上田電鉄別所線
|} 別所線(べっしょせん)は、長野県上田市の上田駅から別所温泉駅までを結ぶ上田電鉄の鉄道路線である。かつて側面に丸窓を持つ「丸窓電車」が走っていたことで知られ、同電車の運用終了後も丸窓は当路線を象徴する意匠となっている。
目次
概要
1920年に設立された上田温泉電軌により、翌1921年、別所温泉・田沢温泉・沓掛温泉への湯治客を輸送する軌道線として三好町(現在の城下) - 上田原 - 青木間の「青木線」と、上田原 - 別所(現在の別所温泉)間の「川西線」の2路線が開業した。1924年には国鉄上田駅に乗り入れ全通した。1938年に上田原 - 青木間が廃止となり、上田 - 上田原間も川西線に編入。1939年、地方鉄道法による鉄道となり、川西線を改め「別所線」と称するようになった。また同年社名を「上田電鉄」(初代)と改称、さらに1943年には丸子鉄道(1916年設立)と合併。上田丸子電鉄となり、上田市・小県郡地域に別所線のほか西丸子線・丸子線・真田傍陽線の計4路線48.0kmに及ぶ路線網を有するに至った。
これらの路線のうち、丸子線は軽工業製品、真田傍陽線は農産物を国鉄信越本線大屋駅・上田駅や上田市中心部に輸送する貨物主体の路線であったが、1960年代にはいずれも自動車による輸送に切り替えられるようになり、旅客収入のみでの経営は困難となっていた。また西丸子線は開業当初から経営難であったが、1963年、自然災害をきっかけとして廃止された。以後モータリゼーションの進展による貨物輸送の減少等により1969年には丸子線、1972年には真田傍陽線も相次いで廃止となった。別所線は旅客輸送主体の路線であり、貨物輸送にはほとんど依存していなかったものの、自家用車の普及が進む状況においては丸子線・真田傍陽線同様に車社会化の影響は避けがたい状況となっていた。1973年には乗客減等を理由に上田交通(1969年に上田丸子電鉄から社名変更)より廃止の方針が示されるに至り、沿線住民による廃止反対・路線存続運動が起こったが、1974年(昭和49年)以降地方鉄道軌道整備法(現・鉄道軌道整備法)に基づく国・長野県及び上田市からの軌道整備補助金(欠損補助金)が交付されることになったことからこの時は危機を免れ、上田交通唯一の鉄道路線として存続することになった。
廃線は免れたものの引き続き利用客は低迷、1980年代に入ると乗客減少が顕著になり、大幅な赤字を計上し続けた。国の欠損補助金支給基準を満たすことが困難となり、1992年末の国の地方私鉄に対する軌道整備補助事業見直しに際しては欠損補助金支給打ち切りの可能性が浮上[1]、路線の存廃が取り沙汰された。しかし1986年には架線電圧を1500Vに昇圧、親会社東京急行電鉄から余剰車両を譲り受けて「丸窓電車」などの旧型車を全廃し車両保守にかかるコストを削減、上田市の支援による駅施設等設備の改善、ワンマン運転化等の経営努力を行っていたことが認められ、長野新幹線の開業も控えており収支改善の可能性が見込まれるとして1993年以降も国からの欠損補助金支給は継続された。同年、元東急7200系電車を投入し全車冷房化を果たすなど、サービス向上に努め、1990年代半ばには1973年に上田交通が廃止の方針を示す以前の利用客数を回復。国の欠損補助制度は1997年交付分をもって廃止されたが、その影響を最小限に食い止めた。1997年の長野新幹線開業に伴う上田駅再整備により、翌1998年には、起点の上田駅ホームの高架化や、JR東日本・しなの鉄道線との共用改札を廃止し独立した改札口を設けるなど設備の更新も進展した。
2000年代には少子化の影響により通学客を中心とした定期利用客の減少が進むとともに、長期の景気低迷により湯治客・観光客需要も伸び悩む状況となった。2000年には東京急行電鉄からのさらなる設備改修の提言を受け、国土交通省の地方鉄道安全新基準を満たすため上田交通が長野県と上田市に対し財政支援を求めるに至ったことにより再び存廃問題が浮上した。上田市と上田交通は上下分離方式の導入や第三セクター鉄道化も視野に入れつつ協議したものの、最終的には従来通り民営鉄道として存続させる方針が決まり、上田市は2003年6月から設備更新・修繕や基盤整備・安全対策に関する補助等の支援策の検討に入った。また同月住民団体「別所線の将来を考える会」が結成され、以後地元の存続運動が再び活発化した。上田市は翌2004年度から補助金を拠出することを決定。また国・長野県からも財政支援が得られることになり、当面存続の見通しとなった。補助金の拠出が決まったことを受け、上田交通は2003年10月に当路線のダイヤを改正し増便を行った。昼間時全線60分から45分毎であった運行間隔を30分から45分毎と短縮したほか、終電を繰り下げ、下之郷発着の便を増発するなど、利便性の向上に努めた。