突撃! ヒューマン!!

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:基礎情報 テレビ番組突撃! ヒューマン!!』(とつげき ヒューマン)は、1972年10月7日から同年12月30日まで日本テレビ系で全13話が放送されたヒーロー番組。毎週土曜日午後7時30分から午後8時に放送された。

あらすじ

大学の体操コーチとして高名だった岩城淳一郎は、突然辞意を表明し、子どもたちの身体を鍛え、怪獣や悪の侵略者軍団と戦う力を身に付けさせるべく、全国の小学校を巡回する旅に出る。実は淳一郎の正体はヒューマン星から来た宇宙人で、宇宙から迫りくる未知の脅威を察知していたのだった。そして淳一郎の予言通り、キングフラッシャー率いるフラッシャー軍団による地球侵略が開始された。岩城は、全国を回って子どもたちを鍛えつつ、ピンチになると超人・ヒューマンに変身し、キングフラッシャーの率いる怪獣たちと戦っていく。その戦いには、新聞記者の平井安兵衛とカメラマンの星山ルミ子、そして兄・淳一郎を追う弟の淳二郎も協力する。

淳二郎のサポートを受けて、淳一郎=ヒューマンはついにキングフラッシャーを倒した。しかし続いて出現したグランドフラッシャーによって重傷を負わされ戦闘不能となる。淳一郎に代わって変身した淳二郎は、ヒューマン2号としてグランドフラッシャーに立ち向かった。やがて、ミラクルゾーンと呼ばれる異次元空間で傷を癒したヒューマン1号も戦線復帰し、2人のヒューマンはグランドフラッシャーとの最終決戦に臨む。

概要

日本テレビが空前の変身ブームを受け、当時絶大な人気を誇っていた『仮面ライダー』(東映毎日放送)に対抗する番組として企画したもの[1]。企画当初の作品タイトルは『強人! スカイダー』だった。

配役面でも日本テレビ側は当初、この「打倒・仮面ライダー」との意気込みから主人公・岩城淳一郎役として、『仮面ライダー』の劇中アクションを担当していた殺陣集団である大野剣友会中村文弥に出演要請している。しかし、中村は「仲間の出ている番組の敵にまわりたくない」として、これを断った[2]。 このため、日本テレビでは主役オーディションを行い、前年5月末までグループ・サウンズオックス」に在籍し、解散後ミュージシャンから俳優に転身したばかりだった新人、夏夕介を抜擢した。このオーディションには、新人時代の松田優作も参加しており、夏は「身長も高く、声も通るため、ひと際目立つ存在だった」と語っている[3]

本作の最大の特徴は、同時期に放送されていた、同局の『ハッチャキ!!マチャアキ』、『NTV紅白歌のベストテン』、そして絶大な人気を誇り「お化け番組」とも称されたTBSの 『8時だョ!全員集合』などのバラエティ番組歌番組に代表される、「舞台の公開録画」というスタイルをとったヒーロー番組、という点である[1]。「異星人のヒーローが地球のために侵略者と戦う」という基本的なストーリー設定は、変身ブームの中、多数放送されたヒーロー番組と大きな違いはないため、特撮ヒーローに分類されているが、「火や水が使用できないステージショー」で映像演出に頼る事が出来ないという制約の中、特撮らしい演出よりも、イリュージョンなどのステージマジックの手法やスモーク、装置や照明など、この当時最新の舞台技術が用いられており、あくまで「舞台劇」である。上演・収録は関東地方で周遊して行われ、各市民会館などを会場とし、観客の殆どは子どもたちとその保護者だった。

番組の企画意図として「この当時の子どもたちに人気だった要素を全て網羅した番組」ということが挙げられる。変身ブームの影響を直に受けたヒーロー番組である事は元より、既述の通り、年代を問わず絶大な人気の『全員集合』、『ハッチャキ!!マチャアキ』[4]的な公録番組、ここに当時大ヒットしていたフジテレビの幼児向け番組『ママとあそぼう!ピンポンパン』の体操コーナーのテーマ「ピンポンパン体操」、そして「体操のおにいさん」の要素も取り入れられ、全体の番組構成が形成されたものである。

