東京都立駒場高等学校

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石のオブジェ「五大陸」

東京都立駒場高等学校(とうきょうとりつ こまばこうとうがっこう)は、東京都目黒区大橋二丁目にある都立高等学校

概要

府立第三高女を前身とする都立進学校1946年に現在地に移転してくるまで麻布(旧麻布日ヶ窪町、現六本木ヒルズ付近)の地に校舎があった。

戦前から女子高等教育の名門としてその名を馳せ、「浅草の一女(白鴎高校)・小石川の二女(竹早高校)・麻布の三女」として並び称されていた[1]。初代校長の小林盈は体力養成を強く奨励。「足の大きくなる学校」と言われるほど体操授業に力を入れ、1929年まで20年以上にわたって校長職を務め、府立三女の基礎を築いた。1930年広瀬雄(第3代・前 府立三中校長)が校長に就任すると、校友会活動にも力を入れ、活発な活動を行うようになっていった[2]。戦後の学制改革により男女共学に移行した後も、各界に多彩な人材を送り出してきた。特に都立高校全盛期において、女子では都立最難関校の一つに数えられていた。

付近は多くの学校が集まる文教地区に位置しており、当校から分離独立した芸術高校および目黒区立第一中学校と校地が隣接している。普通科と保健体育科を併設しており、バスケットボール部をはじめ、バレーボール部やサッカー部、陸上部、水泳部などは全国的にも強豪として知られるなど、実力派の運動部が多くそろっている。 講堂の掛け軸は、『質実剛健』、『貞淑温順』であったと岸朝子は証言している。[3]

「ハイレベルな文武両道の進学校」を目指しており、土曜授業の導入や進学指導体制の整備が進むなか、部活動加入率は10割近くと極めて高い数値を維持している。近代的な校舎や複数のアリーナ、開閉式のドーム型温水プールなど都内有数の設備を持つ一方で、歴史的建造物である仰光寮が保存されているなど、伝統校としての一面もうかがうことができる。1950年には保健体育科を併設した。

また、2007年6月には、東京都教育委員会より国分寺小山台新宿町田の各校と共に「進学指導特別推進校」に指定され、教員の公募制や進学指導体制の更なる充実を実施し、進学実績向上に取り組む予定である。

沿革

体育設備

  • 体育館
    • 第一アリーナ
    • 第二アリーナ
    • 屋内プール
    • 柔道場
    • 器械体操場(剣道場)
    • ジム
  • 屋外施設
    • グラウンド
    • 陸上競技場(250mトラックとフィールド)
    • テニスコート(砂入り人工芝4面)

仰光寮

敷地内には「仰光寮」と呼ばれる木造二階建ての建築物が残されている。これはもともと香淳皇后が当時の皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の妃に内定した際、お妃教育の場として建てられた「お花御殿」である。彼女が入内した後、駒場高校に下賜された。

現在は老朽化が進み立ち入り禁止の措置がとられているが、学園祭の際には例外的に寮中を見学することができる。

交通

著名な関係者

出身者

括弧内は職業と卒業年。但し、中退者等は例外あり。

教職員

関連項目

脚注

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外部リンク

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  1. あるいは「浅草の第一、小石川の第二、麻布の第三」。 『慕いて集える』(創立百周年記念誌編纂委員会編集、都立駒場高校発行、2003年11月30日) P53、『都立高校のすべてがわかる本』(山崎謙山下出版、2000年8月15日) P94 などを参照。
  2. 『東京都立駒場高等学校創立60周年』 (1963年) P11 ~ P19。
  3. 『読売新聞』「時代の証言者」(2011年9月14日)