終了) ロッテ(2012途 - 終了)
ケニー・レイ SK(2008途 - 終了) 楽天(2013途 - 終了)
クリス・セドン SK(2013) 巨人(2014 - )
デニス・ホールトン 起亜(2014) ソフトバンク(2008 - 2011)巨人(2012 - 2013)
ヴィニー・ロッティーノ ネクセン(2014 - ) オリックス(2013)

※名前は日本球界での登録名

大会方式

公式戦

2013年より9チームによる16回総当りのリーグ戦を行うことになった(今後10チームへの拡大が決定している)。延長戦は、時間無制限12回まで。決着がつかなかった場合は引き分けとなる。その他は9回までと制限されているダブルヘッダーの第1試合、及びコールドゲームの場合も試合終了時点で決着がつかないと引き分けとなる。また、全ての試合で予告先発制と指名打者制が採用されている。

引き分けは消化試合数から差し引かれ、勝率は(勝利数)÷((勝利数)+(敗戦数))で計算する。

試合が雨天中止の場合は順延されて、9月以降に再編成。2009年は金曜日から日曜日までの3連戦のうち、1試合でも雨天で実施できなかった場合は月曜日に試合が実施されることになっていた。しかし、シーズン途中、選手たちの体力的な負担が大きく怪我続出の可能性が高まるとして各球団関係者からの不満が相次ぎ、規約を変更することになった。月曜日とダブルヘッダーの試合は9月以降の再編成された試合が天気などで順延になって再々編成される場合に組み込まれる。ダブルヘッダーの第2試合が第1試合終了から20分後に開始で行われ、第1試合は延長戦が行われないことになっている。2010年は、シーズン終盤の9月の下旬に、月曜日の試合とダブルヘッダーの試合がそれぞれ1度ずつ編成された。

ポストシーズンと順位決定

ポストシーズンのトーナメント表

テンプレート:Round8 seed

試合方式

公式戦終了後、上表の要領で上位4チームだけでステップラダートーナメント方式(順位最上位のチームが決勝戦に進み、以下順位に応じて最初の試合の組み合わせが決まる)を取り入れたポストシーズンゲームを行い優勝チームを決める。まず4位と3位が5戦3勝制の準プレーオフを行い(2007年までは3戦2勝制、2005年シーズンだけ一時的に5戦3勝制)、その勝者が2位チームとの5戦3勝制によるプレーオフに進出(1995年と2008年は当時の制度が適用され7戦4勝制で行われた)。ここで勝ったチームと公式戦1位チームが7戦4勝制による「韓国シリーズ」を戦って優勝を決める。なお韓国シリーズは初年度の1982年のみ「コリアン・シリーズ」と称していた。

韓国シリーズの勝者を優勝とし、敗者が準優勝。3位以下の順位は残りのチームを準プレイオフ及びプレイオフの結果に関係なく勝率順で並べて決める。たとえば、公式戦4位のチームが韓国シリーズに進出して敗退すると、そのチームは準優勝になるが、準プレイオフで3位チームに勝って、プレイオフで2位のチームに敗退すると4位に戻される。

ポストシーズンの開催球場

準プレイオフ及びプレイオフ

準プレイオフ及びプレイオフの開催は第1、2、5戦を上位チームの本拠地球場、第3、4戦を下位チームの本拠地球場で行う。

韓国シリーズ

テンプレート:Main

1989-1997年、2001年

第1、2戦を公式戦1位のチームの本拠地球場で行い、第3、4戦はプレイオフの勝者の本拠地で行って、第5戦以降は中立地域として蚕室球場で第5、6、7戦を開催。

しかしソウルを本拠地とするLGとOBがプレイオフ勝者として韓国シリーズ出場する場合、蚕室球場で5連戦が行われることになるため、1993年からソウルを本拠地とするチームが韓国シリーズに進出の場合、公式戦の順位に関係なく第1、2戦をソウルで、第3、4戦を相手チームのホームで行い、第5戦以降を蚕室球場に戻すように変更した。しかし、これでLGとOBは韓国シリーズ出場で公式戦の順位に関係なく実質的にホームで5試合を行うほか、シリーズの開幕権までもらう極端的に有利な立場に立つという地方球団の不満を受けて1998年から現在の制度に変更した。

