角番

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テンプレート:See Wiktionary 角番(かどばん)は、大相撲本場所において負け越しをした場合に、その地位から陥落するという状況である。現在では、大関の地位にいる現役力士らに対して、この概念がよく用いられている。また、永く幕内に定着していた力士が負け越せば十両落ちの危機にある場合にも、この表現が適用される事が有る[1]。但し大関と同じ三役の地位ながら、1場所の負け越しでほぼ陥落が決まる関脇小結の現役力士に対して、「角番」という表現は殆ど用いられない[2]。さらに新聞などでは「」の漢字を「かく」「つの」等と読み間違えしない配慮で「カド番」「かど番」とかな字で表記する場合が多い。

概要

大相撲においては、負け越しの場合に番付が下がることが普通であるが、その地位に上がるための規則が変則的な大関については、異なる基準によってその陥落を決めている。なお、大相撲の最高位である横綱については、下位になるという規定がないため、負けが込んだ場合については、より重い「引退」という決断をしなければならない[3]

大関の地位では、本場所で負け越しをしたその翌場所が「角番」と言われるようになる。その大関角番の場所で勝ち越しすれば、「角番を脱出する」と言う。なお大関に関して、本場所を2場所連続で負け越すと大関の地位から陥落するという制度は昭和初年に確立したが、この頃は復帰に関しての特に明確な規定は存在していなかった。その後、1958年に年6場所制が実施されたときに、「3場所連続負け越し」で陥落することに定められた(この制度下での大関陥落者は、松登(昇進当時は2場所連続負越で降下)と若羽黒の二力士[4])。しかし「これでは甘過ぎる」という意見も出たために、1969年7月場所からは再び「2場所連続負け越し」での降下に改められた。

大関が角番の場所で負け越すと、翌場所関脇に陥落が決まるものの、その関脇に転落した直後の場所に限り、取り組み日数(現在通常15日)の三分の二以上の勝星(同10勝)[5]を挙げれば特例として大関に復帰できるという救済措置もその際に定められ、現在に至る。ただし関脇に転落した場所で規定数の勝星を挙げられなかった場合、大関に復帰するには新大関昇進の時と同様、三役(関脇・小結)の地位で3場所続けて優秀な成績を挙げなければならない(3場所合計33勝以上が目安)ので、9勝以下に終わった場合は、「完全に大関から陥落」となってしまう。1969年5月場所以前の「3場所連続負け越しで陥落」という制度では「負越→負越→8勝」で大関に残留出来たが、現行制度では「負越→負越→10勝」と一旦関脇陥落後に大関特例復帰と、少し厳しくなった。

千代大海魁皇らが、従来の通算カド番回数記録を大幅に更新した頃から、好角家の間で現行制度の見直し論も語られるようになり、横綱審議委員会から「累積5回の角番で降格や引退勧告」という具体案が出されたこともある[6]が、相撲協会内部で改訂が議論されるには至っていない。

なお、かつて大相撲で公傷制度が実施されていた時は、公傷が認められた全休場所はカウントされず、その翌場所が角番場所となっていた。公傷制度が始まった1972年1月場所当初は、大関のみ適用外であったが、1983年5月場所からは大関も公傷適用の対象に該当された[7]。しかしその後、場所中に公傷適用による休場力士が増加し、さらに当時の大関陣が休場すれば公傷と認定される弊害が多く出た理由もあって、2003年11月場所限りで公傷制度は廃止となった。

