北米自由貿易協定

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テンプレート:翻訳中途 テンプレート:Multiple issues テンプレート:Infobox organization 北米自由貿易協定(ほくべいじゆうぼうえききょうてい、英語:North American Free Trade Agreement、頭字語:NAFTA)は、カナダメキシコアメリカ合衆国によって署名され、北アメリカにおいて3か国による貿易圏を生み出した自由貿易協定である。1992年12月17日署名され、1994年1月1日に発効した。それはアメリカとカナダ間の米加自由貿易協定の後継であり、NAFTAには、環境問題に関する補完協定(North American Agreement on Environmental Cooperation、略称NAAEC)と労働問題に関する補完協定(North American Agreement on Labor Cooperation、略称NAALC)という付随する2つの補完協定がある。

名称

参加している各国の公用語による名称は以下の通り。英称の頭字語 "NAFTA"(テンプレート:IPA-en, ナフタ)が日本語でもしばしば用いられる。

概要

域内の人口は約4億5751万人(アメリカ約3億1085万人、カナダ約3433万人、メキシコ約1億1232万人、すべて2010年)、GDPは約17兆1,918億ドル(うちアメリカが約14兆6,241億ドル、2010年)に達する。(欧州連合2010年現在27か国、域内人口は約5億0210万人、GDPは約16兆1,068億ドル)

NAFTA成立以降、域内の貿易は拡大し、特にメキシコではマキラドーラが成長しアメリカとの国境地帯の所得はNAFTA発効後の10年間で15.5%増加した[1]。逆にアメリカでは職がメキシコに流出したとして批判された。アメリカの域内での貿易赤字は2010年で約7.5兆円で、これはアメリカの総貿易赤字の26.8%にあたる。

交渉の段階では農業の分野が特にメキシコで懸念されたが、1994年から2001年の間にメキシコの農産物の輸出は9.4%増加したのに対し農産物の輸入の増加は6.9%だけであった[2]

他の経済圏などとの比較

国数 地域・国名 人口
(億人)
GDP
(兆USドル
一人当りGDP
(USドル)
3 北米自由貿易協定 (NAFTA) 4.57 17.19 37,574
27 欧州連合 (EU) 5.02 16.10 32,076
10 東南アジア諸国連合 (ASEAN) 5.88 1.80 3,058
1 中華人民共和国 13.41 5.74 4,284
1 日本 1.27 5.39 42,318
1 ブラジル 1.90 2.02 10,609
1 ロシア 1.41 1.47 10,406
1 インド 11.91 1.43 1,200
1 オーストラリア 0.22 1.21 54,087
  • 値は2010年時点のもの。GDPは変動為替ベース。

交渉とアメリカの批准

3か国による外交交渉は1986年までさかのぼり、1992年12月17日、テキサス州サンアントニオで首脳会談が行われ、NAFTAは署名された。アメリカのジョージ・H・W・ブッシュ大統領、カナダのブライアン・マルルーニー首相とメキシコのカルロス・サリナス大統領は皆、協定の推進の先頭に立ち、正式に協定に署名する際の責任を負った。署名された協定はその後、立法府または議会による批准を必要としていた。

交渉が妥結する前にアメリカではビル・クリントンが大統領に、カナダではキム・キャンベルが首相に就任し、さらに協定が施行される前にカナダでは、ジャン・クレティエンが首相に就任した。

