慶應義塾高等学校
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テンプレート:Pathnav テンプレート:日本の高等学校 慶應義塾高等学校(けいおうぎじゅくこうとうがっこう、英語名:Keio Senior High School)は、神奈川県横浜市港北区日吉四丁目(旧橘樹郡日吉村)に所在し、中高一貫教育を提供する私立高等学校。慶應義塾普通部または慶應義塾中等部を卒業した者と国立もしくは公立の中学校を卒業し、または私立高等学校を併設しない私立中学校を卒業した者などとの間では、高等学校第1学年から混合してクラスを編成する中高一貫校[1]。
目次
概要
通称塾高(じゅくこう)、慶應高校 日吉。高校野球での校名表記では慶応(原則として新字体を用いることになっているため)である。入学者の半数強が外部受験者で、残りが普通部・中等部からの内部進学者(幼稚舎卒を含む)であり、1学年の人数が700名を越す[2][3]。高校受験における募集枠は一般約330名、推薦40名である。ほぼ全員が大学受験をせずに慶應義塾大学に進学できるため、首都圏屈指の難関校となっている。
また、国会議員(現役)や一部上場企業社長(現役)を務める卒業生の数は、全国の高校で最多である[4]。
沿革
- 1948年 - 旧制の慶應義塾普通部・商工学校を基に慶應義塾第一高等学校・第二高等学校が発足
- 1949年 - 慶應義塾第一高等学校・第二高等学校が統合、慶應義塾高等学校となる。日吉校地に移転。
- 1963年 - 日吉会堂完成
- 1969年 - 『慶應義塾高等学校紀要』を創刊
特色
組織・運営
- 現校長は慶應義塾大学理工学部教授の大谷弘道。
- 慶應義塾の一貫教育校であり、(一部の他大学進学者[5]を除き)一定の成績を修めたほとんどの生徒が、卒業後慶大に推薦入学する。
- 大学を中心とした附属校とは異なり、慶應義塾では大学・高等学校ともに独立した一組織という位置付けとなっている(実際は99%以上の生徒が慶大へ進学しており、一般で言う附属校には変わりない)。
- 高等学校の学生証で大学図書館(メディアセンター)に入館できる。また、大学生協や学生食堂といった大学の他の施設を利用することも可能。
- 六大学野球慶早戦が行われる時、慶早戦が1勝1敗で月曜日以後に持ち越しとなった際には決着が付くまで休講となる(現在はカリキュラム変更に伴い、優勝が懸かった場合のみ休講)など、独自の文化に根ざした運営を行っている。
- 「慶應義塾塾歌」とは別に、高等学校独自の校歌(「慶應義塾高等学校の歌」)が存在する。しかし、その校歌が実際に歌われることは入学式や卒業式などを含めて一切なく、歌詞やメロディーはおろか、その存在すら知らない者もいるとされる。また、野球の試合(県大会や甲子園)で塾高が対戦校に勝利した際は、塾歌が「慶應義塾高校校歌」として歌われる。
- 日吉祭(文化祭)は、来場者数は2日間で1万人を超えることもある。
- 校則がほとんどない。しかし、トイレで同個室に複数人で入ると停学処罰される(喫煙防止が目的:通称「ワンボックス」)など、ユニークな校則もある。
- 医学部の推薦枠は約700人中20人程。
校舎
- 校舎は元々旧制大学予科の校舎で、1934年に竣工した。かながわの建築物100選に指定されており、建て替えや改築が禁止されている。
- 日吉キャンパス内において他の大学施設と一体化しており、高校独自の校門が存在しない。
- 運動場の下には地下壕が現存しており、戦時中には連合艦隊司令部、海上護衛総隊司令部が置かれていた。現在年1回程度、地下壕見学会が行われ、学外者にも公開されている。
- 校舎ギャラリー
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第一校舎概観
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第一校舎
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地下壕入り口
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グラウンド
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日吉会館
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柔道場
教育・学業
- 2008年まで文部科学省指定のスーパーサイエンスハイスクールに指定されていた。
- 2年次より第二外国語を含む多様な選択科目が導入されている。
- 3年次に「卒業研究」(大半の講座は論文形式)が卒業の要件として義務付けられている。
- 各科目を20点満点で評価し、全科目の平均が10点満点で評価され、平均は6.7点前後となっている。6.0未満は進級会議(その生徒の進級か留年かを決める)にかけられることになる。なお、進級の最低ラインは5.5点だとされる。
- 同一学年での滞留は2回までで、それを超えると退学となる。そのため最大で6年間在籍するものもいる。
- 生徒数は約2200人で、各学年のクラス数が18(A組 - R組)にも及ぶマンモス校である。毎年1クラス分の留年者が出る。
- 授業は1日6時限(1時限50分)で週5日制。8:20から授業開始、終了は14:50である。朝は授業前の HR が無い。(木曜日の7限にある)。