通算角番回数

近年角番の場所を迎えた大関は、過去に比べると殆どが勝ち越して何度も切り抜けている。そのため、大関角番の回数はどんどん更新される傾向にある。

現行制度(1969年7月)以降の大関力士・角番回数

順位 回数 四股名 大関在位数 大関在位期間
1位 14回 千代大海龍二 65場所 1999年(平成11年)3月場所-2009年(平成21年)11月場所↓
2位 13回 魁皇博之 65場所 2000年(平成12年)9月場所-2011年(平成23年)7月場所
3位 8回 栃東大裕 30場所※ 2002年(平成14年)11月場所-2004年(平成16年)5月場所↓
2004年(平成16年)9月場所-2004年(平成16年)11月場所↓
2005年(平成17年)3月場所-2007年(平成19年)3月場所
4位 7回 小錦八十吉 39場所 1987年(昭和62年)7月場所-1993年(平成5年)11月場所↓
琴欧洲勝紀 47場所 2006年(平成18年)1月場所-2013年(平成25年)11月場所↓
6位 6回 武双山正士 27場所 2000年(平成12年)5月場所-2000年(平成12年)7月場所↓
2000年(平成12年)11月場所-2004年(平成16年)11月場所
7位 5回 大麒麟將能 25場所 1970年(昭和45年)11月場所-1974年(昭和49年)11月場所
貴ノ花利彰 50場所 1972年(昭和47年)11月場所-1981年(昭和56年)1月場所
若嶋津六夫 28場所 1983年(昭和58年)1月場所-1987年(昭和62年)7月場所
貴ノ浪貞博 37場所 1994年(平成6年)3月場所-1999年(平成11年)11月場所↓
2000年(平成12年)3月場所-2000年(平成12年)5月場所↓
  • ↓印は場所後関脇に陥落。無印は大関の地位で引退。
  • なお千代大海は関脇陥落直後の場所中に、武双山と若嶋津は大関角番の場所中に、それぞれ引退を表明。
  • ※印の栃東は引退表明をした直後の2007年5月場所も含めると、31場所になる。
  • 琴欧洲の大関在位数は中止された2011年(平成23年)3月場所を数えず、技量審査場所の2011年5月場所はカウントする。

《参考》年6場所制(1958年)以降現行制度(1969年5月)以前の大関力士・負越と角番回数

順位 負越 角番 四股名 大関在位数 大関在位期間
1位 12回 3回 琴ヶ濱貞雄 28場所 1958年(昭和33年)5月場所-1962年(昭和37年)11月場所
2位 9回 1回 豊山勝男 34場所 1963年(昭和38年)3月場所-1968年(昭和43年)9月場所
3位 6回 0回 北葉山英俊 30場所 1961年(昭和36年)7月場所-1966年(昭和41年)5月場所
1回 栃光正之 22場所 1962年(昭和37年)7月場所-1966年(昭和41年)1月場所
5位 5回 1回 若羽黒朋明 13場所 1959年(昭和34年)11月場所-1961年(昭和36年)11月場所↓
3回※ 琴櫻傑将 32場所 1967年(昭和42年)11月場所-1973年(昭和48年)1月場所↑
7位 2回 1回 北の冨士勝明 21場所 1966年(昭和41年)9月場所-1970年(昭和45年)1月場所↑
8位 1回 0回 佐田の山晋松 17場所 1962年(昭和37年)5月場所-1965年(昭和40年)1月場所↑
0回 玉乃島正夫 20場所 1966年(昭和41年)11月場所-1970年(昭和45年)1月場所↑
  • ↓印は場所後関脇に陥落、↑印は横綱に昇進。無印は大関の地位で引退。
  • 北葉山・佐田の山・玉乃島は大関で負け越しを経験したものの、角番は一度も無かった(但し北葉山は大関で2場所連続負越の1966年5月場所千秋楽に引退)。
  • 栃光は大関で2場所連続の負け越し後、角番の1966年1月場所も5勝10敗と3場所連続負越、関脇陥落が決定的となったのを機に引退。
  • ※琴櫻の3回のカド番は、1969年7月の現行制度導入以降の22場所中である。
  • 北の冨士は大関在位中北の富士に改名。
  • 玉乃島は横綱昇進後玉の海に改名。

角番無しの記録(大関での連続勝ち越し)