提案されたカナダとアメリカ間の自由貿易協定はカナダにおいて激しい論争が行われ国論が二分し、1988年のカナダの総選挙の焦点はほとんどすべてこの問題に関するものだった。選挙で多くのカナダの有権者は自由貿易協定に反対する政党(自由党新民主党)に投票したが、議会において自由貿易協定に賛成する進歩保守党がさらに多くの議席を獲得したため分裂状態に陥った。マルルーニーと進歩保守党は議会の多数を占めたため、米加FTAとNAFTAに批准する法案を簡単に可決することができた。しかしながら、彼は保守党の党首と首相の座をキム・キャンベルに明け渡した。キャンベルと進歩保守党は、1993年の総選挙をNAFTAの再交渉または破棄を唱えるジャン・クレティエンが率いる自由党を相手に戦った。しかしながら、クレティエンはその後2つの付随する協定について新しいアメリカの大統領と交渉した。アメリカでは、任期終了を間近に控えたブッシュが署名のために「速いトラック」のように活動したが、批准の要求にこたえ、協定を施行することには間に合わず、後任のビル・クリントン大統領に任せることになった。上院に送る前に先立ち、クリントンはアメリカの労働者を保護し、多くの下院議員が抱いていた懸念を和らげるための条項を挿入した。それはまた、アメリカのパートナーからもそれ自体と似た環境問題に関する手続と規制が求められていた。

多くの時間を費やした検討と感情的な議論の末、1993年11月17日、下院はNAFTAに批准した。協定を支持したのは132人の共和党議員と102人の民主党議員だった。NAFTAは上院も通過した。上院での支持者は32人の共和党議員と27人の民主党議員だった。1993年12月8日、クリントンは協定に署名した。それが発効したのは1994年1月1日だった。[3][4]クリントンはNAFTAの法案に署名した際、「NAFTAは雇用を生み出す。アメリカ人の雇用、それも給料のいいアメリカの雇用を。もしそう信じていなかったら、私はこの協定を支持しなかった」と述べた。[5] テンプレート:Expand section テンプレート:Side box

条項

NAFTAの目標は、アメリカ、カナダとメキシコ間で貿易と投資を行う際の障壁をなくすことだった。NAFTAの発効は1994年1月1日で、メキシコからアメリカへの輸出の半分以上とアメリカからメキシコへの輸出の3分の1以上の品目の関税が即時に撤廃された。協定の発効から10年以内に、アメリカからメキシコへの輸出の農産物の一部(15年以内に段階的に撤廃することになっていた)を除く、アメリカとメキシコのすべての関税は撤廃されることになった。 アメリカとカナダの間の貿易は既にほとんどの関税が撤廃されていた。NAFTAは非関税障壁の撤廃と製品の知的財産権の保護も模索していた。

知的財産権の分野では北米自由貿易協定施行法(North American Free Trade Agreement Implementation Act) によってアメリカの著作権法は一部が改正され、パブリック・ドメインの状態になった映画に関するNAFTA域内での著作権の概念の変更は1994年のウルグアイ・ラウンド協定法の伏線となった[6]

メカニズム

第52章は国家間の紛争の解決のための手続についてNAFTAが適用する解釈を示している。それは米加自由貿易協定の第69章をモデルにしていた。[7]

NAFTAの影響は、肯定的なものも否定的なものも含め、経済学者によって定量化され、世界銀行が発行した「ラテンアメリカとカリブ海諸国のためのNAFTAの教訓、Lessons from NAFTA for Latin America and the Caribbean」、[8]「NAFTAが最初の10年間に北米に与えた影響、NAFTA's Impact on North America The First Decade[9]や国際経済問題研究所が発行した「NAFTA再考、NAFTA Revisited[10]などの発行物において報告されている。ある者テンプレート:Whoは貧困率の低下と実質的な収入の上昇(物価の下落、特に食品)などによって、1994年から1995年にかけての経済危機の後であるにもかかわらず、NAFTAはメキシコに好影響を与えたと主張している。[11]他の者テンプレート:WhoはNAFTAは3か国のすべてにおいて企業家やエリートには利益をもたらしたが、メキシコの農家はアメリカのアグリビジネスによる安い輸入農産物によって被害を蒙り、またアメリカの製造業に従事する労働者も職を失ったと主張している。批評家たちはまた、NAFTAによってアメリカとメキシコ両国において格差が拡大したと主張している。一部の経済学者はNAFTAは経済的な収斂と、貧困率を削減するためには十分ではなかった(あるいはあまりにも早すぎた)と信じている。[12]ある者はメキシコが協定から十分に利益を得るためにはもっと教育に投資し、インフラストラクチャー農業を改革しなければならないと提言している。

