大橋照子
テンプレート:基礎情報 アナウンサー 大橋 照子(おおはし てるこ、本名:山本照子、は、フリーアナウンサー。NPO「日本スピーチ・話し方協会」代表。
経歴・人物
山口県周南市生まれ。東京都立駒場高等学校、慶應義塾大学文学部ドイツ文学科卒業。大学在学中にFM東京で、『ファッション・クラシック』という番組を持つ。卒業後に日本短波放送(現日経ラジオ社)にアナウンサーとして入社。公開番組『ヤロウどもメロウどもOh!』などの番組を担当し、深夜放送・BCLブームに乗って「チェリーちゃん」の愛称で一躍人気DJとなった。
人気となった時期には熱狂的なファン(親衛隊)が会社の通勤に同行していた事もあり、結婚後も同行していた(本人も公認。買い物の荷物を持って同行していたファンも存在していた)。人気となった独身時代などには、幾度か週刊誌にも取り上げられたり、放送時期は不明だが、テレビのドキュメント番組でも取り上げられた事もある。
人気となった時期には、歌のレコードを発売した事もある、(SP(たんぽぽ色の飛行船/素敵な昨日),LPレコード(さくらんぼ))
その後フリーアナウンサーとなり、『ポップス・ベストテン(ニッポン放送)』、『ラジオはアメリカン(TBSラジオ)』、『ルックルックこんにちは(日本テレビ)』、『これキメ(文化放送)』などに出演した。
1985年から5年間、アメリカ・サンフランシスコに住み、現地で日本語放送の番組に出演していた。 また、サンフランシスコの小学校で、スピーチ教育に携わる。
帰国後はラジオたんぱの『合格いっぽん道』で復帰、1990年代後半になってTBS『ラジオはカプチーノ』などAMの番組も復活した。現在はラジオNIKKEIモバイルで『大橋照子のドキドキラジオ』という番組を担当している。また、長岡一也と共に『私の書いたポエム』を30年担当している。
TBSでドラマ化された『少しは、恩返しができたかな』(講談社)の原作本の実質的な執筆者で、企画・取材・執筆のすべてを大橋がひとりで手がけた。 松島湾遊覧船を運航している複数社のうち松島ベイクルーズの録音アナウンス(日本語&英語)を担当し、2009年9月から船内で案内放送されている。 また、バスアナウンスは、会津乗合自動車・成田空港からのリムジンバス・中央高速バスなど。 駅の案内アナウンスも多数。
昔からのファンとのイベント等も毎年数回開催している。(ファンが自主的に開催するイベントもあり、参加もしている。)
現在の活動
現在、「NPO日本スピーチ・話し方協会」代表理事。日本人が、人前で堂々とスピーチやプレゼンテーションなどを話せるよう、小学生から社会人まですべての世代に向けて「スピーチ教育」を実施している。
さらに、NEETや引きこもりや発達障害の若者に、社会でコミュニケーションを取る法や話し方を指導して、就職に結びつけるボランティア活動をしている。
ボランティア・グループ「一歩一歩の会」代表。老人ホームなどに朗読や放送劇で慰問に行く活動をしている。
また、「大橋照子アナの話し方教室」も開講している。
現在の出演番組
- 「大橋照子のドキドキラジオ」(ラジオNIKKEIモバイル)
- 「私の書いたポエム」(ラジオNIKKEI)
過去の出演番組
日本短波放送(ラジオたんぱ)時代
- 「ギャング・パーク」
- 「ヤロウどもメロウどもOh!」
- 「ミュージック・アルバム」
- 「ミュージック・アラカルト」
- 「ふれあいスタジオ・パート2~ヤロメロコーナー~」
- 「子門と照子のQSOジョッキー」
- 「中央競馬実況中継」
フリー後
- 「ポップス・ベストテン」(ニッポン放送)
- 「トップに聞く」(テレビ東京)
- 「ラジオはアメリカン」(TBSラジオ)
- 「ルックルックこんにちは」(日本テレビ)
- 「ジャパンタウンからラジオでこんにちは」(ラジオ毎日)アメリカ在住時
- 「ラジオはカプチーノ」(TBSラジオ)
- 「大橋照子のこれでキメましょう!」(文化放送)
- 「大橋照子のしゃべりバビデブー」(文化放送)
- 「ラブラブねこちゃん」
- 「城をたずねて」
- 「ローカル列車で行く」(テレビ神奈川)他
活字媒体への登場
- 「普段から心を込めて」(読売新聞夕刊 東京本社版)2011年10月8日
外部リンク
- NPO「日本スピーチ・話し方協会」
- 大橋照子オフィシャルウェブサイト
- 大橋照子「話し方教室」
- 大橋照子・佐久間陽子・山本直也アナの朗読・話し方倶楽部
- 大橋照子のドキドキラジオ
- 私の書いたポエム(ラジオNIKKEI)