金九
金九 김구 | |||||
ファイル:Kim Gu.jpg |
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任期 | 1926年12月8日 – 1927年3月 | ||||
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任期 | 1927年3月 – 1927年8月 | ||||
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任期 | 1940年3月 – 1947年3月3日 | ||||
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出生 | 1876年8月29日 テンプレート:JOS黄海道海州郡白雲面基洞 | ||||
死去 | テンプレート:死亡年月日と没年齢 テンプレート:Flagicon 韓国ソウル特別市西大門区京校荘 |
政党 | 韓国独立党 | 配偶者 | 崔如玉、崔準礼、周愛宝(中国人妾) |
テンプレート:朝鮮の人物 金 九(日本語読み:きん きゅう[1]、朝鮮語読み:キム・グ、テンプレート:Lang-ko、1876年8月29日[2] - 1949年6月26日)は、朝鮮の民族主義者、テロリスト[3]、韓国の政治家、韓国独立党党首、右翼運動家である。
本名は金昌洙(김창수、朝鮮語読み:キム・チャンス)、改名して김구、同:キム・グ、漢字表記は金亀または金九[4])、幼名は昌巖(창암、チャンアム)、字(あざな)は蓮上(연상、同:ヨンサン)、号は蓮下(연하、同:ヨンハまたはヨナ)のちに白凡(백범、同:ペクポム)、法名は円宗(원종、同:ウォンジョン)、還俗して斗来(두래、同:トゥレ)[5][6]。本貫は、安東金氏。洗礼名ペトロを持つカトリック教徒でもある。
大韓民国臨時政府の警察本部長、内務大臣、首相代理、国務領(首相)などを務めた。1940年から1947年まで大韓民国臨時政府の主席であったが、李承晩と対立して、1949年6月26日に暗殺された。
生涯
- 1876年8月 - 黄海道海州に産まれる。先祖は朝鮮時代中期の領議政金自点である。
- 1896年 - 鴟河浦事件。食事を注文した時に女給が自分より先に食膳を与えるのを見て憤慨し[7]、閔妃殺害にはなんら関係がない日本人・土田譲亮を日帝・日本人への懲罰として殺害した。金九は後に土田を日本陸軍中尉と記しているが、被害者の土田は長崎県出身(貿易商・大久保機一が雇用)の商人であった。殺害後金品を奪って逃走、捕縛され、強盗殺人犯として死刑判決を受けた。後に特赦により減刑され、さらにのち、脱獄する[8][9]。
- 1899年 - 黄海道各地に学校設立運動などを行う。
- 1919年
- 1921年 - ソ連の政治資金が臨時政府に上納されていないという理由で、青年たちに韓国人の共産主義者たちの暗殺を指示する。
- 1922年10月 - 上海で呂運亨、李裕弼、孫貞道などと一緒に韓国労労兵会を組織する。
- 1922年11月 - 金九が刺客として放った呉冕稙と盧鐘均により韓国人の共産主義者・テンプレート:仮リンクが上海で狙撃殺害される。
- 1930年 - 韓国独立党結党。
- 1931年10月 - 韓人愛国党を組織する。
- 1932年 - 韓人愛国団の李奉昌が昭和天皇暗殺を狙った桜田門事件、尹奉吉による上海天長節爆弾事件などの独立運動を行う。
- 1940年 - 重慶に脱出し、大韓民国臨時政府主席に就任、韓国光復軍を組織して蒋介石の中国国民党政府とともに抗日活動を行う。
- 1941年12月9日 - 大韓民国臨時政府主席金九と、外務部長趙素昴の署名で対日宣戦布告[10]。しかし、布告文書は日本政府に通達されておらず、実効性はなかった。主として武装闘争・本国工作活動によって独立を目指した。
- 1945年
- 1946年2月8日 - 李承晩率いる独立促成中央協議会と統合し、大韓独立促成国民会を結成、副総裁に就任。
- 1947年12月 - 韓民党の党首・張徳秀を暗殺した疑いで米軍の法廷に召喚される。
- 1948年
- 1949年
- 6月 - 自宅で安斗煕によって暗殺される。
- 7月 - 国民葬
光復後(独立後)
テンプレート:要出典範囲大韓民国臨時政府は承認されなかった。金九が独立した大韓民国の初代大統領になることはなかったが、その後も有力な政治家の一人でありつづけた。
金九は、アメリカ軍政下にある南半部だけでの単独選挙実施に反対し、あくまで南北統一を進めるべきという立場から活動した。この活動は北主導の統一を企図する北朝鮮側からも歓迎されず、また反共姿勢を優先する李承晩らとの確執を深め、李承晩の最大の政敵とみなされた。1949年6月、面会と称してソウル郊外の自宅を訪れた33歳の韓国陸軍砲兵少尉(当時)安斗煕(アン・ドゥフィ)に短銃で射殺された。
安斗煕は現場で逮捕され無期懲役の判決を受けるが、わずか1年後には特赦されて韓国軍に復帰、李承晩の庇護のもと中領(中佐)にまで昇進した。1992年、金九の暗殺は李承晩の部下の金昌龍の指示であったとする証言を出版した。1996年、金九に私淑する朴琦緖によって自宅で殺害された。2001年9月には韓国で安斗煕が駐韓米軍防諜隊 (CIC) 要員であったという報道がなされた[13]。
