農林中央金庫
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農林中央金庫(のうりんちゅうおうきんこ、英称The Norinchukin Bank、略称農林中金)は、1923年(大正12年)に設立された農協の系統中央機関の役割を持つ金融機関であり、国内最大規模の機関投資家である。海外では日本最大のヘッジファンドとして名高い。
目次
経緯
特殊法人であったが、1986年(昭和61年)に特別民間法人となり、農林中央金庫法を根拠法とする純粋な民間金融機関となった。
1990年代後半より、貸出利率は下落し貸付業務は徐々に魅力をなくした。そのため、潤沢な資金を背景にヘッジファンドとして転換を遂げた。米国一流大学のMBA取得者約300人を抱える有価証券投資部門を擁し、ロンドン、ニューヨーク、シンガポールを拠点に海外積極投資を展開している。
銀行免許を持つ金融機関でありながら金融庁ではなく農林水産省の所管となっている。約3,200人の職員で、JAバンクから上がってくる約80兆円の預金を運用するため、有価証券投資、法人向け大口貸付業務が主流業務となっている。そのため、農業組合等の第一次産業事業への貸付は全体のポートフォリオの5%に満たないことから、一次産業推進のために設立された金庫の存在意義が度々疑問視されている。
現在、JAバンクへの管理、コンサルティング業務を行う傍ら、各県の信用農業協同組合連合会(県信連)との経営統合を進めており、これまで青森県、宮城県、秋田県、山形県、福島県、栃木県、富山県、岡山県、長崎県、熊本県の各県信連との経営統合を完了した。
概要
農業協同組合(JA)、漁業協同組合(JF)、森林組合その他の農林水産業者の協同組織の金融の円滑化を目的として、預金の受け入れ、資金の移動や貸付、手形取引、有価証券運用および、根拠法である農林中央金庫法で定める業務を行っている。統一金融機関コード(いわゆる「銀行コード」)は、3000。
2006年(平成18年)3月31日現在、資本金は1兆4,650億円。総資産は70兆7,641億円。政府出資は1986年に廃止された。
小切手法(昭和8年法律第57号)の第59条、および「小切手法ノ適用ニ付銀行ト同視スベキ人又ハ施設ヲ定ムルノ件」(昭和8年勅令第329号)によると、農林中央金庫は銀行と同視されるため、小切手金の支払人たる資格を有することとなる。
系統金融機関における主たる業務として、系統組織、法人向けの融資や預金受け入れ(預金総額のうち8割強が会員からの受け入れである)を標榜しているが、近年においては国内最大規模の機関投資家としての側面を大きくしている。因みに、2006年(平成18年)3月31日現在において、有価証券と金銭の信託を含めた運用残高は、53兆円にのぼり、当該機関総資産の75%を占める。
また、割引農林債券「ワリノー」および利付農林債券「リツノー」「リツノーワイド」と呼ばれる金融債を発行していたが、リテール向けについては、2006年(平成18年)3月27日をもって売出しが中止された(但し、機関投資家向け募集形式では継続中)。また、投資信託や定期預金の新規受付も徐々に停止し、一部支店では大口法人以外の新規口座開設も今後受け付けない方向になる見通し。但し出来なくはないので店頭で応相談となる。債券がすべて償還されてから約2ヵ月後の2011年(平成23年)5月23日以降は、個人名義の口座がすべて本店へ統合され、個人顧客の取引チャネルが、本店窓口とテレバンのみとなる。この時点で、個人の取引が可能なものは、すでに保有している銘柄の投資信託の追加買付と解約のみとなっており、新規の取引は出来なくなっている。各地の支店は、各地の信連を統合した際の受け皿として機能している状態になっている。
そして、各店舗も地元のJAビル内に空中店舗化される傾向にあり、その一部については口座店が本店に移管されることになっているところもみられる。 空中店舗となった拠点はATMが撤去され、期間限定で地元JAのATMを無料利用できる形をとるが、それ以降は地元JAに移管して利用するなどの対策を各自でとらねばならない。
一方、2006年(平成18年)9月に期限付劣後債をユーロ市場で発行する事を発表。広く海外や国内の金融機関から資本調達する事で、系統組織に依存しない機動的な態勢を強化する目的。
2010年(平成22年)度半期の経常利益は1,039億円、純利益は834億円であった。
就職