順位 場所数 四股名 角番無し(大関連続勝越)期間 次場所
1位 32場所 武蔵丸光洋 1994年(平成6年)3月場所-1999年(平成11年)5月場所 横綱昇進
2位 26場所 朝潮太郎 (4代) 1984年(昭和59年)1月場所-1988年(昭和63年)3月場所 途中休場・負越
3位 20場所 琴風豪規 1981年(昭和56年)11月場所-1985年(昭和60年)1月場所 皆勤負越
4位 18場所 北天佑勝彦 1983年(昭和58年)7月場所-1986年(昭和61年)5月場所 皆勤負越
5位 17場所 玉乃島正夫 1967年(昭和42年)5月場所-1970年(昭和45年)1月場所 横綱昇進
旭富士正也 1987年(昭和62年)11月場所-1990年(平成2年)7月場所 横綱昇進
琴欧洲勝紀 2008年(平成20年)5月場所-2011年(平成23年)1月場所 途中休場・負越
8位 16場所 清國勝雄 1970年(昭和45年)5月場所-1972年(昭和47年)11月場所 途中休場・負越
9位 15場所 北の富士勝昭 1967年(昭和42年)9月場所-1970年(昭和45年)1月場所 横綱昇進
若嶋津六夫 1983年(昭和58年)1月場所-1985年(昭和60年)5月場所 途中休場・負越
  • 現行の角番制度(1969年7月場所)以降で大関に在位した力士を対象(但し、玉乃島と北の富士の二人は1969年5月場所以前からの連続勝ち越しを含む)。
  • 太字武蔵丸・旭富士の二人は、大関在位中一度も負け越し・角番の経験無しで横綱に昇進した。
  • 朝潮は公傷休場だった1983年11月場所を数えず。
  • 琴風・北天佑・若嶋津の三人は新大関の場所からの記録。
  • ※印の玉乃島(のち玉の海)は1967年3月場所に皆勤負越(7勝8敗)を喫したが、当時は「2場所連続負越で大関角番」の制度だった。「角番無し」で数えると、新大関場所の1966年(昭和41年)11月-1970年1月の20場所(琴風と並び3位タイ記録)となる。

関脇陥落場所で10勝以上を挙げての大関特例復帰

現行の大関特例復帰制度で、関脇陥落場所で10勝以上を挙げて大関に復帰した力士は三重ノ海貴ノ浪武双山栃東の4人のみである。その内、三重ノ海は大関特例復帰後さらに横綱に昇進している。貴ノ浪は2度関脇に陥落しており、1度目の関脇陥落場所(2000年1月場所)は10勝5敗で大関特例復帰を果たしたが、2度目の関脇陥落場所(2000年7月場所)は7勝8敗で大関復帰を逃している。武双山は大関特例復帰後に関脇陥落はならずも大関の地位で現役引退した。栃東は2度関脇に陥落したものの、2度とも関脇陥落場所で10勝以上(2004年7月場所は10勝、2005年1月場所は11勝)を挙げ大関特例復帰を果たしたが、その後病気により大関のまま現役を断念した。

また関脇陥落場所で特例復帰の10勝を挙げられずに、のちに大関復帰を果たした力士は魁傑ただ1人である。魁傑は1975年(昭和50年)11月場所で大関から関脇へ陥落決定後、一時は平幕の地位に落ちていた。次の1976年(昭和51年)9月場所では14勝1敗で平幕優勝を果たしており、同年11月場所は関脇に復活して11勝4敗、翌1977年(昭和52年)1月場所も11勝4敗で、幕内上位で3場所36勝9敗の好成績を挙げて同年3月場所に大関再昇進を果たした。しかし2度目の大関昇進から、4場所後の同年9月場所を最後に再び大関から関脇に陥落し、その後は大関再復帰は果たせず1979年(昭和54年)1月場所をもって、平幕の地位で現役を引退した。