2004年度から国・長野県・上田市からの公的支援が始まり、さらに2004年12月には上田市議会定例会において上田市と上田交通が締結した「別所線の運行に関する協定」が承認され、当面の安全対策のために補助率を引き上げ、2007年度までに上田市が2億6800万円を補助することになった。2012年度までに国が2億5603万円、長野県が1億2118万5千円、上田市が9億8849万2千円を拠出している。住民による支援団体も相次いで結成され、沿線自治会・商工団体・別所温泉観光協会等により結成された「別所線電車存続期成同盟会」、上田交通労働組合ほか労働団体による「別所線の存続を求める市民の会」、芸術関係者と地域住民等による「ガンバレ別所線の会」、観光ガイドによるボランティア団体「別所線ガイドの会」などが活動を開始した。2005年2月にはこれらの支援団体を統括する「別所線再生支援協議会」が組織され、25団体が加盟。同協議会の代表には上田市長が就任し、自治体の支援体制の再構築も行われた。上田交通は別所線の経営体制の見直しを行い、同年7月、新たに子会社「上田電鉄」を設立し鉄道部門を分社化することを決定。上田市も同8月、別所線分社化後も支援を継続することを発表した。同年10月3日より上田電鉄の経営となっている。
「上田電鉄」設立後も予断を許さない経営状況が続いているが、2007年10月の「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」の施行を受け、上田市がさらに支援を進めているほか、各支援団体が広範な存続運動を展開。アニメーション・キャラクターを採用した広報活動や、別所温泉の共同浴場(外湯)入浴券付き往復乗車券、地元自治会向け回数券「マイレールチケット」の販売(地域住民以外でも購入できる)、駅の清掃ボランティアや花壇の整備、一部の駅へのパークアンドライドの導入やレンタサイクルの整備など増収と路線存続のための支援事業を行っている[2]。上田電鉄の経営努力と沿線各団体の支援運動が継続していることを受け、2013年3月、国・長野県・上田市は2013年度以降も公的支援を行うことを決定した。2015年度までに上田市から約3億円、また国・長野県から計約1億5400万円の補助金が支給される。上田電鉄はこの資金を元手に引き続き別所線の設備更新・基盤整備・安全対策を進める。2013年4月5日・24日に中野駅 - 舞田駅間の遮断機・警報機のない踏切において電車とトラックの接触事故が2件発生した[3]ことを受け、2013年4月現在19箇所存在する遮断機・警報機のない踏切の改修・統廃合や車両通行止め等を行う。2014年度には車両の更新も計画している。
路線データ
- 路線距離(営業キロ):11.6km
- 軌間:1067mm
- 駅数:15駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:全線電化(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式
- 交換可能駅:3駅(城下、上田原、下之郷)
運行形態
1990年から1994年まで快速列車が運転されていたが、現在はすべて各駅停車である。毎時おおむね1 - 2本の列車がある。上田-別所温泉間の全線通し運転のほか、上田-下之郷間に区間列車が数本設定されている。
ワンマン運転方式は地方型方式を採用。一番前の扉のみ開閉し整理券を取る方式で、バスの運賃箱に近い物が車両の乗務員室後ろに取り付けられている。なお有人駅の上田駅・下之郷駅では終日全扉が開閉し、別所温泉駅では9:00から17:00の間全扉が開閉する。また無人駅の城下駅・三好町駅・赤坂上駅・上田原駅では平日6:30から8:30の間の上り電車のみ全扉が開閉する。
沿線概況
高架の上田駅を発車するとすぐに千曲川を渡り、全線が上田平を走る。全線単線。路線は千曲川を渡ってから旧川辺村を経て、塩田平の主要集落を連絡しながら別所温泉に至るように敷設されているため、上田盆地にS字を描くように進む。半径の小さい曲線が多く、何箇所かでは一気に90度ほど曲がる。車庫のある下之郷駅付近から登りがきつくなり、終点の別所温泉駅付近は40‰の急勾配となっている。この勾配は750V時代の旧型車は時速20km程しかスピードが出せない難所であった。かつて上田原駅で青木線、下之郷駅で西丸子線と接続していたが、いずれも既に廃線となっている。沿線は終点の別所温泉をはじめ、塩田平を中心に著名な神社、寺院、史跡等が点在するなど、観光スポットには比較的恵まれており、別所線の利用促進につながる地域特性として期待されている。「別所線の将来を考える会」は2014年、沿線の名所を紹介する『みどころガイドブック』を発行。上田駅や観光案内所等にて無料配布し、支援活動の一環として観光スポットの紹介に努めている。