貿易

協定は自由貿易の扉を開き、様々な財やサービスに課せられていた関税を撤廃し、カナダ、アメリカとメキシコで同様に発効した。NAFTAは卵、トウモロコシや肉などの農産物に課せられていた関税を撤廃した。このことは北米規模で企業の貿易活動と様々な財の輸入と輸出を自由にした。NAFTAの施行によって、当該国は次のようなことを行うことができるようになった。

輸出

2010年のアメリカの輸出はカナダ向けが2482億ドル、メキシコ向けが1633億ドルで、アメリカの輸出の1位と2位を両国が占めた。

2010年におけるアメリカ製品のNAFTAへの輸出は4115億ドルで、2009年と比較して23.4%(780億ドル)、1994年(ウルグアイラウンドの前年)と比較して149%増加し、1993年(NAFTA発効の前年)と比較すると190%増加した。2010年のアメリカからNAFTAへの輸出は全体の32.2%だった。

2010年の輸出を多い順からカテゴリー別でみると、機械(633億ドル)、自動車部品(567億ドル)、電機機器(562億ドル)、燃料と石油(267億ドル)とプラスチック(226億ドル)だった。

2010年のアメリカからNAFTAへの農業製品の輸出は総額で314億ドルだった。最も多かったのは生や冷凍の赤身の肉(27億ドル)で、次いで穀物(22億ドル)、ナッツ類を除く生鮮食料品(18億ドル)、生鮮野菜(17億ドル)だった。

2009年のアメリカの軍事と政府を除く、NAFTAへの民間の商業サービスの輸出(利用可能な最新のデータ)は638億ドルで、2008年と比較して7%(46億ドル)の減少だったが、1994年と比較すると125%の増加だった。

輸入

2010年のアメリカの輸入はカナダからが2765億ドル、メキシコからが2297億ドルで、アメリカの輸入の2位と3位を占めた。

2010年のアメリカのNAFTAからの輸入は総額5061億ドルで、2009年と比較して25.6%の増加、1994年からは184%の増加、1993年からは235%の増加だった。2010年のアメリカのNAFTAからの輸入は全体の26.5%を占めた。

2010年の輸入で多い順に上位5つをカテゴリー別でみると、鉱物性燃料と石油 (原油)(1162億ドル)、自動車(863億ドル)、電機機器(618億ドル)、機械(512億ドル)と宝石類(金)1390億ドルの順だった。

2010年、アメリカのNAFTAからの農業製品の輸入は総額で298億ドルだった。カテゴリー別にみると多いほうから、生鮮野菜(46億ドル)、チョコレートを含むスナック食品(40億ドル)、バナナを除く生鮮果物(24億ドル)、動物(20億ドル)と生、冷凍の赤身肉(20億ドル)の順だった。

2009年のアメリカの軍事および政府以外の民間の商業サービスの輸入(利用可能な最も新しいデータ)は355億ドルで2008年の45億ドルと比較すると11.2%の減少だったが、1994年と比較すると100%の増加だった。

貿易の均衡

2010年、アメリカのNAFTAとの財貿易は946億ドルの赤字であり、2009年と比較して36.4%(250億ドル)増加した。

2010年、アメリカのNAFTAとの財貿易の赤字は財貿易赤字全体の26.8%だった。

2009年(利用可能な最新のデータ)、アメリカはNAFTAとのサービスの貿易では283億ドルの黒字を記録した。

投資

2009年の(利用可能な最新のデータ)、アメリカのNAFTAへの対外直接投資(FDI)は3577億ドルで、2008年と比較して8.8%増加した。

アメリカのNAFTAへの直接投資は非銀行系持株会社企業でかつ製造業、金融・保険業、鉱業に限られていた。

2009年(利用可能な最新のデータ)のカナダとメキシコのアメリカに対する対外直接投資は2372億ドルで、2008年と比較して16.5%の増加だった。[13][14][15]