大関復帰者を除いて、関脇陥落場所で勝ち越した力士は2014年(平成26年)時点で大受把瑠都琴欧洲の3人である。関脇陥落場所において、大受(1974年7月場所)は9勝6敗で惜しくもあと1勝足りず、把瑠都(2013年1月場所)と琴欧洲(2014年1月場所)も8勝7敗の成績ながらも2勝足らずに、それぞれ大関特例復帰を逃した。その他の力士は大多数が負け越し又は休場により、翌場所は小結か前頭の地位へ転落となっている。

雅山は関脇陥落の後、三役~平幕の地位を往復していたが、2006年(平成18年)3月に小結で10勝5敗、翌5月場所は関脇の地位で14勝1敗(優勝同点)、7月場所も関脇で10勝5敗として、三役の地位で3場所34勝11敗の成績をあげ、大関復帰目前までいった。しかし、当時大関は既に5人おり雅山も昇進させると史上初の「1場所6大関」[8]になってしまうことや、大関昇進の直前場所で10勝留まりの成績が平成時代以降殆ど例がなかった[9]ことなどの理由から、結局再昇進が見送られた。翌9月場所も勝ち越したが9勝6敗の平凡な成績に終わり、その後も好成績をあげられず雅山の大関復活はならなかった。

千代大海は、大関在位数65場所目(当時歴代1位・現在魁皇と並び1位タイ)で14回目の角番(歴代1位)だった2009年(平成21年)11月場所に、2場所連続負越で大関転落が決定。翌2010年(平成21年)1月場所は、1999年(平成11年)1月場所以来11年ぶりに関脇の地位となった。千代大海は、その関脇陥落場所で大関特例復帰を目指したが初日から3連敗(4敗目は不戦敗)、10勝以上を挙げることは困難と判断し、場所中に現役引退を表明した。

関脇陥落場所の成績

場所 地位 四股名 成績
1972年(昭和47年)5月場所 張出関脇 前の山太郎 7勝8敗
1974年(昭和49年)7月場所 東張出関脇 大受久晃 9勝6敗
1976年(昭和51年)1月場所 西関脇 魁傑將晃 7勝8敗△
1976年(昭和51年)7月場所 西張出関脇 三重ノ海剛司 10勝5敗〇
1977年(昭和52年)11月場所 西関脇 魁傑將晃(2) 6勝9敗
1985年(昭和60年)9月場所 東張出関脇 琴風豪規 全休※
1993年(平成5年)3月場所 西張出関脇 霧島一博 5勝10敗※
1994年(平成6年)1月場所 西張出関脇 小錦八十吉 2勝13敗
2000年(平成12年)1月場所 西関脇2 貴ノ浪貞博 10勝5敗〇
2000年(平成12年)7月場所 西関脇2 貴ノ浪貞博(2) 7勝8敗
2000年(平成12年)9月場所 西関脇 武双山正士 10勝5敗〇
2001年(平成13年)9月場所 西関脇 出島武春 5勝10敗
2002年(平成14年)1月場所 東関脇2 雅山哲士 全休※
2004年(平成16年)7月場所 西関脇2 栃東大裕 10勝5敗〇
2005年(平成17年)1月場所 西関脇2 栃東大裕(2) 11勝4敗〇
2010年(平成22年)1月場所 西関脇 千代大海龍二 0勝4敗●
2013年(平成25年)1月場所 西関脇 把瑠都凱斗 8勝7敗
2014年(平成26年)1月場所 西関脇 琴欧洲勝紀 8勝7敗
  • 〇は翌場所に大関特例復帰、△はのちに大関復活、●は場所中に現役引退。
  • ※琴風、霧島、雅山は、大関を陥落してから翌々場所の成績である(大関を陥落した翌場所は、当時の公傷制度適用による全休のためカウントされなかった)。琴風の復帰場所での成績は東前頭10枚目で0勝4敗(4敗目は不戦敗で現役引退)、雅山は東前頭8枚目で9勝6敗。
  • 上記14人の関脇陥落力士の内、2度陥落した経験者は魁傑、貴ノ浪、栃東の3人である。その中で栃東ただ1人が、3度目の大関昇進(2度の大関特例復帰)を果たしている。