利用状況
輸送実績
別所線の近年の輸送実績を下表に記す。表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年 度 | 輸送実績(乗車人員):万人/年度 | 輸送密度 人/1日 |
貨物輸送量 万t/年度 |
特 記 事 項 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 合 計 | ||||
1975年(昭和50年) | 37.9 | 64.5 | 66.5 | 168.9 | 2,199 | 0.002 | |
1976年(昭和51年) | 32.0 | 58.9 | 77.1 | 168.0 | 2,176 | 0.0 | |
1977年(昭和52年) | 33.1 | 61.7 | 88.0 | 183.0 | 2,330 | 0.0 | |
1978年(昭和53年) | 30.4 | 58.5 | 90.2 | 179.2 | 2,274 | 0.003 | |
1979年(昭和54年) | 31.3 | 54.4 | 93.3 | 179.1 | 2,276 | 0.003 | |
1980年(昭和55年) | 31.8 | 54.3 | 96.1 | 182.3 | 2,266 | 0.0 | |
1981年(昭和56年) | 31.4 | 57.3 | 93.6 | 182.4 | 2,256 | 0.0 | |
1982年(昭和57年) | 30.5 | 49.5 | 88.2 | 168.2 | 2,084 | 0.0 | |
1983年(昭和58年) | 27.5 | 46.4 | 85.2 | 159.0 | 1,965 | 0.0 | |
1984年(昭和59年) | 27.0 | 46.0 | 83.6 | 156.6 | 2,003 | 0.0 | 貨物営業廃止 |
1985年(昭和60年) | 25.5 | 47.7 | 83.6 | 156.8 | 2,001 | ||
1986年(昭和61年) | 23.5 | 46.0 | 85.5 | 155.0 | 1,995 | 架線電圧を1500Vに昇圧 | |
1987年(昭和62年) | 24.5 | 41.8 | 84.1 | 150.4 | 1,933 | ||
1988年(昭和63年) | 25.6 | 42.4 | 87.1 | 155.1 | 1,990 | ||
1989年(平成元年) | 26.0 | 42.4 | 88.0 | 156.4 | 1,981 | ||
1990年(平成2年) | 26.4 | 46.3 | 92.4 | 165.1 | 2,112 | ||
1991年(平成3年) | 26.1 | 50.3 | 98.8 | 175.2 | 2,240 | ||
1992年(平成4年) | 25.2 | 50.1 | 99.2 | 174.5 | 2,224 | ||
1993年(平成5年) | 25.9 | 48.2 | 100.5 | 174.6 | 2,193 | ||
1994年(平成6年) | 25.6 | 48.2 | 97.5 | 171.3 | 2,155 | ||
1995年(平成7年) | 24.2 | 48.2 | 98.8 | 171.2 | 2,132 | ||
1996年(平成8年) | 26.2 | 48.8 | 102.2 | 177.2 | 2,117 | ||
1997年(平成9年) | 28.9 | 46.3 | 101.0 | 176.2 | 2,186 | 上田駅高架化 | |
1998年(平成10年) | 27.4 | 47.4 | 93.3 | 168.1 | 2,082 | ||
1999年(平成11年) | 24.8 | 45.4 | 81.7 | 151.9 | 1,894 | ||
2000年(平成12年) | 20.6 | 44.1 | 74.2 | 138.9 | 1,755 | ||
2001年(平成13年) | 19.5 | 42.8 | 71.7 | 134.0 | 1,707 | ||
2002年(平成14年) | 20.0 | 40.7 | 68.3 | 129.0 | 1,645 | ||
2003年(平成15年) | 19.4 | 37.9 | 69.9 | 127.2 | 1,630 | ||
2004年(平成16年) | 21.8 | 36.4 | 65.8 | 124.0 | 1,567 | ||