産業

マキラドーラ(輸入した原材料を加工して輸出するメキシコの工場)はメキシコの貿易のランドマークになった。これらの工場はアメリカからこの地域に移ってきたものであり、アメリカの失業の原因として議論になった。ハフバウアーの2005年の本はマキラドーラが1994年のNAFTAの発効から15.5%増加したことを示している。他の部門は現在、自由貿易協定から利益を得ており、ここ5年で国境を接していない国からの輸出の割合は増加したのに対し、マキラドーラからの輸出は減少している。このことはトルーカレオンプエブラなど国境を接していない地域の素早い成長を可能にし、三つの都市はティフアナシウダー・フアレスレイノサの人口を上回った。

環境

テンプレート:Details NAFTAが環境に与える影響について、アメリカ議会の承認を得るためには国民の懸念を払拭しなければならなかった。クリントン政権はカナダ、メキシコと協定について交渉し、1994年の環境協力委員会(Commission for Environmental Cooperation、略称CEC)の設立につながった環境問題に関する補完協定(NAAEC)を締結した。1つの開発途上国と2つの先進国の間で締結された初めての地域的な貿易協定であるNAFTAが環境に与える影響に対する懸念を緩和するため、CECはNAFTAの事後環境アセスメントを行う権限を委託され、現在も続けている。[16]

この委託に応えるため、事後に作られた環境アセスメントのための枠組みのひとつとして、CECはNAFTAが環境に与える影響を分析する枠組み作りを主導した。枠組みはNAFTAが3か国間で行われる環境への規制が「底辺への競争」を生み出すのではないかという懸念や、NFATAが環境保護メカニズムを強化するために政府への圧力をかけるのではないかという期待から、NAFTAと環境に関する当初の仮説に対して重点的で系統的な論拠を作り出すために設計された。[17]NAFTAが環境に与える影響について評価するため、CECはこの枠組みを利用して4つのシンポジウムを開催し、この問題について47枚からなる報告書をまとめた。CECの透明性と市民の関与に関する全体の戦略を維持しながら、CECは指導的な独立した専門家によるこれらの報告書をまとめた。[18]

結局のところ、当初の仮説で確認できたものは何もなかった。テンプレート:Citation neededNAFTAは本質的に、第11章のISDS条項の潜在的脅威を除けば、当初恐れられていたような北米の環境にとって全体的な脅威となるものではなかった。NAFTAが惹き起こす環境的な脅威の代わりに、自由貿易化の流れのもとで、特定の地域の政府が異なる環境政策、インフラストラクチャー整備やメカニズムを採用することによって生産の規模が増大することは予想されていなかった。テンプレート:Citation needed自由貿易が始まろうとしているなか、いくつかのケースで環境政策は無視されていた。他のケースでは、NAFTAが用意する第11章のような投資家の保護の方法や非関税障壁に対する方法は環境政策にとってより激しい脅威となっていた。[19]NAFTAによる最も深刻な汚染は卑金属部門、メキシコの石油部門とアメリカとメキシコにおける輸送機器部門で見つかったが、カナダでは見つからなかった。[20]

農業

交渉の最も早い段階から、農業はNAFTAのなかで論争となった議題であり、今でもそうである。それは世界貿易機関の枠組み内で署名されたほとんどすべての自由貿易協定がそうであった。農業は3か国で交渉されなかった唯一の部門であり、そのかわりに、各国はそれぞれの間で個別の協定を署名した。カナダとアメリカ間の協定には農作物(主に砂糖乳製品家禽類)に対する厳しい規制と輸入制限のための関税が含まれていたのに対して、メキシコとアメリカとの協定には過渡的な期間を設けた枠組みのなかで、広範囲にわたる自由化が行われた。(それは南北間の農業に関するFTAで締結された初めてのものだった)。

