トロイ・ニール
テンプレート:Infobox baseball player トロイ・ニール(Troy Lee Neel , 1965年9月14日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州出身の元プロ野球選手(内野手)。テンプレート:By~テンプレート:Byまでオリックス・ブルーウェーブに所属し、主に指名打者としてプレーした。
来歴・人物
テンプレート:ByのMLBドラフト9巡目でクリーブランド・インディアンスに指名され契約。テンプレート:Byにトレードでオークランド・アスレチックスに移籍し、テンプレート:Byにメジャー初昇格。この年、3Aタコマではパシフィック・コーストリーグ首位打者を獲得したほか、投手として3試合に登板している。テンプレート:By、テンプレート:Byにはメジャーに定着し、2年連続で二桁本塁打をマーク。何試合かは4番打者を任され、マーク・マグワイアとクリーンナップを打ったり、1993年には4打席連続本塁打を放つなど、ある程度活躍していた。
テンプレート:Byに「アスレチックスの4番打者」という触れ込みでオリックス・ブルーウェーブに入団。契約金、年俸それぞれ1億円という破格の待遇で4番打者として活躍。同年は1本差で本塁打王を逃すものの、指名打者でベストナインに選出。翌テンプレート:Byには本塁打王と打点王を獲得し、オリックスの2連覇に貢献した。
長距離砲の少なかったオリックスにとっては貴重な存在だった。三振は多いがチャンスに強く、1996年の日本シリーズでも17打数3安打で打率.176の成績だったものの、放った3安打が全て2点タイムリーヒットで6打点をマークし、MVPに輝いた。野手のMVPで、3安打・4塁打・打率.176・長打率.235は、現在でも史上最小値である。この時のMVPインタビューの最後を締めた言葉は「がんばろう、神戸!」だった。なおこの年には退場処分を2回受けている。
テンプレート:Byオフに一度解雇されたが翌テンプレート:Byシーズン途中に復帰し、7月5日の対近鉄13回戦ではチーム通算(阪急時代を含む)6000号を放ち、8月9日の対ダイエー21回戦では1イニング2本塁打を放ち(プロ野球史上16度目)、前日の同カードでも2打席連続本塁打を放つなど(2試合連続2打席連続本塁打は1980年8月6日、7日の山崎裕之以来18年ぶり)再び主砲として活躍した。また、5月15日の対ダイエー6回戦で4番・DHとしてスタメン出場が決まっていた試合で、試合直前からひどい腹痛に見舞われたが、メンバー交換後なのでルール上ではDHは必ず一度は打席に立たねばならないのでニールは仕方なく体調不良のまま出場。初回の攻撃で下痢を我慢しながら打席に立ち、先発・吉武真太郎の球を適当に振ったら大当たりして本塁打になった。全く喜ばずにニールは全速力で塁を回り、ハイタッチもせずにベンチ裏へ下がってトイレへ直行したため、一同に爆笑された。
テンプレート:Byは不本意な成績に終わり、同年限りで退団。テンプレート:Byは韓国プロ野球(KBO)の斗山ベアーズでプレーしたが、17試合で打率.193、1本塁打、3打点と低迷。5月にソウル・梨泰院で、解雇された同僚の外国人選手の送別会で一般市民と口論の末暴行を働き身柄を拘束される事件を起こし、自身も解雇された。その後はバヌアツのエラコア島をレンタル契約で購入し、リゾート開発を行った。
2005年、テキサス州サンアントニオの大陪審に、元妻との子供の養育費の支払いを逃れるために国外逃亡した容疑で起訴される。米国とバヌアツは犯罪人引渡し条約を結んでいないためニールはリゾート開発を続けたが、2008年にパスポートの期限が切れ、同年11月にロサンゼルス国際空港にて逮捕された[1]。2009年7月、サンアントニオの連邦地方裁判所はニールに5年間の執行猶予処分を言い渡し、77万9千ドルを支払うよう命じた。2010年4月、11万6千ドルを元妻に支払うことで和解[2]。
2011年5月現在、クリケットバヌアツ代表チームの守備コーチを務めている。
上記のような事件を起こした部分はあるものの、野球に関しては非常に熱心に取り組んでいたため、オリックスの首脳陣やチームメートからの信頼を得ていた。ヘッドコーチだった中西太は「私がティーバッティングで毎日ボールを放って『逆らわずに打て』とやってたら、第二のブライアントとまではいかんけど、中心打者として甘い球はホームランにするくらいの形は出来た」と振り返っている。また、試合出場に関しても意欲的であり、「『今日は休め』と言っても『いや、俺、出る』って必ず言うんだよ。伊良部が放る試合なんかだと『あのフォークにやられたら感覚がおかしくなって、1週間は調子が悪くなるから休んどきゃええやないか。今日はゲリラ戦法の本西あたりが出ていって伊良部を投げにくくさせておいて、2対1で勝てればっていうゲームをやるんだ。お前まで出てってバッティング狂わせたら、ウチは明日からまた損するやないか』と説得したら納得してくれた」という。退団時には中西や仰木彬への深い感謝を述べている。
ブライアントと同じく、いわゆる「仰木マジック」によって才能が開花した外人選手であり、D・Jと共にオリックスのリーグ2連覇に貢献した外人選手として現在でもオリックスファンからの人気は高い。「仰木マジック」の好例として語られることも多い。
親日家でもあり、1999年、ホームグラウンドのグリーンスタジアム神戸で結婚式を挙げて話題になった。
日本プロ野球史上唯一の、「日本シリーズMVP受賞者ながらオールスターゲーム出場経験のない外国人選手」である[3]。
詳細情報
年度別打撃成績
テンプレート:By2 | OAK | 24 | 59 | 53 | 8 | 14 | 3 | 0 | 3 | 26 | 9 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 1 | 15 | 1 | .264 | .339 | .491 | .830 |