両リーグ制から1リーグ制に復帰した2001年には一旦韓国シリーズの開催要綱が1989年のものに戻されたが、プレイオフの勝者がソウルを本拠地とする斗山だったので、上述の問題が浮き彫りになり、翌年から1998年の制度に変更された。

現行制度(1998-2000年、2002年以降)

韓国シリーズ開催球場は第1、2戦を公式戦1位のチームの本拠地球場で行い、第3、4戦はプレイオフの勝者の本拠地で行う。第5戦以降は出場チームの本拠地と本拠地球場の収容能力によって決められる。

ソウルを本拠地とするチーム[2]が韓国シリーズに進出した場合、あるいは収容能力が3万人を超える本拠地を持っているチーム[3]同士の韓国シリーズの場合は第5戦はプレーオフ勝者の本拠地で行われ、移動日を挟んで第6、7戦は再び公式戦1位のチームの本拠地で開かれる2-3-2方式で行われる。そのほかの場合は、第4戦の後、移動日を挟んで中立地域としてソウル蚕室球場で第5、6、7戦を3連戦で行う2-2-3方式になる。

実例を元にたとえば、次のような例がある。

1) 出場球団の片側だけ3万人以上受容できる本拠地を持って、両チームともにソウルを本拠地としていない場合

1999年の韓国シリーズは社稷球場(当時の収容人員は3万450人)を本拠地とするロッテ・ジャイアンツ大田球場(当時の収容人員は1万2千人)を本拠地とするハンファ・イーグルスが進出した。この年はロッテ・ジャイアンツが上位だったため第1、2戦を3万人以上受容できる社稷球場で、第3、4戦を大田球場で開催して、第5戦は蚕室球場で行われた。
2003年の韓国シリーズも水原球場(収容人員1万4000人)を本拠地とする現代ユニコーンズと、文鶴球場(収容人員3万400人)を本拠地とするSKワイバーンズとの対戦となった。この時は現代が上位だったため、第1、2戦は水原球場、第3、4戦は受容人員3万人以上の文鶴球場で開催され、第5戦以降は蚕室球場(収容人員3万500人)で開催された。
2009年の韓国シリーズも光州・無等野球場(収容人員1万3872人)を本拠地とする起亜タイガースと、仁川・文鶴球場(収容人員3万400人)を本拠地とするSKワイバーンズとの対戦となった。この時は起亜が上位だったため、第1、2戦は光州、第3、4戦は受容人員3万人以上の文鶴球場で開催され、第5戦以降は蚕室球場(収容人員3万500人)で開催された。

2) ソウルを本拠地としている球団が上位の場合

現制度の下ではまだ実現されたことなし。

3) ソウルを本拠地としている球団が下位の場合

LGツインズがプレイオフ勝者として出場した2002年の韓国シリーズでは第1、2、6戦を公式戦1位のサムスン・ライオンズの本拠地である大邱球場(収容人員1万2千人)で行い、第3、4、5戦をLGの本拠地である蚕室球場で行った。
斗山ベアーズがプレイオフ勝者として出場する2013年の韓国シリーズでは第1、2、6、7戦を公式戦1位のサムスン・ライオンズの本拠地である大邱球場(収容人員1万2千人)で行い、第3、4、5戦を斗山の本拠地である蚕室球場で行う。

4) 出場する両チームがソウルを本拠地としていないが、ともに3万人以上受容できる本拠地を持っている場合

2012年現在これに該当する事例は、ロッテ・ジャイアンツとSKワイバーンズが韓国シリーズに出場する場合のみであるが、まだ両チーム同士の韓国シリーズは実現されたことがない。

