吊り掛け駆動方式
吊り掛け駆動方式(つりかけくどうほうしき)は、電車・電気機関車等の電気車において、モーターから輪軸に動力を伝達する(モーターを台車に装架する)方式の一種。手法としては単純で、すでに古典的な方式である。
釣り掛け、吊掛、釣掛とも表記するが、絶対的な統一表記はない。英語では「nose-suspension drive」。
日本では、電車の駆動方式としてはカルダン駆動方式に取って代わられ、現存例は多くないが、電気機関車の駆動方式としては21世紀初頭現在でも広く使われている。
目次
基本構成
テンプレート:Sound モーターは車軸と平行に配置され、モーター軸の小歯車(平ギア)から車軸の大歯車を駆動する。このとき揺動する台車の中で、どのようにモーターを配置すれば、双方のギアの噛み合わせが変わらないで済むかという問題があるが、モーター自体を、輪軸を中心とする円周上で動くように、即ちモーター軸と輪軸の距離を一定にするように設置するのが、本方式のポイントである。
モーターの車軸側には軸受が設けられており、この軸受部分を輪軸に乗せる。輪軸と軸受の間にはアクスルメタルと呼ばれる金属(平軸受に相当)、場合により転がり軸受を挟む。モーターは輪軸との位置関係がアクスルメタルにより円周上を動くだけなので、相対的な距離は一定である。輪軸と反対側の部分は台車枠に取り付ける。この取り付け部分の支持方式はノーズ・サスペンション方式とバー・サスペンション方式の2種類がある。
ノーズ・サスペンション方式とは、モーターの片端に設けられた突起(ノーズ)を台車枠に固定する方式である。台車枠とノーズの間にはバネや防振ゴムを挟み、車軸の偏倚に対応する。大型の鉄道車両に多く用いられている。
バー・サスペンション方式はモーターの片端に棒状の部品(バー)を付け、このバーを台車枠に固定する方式である。台車枠とバーの間にはバネを挟む。軸距の短い台車の場合に有利である。主に路面電車、軽便鉄道で多く用いられたほか、江ノ島電鉄、箱根登山鉄道など比較的小型な車両を使う鉄道で使用されたが、大型電車では少数派である[1]。
どちらの方式でも、モーターは輪軸と台車枠の間に橋渡しされた状態、すなわち輪軸と台車枠に吊り掛けられた形になる。「吊り掛け」の呼称は、ここから来ている。
長所・短所
長所
- 構造が非常に簡単である。
- 製造コストが安い。
- 大型モーターにも対応しやすい。
- 最小限の構成であるため、スペースに制限のある狭軌鉄道でも使用しやすい。
短所
- モーター重量の約半分がアクスルメタルを介して輪軸に直接かかる。したがってばね下重量が重くなることで、線路への衝撃により軌道破壊を起こす程度が高くなり、逆に線路からの台車・車体やモーター自体への衝撃も激しい。このためとくに線路条件が不備な場合、高速運転にはデメリットがある[2]。乗客にとっては乗り心地も悪くなる。
- 吊り掛け駆動用モーターは、衝撃に耐えるため、頑丈に作らざるを得ない。結果として重量や、ばね下重量も増加してますます衝撃が強まる。
- アクスルメタルや歯車などが、大トルクによる負荷や、大きな重量による衝撃のために消耗しやすく、又、ギアボックスを密閉できないため、メンテナンス上の配慮を要する。メンテナンスサイクルもカルダン駆動方式に比して短い。ただしトータルランニングコストに関しては、軌間や軌道の状態によっては必ずしもカルダン方式が優位とはいえない場合もある。
- アクスルメタル磨耗により噛み合わせの精度が低下することから、歯車の強度維持のため歯を大きくすることとなり、小歯車を小径にして減速比を大きくとることが難しく、モーターの高回転化は困難である[3]。このため低回転・大トルク型のモーターを用いることになり、モーター自体大きくなりやすい。また、歯面同士の打音は大きくなりがちで、力行や電気制動といった負荷がかかる際には吊り掛け式特有の激しい騒音を発し、惰行時においても打音の発生がある。
これらの問題点は近年改善が進んでいる。輪軸架装ベアリングにおいてはプレーンメタルに代わってローラーベアリングが導入されるようになり、アクスルメタルやノーズがゴム緩衝されたり、歯車においても材質、焼入れ、歯の形や角度、バックラッシュの最適化等が為されている。この結果、摩耗・消耗・騒音の抑制が図られるようになっているが、バネ下重量が大きくなる構造という根本的な制約を克服するまでには至っていない。
但し、日本とは異なり許容軸重の大きなヨーロッパ諸国や南アフリカなどではばね下質量の増加に対して線路に余裕がありこのことが欠点とはならない場合もある。アクスルローラー方式の場合歯車中心間距離も正しく保たれしかも円すいころ軸受を用いればスラスト荷重も負担できるため歯車にかみ合い率の良いヘリカルギヤを用いることができるため、騒音などは日本の吊り掛け式とは全くイメージの異なる洗練されたものとなっている。