新卒採用では、少数精鋭を謳っている[1]。テンプレート:要出典範囲また、地方銀行や都市銀行に存在するリテール業務がない点からも、テンプレート:要出典範囲。報酬水準は、都市銀行および政府系金融機関を上回る高給で知られ、理事長の報酬が日本銀行総裁を超える水準であることも国会で話題となった[2]。近年は、海外有価証券取引及び海外での法人貸付業務の規模拡大に伴い、海外留学生の採用に力を入れている。サブプライム関連投資での損失を受け、有価証券投資と法人貸付業務の比重を擦り寄らせる方針を決定した。法人貸付部門の拡大を図るべく、都市銀行からの中途採用、ヘッドハンティングを積極的に行なっている。
貸付・有価証券投資
- 1980年代後半のバブル景気時代には住宅金融専門会社(住専)に多額の貸し込みを行っていた。リスクの大きい物件の不動産融資に傾注していた住専は1990年代に入り、バブル崩壊とその後の平成不況による地価下落・住宅価格下落で破綻し、農業協同組合等の系列金融機関(JAバンク系)も破綻は時間の問題となっていた。しかし、1996年の第136回国会、通称住専国会における特定住宅金融専門会社の債権債務の処理の促進等に関する特別措置法の制定に伴い、国費により住専の債権が買い取られたことにより救済され、破綻を免れた。
- 1986年(昭和61年)9月の農林中央金庫法の改正による特別民間法人化、2001年(平成13年)の金庫法全面改正を経て経営体制の大幅刷新、および投資銀行へと大きく舵を切り[4]、資金余剰で金利の低い国内金融を縮小し、金利の高い米国を中心とする外国債権購入・外国債券投資を増やした。この転換は米国の金利引き上げと円安傾向とあいまって利ざやが大きく大きな利益をもたらした。しかし、2007年後半から米国のサブプライムローン問題の顕在化で、これまでとは逆の米国の金利引き下げと米ドル安トレンドとなり、2008年(平成20年)3月期の最終利益は過去最高を達成したものの、日本の株価の値下がりの影響による870億円あまりの損失と合わせて2743億円の損失も計上することとなった[5]。2008年(平成20年)度に入ってサブプライムローン問題はさらに深刻化、金融危機が米連邦住宅抵当公庫(ファニー・メイ)や米連邦住宅金融抵当公庫(フレディ・マック)の旧連邦政府系金融機関にも及び、ファニー・メイの株価だけでなく両社発行の社債価格も大幅に下落した。両者の社債を日本国内で最大規模の5兆5000億円を保有[6]する農林中金は再び不動産金融で危機を迎えるのか予断を許さない状況だったが、政府管理下に置かれて元利払いが継続されるためこの問題は乗り越えた。9月中間決算で証券化商品の評価損として810億円を処理した。
沿革
- 1923年(大正12年)4月 「産業組合中央金庫法」(大正12年法律第42号)公布。
- 1923年(大正12年)12月 「産業組合中央金庫」の名称で営業開始。
- 1938年(昭和13年) 出資団体に漁業団体が加入。
- 1943年(昭和18年) 出資団体に森林組合が加入。名称を「農林中央金庫」と改める(法律名も「農林中央金庫法」と改称)。
- 1950年(昭和25年) 「割引農林債券」発行開始。
- 1973年(昭和48年) 「農水産業協同組合貯金保険法」(昭和48年法律第53号)公布、いわゆる「貯金保険機構」(預金保険機構のJAバンク版)の設置。
- 1986年(昭和61年)9月 金庫法の改正、特別民間法人になる。
- 2001年(平成13年) 農林中央金庫法の全面改正(平成13年法律第93号)、経営体制の大幅刷新。
- 2002年(平成14年)1月 「JAバンクシステム」スタート。
- 2003年(平成15年)4月 双日の優先株引き受け。
- 2004年(平成16年)9月 2006年3月後半債を最後に、農林債券「ワリノー」「リツノー」「リツノーワイド」の売出しを停止することを決定。
- 2004年(平成16年)9月 (旧)みずほ証券に農中証券を営業譲渡後、資本参加。
- 2005年(平成17年)3月 アドバンテッジパートナーズを通しダイエーに出資。
- 2005年(平成17年)9月 2006年(平成18年)2月 三菱UFJフィナンシャル・グループに合計2000億円の出資。
- 2006年(平成18年)9月 ユーロ市場において劣後債権を発行する事を決定。
- 2008年(平成20年)3月 同庫ATMサービスを廃止し、キャッシュカードの使用を停止。
- 2011年(平成23年)5月23日 個人利用者の口座店をすべて、本店へ統合
歴代理事長
- 産業組合中央金庫
- 岡本英太郎:1923年(大正12年)12月20日 - 1928年(昭和3年)12月20日
- 八条隆正:1928年(昭和3年)12月20日 - 1933年(昭和8年)4月21日
- 有馬頼寧:1933年(昭和8年)4月21日 - 1937年(昭和12年)6月4日