魁傑の関脇陥落直後の場所から大関再昇進直前の場所までの全成績

場所 地位 成績 備考
1976年(昭和51年)1月場所 西関脇 7勝8敗 大関特例復帰ならず
1976年(昭和51年)3月場所 東前頭筆頭 5勝10敗 金星北の湖
1976年(昭和51年)5月場所 西前頭6枚目 10勝5敗 敢闘賞
1976年(昭和51年)7月場所 西小結 5勝10敗
1976年(昭和51年)9月場所 西前頭4枚目 14勝1敗 優勝、敢闘賞
1976年(昭和51年)11月場所 西関脇 11勝4敗 敢闘賞
1977年(昭和52年)1月場所 西関脇 11勝4敗 敢闘賞、翌場所大関再昇進

大関角番で優勝した力士

角番場所 地位 成績 四股名 前場所成績 次場所成績
1975年(昭和50年)9月場所 西大関 12勝3敗(○北の湖) 貴ノ花健士 0勝4敗11休 8勝7敗
1989年(平成元年)11月場所 西張出大関 14勝1敗 小錦八十吉 5勝10敗 10勝5敗
1994年(平成6年)1月場所 西大関 14勝1敗 貴ノ花光司 7勝8敗 11勝4敗
2001年(平成13年)7月場所 東大関3枚目 13勝2敗 魁皇博之 4勝5敗6休 0勝4敗11休
2003年(平成15年)3月場所 東大関2枚目 12勝3敗 千代大海龍二 6勝3敗6休※ 10勝5敗
2006年(平成18年)1月場所 東大関2枚目 14勝1敗 栃東大裕 2勝2敗11休 12勝3敗
2008年(平成20年)5月場所 西大関2枚目 14勝1敗 琴欧洲勝紀 2勝7敗6休 9勝6敗
  • 四股名は優勝当時の四股名
  • 貴ノ花健士の成績で()内は優勝決定戦
  • ※印の千代大海は前々場所の成績(前場所は公傷制度適用のためカウントされず)。
  • 「大関2枚目」のようにある表記は、張出ではなく、番付の枠内に書き出されたもの。
  • ◎印の貴ノ花(のち貴乃花)光司は1994年11月場所後に横綱昇進を果たしている。

脚注

テンプレート:Reflist

テンプレート:相撲
  1. 例として2009年7月場所の出島武春は十両陥落の危機にあり、場所中の朝日新聞の記事に「幕内角番」と説明された。
  2. 関脇・小結の地位で7勝8敗の負け越しで、幕内上位に勝ち越し力士がいない時は翌場所も運良く同じ地位に留まれる場合が有る。
  3. かつて1953年に、第41代横綱・千代の山が休場等の続く成績不振で「大関降格」を自ら申し出たことがあったが、認められなかった経緯がある。
  4. 栃光は3場所連続負け越しで大関陥落が決定的になった直後に引退。
  5. 国家的な行事、突発的な災害などにより日数に増減があった場合は実際の取り組み日数に基づく(例:13日に短縮された場合、9勝以上)。
  6. 大関陣の不甲斐なさを示す意外な数字・~カド番大関・千代大海らの罪~ SportsGraphic NuberWeb 2009/05/22 06:01
  7. 大関で最初に公傷適用された力士は1983年9月場所の朝潮、大関で最後に公傷適用された力士は2003年1月場所の栃東だった。
  8. ただし2012年(平成24年)5月から同年9月場所まで、琴欧洲日馬富士把瑠都琴奨菊稀勢の里鶴竜と、大相撲史上初めて1場所6大関が在籍した例がある。
  9. ただし、関脇陥落直後に現行の大関特例復帰制度で再昇進した上述の4人と、及び稀勢の里2011年(平成23年)11月の新大関直前場所で、10勝5敗の成績で昇進した例がある。