評価
肯定的評価
抗日独立活動が長期に渡ったことや右翼でありながら反共よりも統一志向に基づく活動をつづけたことに加えて、独立後早くに暗殺されたことも関係してか、南北朝鮮・左右両翼から比較的尊敬されている人物として、稀有な存在となっている。韓国のソウルには、金九の業績を讃える白凡金九記念館が存在する。
盧武鉉は、尊敬する人物として金九を毛沢東、リンカーンとともに挙げている。
1999年、自自公連立政権の自由党党首小沢一郎は金九の墓を訪れ祈りを奉げている[14]。
否定的評価
軍事評論家の予備役大佐である池萬元社会発展システム研究所長は「金九は現代版に解釈すればウサマ・ビンラディンのような人間。国を経営できる人間ではない。実力が足りないながらも李承晩に嫉妬した人間」と評論している[15]。2004年7月27日、ジャーナリストの金完燮は「偏狭な儒教思想に凝り固まった無知蒙昧な人物」「金九については生まれつきの殺人鬼だと思わずにはいられない」と評論して、ソウル高等検察庁に起訴された[16]。
肖像
紙幣
韓国銀行は2007年12月に2009年から流通を開始する100,000ウォン紙幣(最高額面)に、表に金九の肖像と1945年11月3日に大韓民国臨時政府の要人らと中華民国の重慶で撮影した記念写真など配したデザインを採用すると発表[17]した。ただし2009年1月に発行計画は中止された。これは従来よりも10倍の高額紙幣を発行することに批判があったこともあるが、デザインにあった大東輿地図の木版にはない竹島(韓国名・独島)を竹島が入っている筆写版と掛接ぎて入れていたこと、何よりも金九が南北統一政府の樹立を主張していたことから、保守系の李明博現政権が問題視し、見送られたとの指摘もある[18]。
切手
韓国の普通切手のデザインとして1986年に450ウォン切手、1988年に550ウォン切手に肖像が登場している。
著書
脚注
関連項目
外部リンク
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
李東寧
|style="width:40%; text-align:center"|25px 大韓民国臨時政府主席
1940年 3月 - 1947年 7月23日
|style="width:30%"|次代:
李承晩
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
洪震
|style="width:40%; text-align:center"|25px 大韓民国臨時政府首相
1927年 12月8日 - 1928年 3月
|style="width:30%"|次代:
(梁起鐸)
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
盧伯麟
|style="width:40%; text-align:center"|25px 大韓民国臨時政府首相代理
1923年 4月9日 - 1924年 4月23日
|style="width:30%"|次代:
李東寧
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- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「NihonYomi
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 光緒2年7月11日
- ↑ 下記にある通り、鴟河浦事件では民族主義的動機で強盗殺人罪を犯し、その他抗日活動中にも暗殺や暗殺指令を出しているため。
- ↑ 出典: [1]及び[2]
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「daumpedia
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 『土田譲亮撃殺の件 取調べ調書』
- ↑ テンプレート:Quote テンプレート:Quote
- ↑ テンプレート:Quote
- ↑ [3]
- ↑ 今日の歴史(3月8日) 聯合ニュース 2009/03/08
- ↑ 今日の歴史(3月12日) 聯合ニュース 2009/03/12
- ↑ 民族時報 第955 (01.09.21) では、その可能性を否定しない資料という程度の記述である。以下の記事を参照。 白凡人・金九暗殺者「安斗熙はCIC要員」 米公文書を発見「金九先生暗殺犯の安斗熙は米軍のスパイ」(朝鮮日報 2001年9月4日)
- ↑ 【Japan’s Election】 Japan's Democratic Party foreign policy platform prioritizes Korean peninsula Hankyoreh Aug. 31, 2009
- ↑ 「一部政治家の越権」親日法を痛烈批判の軍事評論家 朝鮮日報 2004/08/10
- ↑ 親日作家を在宅起訴 名誉毀損容疑 朝鮮日報 2004/07/27
- ↑ 10万ウォン・5万ウォン紙幣の背景画原案が決定 朝鮮日報 2007年12月7日配信 2008年8月23日確認
- ↑ 韓国、10万ウォン札の発行中止 肖像や図案が原因? asahi.com 2009年1月22日配信、2009年3月2日配信