- 欠席は授業単位で扱われる。
- 教師が授業を行えないときは「休講」となり、自由時間となる。自習は行われない。その日の最終授業が休講の場合はそのまま帰宅もできる。
- 施設は、天体望遠鏡、プラネタリウム、フーコーの振り子といった設備がある。
学生生活・部活動
- 部活動は体育系、文化系とも数も参加者も多く、野球部・端艇(ボート)部・ラグビー部・映画部クラブが多数ある一方で、高校では珍しい自動車部や、慶應義塾ならではの福澤研究会といった、特色ある部が存在する。その反面、部員ゼロという状態が続く部も少数ながら存在する。
- 演劇部、ESS、楽友会、ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ、マンドリンクラブ等の文化系部活動は、女子高等学校と協同で行っている。活動場所も、部活動によっては三田の女子高等学校校舎を利用している。
- ゴルフ部は同じ日吉内にある慶大の練習場を借りて行っている。
- アメリカンフットボール部が、2005年度全国高等学校アメリカンフットボール選手権大会で22年ぶり3度目の優勝。
- バスケットボール部は1970年のインターハイで準優勝。
- 吹奏楽部が東関東大会金賞。
- マンドリンクラブが、2004年に第34回全国高等学校ギターマンドリンフェスティバルで朝日新聞社賞を受賞。
- ラクロス部は日本で初めてのラクロス部として1985年に発足。現在関東学生(大学生)2部リーグに所属している。
- 弓術部(弓道部)が、平成18年度国民体育大会・少年の部優勝。
- 2007年に、奥山由之を中心とした映画部のメンバーが中心となり、数名で制作されたコメディ作品『ワッショイ!』が、第2回高校生映画コンクール(映画甲子園)において、最優秀作品賞(グランプリ)・中央出版株式会社賞などの賞を獲得し、6冠に輝いた。
- またその翌年、田中博巳を中心とした別の生徒有志によって制作された『第三の眼』が、同大会において最優秀作品賞、最優秀美術賞を獲得した。
- クイズ研究会が2013年の第33回全国高等学校クイズ選手権優勝。全国高等学校野球選手権大会と全国高等学校クイズ選手権大会を制した学校は、静岡県立静岡高等学校,愛媛県立西条高等学校に次いで3校目となる(私立高校では初)。
- 全校的学外活動としては、一般の修学旅行に当たる選択旅行や、1年次の親睦旅行がある。
硬式野球部
- 起源は1888年創部の三田ベースボール倶楽部。1948年の高等学校開設とともに高等学校野球部となり、現在に至る。
- 1916年の第2回全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園)に慶應義塾普通部として出場し、優勝している。
- 2005年、45年ぶりに第77回選抜高等学校野球大会に出場。ベスト8へ進出。主力はスポーツ推薦組である。
- 2008年には第80回選抜高等学校野球大会に3年ぶり7回目の出場。また、第90回全国高等学校野球選手権記念大会の際には、北神奈川大会の決勝戦で東海大相模を破り、46年ぶり17回目の出場。南神奈川代表の横浜高校と共に春夏連続出場を果たし、ベスト8に進出する成績を挙げた。さらに、同年の秋季神奈川県大会で優勝、その後に続く関東大会でも千葉県の習志野高校を破り、優勝している。また、その後の第39回明治神宮大会・高校の部でも奈良の天理高校を破り優勝。
- 2009年、第81回選抜高等学校野球大会に出場。
- 部訓は「エンジョイ・ベースボール」。自由かつ伸び伸びと野球を楽しむことを日頃から重視している。坊主頭でない部員も多い。
塾高がモデルになった作品
- 石原慎太郎の小説『太陽の季節』 - 著者の弟・裕次郎の塾高における日常をモデルに書かれた作品。
- 松本隆の小説『微熱少年』 - 東急東横線沿線にある「小高い丘の上」の大学の附属高校が舞台になっている (p.79 - 80)。その一節より、「学生服のボタンを見ただけで、初対面の女の子たちの応対が変わるのが厭だった。彼女達の評価してるのは、自分の服で、中身でないような気がした」(p.80)。
高校関係者一覧
脚注および参照
- ↑ 慶應義塾高校の学校情報(高校受験パスナビ)(旺文社)の「ワンポイント情報」の冒頭による。
- ↑ 慶應義塾普通部(中学受験スタディ)の「基本情報」によれば、慶應義塾普通部を卒業した者の90%が慶應義塾高等学校に進学し、2008年度の慶應義塾高等学校の第1学年の生徒の内訳は、慶應義塾普通部又は慶應義塾中等部を卒業した者は375人、国公立中学校又は私立高等学校を併設しない私立中学校を卒業した者などは343人である。
- ↑ 慶應義塾中等部(中学受験スタディ)の「基本情報」によれば、慶應義塾中等部を卒業した者のうち141人が慶應義塾高等学校に入学した。
- ↑ 『読売ウィークリー』2005年2月27日号
- ↑ 慶應義塾高校の進学状況(高校受験スタディ)を参照。芸術大学、歯学部のある大学等に進学する者も一部存在する。島田裕巳によれば、慶大には歯学部がないにも関わらず「歯学三田会」が存在するのは、高山紀齋や血脇守之助などが慶應義塾出身であることと無縁ではない。島田裕巳著『慶應三田会 組織とその全貌』(三修社、2007年)を参照。
関連項目
外部リンク
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