ソビエト連邦構成共和国
ソビエト連邦構成共和国(ソビエトれんぽうこうせいきょうわこく)とは、ソビエト連邦の連邦政府との間に連邦条約を調印して、ソビエト連邦を構成する共和国となった諸国家。構成共和国は民族に基づいた行政区画であり、ソビエト連邦政府に直接属していた[1]。ソビエト連邦は歴史的に高度な中央集権国家であり、ミハイル・ゴルバチョフによるペレストロイカとグラスノスチによるこの時代の地方分権と民主主義への改正が結果的には連邦崩壊を導いた。
概要
1977年ソビエト憲法第76条によれば、各々自治があるソビエト社会主義国家が結合しソビエト社会主義共和国連邦を結成しているとされる。第81条では"連邦共和国の自治権はソビエト連邦によって保護される"と規定している[2]。
崩壊以前の10年では、ソビエト連邦は公式に15のソビエト社会主義共和国(SSR)から構成された。また、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(RSFSR)を例外として、全ての共和国がソビエト連邦共産党の支部として各国独自の共産党を持っていた。
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の領域外では、共和国はロシア帝国が1700年の大北方戦争から英露協商までに得たほとんどの土地を含んでいた。
場合によってはバルト三国はソビエト連邦の一部と考えられていない。これらの国は1940年にモロトフ・リッベントロップ条約にしたがってソビエト連邦に違法に併合されたとしており、したがってソビエト支配下でも独立国を維持していたと主張している[3][4]。彼らの視点はヨーロッパ連合[5]、欧州人権裁判所[6]、国際連合人権理事会[7]、アメリカ合衆国[8]などに支持されている。対照的にロシア連邦政府と州当局はバルト諸国併合は合法であるとしている[9]。
1944年、改正1936年ソビエト憲法によってそれぞれのソビエト共和国のために赤軍を分割して支部が設立された。これらはまた外交と防衛のために国レベルの兵站の構築し、国際法で法的な独立国家と認識されることになった。これによってウクライナとベラルーシの2国は1945年に国際連合総会の設立メンバーとして加わることを許された[10][11][12] 。
現在、以前の共和国は全てが独立国となっており、そのうちグルジアとバルト諸国を除く11カ国は非常に緩やかな組織である独立国家共同体を組織している。
憲法では、ソビエト連邦は政府連合であり、1924年、1936年、1977年の憲法の条項にしたがってそれぞれの共和国は連邦から脱退する権利を保持した。冷戦の間、この権利は無意味なものであるとの見方が支配的だった。しかし、1977年憲法第72条は1991年12月にソビエト連邦の事実上の崩壊に利用され、ロシア、ウクライナ、ベラルーシは連邦から脱退した。
研究によればソビエト連邦は建国当初の1922年から1980年代半ばまで高度な中央集権であり、その後政治的な力はミハイル・ゴルバチョフによって行われた再構築によって解放され、結果として中央の支配が緩み、最終的には崩壊に至った。1936年に採用された憲法と、1977年10月その憲法の近代化まで、ソビエト最高会議の党組織はソビエト人民代表によって構成されていた。これらの組織は名目上モスクワのソビエト連邦最高議会の支配の下にあり、ソビエト連邦とともに全ての行政階層で存在した。
国家の行政階層に沿って、平行の構造として党組織が存在し、これは共和国の総合的な運用行使のための政治局を許可していた。国の行政機関は並行的な党機関の方針を採り、党中央機関の賛成した全党と国家機関の指名が必要であった。
全ての共和国は国旗、国章、国歌など独自の国家の象徴を持っていた。なお、RSFSRだけは独自の国歌を持っていなかった。全ての共和国はレーニン勲章を受章している。
連邦崩壊
ソ連崩壊より10年以内の期間には15の共和国が存在しており、これらの共和国は連邦崩壊時に大きな役目を果たした。ミハイル・ゴルバチョフによるペレストロイカとグラスノスチは連邦体制の再構築を目指していたが、これには共和国の権力の増加の由来となるいくつかの効果を持っていた。最初に、政治的な自由化によって共和国の政府に合法的に民主主義、ナショナリズム、それらの複合をもたらすことを許した。加えて自由化は共産党階級をくじくこととなり、これはソ連の共和国支配を減じることとなった。さらにペレストロイカは各共和国の政府が経済資産を制御することと、中央政府からの留保基金を許した。