メキシコとアメリカ間の農業の協定が与える総合的な影響は論争になった議題だった。メキシコは鉄道や高速道路など、競争のために必要なインフラストラクチャー整備のための投資を行わず、そのため貧しい者が生き残ることはより難しくなった。1994年から2001年にかけて、メキシコの農産物の輸出は平均して年率9.4%増加したのに対して、輸入は6.9%の増加にとどまった。[21]

農業で最も影響を受けたのは、食肉部門だった。アメリカの輸出市場において、メキシコは小さなキープレイヤーから抜け出し、2004年には、アメリカの農産物の第2位の輸入国になったが、NAFTAはこの変化の促進に貢献したのかもしれない。自由貿易は両国間のビジネス上の障害を取り除くことを可能にした。その結果、メキシコの農家はアメリカの食肉市場の成長に貢献し、アメリカの食肉産業の売り上げと利益の拡大に最も貢献した。このことはメキシコの1人当たりのGDPの増加と食肉の消費パターンの大きな変化とメキシコ人が今やより多くの食肉を購入する余裕を持つことを同時に可能にし、こうして1人当たりの食肉の消費は増加した。[22]

メキシコにおけるトウモロコシの生産はNAFTAの施行以降増加した。しかしながら、国際的なトウモロコシの需要がメキシコの供給量よりも増大したため輸入が必要となり、メキシコが当初交渉していた分担分を大きく上回ってしまった。[23]ザーナイザーとコイルはメキシコにおけるトウモロコシの価格は国際価格により調整されて劇的に安くなったが、ビセンテ・フォックス元大統領が開始した補助金制度の拡充により、生産は2000年以降安定していると指摘した。[24]

物価の下落が招いた論理的帰結の結果は、さらなる物価の下落の傾向を加速した。そのため、メキシコで高い付加価値を持つ製品を作っていた多くの地方の人々は移住してしまった。エタノール燃料の需要増加によるトウモロコシ価格の上昇はメキシコのトウモロコシ農家の状況を改善するかもしれない。テンプレート:Citation needed

2008年8月にアメリカン・ジャーナル・オブ・アグリカルチュラル・エコノミクスに掲載された研究によると、NAFTAはこの増加のほとんどが批准の10年後に起こったとはいえ、アメリカの農産物のメキシコとカナダへの輸出を増加させたという。NAFTAを含む地域的な貿易協定の段階的な「導入」の期間内の影響に焦点を当てた研究によれば、貿易量は増加した。3か国の農業の貿易の増加した理由のほとんどは、世界貿易機関の権限のもとで行われた最近のものに限っていえば、NAFTAや他の地域的な貿易協定以前にあった非常に高い貿易の障壁の除去によるものだった。[25]

人材の流動性

2006年度の国土安全保障省による移民統計(2005年10月から2006年9月まで)によれば、NAFTAのもと、73880人の外国人専門家(64633人のカナダ人と9247人のメキシコ人)がアメリカへの一時入国を許可(つまり、TN status、Trade NAFTA statusの状態にある)された。さらに、彼らの家族17321人(13136人のカナダ人、2904人のメキシコ人とカナダ人やメキシコ人と結婚した第三国人の合計)が条約が定める国家の規定(TD status、treaty national's dependent status)により、アメリカに入国した。[26]国土安全保障省は新設されたI-94の記録を国境でとっており、TN-1の許可申請にはは3年かかるため、アメリカで今年度末にTN statusの状態にある非移民の数は、認可が下りた数とおよそ同数である(数字が食い違っているのは、一部のTN入国者が出国したか、3年が経過する前の期限切れによるステータスの変更、以前に移住の許可を認められた移民のTNまたはTDへのステータスの変更、または以前にTNステータスが与えられていた者が期間の延長が認められたことが原因かもしれない)。

カナダの当局は2006年12月1日の時点で、合計24830人のアメリカ人と15219人のメキシコ人が「外国人労働者」としてカナダ国内にいると予想している。これらの数字にはNAFTAの協定による入国者とカナダの移民法の他の条項による入国者の双方が含まれる。[27]2006年、新しい外国人労働者の入国は16841人(アメリカ人)と13933人(メキシコ人)だった。[28]