2005年(平成17年) | 22.4 | 36.1 | 64.3 | 122.8 | 1,560 | 上田交通から上田電鉄に移管 | |
2006年(平成18年) | 21.7 | 35.6 | 66.5 | 123.8 | 1,573 | ||
2007年(平成19年) | 64.2 | 124.9 | |||||
2008年(平成20年) | 125.4 | ||||||
2009年(平成21年) | 121.3 | ||||||
2010年(平成22年) | 119.1 | ||||||
2011年(平成23年) | 117.6 | ||||||
2012年(平成24年) | 117.9 | ||||||
2013年(平成25年) | 121.7 |
鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋
収入実績
別所線の近年の収入実績を下表に記す。旅客運賃収入は1997年(平成9年)以降減少している。運輸雑収については年度による変動が大きい。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年 度 | 旅客運賃収入:千円/年度 | 貨物運輸 収入 千円/年度 |
運輸雑収 千円/年度 |
総合計 千円/年度 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 手小荷物 | 合 計 | ||||
1975年(昭和50年) | 57,810 | ←←←← | 72,486 | 1,395 | 131,691 | 3 | 1,160 | 132,854 |
1976年(昭和51年) | 58,979 | ←←←← | 90,382 | 1,995 | 151,356 | 0 | 1,486 | 152,842 |
1977年(昭和52年) | 66,349 | ←←←← | 111,764 | 2,156 | 180,269 | 0 | 1,733 | 182,003 |
1978年(昭和53年) | 72,097 | ←←←← | 126,753 | 889 | 199,739 | 10 | 2,899 | 202,649 |
1979年(昭和54年) | 73,564 | ←←←← | 135,486 | 768 | 209,819 | 11 | 4,514 | 214,344 |
1980年(昭和55年) | 83,270 | ←←←← | 152,052 | 547 | 235,869 | 0 | 3,725 | 239,594 |
1981年(昭和56年) | 87,796 | ←←←← | 156,906 | 240 | 244,942 | 0 | 3,721 | 248,663 |
1982年(昭和57年) | 89,959 | ←←←← | 166,548 | 35 | 256,542 | 0 | 5,860 | 262,402 |
1983年(昭和58年) | 83,944 | ←←←← | 161,343 | 0 | 245,287 | 0 | 6,878 | 252,165 |
1984年(昭和59年) | 90,600 | ←←←← | 176,847 | 0 | 267,447 | 0 | 3,154 | 270,600 |
1985年(昭和60年) | 89,138 | ←←←← | 180,966 | 0 | 270,104 | 0 | 4,688 | 274,792 |
1986年(昭和61年) | 91,816 | ←←←← | 201,637 | 0 | 293,453 | 0 | 24,226 | 317,679 |
1987年(昭和62年) | 36,593 | 53,281 | 198,494 | 0 | 288,368 | 0 | 4,307 | 292,675 |
1988年(昭和63年) | 38,298 | 55,561 | 205,319 | 0 | 299,178 | 0 | 3,776 | 302,954 |
1989年(平成元年) | 40,826 | 56,372 | 218,685 | 0 | 315,883 | 0 | 3,444 | 319,327 |
1990年(平成2年) | 44,066 | 65,874 | 236,710 | 0 | 346,650 | 0 | 2,481 | 349,131 |
1991年(平成3年) | 42,295 | 67,576 | 250,334 | 0 | 360,205 | 0 | 2,825 | 363,030 |
