星稜高等学校・中学校
星稜高等学校・中学校(せいりょうこうとうがっこう・ちゅうがっこう)は、石川県金沢市小坂町南に所在し、中高一貫教育を提供する[1][2]私立高等学校・中学校。学校法人稲置学園が設置する。
概要
星稜中学校には、1997年までは1学年1クラスで旧校舎の中学校校舎も3つの教室しかなかった(理科の実験などの教室は高等学校の校舎を使っていた)。1998年入学者からは2クラスになり、敷地内の高等学校校舎の教室に移り、旧中学校校舎は高校3年生が使用していた。また、それまで運動会などの行事を高校生と合同で開催していたが翌年から中学校単独で行事を行うことが多くなった。
これに対し、星稜高等学校の生徒は約1600人、教職員は100人超がそれぞれ在籍しており、職員室も3つ設置されているマンモスの高等学校である。
高等学校と同じ校舎内の1階に中学校のの職員室・教室がすべて入っている。教員は中学校及び高等学校の授業を併せて担当していることが多い。
校名が、東京都の私立青稜中学校・高等学校並びに静岡県の私立星陵中学校・高等学校や兵庫県立星陵高等学校と似ているため、しばしば星陵と誤植されるが、これらの学校との関連はない。
松井秀喜を輩出するなど野球をはじめとするスポーツの強豪として全国的に有名だったが、近年は受験対策に力を入れ、進学校にシフトしつつある。それに比例してスポーツはやや弱体化してきた。
最近、2001年9月には校舎が新築され、7階建てエアコン、エレベーター付きとなった。外装も真新しく設備も充実している。パソコンルーム・音楽室の他、様々な運動施設(トレーニングセンター等)が存在する。
沿革
- 1962年 - 実践第二高等学校開校
- 1963年 - 高等学校の校名を星稜高等学校に改称
- 1967年 - 高等学校の校名を金沢経済大学付属星稜高等学校に改称
- 1971年 - 高等学校の校名を金沢経済大学星稜高等学校に改称
- 1973年 - 星稜中学校開校
- 1983年 - 高等学校の校名を再び星稜高等学校に改称
教育方針
建学の精神
誠実にして社会に役立つ人間の育成
知・徳・体
「知育」、「徳育」、「体育」のいずれにも偏向しないバランスのとれた教育活動をする。 その上で生徒一人ひとりの個性と能力を引き出し、それをさらに伸ばす。生徒が主体的に学び、切磋琢磨できる環境を整える。建学の精神の「誠実にして社会に役立つ人間の育成」を決してぶれることのない縦糸として、生徒、保護者、教職員が横糸となり、その時代を反映した星稜の輝かしい歴史の1ページをつくる。 良き伝統は継承し、新しい星稜を目指す。
目標
- 安全で安心して生活できる学校を目指す。
- 在校生、卒業生が愛校心・プライドのもてる学校を目指す。
- 保護者や社会から信頼され、地域から愛される学校を目指す。
- 星稜高等学校にあっては中学生、星稜中学校にあっては小学生があこがれる学校を目指す。
五つの誓い
- さわやかな挨拶をします
- 心身の鍛練につとめます
- すべての学習に最善を尽くします
- 責任のある行動に徹します
- 率先してよい環境をつくります
学業・受験対策と成果
石川県内の上位公立高等学校の多くが本校を滑り止めとして受験するが、経営母体である学校法人稲置学園は学業・受験対策に注力する方針を採用しており、平成以降国公立大学合格者数は延べ100人を超え、2006年度には国公立大学合格者数が延べ200人を突破した。詳細は外部リンク(下記)を参照。
コース制
2004年度より学業への比重や希望進路別に4つのコースが導入されている。
- Aコース - 学業に専念して難関大学合格を目指す。原則として部活動を行うことができない。全コースの中で最も学業への比重が高く大学合格率が高い一方で成績によるクラス分けが行われないため入学後のコース内における学力差が大きいというデメリットもある。
- Bコース - 学業と部活動を両立しながら(但し部活動への参加は自由)大学合格を目指す。約400人~550人が在籍するが1年に1度、成績により「トップ」「セカンド」「レギュラー」の3つにクラス分けがされる。
- Cコース - 3年次に設置されるコースで、理系科目を受験する必要の無い、文系科目に特化した学習カリキュラムの下、主に私立大学合格を目指す。
- Pコース - 部活動に重点を置きながら大学進学を目指す。
進学実績
主な進学先として金沢大学・富山大学などの国立大学を始め、MARCH (学校)・関関同立などが挙げられる。また地元の金沢工業大学や上部校である金沢星稜大学にも多数進学している。
部活動とその実績
