ノーフォーク島

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ノーフォーク島
Norfolk Island
ノーフォーク島の旗 100px
地域の旗地域の紋章
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地域の標語:不明
地域の歌:女王陛下万歳
ノーフォーク島の位置

公用語 英語ノーフォーク語
主都 キングストン
最大の都市 キングストン
政府

女王 エリザベス2世
行政官 オーウェン・ウォルシュ

<tr> <th>議会議長兼首席大臣<td>デイビッド・バフェット </tr>

面積

総計 34.6km2N/A
水面積率 極僅か

人口

総計(2009年 2,141人(N/A
人口密度 61.9人/km2
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<tr> <th>成立<td>不明 </tr>

通貨 オーストラリア・ドルAUD
時間帯 UTC +11:30DST:なし)
ISO 3166-1 NF / NFK
ccTLD .nf
国際電話番号 672

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ノーフォーク島(ノーフォークとう、Norfolk Island)は、太平洋にあるオーストラリア領の。オーストラリアの東、南緯29度02分、東経167度57分に位置する。面積34.6km²、人口2,141人(2009年)。主都はキングストン

歴史

最初の住民

ノーフォーク島の最初の居住者は、バナナの木と石器を持ち込んで12世紀に住み着いた東ポリネシア系の人々であった。彼らはある程度の期間居住したが、クックの発見までにいなくなった。いつどういう事情で絶えたか、あるいは退去したかは不明である[1]

発見と第一次植民

1774年ジェームズ・クックが発見し、ノーフォーク公爵の名に因んでノーフォーク島と命名した。クックが上陸した時、島は無人だった。 クックらは岸辺に亜麻が密生し、内陸にノーフォーク松が覆っているのをみて、この島が海軍の資材補給地として有望だと考えた。

報告を受けたイギリスは、本国から遠く離れた船舶に資材を供給する拠点としてノーフォーク島に期待をかけた[2]マオリ人の抵抗がみられたニュージーランドと異なり、無人であることもよかった[3]。本国政府は、このような適地を他の列強に占領されるとやっかいなので、オーストラリア植民のついでに先手を打って押さえてしまおうと考えていた[4]。かくて1788年ポートジャクソンから囚人が移送され、オーストラリアのニューサウスウェールズと共にイギリス流刑殖民地となった。

人口は1788年4月に23人だったが、1794年7月には1149人(うち囚人は443人)に達した。だが、亜麻と見えたのは別種のマオランで、品質面で劣った。ノーフォーク松は船舶のマストに向かないことが判明した[5]。かつ、天然の良港を欠き、港湾施設は不備なままで、植民地としての将来は暗かった。人口は1804年からしだいに減少し、1814年に放棄された[6]

その後

1825年に再開され1856年までに流刑地として存続し続けた。オーストラリアが流刑地でなくなるに従いノーフォーク島も流刑地でなくなり、1856年バウンティ号の反乱者の子孫194人がピトケアン島から移り住み、それ以来ピトケアン島民がノーフォーク島の主要な定住者となった。オーストラリア本土から島への移民は第二次世界大戦後に増加した。1913年にニューサウスウェールズ州に代わってオーストラリア連邦政府が管理する特別地域になり、1979年にはノーフォーク島法により立法評議会が設立された。

政治

ノーフォーク島法により立法評議会がある。住民は島の独自性を保つことを望んでおり、オーストラリア政府との間には簡単にいかないところがある[7]1991年にはオーストラリア連邦の州の一部になる事を拒否した。

地理

ファイル:Norfolk Island-CIA WFB Map.png
ノーフォーク島の地図
ファイル:Anson Bay, Norfolk Island.jpg
アンソン・ベイ(2006年1月)
ファイル:Norfolk-Island-Pines.jpg
島に生えるノーフォークマツ(2006年8月)

太平洋に位置する火山性ので、オーストラリアの東、ノーフォーク島は南緯29度02分、東経167度57分に位置する。約6キロメートル南のフィリップ島、1キロメートル南のネピアン島、および岩礁からなる小さな群島の主島である。ノーフォーク島以外は現在無人で、ノーフォーク島の国立公園の一部になっている。

