アリアナ・アフガン航空
テンプレート:航空会社情報ボックス アリアナ・アフガン航空(Ariana Afghan Airlines)は、アフガニスタンのカーブルに本拠地を置く国営航空会社である。カーブル国際空港を拠点としている。
目次
歴史
設立
王政期の1955年1月設立で、当初は国内線・国際線ともに運航していたが、1967年新設のバフタル・アフガン航空(Bakhtar Afghan Airlines)に国内線業務を委託し、アリアナ・アフガン航空は国際線専用となった。
フラッグキャリア
イスラーム圏と仏教圏、ヒンドゥー教圏に囲まれた文明の十字路アフガニスタンは、多くの文化遺産に恵まれ、外国人観光客に高い人気を誇っていた。そのため外国人にも受け入れられるよう、アリアナ・アフガン航空が業務の効率化やサービス水準の向上など様々な改革を行なった結果、アフガン観光隆盛期の1970年代前半には、多くの専門家により最高級の評価が与えられるなど、フラッグキャリアとして最も華やかな時代を迎えることとなる。
当時としては最新の旅客機であるアメリカ製のマクドネル・ダグラスDC-10を主力機材として、首都のカーブルを拠点に世界中を飛び回るという、フラッグキャリアであるのみならず、国内屈指の大企業であった。
縮小
だがザーヒル・シャー国王の追放による王政崩壊と、それに伴う政情不安、そしてソビエト連邦のアフガニスタン侵攻により、観光業は破綻。国内各地でゲリラ戦が行なわれ、国民所得の激減と国土の荒廃が進んだ。
この結果、アリアナ・アフガン航空の業務も縮小・廃止が相次ぎ、かつてのような栄華はもはや存在しなくなった。1988年にバフタル・アフガン航空が廃止され、アリアナ・アフガン航空が再び国内線も運航するようになったが、かつての顧客はアフガン国内の政治危機から旅行を控え、企業として持ち直すことはできなかった。
1989年にソ連軍が撤退。ムジャーヒディーン・ゲリラ各派の連合政権と内戦、そして1996年からのターリバーン政権と、国内事情は目まぐるしく変わったが、各政権ともにアリアナ・アフガン航空に大きな関心を払うことは無かった。
破産状態
当時、既に国際線はパキスタンなど数カ国、そして小規模な国内線のみを細々と運航していたアリアナ・アフガン航空だが、ターリバーン政権がアリアナ・アフガン航空を武装人員や武器の輸送に利用するようになり、アフガニスタンは相当な経済制裁を国際社会から受け、1999年11月、結果として国連はアリアナ・アフガン航空の国際線の運航を禁止した。
国内線の運航は継続されたが、世界最貧国の1つであるアフガニスタンの国民が、たとえ国内線であっても頻繁に航空機を利用することはできず、収益のあがらない状態が続き、事実上の破産状態に陥った。
復活
だが、2001年のアメリカのアフガニスタン侵攻によりターリバーン政権が崩壊。制裁措置が次々と解除され、2002年1月24日よりアリアナ・アフガン航空も国際線の運航を再開した。その第一号が、インド政府からの無償供与を受けたエアバスA300型機で、ニューデリーのインディラ・ガンジー国際空港とカーブル国際空港の間で運航を再開した。
2014年1月8日、航空会社を評価するサイト AirlineRatings.com において、全世界の航空会社を比較調査した結果、安全性において2つ星の低い評価を受け、448会社中ワースト10にランキングされた[1]。
運行路線
国際線では、カーブルと世界各地(主にアジア)を結ぶ。
アジア
- テンプレート:Flagicon アゼルバイジャン
- テンプレート:Flagicon アラブ首長国連邦
- ドバイ (ドバイ国際空港)
- シャールジャ (シャールジャ国際空港)
- テンプレート:IRI
- テンプレート:Flagicon インド
- テンプレート:Flagicon タジキスタン
- テンプレート:Flagicon 中国
- テンプレート:Flagicon トルコ
- テンプレート:Flagicon パキスタン
ヨーロッパ
EU圏内への乗り入れはしていない。これはEUから「危ない航空会社」[1]と指定されているからである。(安全面に問題があるため、EU圏内での飛行禁止措置がとられている。)
保有機材
アリアナ・アフガン航空の機材は以下の航空機で構成される。(2008年1月現在)
- エアバスA300B4-200型機 2機
- エアバスA310-300型機 1機
- エアバスA321-100型機 1機
- ボーイング727-200型機 3機
- ボーイング727-200貨物機 1機
- An-24型機 1機
発注機材
- ボーイング737-700型機 4機(2009年受領予定)