幾度に亘る全国大会への出場や数多くのプロ選手を輩出している野球部やサッカー部に加えて剣道や空手、バレーボール、陸上競技は石川県内でもトップレベルの実績を挙げている。特徴として、野球やサッカーは星稜中学校も全国的な名門であり、その主力選手が高等学校進学後もチームを牽引する事例が多い。
野球部の知名度を全国的なものにしたのは、山下智茂の指導力および実績はもとより、箕島高校との箕島星稜の死闘や松井秀喜5打席連続敬遠、県勢初の甲子園大会優勝まであと一歩と迫った1995年夏の準優勝など、関係者の記憶に鮮烈に残る試合を数多く繰り広げたことにある。ただし、近年は遊学館、金沢高校と県内の3強に位置づけられているもののその中では苦しんでいる。
年末の終業式にはプロ野球選手を中心に、その年に活躍(所属チームの優勝や個人タイトルの獲得)したOBが来校し後輩を激励する(松井秀喜は1996年、1998年、2000年に来校。村松有人は1996年、1999年に来校)。この模様は石川県のみならず全国のニュースで放送されるときもある。
運動部の年表
高等学校野球部
- 1972年 - 夏の甲子園に初出場
- 1976年 - 夏の甲子園4年ぶり2回目の出場(ベスト4)
- 1977年 - 春の甲子園に初出場
- 1977年 - 夏の甲子園2年連続3回目の出場
- 1979年 - 春の甲子園2年ぶり2回目の出場
- 1979年 - 夏の甲子園2年ぶり4回目の出場(対箕島戦)
- 1980年 - 明治神宮野球大会(高校の部)で初優勝
- 1981年 - 春の甲子園2年ぶり3回目の出場
- 1981年 - 夏の甲子園2年ぶり5回目の出場
- 1982年 - 春の甲子園2年連続3回目の出場
- 1982年 - 夏の甲子園2年連続6回目の出場
- 1982年 - 明治神宮野球大会(高校の部)でベスト4
- 1983年 - 春の甲子園3年連続4回目の出場
- 1983年 - 明治神宮野球大会(高校の部)で2年連続ベスト4
- 1984年 - 春の甲子園4年連続5回目の出場
- 1984年 - 夏の甲子園2年ぶり7回目の出場
- 1989年 - 夏の甲子園5年ぶり8回目の出場
- 1990年 - 夏の甲子園2年連続9回目の出場
- 1991年 - 夏の甲子園3年連続10回目の出場(ベスト4)
- 1991年 - 国民体育大会(高校の部)で準優勝
- 1991年 - 明治神宮野球大会(高校の部)2回目の優勝
- 1992年 - 春の甲子園8年ぶり7回目の出場(ベスト8)
- 1992年 - 夏の甲子園4年連続11回目の出場(当時問題となった松井に対する5打席連続敬遠もあり、2回戦で明徳義塾に敗れる)
- 1992年 - 秋の地区予選出場辞退により活動休止。
- 1992年 - 国民体育大会(高校の部)で初優勝
- 1993年 - 夏の石川大会直前に活動再開。
- 1994年 - 春の甲子園2年ぶり8回目の出場(金沢高とともに石川県勢初の複数校選出)
- 1994年 - 夏の甲子園2年ぶり12回目の出場
- 1994年 - 明治神宮野球大会(高校の部)で準優勝
- 1995年 - 春の甲子園2年連続9回目の出場(ベスト8)
- 1995年 - 夏の甲子園2年連続13回目の出場(準優勝)
- 1997年 - 春の甲子園2年ぶり10回目の出場
- 1998年 - 夏の甲子園3年ぶり14回目の出場(3回戦で松坂大輔擁する横浜高校に敗れる)
- 1998年 - 国民体育大会(高校の部)でベスト4
- 2002年 - 3年生元部員が喫煙した為秋の公式戦出場辞退。
- 2005年 - 春の甲子園8年ぶり11回目の出場、夏の大会を以って山下智茂監督が勇退して野球部総監督に就任する。
- 2007年 - 夏の甲子園9年ぶり15回目の出場
- 2013年 - 夏の甲子園6年ぶり16回目の出場
- 2014年 - 夏の甲子園2年連続17回目の出場
中学校野球部
全国大会15回出場・2度の6年連続出場(1991年~1996年、1998年~2003年)
- 全日本少年軟式野球大会2回優勝(第13回・第24回)
- 全国中学校軟式野球大会3回優勝(第15回・第20回・第30回)
2008年の全国中学校軟式野球大会優勝により、5度目の全国制覇を達成(うち3回は山本雅弘在任時の記録である)。明徳義塾中学校の持つ全国大会優勝最多記録4度を更新。また、全日本少年軟式野球大会と全国中学校軟式野球大会双方で優勝しているのは星稜中学校のみである。
サッカー部
男子
- 1974年 - 選手権初出場
- 1977年 - 選手権3年ぶり2回目の出場