1992年(平成4年) | 40,135 | 67,874 | 245,917 | 0 | 353,926 | 0 | 3,154 | 357,080 |
1993年(平成5年) | 40,225 | 64,888 | 246,171 | 0 | 351,284 | 0 | 3,457 | 354,741 |
1994年(平成6年) | 41,938 | 67,770 | 248,319 | 0 | 358,027 | 0 | 3,191 | 361,218 |
1995年(平成7年) | 39,623 | 69,540 | 251,356 | 0 | 360,519 | 0 | 4,478 | 364,997 |
1996年(平成8年) | 41,085 | 69,655 | 256,542 | 0 | 367,282 | 0 | 6,719 | 374,001 |
1997年(平成9年) | 44,285 | 65,249 | 276,532 | 0 | 386,066 | 0 | 6,157 | 392,223 |
1998年(平成10年) | 41,315 | 66,950 | 252,805 | 0 | 361,070 | 0 | 4,462 | 365,532 |
1999年(平成11年) | 37,372 | 64,089 | 222,012 | 0 | 323,473 | 0 | 8,782 | 332,255 |
2000年(平成12年) | 30,792 | 62,944 | 203,808 | 0 | 297,544 | 0 | 8,210 | 305,754 |
2001年(平成13年) | 29,144 | 60,885 | 199,168 | 0 | 289,197 | 0 | 5,610 | 294,807 |
2002年(平成14年) | 29,367 | 56,711 | 191,850 | 0 | 277,928 | 0 | 5,138 | 283,066 |
2003年(平成15年) | 27,843 | 53,124 | 197,611 | 0 | 278,578 | 0 | 2,379 | 280,957 |
2004年(平成16年) | 31,322 | 50,969 | 182,492 | 0 | 264,785 | 0 | 7,630 | 272,415 |
2005年(平成17年) | 31,675 | 50,820 | 179,649 | 0 | 262,144 | 0 | 8,400 | 270,544 |
2006年(平成18年) | 30,534 | 50,413 | 184,866 | 0 | 265,813 | 0 | 10,009 | 275,822 |
2007年(平成19年) | 0 | 0 | ||||||
2008年(平成20年) | 0 | 0 | ||||||
2009年(平成21年) | 0 | 0 | ||||||
2010年(平成22年) | 0 | 0 | ||||||
2011年(平成23年) | 0 | 0 | 282,410 |
鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋
営業成績
別所線の近年の営業成績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年 度 | 営業収益 千円/年度 |
営業経費:千円/年度 | 営業損益 千円/年度 |
営業 係数 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
人件費 | 修繕費 | 経 費 | 諸 税 | 減 価 償却費 |
一 般 管理費 |
合 計 | ||||
2006年(平成18年) | 275,822 | 134,708 | 31,179 | 45,201 | 16,756 | 37,384 | 40,337 | 305,565 | △29,743 | 110.8 |
2007年(平成19年) | ||||||||||
2008年(平成20年) |
鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋
車両
1986年9月までの架線電圧が750Vであった時代は、自社発注のモハ5250形「丸窓電車」をはじめ、長野電鉄からの譲受車など雑多な経年車が多い状態だった。しかし電動車の制御方式の不統一など保守が困難な状態であったことから、同年10月の1500V化の際に東急5000系(初代)を2連5本譲り受け旧型車を全廃した。