批判と論争

カナダでの紛争

テンプレート:Update

ファイル:Eatons Factory Interior.jpg
1901年、トロントの衣服工場でスーツを縫製する労働者たち。

カナダでは、もし何かが一度でも日用品として売られてしまうと、将来政府が止めることができないのではないかという条項に対する大きな懸念があった。[29]カナダの湖や川から採取された水に対してこのようなことが行われてしまうと、カナダの生態系と給水を破壊する可能性を秘めているのではないかという不安を増幅した。

1999年、カリフォルニア州サンタ・バーバラ郊外のサン・ベルト・ウォーター社(Sun Belt Water)はNAFTAの第11章を利用し、カナダ政府によるタンカーを利用した大規模な水の輸出の規制によってサン・ベルト社の企業活動が妨害されたとして1億500万ドルを請求した。水に関する規制を改正しようとする主張はカナダ政府に衝撃を与えたが、未解決のままである。

NAFTAが与えるその他の懸念はカナダの立法作業に影響を与えてきた。1996年、ガソリンの添加剤であるメチルシクロペンタジエニルトリカルボニルマンガン(Methylcyclopentadienyl Manganese Tricarbonyl、MMT)がアメリカの企業によってカナダに持ち込まれた。そのとき、カナダの連邦政府は添加剤の輸入を禁止していた。アメリカの企業は国内貿易協定(Agreement on Internal Trade、AIT)のもと、NAFTAの第11章を利用してカナダ政府と自治体に2億100万ドル[30]を請求する訴訟を起こそうとした。アメリカの企業は添加剤はいかなる健康危険とも関連性がないと主張し、規制は企業活動に打撃を与えていると主張した。カナダ連邦政府は規制がAITに違反することがわかると[31]規制を改正し、アメリカ企業に1300万ドルを支払った。[32]カナダ保健厚生省(現在のカナダ保健省)が調査したMMTが健康に与える研究によると、これらの排気物質の曝露に伴う健康に与えるいかなる著しい影響も見つからなかった。他のカナダの研究者とアメリカ合衆国環境保護庁はカナダ保健省の研究結果に同意せず、神経に損傷を与える可能性があるという研究結果を発表した。[33]

新しく首相に就任したスティーブン・ハーパーが妥協して2006年7月1日にアメリカと合意に至るまで、アメリカとカナダは数年にわたりカナダの軟木の輸入に27%の関税をかけるというアメリカの決定について論争を繰り広げてきた。[34]カナダ国内の一部の反対により、合意はまだ両国で批准されていない。

カナダは関税撤廃を求める数多くの申し立てを行い、関税撤廃を勝ち取ってきた。[35] アメリカがNAFTA陪審団による抗告の機会を失った後、アメリカ合衆国通商代表部のニック・リフトソン報道官はロブ・ポートマン代表の談話として「我々は、もちろん、NAFTA陪審団の決定に失望しているが、反ダンピング相殺関税発動への影響はない」と語った。[36]2006年7月、アメリカ合衆国国際通商裁判所は関税の導入がアメリカ合衆国連邦法に反しているという判決を下した。[37][38]

収益投資信託課税における変更

2007年10月30日、アメリカのマーヴィンとエレイン・ゴッティーブ(Marvin and Elaine Gottlieb)はNAFTAのもと、エネルギー部門における収益投資信託に対する課税率の変更について、保守的な政府による前年の決定によって何千ものアメリカの投資家が総計50億ドルの損失を出したとして訴訟を起こすつもりであると通知した。2009年4月29日、租税法におけるこの変更は公用徴収ではないという決定がなされた。[39]