- 1978年 - 選手権2年連続3回目の出場
- 1987年 - 選手権9年ぶり4回目の出場
- 1989年 - 選手権2年ぶり5回目の出場
- 1991年 - 選手権2年ぶり6回目の出場(ベスト8)
- 1994年 - 選手権3年ぶり7回目の出場
- 1996年 - 選手権2年ぶり8回目の出場
- 1997年 - 選手権2年連続9回目の出場
- 1999年 - 選手権2年ぶり10回目の出場
- 2000年 - 選手権2年連続11回目の出場
- 2001年 - 選手権3年連続12回目の出場
- 2002年 - 選手権4年連続13回目の出場
- 2003年 - 選手権5年連続14回目の出場
- 2004年 - 選手権6年連続15回目の出場(ベスト4)
- 2005年 - 選手権7年連続16回目の出場
- 2006年 - 選手権8年連続17回目の出場(ベスト8)
- 2007年 - 選手権9年連続18回目の出場
- 2007年 - 全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会準優勝
- 2008年 - 選手権10年連続19回目の出場
- 2009年 - 総体出場
- 2009年 - 選手権11年連続20回目の出場
- 2010年 - 総体出場
- 2010年 - 選手権12年連続21回目の出場
- 2011年 - 選手権13年連続22回目の出場
- 2012年 - 選手権14年連続23回目の出場(ベスト4)
- 2013年 - 選手権15年連続24回目の出場(準優勝)
女子
- 2011年 - 創部
- 2013年 - 全日本高等学校女子サッカー選手権大会初出場
陸上競技部
( )は出場結果。順位/出場校には途中棄権校及びオープン参加の韓国代表を含まない。
男子
- 1973年 - 都大路初出場(46位/46校・2時間31分24秒)
- 1974年 - 都大路2年連続2回目の出場(46位/47校・2時間28分16秒)
- 1975年 - 都大路3年連続3回目の出場(46位/47校・2時間27分15秒)
- 1983年 - 都大路8年ぶり4回目の出場(44位/47校・2時間18分21秒)
- 1986年 - 都大路2年連続5回目の出場(47位/47校・2時間23分29秒)
- 1987年 - 都大路3年連続6回目の出場(43位/47校・2時間17分45秒)
- 1992年 - 都大路5年ぶり7回目の出場(28位/47校・2時間10分43秒)
- 1993年 - 都大路2年連続8回目の出場(22位/47校・2時間10分27秒)
- 1994年 - 都大路3年連続9回目の出場(46位/58校・2時間12分25秒)
- 2006年 - 都大路12年ぶり10回目の出場(36位/47校・2時間10分38秒)
- 2008年 - 都大路2年ぶり11回目の出場(35位/47校・2時間10分24秒)
女子
- 1996年 - 都大路初出場(47位/47校・1時間19分12秒)
- 1997年 - 都大路2年連続2回目の出場(46位/47校・1時間16分44秒)
- 2007年 - 都大路10年ぶり3回目の出場(41位/47校・1時間13分52秒)
その他の部活動
主な行事
これらの行事はクラス毎に参加するので交友関係が希薄になりがちな別コースのクラスの生徒と交流する機会になる。
文化祭
9月の2日間に行われる。(新校舎ができる2001年9月は前倒しで7月に旧校舎で行われた。)名称は星稜祭。生徒会・文化祭実行委員会が中心となってイベントなどを企画する。毎年、1日目は午前・午後に分けて稲置記念館にて講演会等が行われる。最近ではハリガネロック、オスマン・サンコン、エレキギターの神様の寺内タケシ、D-51、加藤ミリヤ等である。
体育大会
7月と12月に行われる。サッカーやバレーボール、卓球などが競技種目である。通称球技大会。各体育館やサッカーグラウンドで行われる。
運動会
9月に行われる。これは球技大会とは違い、綱引きや徒競走などを行う。稲置学園総合運動場で行われる。
施設・設備
- 校舎 - 七階建てで冷暖房完備。またエレベーターが常時5基が稼動している。大人数で講義を受けるための大講義室や、50台のパーソナルコンピュータが置いてありインターネットを利用できるコンピュータ室、勉強のために個人ブースが完備されている学習室などがある。
- サッカーグラウンド - 人工芝のグラウンドで、夜間照明設備が6基設置されている。
