ピラフ
ピラフ(テンプレート:Lang-tr、テンプレート:Lang-fr)は炒めた米を様々な具とともに出汁で炊いた料理。トルコ料理が有名であるが、インドから中近東を経て、南欧ギリシャにまで幅広く見られる米料理である。
概要
ピラフの語源となったピラヴはトルコでは一般的な料理であり、主に付合せとして食べられる。米のみのものや、様々な具材を炊込んだものがあり、入れた具材の名前を冠して「○○ピラヴ」と称される。トルコではジャポニカ米、インディカ米、蒸した小麦を乾燥させて砕いたブルグールの3つがピラフに使われている。インド料理ではプラーオ पुलाव 、イラン料理ではポロウ پُلَو 、アフガニスタン料理ではピラウ پِلَو と呼ばれる。ギリシャ料理でも一般的な付合わせである。トルコからフランスに入ってフランス料理のピラフとなった。
ピラフはトルコから中央アジアにも伝わり、現地に居住するウイグル人やキルギス人の間で「ポロ」(ウイグル語:polo、پولو、キルギス語:поло)の名で親しまれている。主に、羊肉、羊の脂、ニンジン、タマネギを具として用い、干しぶどうやヨーグルトをトッピングにする。「ポロ」は中国語では「抓飯」(ジュワファン、zhuāfàn、手づかみ飯)と呼ばれる。キルギスに住むドンガン人も「ジュワファン」(ドンガン語:жуафан)と呼んで食用としている。「チャーハン(炒飯、chǎofàn)」と発音が似ているが、両者に関連性はない。
世界では粘り気の少ない長粒種の米が多く使用され、日本の炊き込みご飯より固めでパラッとした出来上がりになる。日本でも洋食として普及し、喫茶店やレストランの定番メニューであり、冷凍食品としても販売されている。本来は米を炒めて炊く料理で、炊いた白飯を炒める炒飯や焼き飯と異なるが、日本ではインディカ米が一般的ではないことや、日本人の好みに合わせてアレンジされ、炊いた白飯をピラフ風の味付けで炒めた焼き飯が「ピラフ」とされていることが非常に多い。中国においても「ポロ(抓飯)」が炒飯と混同される例が多い。
調理方法の例
本来の方法に近い調理法
- 具のエビや貝などの魚介類、鶏肉などの肉類、キノコやタマネギなどの野菜類は食べやすい大きさに切り、弱火で軽く火を通すくらいに炒める(生のまま炊き込む方法もある)。
- インディカ米を研ぎ、熱したフライパンにバターを適量溶かし、米を透き通るまで炒める。米は生のまま炒めたり、研いだあと30分ほどザルなどを使って水気を切っておく方法もある。
- 米と調味した同量のスープを合わせ、具を載せて、通常と同じように炊き上げて完成。
日本で多い調理法
フライパンに油やバターを引いて具を炒め、国産米の冷飯を炒め合わせて、塩コショウやカレー粉などのスパイスで調味する[1]。
歴史
ピラウが記述される最古の文書の一つはアレクサンドロス大王の歴史で、バクトリアの歓待で記述される(バクトリアは東イラン地域であり、アレクサンドロスの妻ロクサネの出生地で、地理的に現在のウズベキスタンに位置する)。プラーウはしばしば、ペルシャ人発祥の最古の米料理であるとされる。アレクサンドロスによるソグディアナの都市マラカンダ(現サマルカルド)占領においてこの料理が供されたことが知られている。アレクサンドロス軍がこの料理をマケドニア王国に持ち帰り、東ヨーロッパに広まった。
ピラフの正しい調理法の最初の記述は、10世紀の学者イブン・スィーナーによるものと考えられ、医療科学に関する著書において数種類のピラフを含む様々な食事について、調理に使われる個々の材料の利点と欠点が記述された。このため、イブン・スィーナーが現在のピラフの父と考えるタジク人もいる。
ピラウは年月を経て、アラブ人、タジク人およびアルメニア人による様々な変化と改良を伴い、中東の定番料理となった。ブハラ・ユダヤ人、ペルシャ・ユダヤ人によりイスラエルに伝えられた。
ムガル帝国は、米料理を含む多くのペルシャ料理を南アジアに伝えた。プラーオは南アジアの米料理であり、エンドウ、ジャガイモ、マトン、牛肉、または鶏肉で作る。この料理は特別な日や結婚式で供され、熱量(カロリー)が高く脂肪が多い。肉入りプラーオはインド北部特にイスラムの伝統である。ビリヤニは、ムガル帝国の時代に伝わったパキスタンとインドの料理であり、ピラフに非常に類似している。ビリヤニはバスマティまたは類似の香り米で作られる。ペルシャ料理およびパキスタン料理のテンプレート:Enlinkは、プラーオにスープまたはストックをかけて供される。
ソビエト連邦時代に、この料理が広まりロシア、ウクライナ、グルジアといった様々な場所で人気となった。
脚注
- ↑ 『洋食の基本』 エイ出版社、2011年、100頁。