日高晤郎のスーパーサンデー
テンプレート:出典の明記 テンプレート:基礎情報 テレビ番組
『日高晤郎のスーパーサンデー』(ひだかごろうのスーパーサンデー)は、1989年10月1日から1994年12月25日まで札幌テレビ放送(STV)が放送したトーク番組である。毎週日曜日の22:30 - 23:30に放送されていた。キャッチフレーズは「今夜も生放送」→「今夜も上機嫌」。
概要
当初はニュースやミニドキュメントなどを織り交ぜた情報ワイド番組だったが、のちに毎回一人のゲストを招いてのトーク中心の生番組になった。ラジオでの軽妙かつ辛口なトークを展開する日高晤郎ならでは番組が展開された。
STVホールからの公開放送で、翌週の観覧希望者を電話で募り、応募者多数の場合は抽選により決定する形を採っていた。ただし、STVホール以外での放送になる際には対応が異なっていた。
また、STVラジオの電波が青森県(津軽地方や下北地方など)にも届き、北海道内ほどではないものの、テンプレート:要出典範囲、途中から同じ日本テレビ系列の青森放送まで拡大ネット放送された(1992年4月 - 1993年3月)。ネット第1回目では青森放送本社ロビーと中継で結び、そして日高の足跡も紹介された。中継では大友寿郎アナウンサーがリポーターで登場した。
局部露出事件と番組の終了
番組スポンサーにサッポロビールがついていたため、日高とゲストのトークの際にはビールが用意され、実際に飲みながらトークが展開された。そのため、吉幾三がゲスト出演した1992年9月20日の放送では、ビールを飲みすぎた吉が泥酔状態となりカメラの前で局部を露出。これに対する視聴者からの苦情がSTVに殺到したため、STVは急遽翌週の同番組の放送を休止し、特別番組に切り替えた。
この事件以降は当日に事前収録しての放送に変更された。さらに、一部提供スポンサーが廃業し、撤退するなどの諸事情があったことから、1994年12月25日をもって5年3か月間の放送に幕を下ろした。
ゲスト出演者
(順不同) テンプレート:Div col
- 中村玉緒
- 勝新太郎[1]
- 未唯[2]
- 増田恵子[3]
- 仲代達矢
- 山城新伍
- せんだみつお
- 中尾ミエ
- 中条きよし
- 橋幸夫
- 舟木一夫
- 西郷輝彦
- 三田明
- カルーセル麻紀
- 五木ひろし
- 天童よしみ
- 川中美幸
- 瀬川瑛子
- 坂田利夫
- 渡辺真知子
- 間寛平
- 海老名香葉子
- 泉アキ
- 益田喜頓
- 伊奈かっぺい(最多出演)
- ポール牧
- 石倉三郎
- 北島三郎
- 美川憲一[4]
- 2代目引田天功
- ダチョウ倶楽部
- おぼん・こぼん
- 近藤正臣
- クロード・チアリ
- コロッケ
- 郷ひろみ
- 高田美和
- 西城秀樹
- B&B
- モト冬樹
- グッチ裕三
- 桜金造
- 市川森一
- ジェームス三木
- 麻丘めぐみ
- 左とん平
- マルシア
- 西川峰子
- 山本譲二
- 小金沢昇司
- ピーター(池畑慎之介)
- 6代目桂文枝(桂三枝時代)
- 今いくよ・くるよ
- 荒井注
- 加藤茶
- 小野ヤスシ
- 桂文珍
- 柄本明
- 坂本冬美
- 井沢八郎
- 田中義剛
- 林家木久扇(林家木久蔵時代)
- 小柳ルミ子&大澄賢也(夫婦の時代)
- 谷隼人&松岡きっこ(最終回に登場)
- チェリッシュ
- 団しん也
- 山東昭子
- 布施明
- アローナイツ
- 園佳也子
- 左時枝
- 川谷拓三
- 大場久美子
- 秋川リサ
- 沢田雅美
- 森山周一郎
- 坂上二郎
- 藤村俊二
- 財津一郎
- あいざき進也
- 城みちる
- 南こうせつ
- 生田悦子
- 八代亜紀
- 浜田光夫
- 正司歌江
- 朝丘雪路
- あき竹城
- 高見知佳
- 塩沢とき
- 佐藤蛾次郎
- あべ静江
- ジュディ・オング
- フランキー堺
- 丹波哲郎
- 藤圭子
- ダチョウ倶楽部
- 西村晃
- 川地民夫
- 羅勲児(ナフナ)
- 木の実ナナ
- 松尾嘉代
- 林家ぺー&パー子
- 尾崎紀世彦
- ピンクの電話
- 志茂田景樹
- 辺見マリ
- 河合奈保子
- 吉幾三
歴代アシスタント
全て当時のSTVアナウンサー。
スタッフ
- プロデューサー:中尾則幸
- ディレクター:一ノ渡朋典