浦河郡
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以下の1町を含む。
- 浦河町(うらかわちょう)
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足して以来、郡域は上記1町のまま変更されていない。
歴史
郡発足までの沿革
室町時代以降、主に東北地方の商人が交易を行っていたと考えられている。
江戸時代に入ると、松前藩の商場知行制および場所請負制による浦川場所(会所)が荻伏地区に開かれている。浦川の名はこの時、今の元浦川(アイヌ語でウララペッ=霧深い川の意味)にちなんで名付けられた。陸上交通は、渡島国の箱館から道東や千島国方面に至る道(浦河以西は国道235号の、浦河以東は国道336号の前身)が通じていた。1669年(寛文9年)松前藩の将、佐藤権左衛門が、現在の浦河神社社務所付近に小祠を建立、金刀比羅宮の御分霊を奉斎。1700年(元禄13年)松前藩が幕府に呈上した元禄御国絵図には「浦川」と記載されている。
江戸時代後期、浦河郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため1799年(寛政11年)浦河郡域は天領とされ浦川場所も今の浦河市街に移される。享和元年8月15日浦河場所請負人佐野嘉右衛門が稲荷大明神を祀る小祠を建立。文化4年南部藩家臣一戸政尹が厳島神社の御分霊(天女宮)を祀る小祠を建立。文政4年に浦河郡域は一旦松前藩領に復した。1842年(天保13年)には漁場支配人近江屋周介が、三つの祠を合祀し浦河神社の前身の稲荷神社となる(昭和6年、浦河神社に改称)。安政2年浦河郡域は再び天領となり仙台藩が警固をおこなった。1858年(安政5年)幕府牧場掛、新家鉄作により、元浦川東岸に馬牧が開設される。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して浦河郡(20村)が置かれた(この時、浦川から浦河となった)。
郡発足以降の沿革
- 明治2年
- 明治4年8月20日(1871年10月4日) - 廃藩置県により再び開拓使の管轄となる。
- 明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての浦河郡が発足。
- 明治13年(1880年)3月 - 浦河郡外十郡役所(浦河三石様似幌泉広尾当縁十勝中川河西河東上川郡役所)の管轄となる。
- 明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により札幌県の管轄となる。浦河村(戸長役場所在地)、向別村、井寒台村、後邊戸村、荻伏村、姉茶村、野深村、幌別村、西舎村、杵臼村、後鞆村の11村が存在した。
- 明治19年(1886年)1月26日 - 廃県置庁により北海道庁札幌本庁の管轄となる。
- 明治20年(1888年)6月 - 浦河郡外六郡役所(浦河三石様似幌泉沙流新冠静内郡役所)の管轄となる。
- 明治30年( 1897年)11月5日 - 郡役所が廃止され、浦河支庁の管轄となる。
- 明治35年(1902年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町3村)
- 大正4年(1915年)4月1日 - 浦河町・西舎村・杵臼村が合併し、改めて浦河町(一級町)が発足。(1町1村)
- 昭和7年(1932年)8月15日 - 浦河支庁が改称して日高支庁となる。
- 昭和18年(1943年)6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。二級町村は指定町村となる。
- 昭和21年(1946年)10月5日 - 指定町村を廃止。
- 昭和22年(1947年)5月3日 - 地方自治法の施行により北海道日高支庁の管轄となる。
- 昭和31年(1956年)9月30日 - 荻伏村が浦河町に編入。(1町)
- 平成22年(2010年)4月1日 - 日高支庁が廃止され、日高振興局の管轄となる。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 1 北海道
外部リンク
- 東蝦夷地ウラカワ場所繪圖筑波大学附属図書館
- 浦河神社の絵馬―昆布ロードの船乗りたち浦河町立図書館
- 大昔の浦河浦河町立郷土博物館