カナダにおけるさらなる批判

2002年にメル・ハーティグ(Mel Hurtig)によって書かれた「消えゆく国家、The Vanishing Country」は、NAFTAの批准によって1万社を超えるカナダ企業が外国資本によって買収され、カナダに対する直接投資の98%はすべて外国資本による買収が目的だったと告発している。[40] 「NAFTAとしても知られるユーコンからユカタンに至る二重の嫌悪を催す同盟、"the Double Yu(c)k Alliance aka NAFTA from Yukon to Yucatán"」という用語は1994年ミオドラグ・コハディノヴィッチ(Miodrag Kojadinović)が彼の記事「友人と隣人:親愛なるカナダ首相へ、来週の木曜日に親切なEUに加盟しましょう、"Friends and Neighbours: Dear Prime Minister of Canada, Kindly Join the EU Next Thursday"」で初めて用いた表現である。[41]

アメリカの非産業化

テンプレート:Details 国内の製造業の海外流出の増加と製造業における大規模な国内投資は国内の製造業における雇用の増加を必ずしも意味しない、この増加は単により機械化と生産性の向上を反映しているだけなのかもしれない。1993年から2001年にかけて、アメリカ全体の雇用は1500万件増加したが、同じ時期の製造業の雇用は47万6000件増加しただけだった。[42]さらに1994年から2007年にかけて、製造業の雇用総数は365万4000人に減少し、またこの間、他の自由貿易協定が締結されたり、拡大されたりした。[42]

メキシコの農家への影響

2000年、アメリカ政府はトウモロコシ農家への補助金を100億1000万ドル支払っていた。これらの補助金はメキシコの農家と食料自給率を危険にさらすダンピングの原因になっていた。[43]他の研究者は、NAFTAが存在する10年前から穀物の生産量が増加している傾向が存在し、NAFTAが発行してからもトウモロコシの生産が増加し、補助金を交付されたアメリカ農家が作った輸入トウモロコシがメキシコのトウモロコシ価格に計測可能な影響を与えた形跡はなく、アメリカの農業への補助金の廃止がメキシコの農家にとって利益をもたらしたことには同意しながらも、貧しい農家の収入の減少を強いる原因であるとしてNAFTAを拒絶している。グレアム・パーチェイス(Graham Purchase)の「無政府主義と環境の存続、Anarchism and Environmental Survival」によると、NAFTAは「企業の利益によってメキシコ人が革命で得たエジード(Ejido、村の小作農が協力して土地を所有する形態)を破壊し、地方の人々の利益を完全に無にする脅威」の原因になりかねないという。[44]

NAFTAに反対するサパティスタ民族解放軍のチアパス州での蜂起

テンプレート:Details NAFTAの準備にはエミリアーノ・サパタが主導した1910年から1919年の革命の記念碑的存在だったメキシコの憲法27条の廃止が含まれていた。歴史的な27条によって、先住民の共用地は売却や私有化から守られていた。しかしNAFTAによって、この保証は投資する際の障壁であると定義された。27条の廃止によって、先住民族は彼らに残された土地の喪失の脅威にさらされ、またアメリカからの安い輸入品が洪水のように押し寄せた。こうして、サパティスタたちはNAFTAが先住民族に対する「死刑宣告」であるとみなすようになった。NAFTAが施行された1994年1月1日、サパティスタ民族解放軍はメキシコに対して宣戦を布告した。[45]

カナダにおけるNAFTAの影響

メキシコとアメリカと同様に、カナダはGDPで比較するると経済的利益を享受した。多くの人が恐れていた衰退への恐怖は実際には起こらず、一部の産業、例えば家具工業のように苦しむと思われていたものが実際には成長した。カナダの製造業の雇用は先進国における国際的な下降傾向にもかかわらず安定していた。オンタリオ州の製造業はNAFTAによって大きな利益を得た。NAFTAがもたらした最大の経済効果のひとつは、アメリカとカナダの間で農業製品の貿易が伸びたことで貿易が加速したことである。[46]2008年だけで、カナダのアメリカとメキシコへの輸出は3兆8130億カナダドルにのぼり、NAFTAからの輸入は2兆4510億カナダドルだった。[47]