- 第一体育館 - 最も大きな体育館でバスケットコート三面分の広さがある。また二階部分には一周200メートルのランニングコースもあり、屋上にはテニスコートが四面ある。
- 第二体育館 - 二階建てで、一階は主に卓球、二階はバスケットボールやバレーボールなどに使用される。
- 第三体育館 - 主に剣道に使用される。
- 武道館 - 柔道やレスリングなどに使用される。
- トレーニングセンター - 二階建てで、一階はウェイトトレーニングのための器具が置いてあり、二階は空手部の練習場になっている。また縄上りのための縄が二階から垂れ下がっている。
- 屋内練習場 - 雨天のとき、主に野球部の練習のために使用される。
- その他 - プールやハンドボールコート、弓道場もある。また上部校である金沢星稜大学にあるコンビニエンスストアや学生食堂、大学に設置されている体育館なども使用できる。そして稲置学園総合運動場などへ行くときに使用するマイクロバスがある。
著名な関係者
政治家
野球
- 小松辰雄 - 元プロ野球選手(中日ドラゴンズ)・野球解説者
- 若狭徹 - 元プロ野球選手(中日ドラゴンズ)
- 北安博 - 元プロ野球選手(横浜大洋ホエールズ)
- 音重鎮 - 元プロ野球選手(中日ドラゴンズ)
- 湯上谷竑志 - 元プロ野球選手(福岡ダイエーホークス)
- 鈴木望 - 元プロ野球選手(読売ジャイアンツ)
- 村田勝喜 - 元プロ野球選手(福岡ダイエーホークス)
- 村松有人 - 元プロ野球選手(福岡ソフトバンクホークス)
- 松井秀喜 - 元プロ野球選手(ニューヨーク・ヤンキースほか。国民栄誉賞受賞)
- 山本省吾 - 元プロ野球選手(福岡ソフトバンクホークス、星稜中学校出身)
- 辻武史 - 元プロ野球選手(福岡ソフトバンクホークス)
- 北野良栄 - 元プロ野球選手(福岡ソフトバンクホークス、星稜中学校出身)・競輪選手
- 山出芳敬 - 元野球選手(石川ミリオンスターズ)・コーチ
- 高木京介 - プロ野球選手(読売ジャイアンツ)
- 島内宏明 - プロ野球選手(東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 西川健太郎 - プロ野球選手(中日ドラゴンズ)
- 鈴木将光 - プロ野球選手(広島東洋カープ、星稜中学校出身、遊学館高等学校へ進学)
サッカー
- 北一真 - プロサッカー選手(ザスパクサツ群馬)
- 田中俊也 - 元プロサッカー選手(ツエーゲン金沢)
- 辻田真輝 - 元プロサッカー選手(ツエーゲン金沢)
- 森俊祐 - 元プロサッカー選手(ツエーゲン金沢)
- 麦田和志 - 元プロサッカー選手(徳島ヴォルティス、星稜中学校出身)
- 豊田陽平 - プロサッカー選手(サガン鳥栖)(2008北京五輪日本代表)
- 本田圭佑 - プロサッカー選手(ACミラン)(2008北京五輪日本代表、2010FIFAワールドカップ日本代表 2014 FIFAワールドカップ日本代表)
- 作田裕次 - プロサッカー選手(ツエーゲン金沢)
- 橋本晃司 - プロサッカー選手(大宮アルディージャ)
- 鈴木大輔 - プロサッカー選手(柏レイソル)(2012ロンドン五輪日本代表)
- 田代祐平 - プロサッカーアンバサダー(ツエーゲン金沢)
- 香城洋平 - プロサッカートレーナー(ザスパ草津)
- 込山和樹 - 元プロサッカー選手(ツエーゲン金沢)
- 清水孝太 - サッカー選手(FC大阪)
芸能・マスコミ
- 米田奈美子 - タレント
- 石黒謙吾 - フリーライター・編集者(『盲導犬クイールの一生』)
- 松下茂典 - スポーツライター
- 大河睦 - 元宝塚歌劇団
- 白鳥かすが - 元宝塚歌劇団
- 小室良 - ミュージシャン・元ビクターレコード、T-BIRD
- 九里一也 - 九里流打術主宰 ・元ビクターレコード、T-BIRD
- 新谷良子 - 声優
教職員
- 山下智茂 - 野球部総監督(元監督)、元副校長、稲置学園理事
その他
- 高桑充裕 - 現能美市職員。元能美市立根上中学校教員、元同校野球部コーチ、監督(山下智茂の教え子で松井秀喜の恩師)。野球部所属。
- 岩田稔 - 元・バレーボール全日本男子。1984年ロス五輪代表。
- 杉林孝法 - 陸上競技選手(三段跳、2000年シドニーオリンピック出場、2004年アテネオリンピック出場)
- 大森重宜 - 陸上競技選手(400mハードル、1984年ロサンゼルスオリンピック出場)
脚注及び参照
関連項目
外部リンク
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