海州市
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テンプレート:Infobox 海州市(ヘジュし)は朝鮮民主主義人民共和国の南西部(朝鮮半島中西部)の黄海南道の道都。水産資源、地下資源に恵まれている。ここの海岸の砂は韓国にも輸出される。
地理・気候
首都平壌から100kmほどに位置する。海州湾に面し、港湾都市である。北には首陽山がそびえる。
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歴史
古朝鮮以降帯方郡に属しており、高句麗は内未忽郡・池城・長池と呼び、新羅文武王以降漢州に所属してから、762年(景徳王21年)瀑池と改称し、知性を積んで大陸方面の前衛部に重要視されてきた。
高麗太祖は海に臨んだわけで「海州」と命名されて成宗は初めに牧を置き、続いて節度使を置いて顕宗の時に節度使を廃止して4都護府の1つである安西都護府を置いた。睿宗の時に大都護府に昇格し、高宗の時に牧に還元して朝鮮に継承した。
光海君の時に一時県に降格されたが仁祖元年に回復され、1895年(高宗32年)二十三府を設置して海州府となり16郡を管下において1896年十三道を設置して黄海道の道庁所在地となった。
- 1920年 - 指定面に昇格(21面)。
- 1931年4月1日 - 海州面が海州邑に昇格(1邑20面)。
- 1938年10月1日(20面)
- 海州邑が海州府に昇格、郡より離脱。
- 海州郡の残りの地域が碧城郡に改称。
- 1940年 - 開港場に指定された。
- 1943年10月1日 - 碧城郡西席面の一部を編入。
- 1945年8月15日 - ソ連軍管理下に置かれる。龍塘浦地域は38度線以南に位置するが、アメリカとソ連の合意により、最終的に海州府全域がソ連軍管理下に置かれた。
- 光復後、海州府を海州市に改称した。
- 1954年 - 黄海道を黄海南道と黄海北道に分割し、黄海南道道庁所在地となった。
- 1961年 - 青丹郡迎陽里・碧城郡神光里を編入。
- 1965年 - 青丹郡鵲川里・長芳里を編入。
- 1973年 - 国際貿易港となる。
経済
化学、セメント、造船などの工業が発達している。また、水産業が非常に盛んで、米、果物などの生産も盛ん。
交通
教育
- 医科大学