1980年代の終わり、ソビエト政府は体制の体制の引き締めを図ったが、既に力をつけていた構成共和国らはこれを拒否した。努力もむなしく、1991年、ソ連は共和国の脱退によって崩壊という結末を迎えた。共和国はこのとき全ての国家が独立国となり、独立後の政府の多くではソビエト時代の共和国の首脳が引き続き政府を構成した。
構成国
ソビエト連邦を構成する共和国は、そのほとんどはソビエト社会主義共和国 (SSR) と名づけられた。ロシア本土はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 (RSFSR) とされ、連邦内の連邦となっていた。
15共和国
1956年から1989年までは、以下の15の共和国があった。なお、ソ連崩壊時にはバルト三国(最後の3共和国)はすでにソ連を脱退しており、12カ国となっていた。
初期にのみあった構成国
これらの構成国に加えて、それ以前に消滅した共和国に以下のようなものがある。
ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国はソ連内の連邦であり、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアの3国からなっていた。さらに自治共和国もあり、形式上は国家が4重になっていた。
その他の地域
ソビエト連邦を構成することはなかったが、ソビエト政府によって以下のような共和国が存在し、ソ連に吸収されている。
位置 | 共和国 | 成立年 |
消滅年 |
首都 | 現在 |
---|---|---|---|---|---|
150px | 極東共和国の旗 極東共和国 |
1922年 | 1936年 | チタ | ロシアの旗 ロシア連邦 極東連邦管区 シベリア連邦管区 |
150px | トゥヴァ人民共和国の旗 トゥヴァ人民共和国 |
1940年 | 1956年 | クズル | ロシアの旗 ロシア連邦 トゥヴァの旗 トゥヴァ共和国 |
独立国家共同体
2008年現在、バルト三国(ラトヴィア・リトアニア・エストニア)を除くソ連邦を構成していた共和国による独立国家共同体(英:Commonwealth of independent states / CIS;露:Содружесво Независимых Государств / СНГ)が構成された。その目的は経済や軍事的協力を目的としているため、永世中立を宣言したトルクメニスタンは準加盟国となっている。
自治共和国
テンプレート:Main ソビエト連邦の各国の中には共和国内に自治共和国を持つものもあった。これらの自治共和国はソ連の構成国内の自治国であるものとされていた。しかし、これらの共和国はソビエト連邦と別途条約を結んでおり、実際は連邦の直轄状態で統治されていた。
註
関連項目
テンプレート:ソビエト連邦構成共和国 テンプレート:ソビエト連邦構成自治共和国
テンプレート:ロシア革命後の国家- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ Federalism and the Dictatorship of Power in Russia By Mikhail Stoliarov; p. 56 ISBN 041530153X
- ↑ The Occupation of Latvia at Ministry of Foreign Affairs of the Republic of Latvia
- ↑ Estonia says Soviet occupation justifies it staying away from Moscow celebrations - Pravda.Ru
- ↑ Motion for a resolution on the Situation in Estonia by the EU
- ↑ European Court of Human Rights cases on Occupation of Baltic States
- ↑ UNITED NATIONS Human Rights Council Report
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ Russia denies Baltic 'occupation' by BBC News
- ↑ "Walter Duranty Explains Changes In Soviet Constitution," Miami News, Feb. 6 1944
- ↑ League of Nations Timeline - Chronology 1944
- ↑ United Nations - Founding Members