毎回の基本プロットは「体操教師・岩城淳一郎の体操教室を悪役フラッシャーの操る怪獣が襲撃し、〈人体切断〉、〈串刺し〉やロッカーを使った〈消失〉〈人体交換〉などのステージマジックを使って子どもたちや仲間たちを拉致したり危害を加える(こうした悪事の場面の進行は戦闘員のリーダーによって行われる)。すると、岩城がそれを阻止するため反撃、戦闘員との絡みの後、怪獣やキングフラッシャーによってピンチに陥る。ここで、ヒューマンに変身するのに必要な『ヒューマン・サイン』によるヒューマン・コールを客席の子どもたち、視聴者に呼びかけ、観客が皆ヒューマン・サインを回し始め、コールを送る(毎回すぐには変身できず「まだエネルギーが足りない!」「もっと回してくれ!」などの煽りが入る)。そして、岩城が変身ポーズ → ステージ上が暗転 → 暗転の中、客席後方からステージ袖や書き割りに向かって張られたワイヤーを、スポットライトを浴びた〈滑車付きの飛び人形〉が滑り降りて行く → フラッシュライトの閃光の後、照明の戻ったステージ上には岩城に替わってヒューマンが登場、格闘の末、必殺技で怪獣を倒す」という流れだった。

毎回、番組のオープニングとエンディングにはコロムビアゆりかご会の子どもたちと観客とで主題歌が歌われ、提供クレジット、CM明けには舞台上の出演者と観客の子どもたち全員で「ヒューマン準備体操」を踊るが恒例だった。番組全体の進行は基本的に山田康雄によるナレーションによって進められたが、場面によってはレギュラー出演者が務める場合もあった。また、中盤のCM前後や番組の最後では客席最後部に設けられたカプセル状の小ステージからキングフラッシャー(グランドフラッシャー)が現れ、今回決行する作戦や次回に向けての野望を子供たちにおどろおどろしく語りかける場面があった。

最終回のエンディングでは出演者全員で、ビリーバンバンの『さよならをするために』を披露し、客席と大合唱している。

この時期のヒーロー番組としては後発であるがゆえに、「公開番組」という放映形態で様々な試みを行ったが、歌番組やバラエティ以外での公開録画、映像的な特殊効果のない舞台劇のヒーローという、ある意味斬新なスタイルが、特撮ヒーロー番組に馴染んだ視聴者にはあまり受け入れられず、肝心の「体操教師」という設定や「ヒューマン準備体操」も活かすことができないまま、放映は1クールで打ち切られた。主演の夏は『仮面ライダー』の主役、本郷猛 / 仮面ライダー1号役の藤岡弘と『特捜最前線』(東映、テレビ朝日)で、一文字隼人 / 仮面ライダー2号役の佐々木剛と『黒帯風雲録 柔』(ユニオン映画NTV)、『宇宙鉄人キョーダイン』(東映、毎日放送)でそれぞれ共演している。『特捜最前線』で藤岡と共演した際には「裏番組でしたが負けました」と語ったという。また、ヒロイン役の田中好子は番組開始時、スクールメイツを経て、既に伊藤蘭藤村美樹と「キャンディーズ」を結成していたが、本作の後は『8時だョ!全員集合』のアシスタント等を経て、本格的なレコード・デビューは1973年9月1日である。

本作の制作会社「モ・ブル」はこの番組の制作にあたって、各種デザインや特技全般を請け負うためにデザイナーの成田亨が設立した会社であり、本作の著作権も成田が所持していた。不発に終わった「ヒューマン」という作品そのものについて、後年、成田は「考えさせられることが多かった」、「特撮を単なる見世物にしてしまった」と語っている[5]。成田の死後は、放映元の関連会社である日本テレビ音楽が著作権を管理している[6]。劇中アクションを担当したのは、『ウルトラマン』(円谷プロ、TBS)でウルトラマンのスーツアクターを務めた古谷敏が設立した怪獣アトラクション会社のビンプロモーションで、本作は同社にとって初めて担当したテレビ番組だった。ビンプロモーションは、番組終了後もキャラクターの衣装・ぬいぐるみの管理を行い、各地のデパートや催事場、商店街などでアトラクション興行を継続した。

放映開始に伴って、小学館の学年別学習雑誌にも漫画が連載されていたが、番組が1クールで終了したことや、ヒューマン1号の処遇が戦死から復活へと二転三転したことなどから、最終回は「2号がグランドフラッシャーを倒してヒューマン星に帰る」、「2号が単独でグランドフラッシャー[7]を倒す」、「ダブルヒューマン最後の戦い」、「見開きによるヒューマン2号の紹介のみ」など、学年によって内容が異なっていた。

