全羅南道
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テンプレート:Mboxテンプレート:Infobox 全羅南道(チョルラナムド、ぜんらなんどう)は、大韓民国南西部(朝鮮半島南西部)に位置する行政区。1896年、朝鮮八道における全羅道の南半分を「全羅南道」と定めた。1948年より大韓民国の一部となり、現在に至る。かつて全羅南道所属であった光州市は1986年に「光州直轄市」として分離した。道庁は十三道制施行当初から光州に置かれたが、2005年に木浦市に隣接する務安郡に移転している。通常は全南(チョンナム)と略される。
全羅南道の概要
西は黄海に面し、北を全羅北道、東を慶尚南道と接し、南には済州海峡を挟んで済州特別自治道がある。海岸はリアス式海岸であり、入り組んだ地形に2000余りの島々が存在し、その内約4分の3は無人島である。海岸線の総延長は6,100kmにもなる。海産物、特にカキや海草の生産は韓国内で最も盛んな地域であると言え、日本の瀬戸内地方と似ている。
道の一部は山地であるが、ほとんどは平野である。蟾津江、栄山江、耽津江の流れる平野は豊富な降雨があり、穀倉地帯を形成する。また、朝鮮半島で最も温暖な気候である。これらの地理条件のために農業が発達し、主に米、小麦、大麦、ジャガイモが生産される。野菜や綿花、果物も栽培される。
少量であるが金や石炭といった地下資源が採掘され、付随する工業もその地域で発達している。
行政
道知事
- 第37代(民選6期):李洛淵(이낙연、任期:2014年7月1日~現在)国会議員を連続4期(16代・17代・18代・19代)務めた。
- 第36代(民選5期):朴晙瑩(박준영、任期:2010年7月1日~2014年6月30日)
- 第35代(民選4期):朴晙瑩(박준영、任期:2006年7月1日~2010年6月30日)
- 第34代(民選3期):朴晙瑩(박준영、任期:2004年6月6日~2006年6月30日)・・・04年6月の補選で當選。自殺した朴泰榮前知事の残余任期を引き継いだ。
- 第33代(民選3期):朴泰榮(박태영、任期:2002年7月1日~2004年4月29日)・・・国民健康保険公団理事長在任時の不正疑惑で検察の捜査を受けていた最中の、2004年4月29日に投身自殺[1]。
- 第32代(民選2期):許京萬(허경만、任期:1998年7月1日~2002年6月30日)
- 第31代(民選1期):許京萬(허경만、任期:1995年7月1日~1998年6月30日)
- 出典:역대도지사(歴代道知事)(全羅南道道知事室)
道議会
定数:58議席(地域区52議席+比例代表6議席)地域区は小選挙区制。
党派別議席数(2014年7月1日現在) 合計 党派別内訳 新政治
民主連合セヌリ党 統合
進歩党無所属 合計 58 52 1 1 4 選挙別内訳 地域区 52 48 0 0 4 比例代表 6 4 1 1 -
- 出典:議員照会(의원소개)全羅南道議会ホームページ(2014年7月1日閲覧)。
全羅南道の自治体
市部
郡部
著名な出身者
- 金大中(政治家・第15代大統領)
- 韓和甲(政治家・元民主党代表)
- 金泳鎮(政治家・元農林部長官)
- 李世乭(囲碁棋士)
- 金寅(囲碁棋士)
- 大木金太郎(金一)(元プロレスラー)
- 南昇竜(陸上選手、ベルリンオリンピックマラソン銅メダリスト)
- 黄玹(士人)
- ドンヘ(アイドル、Super Junior所属)
- オ・ジホ(俳優)
- ナム・ジン(歌手)
脚注
- ↑ `한강투신` 박태영 전남지사 사망(’漢江投身’朴泰栄全南知事死亡) 。中央日報2004年6月24日付