テンプレート:By2 | 123 | 482 | 427 | 59 | 124 | 21 | 0 | 19 | 202 | 63 | 3 | 5 | 0 | 2 | 49 | 5 | 4 | 101 | 7 | .290 | .367 | .473 | .840 | |
テンプレート:By2 | 83 | 320 | 278 | 43 | 74 | 13 | 0 | 15 | 132 | 48 | 2 | 3 | 1 | 1 | 38 | 5 | 2 | 61 | 4 | .266 | .357 | .475 | .832 | |
テンプレート:By2 | オリックス | 122 | 504 | 418 | 55 | 102 | 20 | 1 | 27 | 205 | 70 | 1 | 4 | 0 | 2 | 74 | 5 | 10 | 130 | 11 | .244 | .369 | .490 | .859 |
テンプレート:By2 | 124 | 514 | 430 | 77 | 118 | 24 | 0 | 32 | 238 | 111 | 1 | 2 | 0 | 2 | 74 | 3 | 8 | 143 | 5 | .274 | .389 | .553 | .943 | |
テンプレート:By2 | 131 | 562 | 472 | 59 | 125 | 14 | 0 | 25 | 214 | 98 | 1 | 0 | 0 | 3 | 82 | 5 | 5 | 137 | 11 | .265 | .377 | .453 | .831 | |
テンプレート:By2 | 108 | 452 | 389 | 52 | 112 | 26 | 1 | 28 | 224 | 76 | 0 | 1 | 0 | 2 | 51 | 3 | 10 | 108 | 7 | .288 | .383 | .576 | .959 | |
テンプレート:By2 | 74 | 305 | 252 | 37 | 66 | 8 | 0 | 17 | 125 | 52 | 1 | 0 | 0 | 0 | 48 | 5 | 5 | 65 | 5 | .262 | .390 | .496 | .886 | |
テンプレート:By2 | 55 | 185 | 156 | 21 | 35 | 6 | 0 | 7 | 62 | 28 | 0 | 0 | 0 | 1 | 25 | 0 | 3 | 47 | 5 | .224 | .341 | .397 | .738 | |
テンプレート:By2 | 斗山 | 17 | 68 | 57 | 7 | 11 | 4 | 0 | 1 | 18 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | 1 | 15 | 2 | .193 | .324 | .316 | .639 |
MLB:3年 | 230 | 861 | 758 | 110 | 212 | 37 | 0 | 37 | 360 | 120 | 5 | 9 | 1 | 3 | 92 | 10 | 7 | 177 | 12 | .280 | .362 | .475 | .837 | |
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NPB:6年 | 614 | 2522 | 2117 | 301 | 558 | 98 | 2 | 136 | 1068 | 435 | 4 | 7 | 0 | 10 | 354 | 21 | 41 | 630 | 44 | .264 | .378 | .504 | .882 | |
KBO:1年 | 17 | 68 | 57 | 7 | 11 | 4 | 0 | 1 | 18 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | 1 | 15 | 2 | .193 | .324 | .316 | .639 |
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- NPB
表彰
- NPB
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:1995年4月1日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(グリーンスタジアム神戸)、4番・指名打者として先発出場
- 初安打:1995年4月2日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(グリーンスタジアム神戸)、4回裏に小宮山悟から二塁打
- 初打点:1995年4月9日、対福岡ダイエーホークス2回戦(福岡ドーム)、4回表に田畑一也から2点適時打
- 初本塁打:1995年4月12日、対近鉄バファローズ2回戦(日生球場)、4回表に西村龍次から右越3ラン
- 100本塁打:1998年8月8日、対福岡ダイエーホークス20回戦(グリーンスタジアム神戸)、8回裏に吉田修司から中越ソロ ※史上197人目
- 1イニング2本塁打:1998年8月9日、対福岡ダイエーホークス21回戦(グリーンスタジアム神戸)、5回裏に佐久本昌広・藤井将雄からソロ
背番号
- 29 (1992年)
- 16 (1993年 - 1997年)
- 99 (1998年 - 2000年)
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Navboxes- ↑ テンプレート:Cite web
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- ↑ 長嶋清幸も同受賞者ながら同出場経験なし