この制度は地方球団同士の対決の場合、公式戦1位チームはシリーズの開幕権をもらうものの、ホーム球場での胴上げが最初からできなく、またプレイオフ勝者の場合も4連勝での優勝でない限り胴上げができないため、地方球団の地元ファンの不満が問題点として予てから提起されていた。しかし、ソウルは各地方の出身者が集まる土地柄であることや蚕室球場は各チームの本拠地球場よりも観客動員で勝るため、地方球団同士の韓国シリーズでも蚕室球場で行うという、現在の制度を変更しないでいる。

また、2008年に新規参入したネクセン・ヒーローズは、本拠地はソウルであるものの専用球場の木洞野球場は収容人員が14000人にしかならないため、ヒーローズが韓国シリーズに出場する場合、開催球場をどこにするかも問題になっているが、2013年時点でまだヒーローズが韓国シリーズに進出したことがないため対策が先送りになっているのが現状である。

試合開始時刻

2014年の公式戦は2013年に続き2年連続で3月下旬に開幕。平日は18:30、土曜日は17:00開始。 日曜日と祝日は4月から5月、9月から10月まで14:00開始。夏場は日射の関係上、土日は全試合18:00。金曜・土曜・日曜日など週末の試合が雨天などにより実施できなかった場合は、次の月曜日に順延される。なお、週末・祝日の試合はテレビ中継の都合などにより変更されることもある。秋に開催されるポストシーズンゲームは準プレーオフ・プレーオフ・韓国シリーズの順番に行われ、それぞれの試合開始時刻は平日が18:30、土日祝祭日が14:00となっている。

韓国と日本の野球文化の違い

  • 「SBO」の表示が違う(韓国はバランス型、日本は左揃え)日本のプロ野球チームのすべての本拠地球場、テレビ中継は「BSO」表記となっている。日本では2010年のシーズンから「ボール、ストライク」の順に球審がコールするようになり、2012年からは韓国のプロ野球中継も「BSO」表記に変更されたが、蚕室仁川広域以外の野球場は未だ「SBO」表記のままである[4]
  • イニング開始時からスコアボードにまず、「0」が入る(日本では攻撃結果が確定しなければブランク)。
  • 日本ではすべてのチームのベースコーチがヘルメットを着用しているが、韓国では一部のチームのベースコーチのみが着用している。2011年からは韓国でもすべてのチームのベースコーチがヘルメットを着用している。
  • 球場のスコアボードに表示される審判名の球審はプレートアンパイアの「PL」ではなく、チーフアンパイアの「CH」で表示される。