第11章

もうひとつの議論となっている問題はNAFTAの第11章に含まれる投資家対国家の紛争解決の義務の影響である。[48]11章はメキシコ、カナダまたはアメリカの政府が行動を起こしたとき(または例えば県、州や自治政府など国際法上責任ある何者かが)投資活動に不利な影響を与えた場合、企業または個人が賠償のために提訴することを許可している。

この章は政府が有権者の保護あるいは所在する企業の利益を保護する意図を持って法律または規制を通過させた場合に適用される。その焦点を定義するための章の約款は、それは「ある意味において、当事者が法執行機関、矯正サービス、社会保障または社会保険、社会福祉、公的教育、公的職業訓練、保健や児童福祉などのサービスの提供を受けることの妨げとなることとこの章は一致」してはならないと述べている。[49]

この章は重要な社会問題や環境問題を考慮していないことを含む様々な理由から、アメリカ[50]、メキシコ[51]とカナダ[52]の団体によって批判されている。[53]カナダでは、カナダ評議会(the Council of Canadians)を含む一部の団体が、11章の合憲性をめぐり、争った。彼らは一審では敗れたが、その後控訴した。[54]

カナダのメタネクス社(Methanex Corporation)は、カリフォルニア州が多くの井戸から発見されていたメチルtert-ブチルエーテル(MTBE)の使用を禁止していることにより、メタノールを販売する企業活動が阻害されたとして、アメリカを相手に9億7000万ドルを請求する訴訟を提起した。しかしながら、主張は退けられ、会社はアメリカ政府に訴訟費用として300万ドルを支払うことを命じられた。[55]

他のケースでは、アメリカのメタルクラド社(Metalclad)がメキシコのサン・ルイス・ポトシ州グアダルセサルに建設しようとした有害廃棄物の処理施設の建設許可申請をメキシコの自治政府が却下した後、メキシコから1560万ドルが送られてきた。この建設は様々な環境保護のために必要な条件を提示していた連邦政府によって既に承認されていた(判決文の第48パラグラフを参照)。NAFTA陪審団は、自治州が環境に対する懸念の論拠に基づいて建設を禁止する権限を持っていなかったことに気がついた。[56]

第19章

反ダンピング(antidumping、AD)と相殺関税(countervailing duty、CVD)について、二国間の陪審団による審査のかわりに、または加えて慣習法的な司法審査を行うかどうかを決定することを目的とする条項であるNAFTAの第19章についてもまた論争がある。例えば、アメリカでは、反ダンピング税と相殺関税を行うかどうかについて審査を行う機関の決定は通常、アメリカ国際通商裁判所の3条法廷で行われる。しかしながら、NAFTA加盟国の当事者は裁判を2つのNAFTA加盟国の適切な5人の市民から構成される二国間の陪審団によるものにするように要求する権利がある。通常は国際商取引法の知識を持つ法律家が陪審員となる。NAFTAは独立したAD/CVDに関する条項を含まないため、陪審員はAD/CVDに関する最終的な決断をする機関が国内法に適うかどうかの決定する責任を負う。19章はまた、国際法を適用しないが、ある国内法の適用を再審査するために多くの国から集まった個人から構成される陪審団を求めるものであるため、国際的な紛争解決におけるある例外的な何かであると考えられている 。

19章陪審団は決定する機関が「信用できる証拠」によって支持されているかどうかを判断することが期待されている。この基準は国内の機関に従うことを想定している。アメリカとカナダ間で軟材の輸入で紛争になった件など、近年で最も激しい論争となった紛争のいくつかは19章の陪審団によって裁かれた。

19章の陪審団による決定に不服がある場合はNAFTA例外的異議申立委員会に異議を申し立てることができる。しかしながら、例外的異議申立委員会は通常抗告としては機能しない。NAFTAのもとでは、NAFTA紛争解決機関が整合性を脅かす重要なまた具体的な錯誤を含む決定が下された場合のみ、判決が無効にまたは差し戻される。2006年1月以降、例外的異議申立委員会に異議を申し立てる前に、19章陪審団が下した決定に異議を申し立てて成功した例はない。

脚注

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関連項目

参考文献

外部リンク

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