共働き
テンプレート:国際化 共働き(ともばたらき)とは、夫婦がともに雇用されて働いていること。類語に共稼ぎ(ともかせぎ)がある。働き手が2人いることから、俗に「2馬力」とも呼ばれる[1]。対義語は「片働き」。
以下では特に断り書きがない限り、日本での事例について述べる。
概要
家族労働の農業の場合、あるいは、家族で商店を営む場合などは、世帯収入は家長以外の労働分も含まれている。すなわち、一家の大黒柱の家長の寄与が大きいとは言え、世帯収入は家族全体で支えており、「共働き」という概念の入り込む余地はなかった。
明治になると、官庁・企業などが個人を雇用するサラリーマンが生まれた。サラリーマンは少なくとも核家族世帯なら維持できる収入を得られたから、夫以外の妻・子供は現金収入を得るための労働をする必要がなくなって、妻は専業主婦となり、子供は教育を受けさせられるようになった。一方で殖産興業により産業革命を果たした日本では第二次産業労働者も増加したが、その賃金は低く、サラリーマン世帯のような片働きは困難だった。
戦後復興期を過ぎて高度経済成長に入ると、郡部から市部に人口が移動して中産階級が拡大した(一億総中流)。また、終身雇用により労働者の信用も増大し、急増する核家族家庭では概ね片働きで家計を賄うようになった。ただし、当時は女性は結婚を機に仕事を辞めることが慣例となっていた面もある。
その後、家庭に対する価値観の変化や女性の社会進出(男女雇用機会均等法を初めとする女性の雇用環境の整備による、女性の賃金労働者化)、家電製品の普及による家事労働の軽減、また、夫の雇用の不安定化等に伴い、女性が結婚しても仕事をやめず、そのまま従業し続ける世帯が増加した。また、共働きで子供を産まない、DINKSと呼ばれる形態も現れた。近年では、夫の収入で家計を賄い、自らの収入は自分の小遣いにする妻という形式の共働き家庭も増えており、家計を一にするという元来の定義とは異なる形態の共働き夫婦も増えている。
推移
1980年代から1990年代頃まで、夫が働いて妻は仕事をしていないという世帯が減る一方で、夫婦がともに被雇用者として働いている世帯は増加している。その後、1990年代後半以降は、両者ともにほぼ横ばいとなっている[2]。
意識
結婚後も全ての共働き夫婦が共働きを望んでいるかというと、そうは言えない。例えば三浦展は著書『下流社会』において「主婦は、結婚後は専業主婦となることを理想としている」と述べているし、小倉千加子は若い女性の専業主婦願望を「新・専業主婦志向」と呼んでいる。
影響
夫が働き、妻は専業主婦として家事に従事するという形体から共働きへの変化は、消費活動や労働・福祉行政など、社会の様々な部分へ影響を及した。
以下では、共働きによる影響をいくつか上げる。
- 少子化対策
- 少子化の一因として、正社員減少等による家計の不安定化が挙げられるが、共働きによって解消できる。ただし、子育て支援が十分でない場合は、逆に共働きは少子化の要因ともなり得るとも言われる。
その他
大分県日田市は2006年2月に市職員の人件費削減を目的として、夫婦や親子などがいずれも市役所職員で生計を一にする場合、給与をひとりあたり2割削減するという計画を発表した。しかし「同じ労働には同じ対価が支払われるべき」「法の下の平等に反する」などの批判を受け、計画を撤回した。nikkansports.comに掲載の関連記事
ヨーロッパ
ヨーロッパ諸国では扶養控除がないため、共働きが一般的[3]。
脚注
関連項目
- ジェンダー
- 主婦
- 家族
- 夫婦
- 三歳児神話
- DINKS
- 働く女性
- 男女共同参画
- M字型カーブ、M字型曲線(女性の就職率がM字型になっている現象のこと。これはいったん就職した女性が結婚に伴い退職し、子育てが一段落した後再びパート等で就職するため、結婚が多い世代の就職率がへこむことによってMの字の様に見えることから、そう呼ばれる)