歴代の試合方式

年度 試合方式
1982年
  • 年間80試合(16回総当り)を前・後期各40試合ずつ(同8回総当り)行う。
  • 各期の1位チームがコリアン・シリーズ(7戦4勝制)に進出。同一チームの場合はそれを行わず、そのチームがリーグ優勝。
1983年-1984年
  • レギュラーシーズンの試合数が年間100試合(シーズン20回総当り、前・後期各50試合=10回総当り)に変更。
  • 韓国シリーズ(1983年より改称)進出方式は変更なし。
1985年
  • レギュラーシーズンの試合数が110試合(シーズン22回総当り、前・後期各55試合=11回総当り)となる。
  • 韓国シリーズ進出条件が一部変更。
(1) 前・後期優勝チームのいずれかが年間総合成績の1位チームに当たると、前・後期の優勝チーム同士で韓国シリーズを行う。
(2) 年間総合成績の1位チームが前・後期どちらも優勝できなかった場合は、年間総合成績の1位チームは韓国シリーズに直行。前・後期優勝チーム同士で5戦3勝制のプレイオフを行い、シリーズの残り1枠を争う。実際1984年シーズンがこれに当たる。前期優勝はサムスンライオンズ、後期優勝はロッテ・ジャイアンツ、年間総合成績1位はOBベアーズだった。このルールはこういう場合を想定して設けられた。
(3) 1チームが前・後期優勝を総なめした場合は、韓国シリーズなしで、そのチームを優勝チームにする。
  • この年は前・後期ともにサムスン・ライオンズが1位で「完全優勝」する(3)の場合となったので、韓国シリーズがなくなり、次の制度への変更する原因となった。
1986年-1988年
  • 1986年に7チーム制となったので年間試合数は108試合(シーズン18回総当り)。これを54試合ずつ(9回総当り)の前・後期で実施。
  • プレイオフも下のように変更された。前年との違いは、どのような場合でも韓国シリーズは行われるように工夫されていること。
(1) 各期の1位と2位がたすきがけ方式で5戦3勝制のプレーオフを行い、その勝者同士で決勝戦を行う。
(2) 1チームが前後期ともに2位以内に入っている場合は、そのチームは自動的に韓国シリーズ進出で、それ以外のチームでプレーオフを行い、もう一つのシリーズ進出枠を争う。このケースで特定のチームが前後期の1位を総なめした場合、各期の2位チームによるプレーオフ勝利チームと韓国シリーズを行う。
(3) 各期とも1、2位が全て重複の場合は、プレーオフ無しで、その2チームで韓国シリーズを行う。このケースで特定のチームが前後期の1位を総なめした場合、各期ともに2位のチームと韓国シリーズを行う。
  • しかし、実際この3年間、実現したのは(2)の場合のみであり、他の場合は見られること無く次の制度に変更された。
1989年-1990年
  • 2シーズン制を廃止し、1シーズン120試合(20回総当り)のリーグ戦の後、ポストシーズンを行う。
  • ポストシーズンの方式は公式戦3、4位間で3戦2勝制の準プレーオフを行い、その勝者が2位チームと5戦3勝制のプレーオフを行う。プレーオフの勝者が韓国シリーズに進出し、公式戦1位チームと優勝を争う。
1991年-1992年
  • 1991年に参加チームが8チームとなったので1シーズン126試合(18回総当り)となる。
  • ポストシーズンの方式は1989-90年に同じ。
1993年-1998年
  • 準プレイオフ(公式戦3位対4位)は、3位と4位間の直接のゲーム差が3ゲーム差以内の場合にのみ行う。
(1) 準プレイオフが行われる場合は、1989-1992年の方式に同じ。準プレイオフは3戦2勝制、プレイオフは5戦3勝制。
(2) 準プレイオフがなくなった場合は、公式戦の2位と3位が7戦4勝制のプレイオフを行って、その勝者が公式戦1位のチームと韓国シリーズを行う。
  • この期間中、このルールが適用されて、(2)の場合が実現したのは1995年のみ。
1999年-2000年
  • リーグ戦をドリームリーグ、マジックリーグの2組に分けて行い、交流戦込みで年間132試合(同リーグと20試合ずつ他リーグと18試合ずつ)。
  • 各組の1位と2位のたすきがけでプレイオフを行い、勝者同士で韓国シリーズを行う。
  • どちらかのリーグの3位のチームが勝率で相手リーグの2位のチームを上回る場合、その両チームで準プレーオフを行い、その勝者が3位チームの所属リーグの1位チームとプレイオフを行う。
2001年-2002年
  • 1リーグ制に戻り、19回総当りの1シーズン133試合のリーグ戦の後、ポストシーズンを行う。
  • この年まで順位は勝率の高いチームから順に決定していた。
  • ポストシーズンの運用は1989-1992年の方式と同じ。
2003年-2004年
  • 順位決定が勝利数優先(同じ場合は勝率順→直接対決成績)になる。
  • 引き分けは0.5勝計算
2005年-2007年
  • 年間126試合に削減。
  • 順位決定が勝率順。同じ勝率→直接対決成績→総得点→前年の順位になる。
  • 2005年から興行面を考えて準プレイオフ(公式戦3位対4位)を5戦3勝制にしようとしたが、1年実施された後、準プレーオフが長すぎるという意見を受け、翌年から3戦2先勝制に還元。
2008年
  • 試合数や順位決定は2007年までと同様。
  • 延長戦のルールが変更されて、延長戦は決着がつくまで行われ、延長回数や時間切れによる引き分けは廃止。ただし、ダブルヘッダーの第1試合および、コールドゲームによる引き分けは認める。ダブルヘッダーの第1試合は9回までで、延長戦なし。
  • 準プレイオフ(公式戦3位対4位)が5戦3勝制に、プレーオフ(公式戦2位対準プレーオフ勝者)が7戦4勝制となり、ポストシーズンの試合数が増加。
2009年-2010年
  • 試合数が2004年以来となる133試合に戻る。
  • 延長戦の回数、時間制限なしが撤廃され、2007年までと同じ延長12回までとなった。ただし引き分けは勝率計算上負けと同じ扱いとなる。
  • 準プレイオフ(公式戦3位対4位)が5戦3勝制は2008年と同じだが、プレーオフ(公式戦2位対準プレーオフ勝者)が5戦3勝制となり、ポストシーズンの試合数が削減された。
2011年-2012年
  • 延長戦12回で決着がつかなかったら引き分けは2010年までと同じだが、2008年までと同じく勝率計算からは除外することとなった。
  • ポストシーズンでの延長戦が12回までから15回までとなった。
2013年-
  • NCダイノスの加入で9チームとなり、試合数は133試合から128試合に減少。

