藤原麻呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

藤原 麻呂(ふじわらのまろ、持統天皇9年(695年) - 天平9年7月13日737年8月17日))は、奈良時代貴族右大臣藤原不比等の四男で、藤原四兄弟の末弟。官位従三位参議藤原京家の祖。

経歴

養老元年(717年従五位下美濃に叙任。父・不比等が薨去した翌年の養老5年(721年)一挙に5階級の加叙を受け従四位上となり、左右京大夫に任ぜられる。神亀3年(726年)2階級の加叙により正四位上。神亀6年(729年)には長屋王の変後に従三位に昇叙され公卿に列す。天平3年(731年官人らの推挙により兄・宇合とともに参議に任ぜられ、同年兵部卿山陰道鎮撫使を兼ねる。

天平9年(737年)持節大使に任ぜられ、陸奥按察使鎮守将軍大野東人とともに多賀柵より雄勝村を経由する陸奥国から出羽国への直通路開削事業を行う。同年に帰京するが、当時流行していた天然痘にかかり7月13日に薨去。享年43。最終官位は参議兵部卿従三位。四兄弟が短期間に相次いで死亡していることから、相互に見舞いのために訪問し合った際に感染したものと考えられる。

藤原京家は麻呂が京職大夫だったことに由来する。

人物

弁舌に恵まれ音楽を愛した。歌人として『万葉集』に3首、『懐風藻』に5首の和歌作品が採録されている。

系譜

参考文献

  • 関本みや子「万葉後期贈答歌の様相-藤原麻呂・坂上郎女贈答歌群をめぐって-」、『上代文学』50、1983年
  • 奈良国立文化財研究所『平城京長屋王邸跡』本文編、吉川弘文館、1996年
  • 橋本達雄「藤原麻呂、大伴郎女の贈答歌と巻十三」、『専修国文』54、1994年
  • 北野 達「藤原麻呂との贈答歌」、『セミナ―万葉の歌人と作品』10巻、2004年
  • 遠藤 宏「最初期の大伴坂上郎女-藤原麻呂との贈答歌をめぐって-」、『国語と国文学』74-4、1997年
  • 林 陸朗「天平期の藤原四兄弟」、『国史学』157、1995年
  • 木本好信「藤原麻呂の前半生について」、『甲子園短期大学紀要』28、2010年
  • 木本好信『藤原四子』、ミネルヴァ書房、2013年

関連項目

テンプレート:Portal