歴史
エジソン研究所出身のアメリカ人発明家フランク・ジュリアン・スプレーグ(Frank Julian Sprague、1857年 - 1934年)が、1887年に架空電車線方式と共に考案、バージニア州リッチモンドに路面電車を運転開始したのが最初。このため「スプレーグ方式」と呼ばれることもある。
簡潔なシステムで当時においては信頼性が高かったことから短期間で世界中に普及したが、発祥国のアメリカでは1930年代に世界の先陣を切ってPCCカー等の高性能電車が開発されたことに加え、1940 - 1950年代にニューヨーク等の地下鉄電車を除いて高速電車そのものが衰退し、路面電車の一部や動態保存車を除けば殆ど存在しない。
だが21世紀初頭においても、ヨーロッパを中心に電車の駆動方式の主流を吊り掛け駆動方式が担う国が多く存在する。代表例としてはイギリス、オランダ、ベルギー、デンマーク、オーストリア等で、主に都市近郊電車を中心として存在している。このほか、日本同様の1067mm軌間で規格も近似する台湾でも、特急「自強号」用電車を筆頭に吊り掛け駆動方式電車が多数在籍する。
但し、1980 - 1990年代前半位まで吊り掛け駆動方式を採用したケースもあるこれらの諸国でも、新車はVVVFインバータ制御へのシフトと共に駆動方式も改められており、同方式が過去のものになりつつあることに変わりは無い。また、中にはイギリス国鉄323系電車のようなVVVFインバータ制御と吊り掛け駆動方式を併用した車両も存在する。
ドイツでは電気機関車、電車共に中空軸可撓吊り掛け駆動方式が主流である。
日本での歴史
1890年には早くも吊り掛け駆動のスプレーグ式路面電車が日本に持ち込まれ、東京・上野公園で行われた第2回内国勧業博覧会に出品されている。1895年に登場した日本初の電車(京都電気鉄道、のちの京都市電)もこの方式であり、以後電車・電気機関車におけるほとんど唯一の駆動方式として広く普及する。
当初は吊り掛け式モーターはアメリカやイギリスからの輸入に頼っていたが、第一次世界大戦による輸入途絶を機に1917年以降国産化が進められ、1920年代中期にはライセンス生産ではあるがほぼ国産化に成功する。1927年には電車用150kW形、1928年には電気機関車用225kW形を国産開発するに至る。
しかし、吊り掛け駆動方式は前述のような欠点から、電車の性能向上の制約にもなった。
電車分野での衰退
1930年代以降、高速化に有利なばね下重量の軽減に早くから積極的であった欧米の電気車ではカルダン駆動方式が実用化され、1950年代以降は日本の電車にも導入されるようになった。
特に、輸送力増強を迫られた大手私鉄がその対策として即効性のある「電車の性能向上」に取り組んだことが日本でのカルダン駆動方式の普及につながっている。1951年頃からカルダン駆動方式の試験が開始され、1953年にまず京阪電気鉄道と帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)がカルダン駆動方式の新車を製造、続いてその他の大手私鉄各社も順次カルダン駆動を採用していった。また国鉄も長距離優等列車に電車を利用する見地から1958年以降は高速走行性能や乗り心地、騒音を改善できるカルダン駆動方式にシフトした。
1960年代後半以降、吊り掛け駆動の電車は一部の特殊例を除いて新規製造されなくなる。その後も一部私鉄[4]が構造の簡便さや特殊な規格に起因する架装スペースの都合から採用を続けた例はあるが、これらも1980年代にはカルダン駆動に移行し現在では吊り掛け式を新規採用する鉄道会社は皆無となった。
- 懸架方式を問わず、1067mm普通鉄道最後の吊り掛け方式の完全新造電車は1983年製造の江ノ電1200形である。
- 762mm軌間の普通鉄道最後の完全新造の吊り掛け電車は1990年製造の三岐鉄道北勢線277形(近鉄時代の製造)である。
- 所属する電車がすべて吊り掛け駆動となっている日本の鉄軌道事業者は、2014年時点では筑豊電気鉄道が唯一の存在である。
- また3000形は近年川崎重工製の台車に交換されているが、駆動装置は吊り掛け駆動のままである。そのため台車新造としては最後の旅客用電車である。
- 2008年現在、JRにおける吊り掛け式電車は、事業用等を含めて全て運用を終了している。大手私鉄においても名鉄瀬戸線で使用されていた車体更新車(6750系)が2011年4月に全廃となり、特殊狭軌線(762mm軌間)ゆえにカルダン駆動車の投入が難しい、近鉄の内部・八王子線の260系が残るのみとなっている[5]。
車体更新車
旧形電車において、走り装置は比較的頑丈に設計・製造されており、車体に比べると寿命が長い。古くからコストダウンのためにこれらの走行装置を流用し車体を新製した「車体更新車」が製造されてきた。
