姫島村
テンプレート:Infobox 姫島村(ひめしまむら)は、大分県北東部にある離島姫島を行政区域とする一島一村の村である。東国東郡に属する。2005年3月31日以来、大分県内で唯一の村となっており、2006年3月31日以降は東国東郡に属する唯一の自治体となっている。
目次
地理
位置・地形
大分県国東半島の北、瀬戸内海西端、周防灘と伊予灘の境界に位置する離島。国東市国見町の中心部(伊美地区)から約6kmの海上に位置する。島の長さは東西約7km、南北約4kmで東西に細長い形をしている。島中央部に標高266mの矢筈山、島西端に標高105mの達磨山、島西北部に標高62mの城山があり、この3つの山の間が中心集落になっている。
島の西北部(城山より北側)の観音崎地区では、黒曜石の断崖がある。露天状態の黒曜石は日本国内では極めて数が少ない。
地名
村内に大字は存在しない。
歴史
神話
古事記の「国産み」においてはイザナギとイザナミが最初に8つの島(大八洲)を産んだ後、続けて6島を産んだとされる。この6島のうち4番目に産んだのが女島(天一根)、すなわち現在の姫島とされる。
古代
姫島産の黒曜石は特徴的な灰白色をしているため、他所の黒曜石と容易に識別可能である。姫島産黒曜石で作られた石器は中国、四国の縄文時代遺跡から発見されており、この時代に広く交易が行われていたことを示している。
中世
大友氏の水軍・浦辺衆の根拠地の1つとなる。
幕末
1864年の下関戦争では英、米、仏、蘭の連合艦隊が姫島を拠点とした。その際、イギリスから帰国した伊藤博文、井上馨が調停のため来島している(その時の両名や島民の様子について英国外交官アーネスト・サトウが記録)。また幕府の軍艦奉行勝海舟が戦闘終結後、姫島に上陸し、戦闘の模様について情報収集をおこなった。
近現代
- 1889年4月1日 村制施行。
- 1924年1月1日 村営連絡船「姫島丸」就航開始。
- 1959年6月 慶長年間より、姫島の産業を支えた塩田が閉鎖。
- 1965年6月17日 姫島車えび養殖会社設立。
- 1972年5月10日 フェリー船 「姫島丸」就航。
- 1984年7月 「あき缶デポジット方式」採用。
行政
村長選は1955年の選挙を最後に、以後2012年10月30日の告示を持って16回連続して無投票となっている[1]。これは司直町村はもとより都道府県も含めた自治体の首長選としては全国で最多である。16回のうち、最初の1回を除く15回は前村長の藤本熊雄と現村長の藤本昭夫によるものであり(それぞれ無投票当選7回および8回)、藤本昭夫は藤本熊雄の長男であることから、親子で50年以上村長職を独占して担っていることになる。こうした特異な状況は行政にも影響を与えており、姫島村には村長選・村議選共にポスター掲示条例が存在せず、村長は告示日にも遊説をせずに通常通りの公務を行っている。
この長期無投票当選の背景には、最後の選挙となった1955年の村長選が島内を二分する激しい選挙となり、島内にしこりを残した苦い経験があるほか、人口2000人程の小さな自治体で他に人材がいないという側面が大きい。前村長の藤本熊雄が西村英一と共に行なった港湾整備やクルマエビ養殖事業、ワークシェアリング(後述)の推進などで強力なリーダーシップを発揮した経済浮揚を図り、現村長も漁礁整備などの漁業振興政策で評価を受けているとの指摘もある。
なお、無投票が長期間続いているのは村長選のみであり、この間にも村議選はあるため(過去20年で無投票は1回のみ)、姫島村関係の選挙が全く無いわけではない。現村長の藤本昭夫は「それなりの対立候補が出れば私に対する不信任であり、争わずに身を引くつもりだ」と述べている[2][3]。
村議会の定数は8人。議会での一般質問は通常はなく、2012年9月議会で15年3ヶ月ぶりに一般質問が行われた[4]。
産業
離島部であるため、漁業およびそれに関連する観光業が主幹産業である。
漁業
近辺の海域でカレイやタイをはじめ、各種の水産物が水揚げされている。またかつての塩田跡地で車エビの養殖が行われている。
観光業