映像について

再放送は本放送の終了直後に1度だけ行われたが、その後は再放送やCS放送されることもなく、ソフト化もされていない。

この理由については、番組がVTR収録だったため、ビデオテープの再利用のため再放送後に別番組が上書き録画され、マスターテープが消失した可能性が指摘されており、[8]ソフト化及び再放送の見通しは全く立っていない。ただTBSの番組「テレビ探偵団」で田中好子がゲストの回では、田中の思い出の出演作として本作の映像が部分的に流されており、少なくともこの放送のあった1980年代末時点では、一部ながら映像が存在していたことになる。

宮城県では、裏番組『仮面ライダー』を放送していた毎日放送 - NETテレビ系列のネット局が当時は存在せず[9]、『ヒューマン』の認知度が非常に高かったため、番組放送終了後にヒーローショーが企画され、興行が行われていた。その際、仙台市内の大型スーパー屋上や郊外のレジャー施設などで行われた『ヒューマン』ショーの様子が偶然にもアマチュアカメラマンによって撮影されており、その8ミリフィルム2009年になって発見された。この映像を収めたDVDが同年12月23日に発売されている[10][11]

登場キャラクター

ヒューマン

岩城淳一郎 / ヒューマン1号
大学体操部の高名な体操コーチだったが、怪獣や悪の組織に狙われる地球の子どもたちを鍛えるために大学を辞し、体育教師として全国の小学校を巡っている。
その正体はヒューマン星からやって来た宇宙人で、会場の子どもたちや視聴者が回す「ヒューマン・サイン」による「ヒューマン・コール」のエネルギーで変身する。第10話で一度倒されるが、ミラクルゾーンと呼ばれる亜空間で身体を癒し、第11話で復活する。
「ヒューマン」とは当初、彼が変身した姿を指す呼称だったが、2号登場以後は曖昧になる。そのため現在では、ヒューマン2号との区別のため、兄のヒューマンの名前を「ヒューマン1号」と記述した文献もあるテンプレート:Full
岩城淳二郎 / ヒューマン2号
ヒューマンの弟。兄を追って旅を続けるが、淳一郎となかなか再会できなかった。設定の不統一があり、当初は兄がヒューマンであることを知らず、宇宙人としての立場も描かれていなかった。第9話のキングフラッシャーとの最終決戦では、兄の正体を承知しており、戦いの中で淳一郎をサポートした。ヒューマンになる能力はなかったが、第10話で淳一郎が倒された時、兄の激励と子どもたちの「ヒューマン・コール」でヒューマン2号に変身した。変身後の姿はヒューマン1号が白が基調なのに対して、赤を基調とした配色となっており、マスクの赤と青が反転している、トサカに縦方向の溝が数本切られている、体側にラインがある、ベルトのバックルの形状が異なる、などの違いがある。
デザイン・造形
主役のヒーロー「ヒューマン」や怪獣のデザインは、『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』(ともにTBS、円谷特技プロ)のヒーロー・怪獣デザインで知られる成田亨が担当した[12][1]。本作では、成田はほかにも仕掛け小道具など、美術全般を受け持っている。
ヒューマンのマスクデザインは、頭部の突起が「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」と似通っていたり、目の形状が『ウルトラマン』に登場する宇宙人「ザラブ星人」と同じ「菱形の凹表現」であるなど、『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』など、成田が担当した作品キャラクターとの共通モチーフが見られる。また成田は「舞台での上演」という特徴を考慮し、ステンレス鋼をヒューマンの仮面素材に使用するなど、意欲的なキャラクター創りを行っている。金属感を強調したヒーローとしての「ウルトラセブン」のマスクに不満だった成田にとって、ステンレスを使用したヒューマンの光り輝くマスクの出来栄えは会心の作であり、「第1話を観て思わず『カッコイイ!』と快哉を叫んだ」とも述懐している。ヒューマンのステンレス製マスクは、劇中用とアトラクション用の2種作られており、アトラクション用は劇中用のものより一回り大きい[13]。このマスクは、非常に舞台映えする半面、何よりもその「重さ」が難点だったという。
ヒューマン・サイン
主人公の体操教師・岩城淳一郎がヒューマンに変身するためには、会場にいる子どもたちが「ヒューマン・サイン」というボール紙製の円盤を指で回し、「ヒューマン・コール」という声援を送ることで発生するエネルギーが必要との設定で、ステージと会場、テレビ番組、視聴者の一体化が図られた。
この円盤(ヒューマン・サイン)は、裏・表が赤と青になっており、岩城が登場している場面でヒューマンに変身させるためには「ヒューマンサイン・レッド(赤)」を、岩城が登場していない場面でヒューマンの登場を呼ぶときには「ヒューマンサイン・ブルー(青)」をステージに向けて回す決まりだった。この「ヒューマン・サイン」は、会場で来客者である子供たちに配られた他、小学館の幼児向け雑誌や学年別学習雑誌、主題歌シングルの付録にもなっていた[12]。赤い面には主題歌『突撃ヒューマン』の歌詞、青い面には劇中歌『ヒューマン準備体操』の歌詞が掲載されていた。