歴代冠スポンサー

  • 2000年 - 2004年:サムスン証券
  • 2005年 - 2008年:サムスン電子(大会名:サムスンPAVVプロ野球)
  • 2009年 - 2010年:CJインターネット(大会名:CJ魔球魔球プロ野球)
  • 2011年:ロッテカード(大会名:ロッテカードプロ野球)
  • 2012年:八道(大会名:八道プロ野球)
  • 2013年 - :韓国ヤクルト(大会名:韓国ヤクルトセブンプロ野球)

年度別順位

韓国プロ野球での順位は、韓国シリーズの勝者を優勝、敗者を準優勝とし、3位以下は残りチームを準プレイオフおよびプレイオフの結果に関係なく、公式戦の勝率順に並べて決める。従って、勝率の低いチームが上位にランクされることもある。

*は公式戦での年間成績の勝率は低いながら、ルールによって上位にされたチームを示すもので、カッコ内の数字は年間勝率あるいは公式戦での順位を示す。

年度 優勝 準優勝 3位 4位 5位 6位 7位 8位 9位
1982 OB サムスン MBC ヘテ ロッテ 三美
1983 ヘテ(2)* MBC 三美 サムスン OB ロッテ
1984 ロッテ(4)* サムスン(2)* OB MBC ヘテ 三美
1985(※1) サムスン ロッテ ヘテ OB MBC 三美 / 青宝
1986 ヘテ(2)* サムスン MBC OB ロッテ 青宝 ピングレ
1987 ヘテ(2)* サムスン ロッテ OB MBC ピングレ 青宝
1988 ヘテ ピングレ ロッテ サムスン OB MBC 太平洋
1989 ヘテ(2)* ピングレ 太平洋 サムスン OB MBC ロッテ
1990 LG サムスン(4)* ヘテ ピングレ 太平洋 ロッテ OB
1991 ヘテ ピングレ サムスン ロッテ 太平洋 LG ・ サンバンウル OB
1992 ロッテ(3)* ピングレ ヘテ サムスン OB 太平洋 LG サンバンウル
1993 ヘテ サムスン OB LG ピングレ ロッテ サンバンウル 太平洋
1994(※2) LG 太平洋 ハンファ ヘテ サムスン ロッテ OB サンバンウル
1995 OB ロッテ(3)* LG ヘテ サムスン ハンファ 太平洋 サンバンウル
1996 ヘテ 現代(4)* サンバンウル ハンファ ロッテ サムスン LG OB
1997 ヘテ LG サンバンウル サムスン OB 現代 ハンファ ロッテ
1998 現代 LG(3)* サムスン OB ヘテ サンバンウル ハンファ ロッテ
1999 ハンファ(4)* ロッテ(2)* 斗山 サムスン 現代 LG ヘテ サンバンウル
2000 現代 斗山 サムスン LG ロッテ ヘテ ハンファ SK
2001(※3) 斗山(3)* サムスン 現代 ハンファ ヘテ / 起亜 LG SK ロッテ
2002 サムスン LG(4)* 起亜 現代 斗山 SK ハンファ ロッテ
2003 現代 SK(4)* 起亜 サムスン ハンファ LG 斗山 ロッテ
2004 現代 サムスン 斗山 起亜 SK LG ハンファ ロッテ
2005 サムスン 斗山 SK ハンファ ロッテ LG 現代 起亜
2006 サムスン ハンファ(3)* 現代 起亜 斗山 SK ロッテ LG
2007 SK 斗山 ハンファ サムスン LG 現代 ロッテ 起亜
2008 SK 斗山 ロッテ サムスン ハンファ 起亜 ヒーローズ LG
2009 起亜 SK 斗山 ロッテ サムスン ヒーローズ LG ハンファ
2010 SK サムスン 斗山 ロッテ 起亜 LG ネクセン ハンファ
2011 サムスン SK(3)* ロッテ 起亜 斗山 LG ・ハンファ ネクセン
2012 サムスン SK 斗山 ロッテ 起亜 ネクセン LG ハンファ
2013 サムスン 斗山(4)* LG ネクセン ロッテ SK NC 起亜 ハンファ
  • ※1:三美は後期より青宝に身売り。
  • ※2:1994年の公式戦はハンファとヘテがまったく同じ成績で同率3位だった。それまでのルールでは、どのチームも韓国シリーズに進出できなかったため共同3位になるべきだったが、臨時ルールを設けて準プレイオフでヘテを下したハンファが3位、ヘテが4位とされた。
  • ※3:ヘテは8月より起亜に身売り。

