国際連合総会
テンプレート:Infobox UN 国際連合総会(こくさいれんごうそうかい、テンプレート:Lang-en)は、基本的に全ての国際連合加盟国が参加する国際連合の議会である。
機能
国際連合憲章に定められた問題を討議して加盟国・安全保障理事会に対して勧告することができる。(憲章第10条)
具体的には以下の5つが挙げられる。
- 平和と安全の維持に関する一般原則の審議と勧告(憲章第11条)
- 政治的、経済的、社会的、文化的、教育的及び保健的分野において国際協力を促進すること。(憲章第13条(1)a,b)
- 国際法の漸進的発達及び法典化を奨励すること。(憲章第13条(1)a)
- 人種、性、言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を実現するように援助すること。(憲章第13条(1)b)
- 国際連合の予算を審議・承認し、加盟国への各種負担金の割当て、専門機関の財政上・予算上の取極めの審議・承認と勧告目的の専門機関の行政的予算の検査(憲章第17条)
権限
国際連合内部における事項に関しては、法的拘束力を有する。しかし、各国に拘束力が生じるのは、国際連合安全保障理事会決議のみで、国際連合総会決議は勧告的効力に留まる。
これに対し、現在の安全保障理事会のあり方に不満を持つ国々からは、決議に拘束力を持たせるなどの総会の権限強化を求める声がある。
構成
各国際連合加盟国はそれぞれに1票を有しているが、ソビエト連邦が崩壊するまではソビエト連邦構成共和国であるウクライナ・ソビエト社会主義共和国と白ロシア・ソビエト社会主義共和国にもソビエト連邦政府とは別枠で1票が与えられていた。
議決は出席して投票した加盟国の過半数の賛否によって決定される。ただし、重要案件に関しては、3分の2以上の多数が必要となる。1960年代以降にはコンセンサス方式も導入されている。(憲章第18条)
総会開幕時には、各国首脳による一般討論演説が行われる。各国首脳が順に登壇し一人15分以内で演説を行う。演説の順序は、一番目がブラジル、二番目がアメリカ合衆国となることが慣例となっている[1]。一番目がブラジルとなる理由としては、安全保障理事会常任理事国の地位を断念した代償とする説や、かつて各国が忌避した1番目をブラジルが引き受けてくれたからとする説など、諸説唱えられている[1]。二番目がアメリカになるのは、国際連合総会がニューヨーク州の国際連合本部ビルにある専用会議場で開催され、アメリカがホスト国を務めるためである[1]。
三番目以降は演説者の地位により国際連合事務局が決定するため、毎回順序が変動する[1]。外交プロトコルに則って国家元首など地位が上の者から順に演説することになるが、各国から演説日時について第一希望から第三希望まで提示されるため、それらも考慮されたうえで順序が決められる[1]。
会期
- 通常会期
- (慣習的に)毎年9月第3火曜日から「通常会期」が開かれる。会期は各会期の初めに設定される。
- 特別会期
- 安全保障理事会の要請又は国際連合加盟国の過半数の要請があったとき、事務総長が招集して「特別会期」を開くことができる(憲章第20条)。これまでに「国際連合軍縮特別総会」が1978年、1982年、1988年に、「国際連合経済特別総会」が1974年、1975年、1980年、1990年に、「国際連合環境開発特別総会」が1997年に開かれた。
- 緊急特別会期
- 1950年の「平和のための結集決議」(総会決議377)に基づいて安全保障理事会の9カ国の賛成投票による要請、または、加盟国の過半数の要請により、24時間以内に招集される「緊急特別会期」(緊急総会)がある。これは、総会の会期中ではない時期に平和と安全に対する脅威が脅かされていながら、安全保障理事会の常任理事国が理事の責務を果たしていない(同盟国擁護のための露骨な拒否権発動)場合において要請できるものである。これまでに、10回の緊急特別会期が設定された。
一覧
回次 | 年 | 国連総会議長 | 議長国 |
---|---|---|---|
第1回 | 1946年 | ポール=アンリ・スパーク | ベルギー |
第45回 | 1990年 | シャミル・シハビ | サウジアラビア |
第46回 | 1991年 | ストヤン・ガネフ | ブルガリア |
第47回 | 1992年 | ストヤン・ガネフ | ブルガリア |
第48回 | 1993年 | ルディ・インサナリ | ガイアナ |
第49回 | 1994年 | アマラ・エシー | コートジボワール |
第50回 | 1995年 | ディオゴ・フレイタス・ド・アマラル | ポルトガル |
第51回 | 1996年 | ラザリ・イスマイル | マレーシア |
第52回 | 1997年 | ヘンナディー・ウドベンコ | ウクライナ |
第53回 | 1998年 | ディディエル・オペルティ | ウルグアイ |
第54回 | 1999年 | テオ=ベン・グリラブ | ナミビア |
第55回 | 2000年 | ハッリ・ホルケリ | フィンランド |
第56回 | 2001年 | 韓昇洙 | 韓国 |
第57回 | 2002年 | ヤン・カバン | チェコ |
第58回 | 2003年 | ジュリアン・フント | セントルシア |
第59回 | 2004年 | ジャン・ピン | ガボン |
第60回 | 2005年 | ヤン・エリアソン | スウェーデン |
第61回 | 2006年 | ハヤ・ラシェッド・アル・ハリファ | バーレーン |
第62回 | 2007年 | スルジャン・ケリム | マケドニア共和国 |
第63回 | 2008年 | ミゲル・デスコト・ブロックマン | ニカラグア |
第64回 | 2009年 | アリ・トレキ | リビア |
第65回 | 2010年 | ジョゼフ・ダイス | スイス |
第66回 | 2011年 | ナーセル・アルナセル | カタール |
第67回 | 2012年 | ビュック・イェレミッチ | セルビア |
第68回 | 2013年 | ジョン・ウィリアム・アッシュ(現任) | アンティグア・バーブーダ |
第69回 | 2014年 | サム・クテサ(予定) | ウガンダ |