「ヒューマン」の登場シーンでは、客席後方からステージに向かってワイヤーが張られており、「滑車仕掛けでヒューマン人形が客席の子供たちの頭上を滑空してきて、そのまま舞台袖やセットの書き割りに消え、目くらましのフラッシュとともに岩城の立ち位置にヒューマンが現れる」という演出が毎回施されていた。「ヒューマンサイン」に応えて現れ、会場を滑空するこのヒューマンの2尺サイズのミニチュア人形は、『ウルトラマン』で使われた、ウルトラマンの木製の飛行用ミニチュアを改造したもので、古谷敏が円谷プロから譲り受けたものだった。

フラッシャー軍団

キングフラッシャー
ドクロ星雲の侵略者。フラッシャー軍団や怪獣を率いて子供たちを襲う。第1話から第9話まで登場した。銀色の髑髏のような顔をしている。
会場の観客席の最後部にカプセル状の司令席が設けられており、登場し、指令を下す際にはスポットライトが浴びせられる演出となっていた。
フラッシャー
フラッシャー軍団の戦闘員。昆虫の複眼のような巨大な眼と触覚のついた顔(スーツアクターの口が露出している)を持つ軍団兵。毎回子供たちの下に現れ、ロッカー式の入れ替え手品、滑り台で溶解液に落させるなど、さまざまな舞台装置で子供たちを苦しめる。頭の複眼部を子供たちの頭にくっつけて、少年フラッシャーにしてしまう。軍団の登場場面では照明を暗転し、不気味さを強調するという演出が行われた。リーダー格の1名がフラッシャーや怪獣たちに直接命令を下すことで、ショーの進行役を担っていた。歴代戦闘員が総登場した最終回では、レッドアイとの区別でフラッシャーブルーアイと呼称されていた。
フラッシャーレッドアイ
フラッシャーが強化改造された姿。途中からフラッシャーに代わって登場した。名前の通り、頭部の複眼が赤くなっている。
グランドフラッシャー
ヒューマンに倒されたキングフラッシャーの後任。第10話から第13話まで登場した。
フラッシャーブラックマスク
グランドフラッシャー配下の戦闘員。菱形の頭部を持つ。やはりリーダー格が進行役である。
怪獣
1話につき複数体の新怪獣が登場するため、全13話であるにもかかわらず、当時の通常特撮作品での約2クール分に匹敵する24匹の怪獣が登場した。怪獣のぬいぐるみは舞台映えを考慮してボリューム感が求められ、舞台ならではの斬新なデザインが多く採り入れられ、巨大感と動きやすさを両立させるため、ヘリウムを注入したバルーンなども多用されている。 本作に登場した「ジャイロック」などの怪獣はその後、『行け! グリーンマン』(東宝日本テレビ)にも登場している[14]

スタッフ

キャスト

  • 岩城淳一郎 / ヒューマン1号(声):夏夕介
  • 岩城淳二郎 / ヒューマン2号(声):西島明彦
  • 星山ルミ子:田中好子
  • 平井安兵衛:八代駿
  • 花輪恭子:荒巻啓子
  • ヒューマン:須藤義男(ビンプロ)
  • フラッシャー、フラッシャーレッドアイ、ブラックマスク:沢りつお
  • クイーンフラッシャー、フラッシャーピンクマスク:影山美紀
  • キングフラッシャー / グランドフラッシャーの声:村越伊知郎
  • フラッシャー軍団:ビンプロ
  • ナレーター:山田康雄