各種記録

(2013年シーズン終了時現在、所属は最終)

打者

通算記録

所属は現役最後のチーム

項目 選手名 所属 記録
最多出場 梁埈赫(ヤン・ジュニョク) サムスン 2135試合
最高打率(3000打数以上) 張孝祚(チャン・ヒョジョ) ロッテ .331
最多安打 梁埈赫(ヤン・ジュニョク) サムスン 2318本
最多二塁打 梁埈赫 サムスン 458本
最多三塁打 田埈昊(チョン・ジュンホ) ヒーローズ 100本
最多本塁打 李承燁 サムスン 358本
最多打点 梁埈赫 サムスン 1389打点
最多三振 朴勍完(パク・キョンワン) SK 1605個
最多四球 梁埈赫 サムスン 1278個
最多死球 朴勍完(パク・キョンワン) SK 166個
最多併殺打 安庚鉉(アン・ギョンヒョン) SK 172本
最多盗塁 田埈昊 ヒーローズ 550盗塁

シーズン記録

(所属は記録したシーズン当時のチーム)

項目 選手名 所属 記録 達成年度
最多安打 李鍾範(イ・ジョンボム) ヘテ 193本 1994年
最高打率(規定打席以上) 白仁天(ペク・インチョン) MBC .412 1982年
最多二塁打 朴正泰(パク・ジョンテ) ロッテ 43本 1992年
李炳圭(イ・ビョンギュ) LG 1999年
李鍾範 起亜 2003年
最多三塁打 李鍾雲(イ・ジョンウン) ロッテ 14本 1992年
最多本塁打 李承燁(イ・スンヨプ) サムスン 56本 2003年
最多打点 李承燁 サムスン 144打点 2003年
最多得点 李承燁 サムスン 128得点 1999年
最高長打率 白仁天 MBC .740 1982年
最多四球 フェリックス・ホセ ロッテ 127個 2001年
最多死球 朴鍾皓(パク・ジョンホ) 現代 31個 1999年
最高出塁率 フェリックス・ホセ ロッテ .503 2001年
最多三振 トム・クィンラン 現代 173個 2000年
最多犠打 趙東和(チョ・ドンファ) SK 41本 2005年
最多犠飛 金東柱(キム・ドンジュ) 斗山 16本 1998年
最多併殺打 金翰秀(キム・ハンス) サムスン 23本 2004年
最多盗塁 李鍾範 ヘテ 84盗塁 1994年

