大伴坂上郎女
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大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ、生没年不詳)は、『万葉集』の代表的歌人。大伴安麻呂と石川内命婦の娘。 大伴稲公の姉で、大伴旅人の異母妹。大伴家持の叔母で姑でもある。『万葉集』には、長歌・短歌合わせて84首が収録され、額田王以後最大の女性歌人である。
13歳頃に穂積皇子に嫁ぐが霊亀元年(715年)に死別。一説に宮廷に留まり命婦として仕えた。この頃首皇子(聖武天皇)と親交を持ったらしく、後年個人的に歌を奉げている。 その後に藤原麻呂の恋人となる。しかし、麻呂とも早くに死別し、養老末年頃、異母兄の大伴宿奈麻呂の妻となり、坂上大嬢と坂上二嬢を産んだ。しかし、彼とも33歳頃に死別したと思われる。その後は、任地の大宰府で妻を亡くした大伴旅人のもとに赴き、大伴家持、大伴書持を養育したといわれる。帰京後は佐保邸に留まり、大伴氏の刀自(主婦)として、大伴氏の一族を統率し、家政を取り仕切ったのだろう。その作風は多分に技巧的でありながらも、豊かな叙情性をも兼ね備えている。しかし、彼女の数多い男性との相聞歌は、恋の歌になぞらえて、彼らへの親しみを表したものであったり、実体験ではないのではないかとも言われている。
坂上郎女の通称は坂上の里(現奈良市法蓮町北町)に住んだためという。
作品
- 今もかも大城の山にほととぎす鳴き響(とよ)むらむわれなけれども - 都に帰った後に大宰府を思いだして詠んだもの
- ぬばたまの夜霧の立ちておほほしく照れる月夜の見れば悲しさ - 月を詠んだ歌
- 今昔秀歌百撰で大伴坂上郎女,は13番で、佐保河の小石践み渡りぬばたまの黒馬の来る夜は年にもあらぬか(出典:万葉集巻四、選者:角山正之(船橋市立市場小学校校長))
- 古郷之 飛鳥者雖有 青丹吉 平城之明日香乎 見楽思奴裳(古郷の飛鳥はあれど青丹よし平城(なら)の明日香を見らくしよしも)- 詠んだ地の瑜伽神社、奈良町天神社付近の奈良市高畑町北側の丘陵は、当時は大和三山が天候により遠望できて「平城(なら)の飛鳥」と呼ばれ、はるか明日香を懐かしむとともに奈良もいいと期待する。地名にないが名前は飛鳥小学校、飛鳥中学校に残る。 万葉集巻6 992
参考文献
- 筑紫豊『さいふまいり』西日本新聞社、昭和51年
- 森弘子『太宰府発見』海鳥社、2003年、ISBN 4-87415-422-0
- 浦辺登『太宰府天満宮の定遠館』弦書房、2009年、ISBN 978-4-86329-026-6
- 桶谷秀昭 『今昔秀歌百撰』(コンジヤクシウカヒヤクセン)不出售(フシユツシウ)特定非営利活動法人文字文化協會 2012年 ISBN 978-49905312-25