しかしその5000系も、非冷房車であったことから、1993年5月28日からは冷房車である東急7200系を2連5本譲り受け、使用を開始した。これにより長野県の私鉄で初めて100%冷房化を達成した。2005年からはかつて走っていた丸窓電車を模して一部の窓をシールで丸くした「まるまどりーむ」号が運行されている。また同年より毎年ゴールデンウィーク期間中、下之郷駅にて「別所線丸窓まつり」と称する鉄道イベントを開催している。
なお、2006年に上田電鉄が発表した「鉄道安全報告書」によると、2008年度までに2両編成4本(8両)の車両の更新をすると発表され、同年3月に東急1000系電車2両編成2本が上田電鉄1000系電車として譲渡され、2009年7月に残る2本が譲渡された。2014年にも車両が更新される予定となっている。
750V時代
特記無きものは1986年10月の昇圧時に廃車。
電車
- モハ4250形 - 4257 ※1983年廃車
- モハ5250形 - 5251-5253
- モハ5260形・クハ260形 (2代) - 5261・261
- モハ5270形 (2代) - 5271
- モハ5370形 - 5371・5372
- デハ3300形・クハ3660形・クハ3770形 - 3310・3661・3772 ※3661は1983年廃車
- クハ250形 - 252・253 ※253は1975年廃車
- クハ270形 - 271 (2代)・272・273 ※272は1975年、273は1984年廃車
- クハ290形 - 291・292
- サハ20形 - 24-26・28 ※24は1980年、25は1955年、26は1956年、28は1972年に廃車
- サハ40形 - 41・42 ※41は1984年、42は1968年に廃車
- サハ60形 - 61・62 ※61は1980年廃車
電気機関車
1500V昇圧後
- 5000系 - モハ5001 - 5004、クハ5051 - 5054
- 5200系 - モハ5201、クハ5251
- 昇圧から、1993年に7200系に代替されるまで運用された。
- 7200系 - モハ7251 - 7255、クハ7551 - 7555
- 1000系 - モハ1001 - 1004、クハ1101 - 1104
歴史
- 1919年(大正8年)11月10日 上田温泉軌道に対し軌道特許状下付(小県郡城下村-同郡青木村間、同郡川辺村-同郡別所村間)[4]。
- 1920年(大正9年)11月19日 特許権を上田温泉電軌へ譲渡(許可)[5]。
- 1921年(大正10年)6月17日 上田温泉電軌が青木線三好町(現在の城下) - 青木間、川西線上田原 - 別所(現在の別所温泉)間を開業。
- 1921年(大正10年)9月12日? 三好町 - 三好町三丁目間に三好町二丁目駅設置(廃止日不明)。
- 1923年(大正12年) 下之郷 - 五加(現在の中塩田)間の産川駅、八木沢 - 別所間の天神前駅廃止。
- 1924年(大正13年)8月15日 千曲川鉄橋が開通し、青木線の上田 - 三好町間が開業し全通。国鉄上田駅に乗り入れる。
- 1924年(大正13年)11月22日 別所駅を信濃別所駅に改称。
- 1925年(大正14年)1月8日 上田 - 三好町間に諏訪形駅設置(廃止日不明)。
- 1927年(昭和2年)12月 青木線の三好町 - 上田原間が専用軌道化、変則複線化され三好町駅が城下駅に、三好町三丁目駅が三好町駅に改称。
- 1929年(昭和4年)3月3日 五加駅を中塩田駅に改称。
- 1930年(昭和5年)1月19日 信濃別所駅を別所温泉駅に改称。
- 1932年(昭和7年)9月21日 三好町 - 上田原間に赤坂上駅設置。
- 1934年(昭和9年)7月14日 中塩田 - 中野間に上本郷駅設置。
- 1938年(昭和13年)7月25日 青木線の上田原 - 青木間が廃止。三好町 - 上田原間は単線化[6]。上田 - 上田原間も川西線となる。
- 1939年(昭和14年)3月19日 川西線を軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更。別所線に改称。
- 1939年(昭和14年)8月30日 上田電鉄に社名変更。
- 1943年(昭和18年)10月21日 丸子鉄道と合併し、上田丸子電鉄となる。
- 1951年(昭和26年)4月 赤坂上駅の位置が変更される。
- 1953年(昭和28年)9月 架線電圧を600Vから750Vに昇圧。
- 1960年(昭和35年) 上本郷駅を塩田町駅に改称。
- 1966年(昭和41年)6月 4月1日の本州大学開学に伴い、下本郷駅がその最寄駅となったため本州大学前駅と改称。
- 1969年(昭和44年)5月31日 上田交通に社名変更。
- 1974年(昭和49年)5月1日 本州大学前駅、大学名が長野大学に変更されたため大学前駅と改称。