島の北部は標高の低い山地で最高地点のベイツ山(318m)とピット山(316m)がある。島の南部は標高の低い緑豊かな丘がほとんどで牧草が多い。ノーフォークマツ(別名パインツリー)と言う島の特産のマツが島のあちらこちらに生い茂る。

主な町は島の南海岸のシドニー湾に主都のキングストン(Kingston)で人口の大半はここに集中している。後は南西の空港近くの湾にロッキー・ポイント(Rocky・Point)とロングリッジ(Longridge)、島の中央部にバーント・パイン(Burnt Pine)とミドルゲート(Middlegate)、北西のアンソン湾にアンソン・ベイ(Anson Bay)、東にスティールス・ポイント(Steeles Point)、ピット山近くの北西のカスケード湾にカスケード(Cascad)などの集落の村々がある。

経済

島の生活水準は高い。観光が盛んで1970年代から観光業が重要な産業になっており、観光客が急増している。これに従い労働市場が開拓された。観光客の増加により、人口は1961年の844人から年々増加している。主作物には柑橘類コーヒーバナナなど。1956年には捕鯨の基地が島に造られたが、1962年以降は休止している。

交通

島の西にノーフォーク島空港があり、シドニーからの直行便がある。

住民

住民はピトケアン島から来たバウンティ号の反乱者の末裔(イギリス人水夫とポリネシア人の混血)とオーストラリアから来た白人などである。

言葉は公用語が英語だが、ノーフォーク語(イギリス西部地方の英語とゲール語と現地語であるポリネシア語の混成言語)を話す。

宗教はキリスト教がほとんどである。

文化

ノーフォーク島といえばパインツリーともいわれるノーフォークマツ(ノーフォーク松)が有名である、オーストラリアやハワイラナイ島などにも見られるが、原産地は、ここノーフォーク島であり、島のあちらこちらでこのマツが見られるし、ノーフォーク島の旗にも描かれている。クックはノーフォーク島に来た時、丈夫で大きく見事なこのマツに感心して、ノーフォークマツで新しいマストを作ってエンデバー号の壊れたマストに替え、再び航海に出た。ノーフォークマツは現在、島の重要な輸出材でもある。

島の主都キングストンは流刑地(ジャッキー・ジャッキーやオーストラリアで有名なアウトローネッド・ケリーの息子ジョン・レッド・ケリーら犯罪者はノーフォーク島に送られている)として発展し、イギリスの南太平洋の植民地ではオーストラリアのシドニーに続いて2番目に古い植民地だった。

オーストラリアの女性作家コーリン・マカラックはノーフォーク島に魅せられてノーフォーク島に移り住んでいる。

生物

ノーフォーク島には、以下の鳥類が固有種として生息している。人間の諸活動や外来種のために生息数が激減し、絶滅したり、絶滅が危惧されている種類がある。

脚注

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参考文献

  • Frank Clarke "The Reasons for the Settlement of Norfork Island 1788", in Raymond Nobbs (ed.) Norfolk Island and Its First Settlement, 1788-1814.
  • Hoare, Marvel "The Island's Earlist Visitors", in Raymond Nobbs (ed.) Norfolk Island and Its First Settlement, 1788-1814.
  • Nobbs, Raymond (ed.) Norfolk Island and Its First Settlement, 1788-1814, Library of Australian History, Sydney, 1988.
  • Nobbs, Raymond "Viewing the First Settlement", in Raymond Nobbs (ed.) Norfolk Island and Its First Settlement, 1788-1814.
  • O'Collins, Maev An Uneasy Relationship: Norfork Island and the Commonwealth of Australia, Pandanus Books, 2002.

外部リンク

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  1. 元の位置に戻る Hoare "The Island's Earlist Visitors", p19-21.
  2. 元の位置に戻る Clarke "The Reasons for the Settlemnet of Norfork", p28.
  3. 元の位置に戻る Clarke "The Reasons for the Settlemnet of Norfork", p29.
  4. 元の位置に戻る Clarke "The Reasons for the Settlemnet of Norfork", p35-36.
  5. 元の位置に戻る Clarke "The Reasons for the Settlemnet of Norfork", p34.
  6. 元の位置に戻る Nobbs "Viewing the First Settlement", p5.
  7. 元の位置に戻る O'Collins, An Uneasy Relationship, p.xiii.