投手

通算記録

(所属は現役最終のチーム)

項目 選手名 所属 記録
最多登板 柳澤鉉(リュ・テッキョン) LG 899試合
最多投球回数 宋津宇(ソン・ジヌ) ハンファ 3003回
最多勝利 宋津宇 ハンファ 210勝
最優秀防御率(投球回1500以上) 宣銅烈(ソン・ドンヨル) ヘテ 1.20
WHIP(投球回1500以上) 宣銅烈(ソン・ドンヨル) ヘテ 0.80
最多奪三振 宋津宇 ハンファ 2048個
最多完投 尹学吉(ユン・ハッキル) ロッテ 100試合
最多完投勝利 尹学吉 ロッテ 74勝
最多完封 宣銅烈(ソン・ドンヨル) ヘテ 29勝
最多敗戦 宋津宇 ハンファ 153敗
最多被安打 宋津宇 ハンファ 2718本
最多被本塁打 宋津宇 ハンファ 272本
最多与四球 宋津宇 ハンファ 1155個
最多与死球 李強喆(イ・ガンチョル) 起亜 189個
最多セーブ 呉昇桓(オ・スンファン) サムスン 277セーブ

シーズン記録

(所属は記録したシーズン当時のチーム)

項目 選手名 所属 記録 達成年度
最多登板 柳澤鉉(リュ・テクヒョン) LG 85試合 2004年
鄭ウラム(チョン・ウラム) SK 2008年
最多投球回数 張明夫(チャン・ミョンブ) 三美 427回1/3 1983年
最多勝利 張明夫 三美 30勝 1983年
最優秀防御率(規定投球回以上) 宣銅烈(ソン・ドンヨル) ヘテ 0.78 1993年
WHIP(規定投球回以上) 宣銅烈(ソン・ドンヨル) ヘテ 0.54 1993年
最多奪三振 崔東原(チェ・ドンウォン) ロッテ 223個 1984年
最多完投 張明夫 三美 36試合 1983年
最多完投勝 張明夫 三美 26勝 1983年
最多完封 宣銅烈 ヘテ 8勝 1986年
金尚珍(キム・サンジン) OB 1995年
最多敗戦 張明夫 三美/青宝 25敗 1985年
最多失点 張明夫 三美/青宝 175点 1985年
最多自責点 張明夫 三美/青宝 145点 1985年
最多被安打 張明夫 三美 388本 1983年
最多被本塁打 安永明(アン・ヨンミョン) ハンファ 34本 2009年
最多与四球 フェルナンド・ヘルナンデス SK 134個 2001年
最多与死球 ダニエル・リオス 起亜 28個 2003年
最多セーブ 呉昇桓(オ・スンファン) サムスン 47セーブ 2006,2011年

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脚注

  1. 新本拠地となったソウル市内に適当な球場がなく、またソウルを本拠地としているLGや斗山にフランチャイズ補償金を払えなかったため、実際はソウル郊外の京畿道水原市で試合を行ってきた。
  2. 2012年現在はLGツインズ、斗山ベアーズとネクセンヒーローズがこれにあたる。
  3. 2008年までは、前述のLGツインズと斗山ベアーズのほか、ロッテ・ジャイアンツとSKワイバーンズがこれに当ったが、2009年現在は本拠地球場の改修のため、受容能力は3万人を下回っている。しかし、開場当時の本来の受容能力に基づいて、これらのチームの本拠地は3万人受容とみなされる。
  4. サムスン起亜は2015年までに新球場を建設して、それぞれ本拠地スタジアムを移転。スコアボードのボールカウントも『BSO』表示に変更されて、柿落しとなる予定。また、2013年から新規参入するNCの本拠地スタジアム『馬山』も既に『BSO』表示に改修済み。

関連項目

外部リンク

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