- 1984年(昭和59年)11月1日 貨物営業廃止。
- 1986年(昭和61年)10月1日 架線電圧を1500Vに昇圧。5000系・5200系電車営業運転開始。モハ5250形「丸窓電車」を始め、従来車全車が営業運転終了。昇圧と勾配対応のため、三好町駅の位置を変更。
- 1993年(平成5年)5月28日 7200系電車営業運転開始。全車冷房化。
- 1998年(平成10年)3月29日 上田駅を高架化し、別所線専用の改札口を設ける。
- 2005年(平成17年)1月27日 7200系をベースに「丸窓電車」をイメージしたラッピングを施した編成が運行開始。4月に「まるまどりーむ号」と命名。
- 2005年(平成17年)10月3日 上田交通から上田電鉄に移管。
- 2008年(平成20年)8月1日 1000系電車営業運転開始。
- 2008年(平成20年)10月 7200系電車が「まるまどりーむ号」を除いて営業運転終了。
- 2008年(平成20年)10月4日 画家の原田泰治デザインの1000系ラッピング電車「自然と友だち1号」運行開始。
- 2010年(平成22年)7月30日 映画「サマーウォーズ」の主題歌で山下達郎の楽曲「僕らの夏の夢」が上田駅の発車メロディとして採用され、同日から使用が開始される。
駅一覧
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 |
---|---|---|---|
上田駅 | - | 0.0 | 東日本旅客鉄道:北陸新幹線(長野新幹線) しなの鉄道:しなの鉄道線 |
城下駅 | 0.8 | 0.8 | |
三好町駅 | 0.7 | 1.5 | |
赤坂上駅 | 0.7 | 2.2 | |
上田原駅 | 0.7 | 2.9 | |
寺下駅 | 0.9 | 3.8 | |
神畑駅 | 0.7 | 4.5 | |
大学前駅 | 0.7 | 5.2 | |
下之郷駅 | 0.9 | 6.1 | |
中塩田駅 | 1.3 | 7.4 | |
塩田町駅 | 0.6 | 8.0 | |
中野駅 | 0.5 | 8.5 | |
舞田駅 | 0.9 | 9.4 | |
八木沢駅 | 0.7 | 10.1 | |
別所温泉駅 | 1.5 | 11.6 |
運賃
大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ) - 2014年4月1日改定[7]
距離 | 運賃(円) |
---|---|
- 3km | 170 |
- 4km | 220 |
- 5km | 270 |
- 6km | 330 |
- 7km | 370 |
- 8km | 410 |
- 9km | 450 |
- 10km | 490 |
- 11km | 540 |
- 12km | 590 |
別所線が登場する作品
- 男はつらいよ 寅次郎純情詩集 - 作中、別所温泉駅と同線の列車が登場、車寅次郎とさくらが乗車する。
- サマーウォーズ - 作中で同線の列車が登場する。
- 鉄道むすめ - 作中で同線が舞台になっている。
- マルシンハンバーグのCM - 1980年代、マルシンフーズのマルシンハンバーグのCMロケーションに当路線が使われた。まだ雪残る早春の田舎の小さな駅(ロケ地は舞田駅)。転校する小学生がクラスメートらの見送りを受け、電車(丸窓電車)に乗車、クラスメートは電車発車後もホームを走って電車を追いかけ別れを惜しむ、車中の小学生がふと外を見ると、駅からあっという間に移動したらしいクラスメートたちが田んぼの中に立っている木に皆で登り、大きく手や腕を振りながらなおも別れを惜しむ、最後は夕暮れの鉄橋(千曲川橋梁)を行く単行電車を背景に同社商品「マルシンハンバーグ」3種とシンボルマークが映し出されるという内容であった。昭和50年代から昭和60年代の当路線と印象的な夫神岳などの山なみや沿線風景が映し出され、当時広く知られたCMの一つであった。なおCM冒頭テロップでは「長野県 別所線」とのみ表示され「上田交通」の社名(当時)の紹介はなかった。丸窓電車も丸窓そのものが映し出される場面はなく、また小学生は遠方へ転校するように見られたものの舞田駅から乗り込んだ電車は下り(別所温泉方面)、千曲川橋梁を行く電車も下り(上田駅から城下駅へ向かう電車)であった。
- 君のままで (映画) - 作中で同線の列車が登場する。別所線電車利用促進シンポジウムでも上映された。
脚注
参考文献
- 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 6号 北信越』新潮社、2008年 - 駅の改廃について