放送リスト

( )内は収録会場

  1. ヒューマンって何だ (川口市民会館) … ジャイロック、カブトンガ登場
  2. 怪獣シビレッタ3千匹! (上尾市民会館) … シビレッタ、ザリゾン登場
  3. 血を吸う! 怪獣ドラゴンダ (土浦市民会館) … ドラゴンダ登場
  4. 空飛ぶ怪獣ブランカー! (江東公会堂) … ブランカー、シビレゴン登場
  5. 殺せ!! 怪獣レッドロック (足利市民会館) … セグロ1号、レッドロック登場
  6. 怪人ゲジルの死!! (府中市民会館) … ゲジル、キングタコラス登場
  7. 怪人メガヘルツテレビ局を爆破 (草加文化市民会館) … メガヘルツ、ブルゲリラ登場
  8. 魔の少年フラッシャー!! (渋谷公会堂) … ドロク星人、ギャロン、ダンゲットテンプレート:Refnest登場
  9. キングフラッシャーの最期!! (柏市市民文化会館) … バリンガー、再生怪獣軍団登場
  10. 英雄ヒューマンの最後!! (大宮市民会館) … ギリンガ、ストック登場
  11. 帰ってきたヒューマン! (川口市民会館) … スパイダー、ダンバラギ登場
  12. ヒューマン兄弟大活躍! (江東公会堂) … ガラメドン、ギルドギラ登場
  13. さよならヒューマン (府中市民会館) … アントギラス、インパルス登場

脚注

テンプレート:Reflist

参考文献

  • テンプレート:Cite book
  • 『特撮美術』(成田亨著、フィルムアート社 1996年)ISBN 978-4845996582
    • ヒューマンのデザイン画や当時の収録風景を撮影した写真が掲載されている。
  • 『ぼくらが大好きだった特撮ヒーローBESTマガジン』(講談社)

関連項目

テンプレート:独自研究

テンプレート:前後番組

テンプレート:Asbox
  1. 1.0 1.1 1.2 テンプレート:Cite book
  2. 仮面ライダーをつくった男たち』(講談社)
  3. 雑誌『宇宙船』VOL.36(1987年6月号)の夏夕介インタビューより。
  4. この番組でも堺正章扮する「ハッチャキ仮面」→「ハッチャキセブン」→「ハッチャキセブンエース」というパロディーヒーローが登場。客席から選ばれた子どもたちと協力して円谷プロのアトラク用怪獣を倒し、参加した子どもたちがおもちゃのプレゼントをもらう、というコーナーが人気だった。企画の背景にはこうした人気もあった。
  5. 成田著『特撮美術』(フィルムアート社)
  6. ワンダーフェスティバル」版権申請資料より。
  7. グランドキングフラッシャーと誤植
  8. 天野ミチヒロ 『放送禁止映像大全』三才ブックスISBN 4-86199-004-1などで紹介されている。
  9. 宮城県の現・テレビ朝日系列である東日本放送は、1975年10月に開局した。
  10. 『懐かしのせんだい・みやぎ映像集 昭和の情景』(仙台放送
  11. テンプレート:Cite news
  12. 12.0 12.1 テンプレート:Harvnb
  13. ステンレス板を内側から叩き出しで分割面にして、最後にトサカなども含め溶接した構造。専門の叩き出し職人を探しだして依頼した。深夜も板を叩いて作っていたため、近所から「何の音ですか?」と問い合わせがあったそうである。
  14. テンプレート:Cite book
  15. 元・日本テレビプロデューサー。元・桐朋芸術短期大学 客員教授(2004年 - 2014年3月末まで)。『カックラキン大放送!!』に代表される、日本テレビの音楽バラエティー番組の制作・演出で実績を築き、日本テレビの関わった公演・イベントプロデュースでも『マイケル・ジャクソン日本公演』(1987年)やオペラ『アイーダ』(1989年東京ドーム落成記念公演)、『ローリングストーンズ日本公演』(1990年、初来日公演)の招聘契約を手がけている。定年退職後は『カックラキン』が縁となり、一時、野口五郎の所属事務所社長も務めている。ジャズ・ピアノの名手でもある。   テンプレート:Cite web
  16. 現・セガトイズ