- 石黒忠篤:1937年(昭和12年)6月7日 - 1940年(昭和15年)7月24日
- 荷見安:1940年(昭和15年)8月13日 - 1943年(昭和18年)3月11日
- 農林中央金庫
- 荷見安:1943年(昭和18年)3月11日 - 1946年(昭和21年)11月5日
- 湯河元威:1946年(昭和21年)11月5日 - 1956年(昭和31年)8月15日
- 楠見義男:1956年(昭和31年)8月15日 - 1966年(昭和41年)11月21日
- 片柳真吉:1966年(昭和41年)12月24日 - 1977年(昭和52年)5月25日
- 森本修:1977年(昭和52年)5月25日 - 1991年(平成3年)5月24日
- 角道謙一:1991年(平成3年)5月24日 - 2000年(平成12年)6月26日
- 上野博史:2000年(平成12年)6月27日 - 2009年(平成21年)4月1日
- 河野良雄:2009年(平成21年)4月1日 -
関連会社
- 農中証券(2004年(平成16年)3月に(旧)みずほ証券へ営業を全部譲渡し、現在は清算手続中)
- 農中信託銀行
- 農林中金インターナショナル(農林中金が全額出資していたイギリスの証券会社。現在は清算手続中)
- 農中情報システム(農林中央金庫・JAのシステム設計、開発を担当)
- 農林中金総合研究所
- 農林中金全共連アセットマネジメント(旧称:「農中投信投資顧問」)
- 三菱UFJニコス…2006年(平成18年)10月より、新たにJAカードをNICOSブランドで提供
- など
融資系列及び出資企業
- クミアイ化学工業 - 農薬トップ、全農と親密
- コープケミカル - 三菱マテリアルが第二位株主のため、三菱グループに近い
- ニチロ(現・マルハニチロ食品) - 旧称「日魯漁業」。みずほコーポレート銀行及び三菱グループと親密(経営統合先の旧マルハは、旧興銀系)
- 雪印乳業 - 前身は「北海道酪農協同組合」、現・「雪印メグミルク」。みずほコーポレート銀行と親密
- みずほ証券 - 旧法人が子会社だった農中証券の営業譲渡先。現法人になってからの、2011年(平成23年)9月に、みずほコーポレート銀行の完全子会社となったが、従来からの関係を継続するため、再度の資本参加。2013年1月のみずほインベスターズ証券吸収後は、同証券が株式交換によりみずほFGの直接子会社となったものの、農林中金所有分については、株式交換の対象とならず、資本関係を維持している。
- ボーソー油脂 - 三井物産と親密
- 日本曹達 - 旧興銀系列の代表的企業だが、りそなグループなどにも接近
- クレディ・アグリコル - フランスの投資銀行、イギリスの「The Banker」誌によればグループ全体では金融グループとして世界第8位(欧州第2位)の規模を誇る。
- M&Aコンサルティング(村上ファンド) - 阪神電鉄ファンドの資金額1320億のうち、半分以上は農林中央金庫からの投資であった。M&Aコンサルティング本体への投資額も国内最大。村上氏のインサイダー取引発覚後の農林中金からの資金引き上げが、村上ファンドの事実上の解体へと繋がった。
農林中央金庫出身の人物
- 古旗照美 - しょくスポーツ代表取締役
- 小山展弘 - 衆議院議員(静岡3区)
- 藤原敬之 - クレディ・スイス マネージングディレクター
- 能見公一 - 産業革新機構(政府系投資ファンド)代表取締役CEO
- 勝山正昭 - ガイカーペンター マネージング ディレクター
- 加藤楠 - M&Aコンサルティング(村上ファンド) 元マネージング・ダイレクター
- 久保達哉 - HarbourVest Partners マネージング・ダイレクター
- 斉藤英明 - ボストンコンサルティンググループ パートナー
- 高島浩 - ANT CAPITAL PARTNERS (Private Equity) 元取締役副社長
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
テンプレート:JAグループ テンプレート:都道府県信連 テンプレート:都道府県信漁連
テンプレート:特別民間法人- ↑ 農林中央金庫 新卒採用サイト
- ↑ 質問主意書:参議院ホームページ
- ↑ テンプレート:Cite report
- ↑ FACTA2007年10月号「〔企業スキャン〕農林中金―「農」衰退でファンド化」
- ↑ MSN産経ニュース 2008年5月27日「農林中金 サブプライム関連損失1869億円計上」
- ↑ NIKKEI NET 2008年7月17日「農林中金、米住宅公社債5兆5000億円を保有 国内で最大規模」