ホテル・旅館・民宿・ペンションなどが数軒立地している。宿泊客の大半は夏の盆踊り開催時の観光客である。近年は観光客減少のあおりを受けている。現在は新たに観光団体を設立するなど、観光客増加に努めている。
地域
人口
教育
- 村立
- 姫島中学校
- 姫島小学校
交通
本土との連絡
国東市にある伊美港と姫島港を結ぶ姫島村営フェリー「姫島丸」が運航されている(運航時間、料金については姫島村のサイトを参照)。
島内
県道として大分県道606号西浦姫島港線・大分県道683号北浦姫島港線が敷設されている。島内にバスはないが、2010年8月より観光タクシーが運行を開始した。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事・文化財
名所・旧跡
祭事
- 姫島盆踊り(8月14~17日の間に行われるが、年によって異なる)
- 比売語曽社春の大祭(4月3日)
- 姫島の名前のルーツとなった比売語曽神社の大祭。
- 清正公祭り(4月29日)
- 達磨山山頂にある清正公社(祭神・加藤清正)の大祭。
- 船曳き祭り(10月第2土曜日)
- 大帯八幡社の秋の大祭。楠の木で作られた和船の雛形が島内を一巡する。
文化財
その他
デポジット制度
姫島村では、缶飲料を通常価格より10円高い価格で販売し、空き缶を島内の店舗で返却すると差額を返却するデポジット制度を、自治体全域規模では日本で初めて1984年に導入し、空き缶の散乱防止を図っている[5]。
県指定天然記念物 藍鉄鉱
「藍鉄鉱」は1949年8月、姫島の西端ス鼻海岸で当時の中学生によって偶然発見された非常に珍しい鉱物である。鉄とリン酸が長い年月をかけて化合したもので表面は褐色で形状は球型、扁平型などさまざまである。割ると中は透明だが、化学反応により表面が透明から藍青色に変化し美しい放射状に輝く。この不思議な石は作家・椋鳩十の児童文学作品『ふしぎな石と魚の島』の中でとりあげられ、この作品を読み藍鉄鉱が実在するのか疑問を持った女性がABCテレビの深夜番組『探偵!ナイトスクープ』に調査を依頼し、それが放送されたことがある。
和服のない成人式
経済的理由により着物を購入できない家庭への配慮を理由として、同村では1969年から成人式での和服着用を例外なく認めていない。2003年1月12日に行われた成人式で当初誓いを述べる新成人代表に内定していた女性が前日の打ち合わせ時に親類が作った振り袖を着て臨んだため、教育長は「着物は着ないのが常識」と叱責した。これに対し女性が抗議したが聞き入れてもらえず、女性は成人式を欠席した。このことがマスメディアにより広く報道され、賛否両論の声が出た。加えてこの問題で村の公式掲示板が炎上、掲示板は廃止の憂き目となった。
ワークシェアリング
労働者の各々の労働時間を短縮し雇用数を増やすというワークシェアリングを自治体で導入している。民間への就職先の少ない村で働き手が島外に流出するのを防ぐため、村職員の給与を低く抑えるかわりに雇用を確保している。
2009年2月11日、TBS系列、毎日放送制作『久米宏のテレビってヤツは!?』~テーマ(お金と仕事と人生)の番組で40年近く前からワークシェアリングに取り組んでいる姫島村職員と村民の現況が放送された。
姫島村または姫島を題材とした作品
姫島村出身の有名人
関連項目
脚注
外部リンク
- 大分県・姫島村
- 姫島観光LLP「島の風」 - 観光団体
- ↑ 16回連続・50年以上、村長選が無投票の村 : 地方選 : 選挙 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) 2012年10月31日09時30分 読売新聞
- ↑ ポスター、第一声なく 15回連続無投票の姫島村長選 - 一瀬圭司、西日本新聞朝刊、2008年10月29日
- ↑ 半世紀“無風”の姫島村長選 - 大分合同新聞、2008年10月30日
- ↑ 15年3か月ぶりに議会で議員が質問した村 読売新聞、2012年9月26日
- ↑ 島びと20世紀 第4部 視線は高く(6) - 四国新聞社