吊り掛け駆動の旧形車から走行装置を流用した「車体更新車」は1970年代以降も一部の私鉄が製造を続けており、1980年代以降に至っても東武鉄道や名古屋鉄道等で製造された例がある。
しかし1980年代中期、VVVFインバータ制御が実用化され、頻繁な給脂や職人技的調整を要するプレーンメタルはおろか、ブラシすらも持たない交流誘導電動機を使用することが可能になったことで、カルダン駆動方式の導入だけでは成しえなかった保守点検の簡便化が実現し、性能面や居住性でも飛躍的な改善がなされた。インバータ制御車は1990年代に入ると大手私鉄で急速に普及した。
この結果、大手私鉄の吊り掛け駆動の車体更新車は性能・整備性ともに完全な新車に比べて大きく見劣りするようになり、運用の場を狭められ、廃車が進んでいる。
また地方私鉄でも、他社のカルダン駆動方式中古車や中古部品を譲り受け吊り掛け駆動方式を廃絶した事業者が多くなっている。
路面電車
路面電車は高速走行を必要とせず、構造簡便で、かつ輪軸外側に主電動機を吊り掛けることで台車軸距を極限まで短縮できることから、後年まで吊り掛け式が多く採用された。
現在の日本の路面電車事業者の多くは経営基盤が脆弱で、新車投入に際してもコストを抑制する必要があったことから、近年に至っても車両新造の際に旧式な吊り掛け駆動車から機器流用する車体更新車が主力を占めていた。そのため、軽快電車形の近代的な車体でありながら、吊り掛け駆動の動力を持った車体更新車が主力を占めている路線も少なくない(岡山電気軌道、長崎電気軌道、都電荒川線など)。
だがVVVFインバータ制御の実用化、低コスト化に加え、現在では各地で超低床路面電車の導入が少しずつ進められ、引き替えに吊り掛け車の廃車も進められている。路面電車型の低床車を使用する事業者には、現在なお吊り掛け車を主流とする例もいくつかあるが、そのような事業者も吊り掛け車の完全新規製造は行っていない。
- 路面電車における最新の吊り掛け駆動車は、2012年製の鹿児島市交通局100形電車 (2代)である。また2002年製の函館市交通局8100形電車は、日本で唯一の吊り掛け駆動式超低床車である。いずれも完全新造ではなく、廃車となった旧型車両の機器類を転用した車体更新車である。
- 日本の路面電車事業者の大部分は吊り掛け駆動車を主力として所有している。吊り掛け駆動車の運用が無い路面電車路線は、東急世田谷線、富山ライトレール、京阪大津線、福井鉄道のみである。
電気機関車
一方、日本の電気機関車では、21世紀の現在に至るまで吊り掛け式が主流の駆動方式である。
一部の特殊な機関車では中空軸可撓吊り掛け駆動方式(EF66形)、カルダン駆動(EF80形等)や、それに近い「クイル式」(EF60形等)や「リンク式」(EF200形等)と呼ばれる方式を採用した少数例もあるものの、狭軌鉄道において大出力モーターを使用する場合には、信頼性において単純な構造の吊り掛け式に一日の長があり、現在でも広く用いられている。
JR貨物における最新型の電気機関車では、一基で500kWを越える大出力吊り掛けモーターが使用されている。
脚注
- ↑ 電車にバー・サスペンションの主電動機を採用した青梅電気鉄道(現・JR青梅線)は、1944年の国有化に際し電動車全車の電装が解除されたが、これはノーズ式が標準の国有鉄道とは規格が相違して、部品供給やメンテナンスに難があったためである
- ↑ 実際には吊り掛け駆動方式による高速運転が絶対不可能というわけではない。ヨーロッパでは160km/h程度の高速巡航能力を持つ吊り掛け駆動電車が用いられており、日本国有鉄道の試験電車クモヤ93形000号は、吊り掛け駆動車ながら1960年に当時の狭軌鉄道速度記録・175km/hを樹立している。ただし、それらの前提となるのは軌道整備が強固なことであり、カルダン駆動方式に比して不利であることは否めない。クモヤ93での速度試験に際して東海道本線の試験区間では、PC枕木採用など、のちに新幹線にも使用された技術による高規格改良を施していた。
- ↑ RP 824 p.49.
- ↑ 遠州鉄道、江ノ島電鉄、近鉄特殊狭軌線、下津井電鉄や各地の路面電車など。
- ↑ ただし特殊狭軌線でもカルダン駆動が導入されたことがある。現在三岐鉄道北勢線に在籍する200系は製造時に垂直カルダン駆動方式を導入していたが構造の複雑さから電装解除されている。この他にも車体装架カルダン駆動方式も存在した。
参考文献
- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2009年10月号 No.824 特集 吊掛電車 (同誌は必要に応じ、注において略号RPと通巻、頁で指示する。)
- 真鍋裕司「駆動装置のメカニズム」p.48-55.