逗子市
テンプレート:Infobox 逗子市(ずしし)は、神奈川県の三浦半島の付け根に位置する市である。
概要
古都保存法の指定都市となっている。少子高齢化のため人口は頭打ちとなっており、2006年現在、神奈川県の市ではもっとも高齢化率が高い。
市制30周年を記念して、1984年(昭和59年)4月15日に市の花をほととぎすと制定[1]。ほととぎすを『市の鳥』と勘違いしている人もいるが、逗子市が制定したものは花のほととぎすであり、鳥のほととぎすではない。(市の鳥を制定した実績はない)
日本の市町村をアルファベット順に並べると、当市 (Zushi) が最後になる。地名の由来は弘法大師・空海が延命寺に厨子を建立したことによる[2]。
キャッチフレーズは『太陽が生まれたハーフマイルビーチ』。
地理
三浦半島北西部、相模湾に面する都市で、湘南の一部とされることもある。北西に鎌倉市、南に三浦郡葉山町、東に横須賀市北部が位置し、北東で横浜市にも接する。東京や横浜のベッドタウンで、1965年(昭和40年)造成開始の披露山庭園住宅など、新興の高級住宅街が見られる。また鎌倉・葉山などとともに海水浴場のある観光都市でもある。
三浦丘陵の西側にあたるため山がちな地形だが、市内の標高は最高でも140 mほどと特に高い山はない。鎌倉市や葉山町とは尾根筋を境界としているが、山上にも宅地が造成されている。市域の大部分は東部の横須賀市境付近を源流とし相模湾に注ぐ二級河川田越川の流域で、川沿いに平地が広がっている。
隣接している自治体・行政区
歴史
- 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行により、桜山村、逗子村、山野根村、沼間村、池子村、久木村、小坪村が合併して三浦郡田越村(たごえむら)が発足。
- 1889年(明治22年)6月16日 - 官設鉄道(後の横須賀線)開通、逗子駅開設。
- 1924年(大正13年)4月1日 - 田越村が町制を施行し、逗子町と改称。
- 1930年(昭和5年)4月1日 - 湘南電気鉄道(後の京浜急行電鉄)逗子線開業、湘南逗子駅(後の新逗子駅)開設。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 横須賀市へ編入。
- 1947年(昭和22年) - 池子弾薬庫爆発。
- 1950年(昭和25年)7月1日 - 横須賀市より久木、小坪、山野根、新宿、逗子、桜山、池子、沼間の各地区(旧逗子町域)が分離独立し、三浦郡逗子町が再置される。
- 1952年(昭和27年)1月12日 - 小坪漁港が第1種漁港に指定される。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 横須賀線に東逗子駅開設。
- 1954年(昭和29年)4月15日 - 単独市制を施行し、逗子市となる。
- 1958年(昭和33年) - 披露山公園開場する。
- 1965年(昭和40年) - TBS興産により披露山庭園住宅の開発が始まる。
- 1967年(昭和42年) - 小坪湾(逗子マリーナ)埋め立て工事開始。
- 1996年(平成8年) - 池子米軍家族住宅への入居開始。
- 2000年(平成12年)1月19日 - 古都保存法の指定都市となる[3]。
行政
歴代町長
1950年に横須賀市から分離独立した逗子町の町長
1943年に横須賀市に吸収される以前の逗子町の町長は逗子町#行政を参照
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | 荒井友三郎 | 1950年 (昭和25年) 7月24日 | 1953年 (昭和28年) 7月27日 | 早雲山道了山別院に滞在中、土砂崩れにより在職中死去[5] |
2 | 2 | 山田俊介 | 1953年 (昭和28年) 9月13日 | 1954年(昭和29年)4月15日 | 内務官僚、第42代青森県知事、満州国警務総局長[6]、第35代福岡県知事 |
歴代市長
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | 山田俊介 | 1954年(昭和29年)4月15日 | 1957年(昭和32年)9月12日 | 市制施行に伴い市長に就任 |
2 | 1957年(昭和32年)9月13日 | 1961年(昭和36年)9月12日 | |||
3 | 1961年(昭和36年)9月13日 | 1965年(昭和40年)9月12日 | |||
4 | 1965年(昭和40年)9月13日 | 1969年(昭和44年)7月1日 | 在職中死去 | ||
5 | 2 | 高橋鯛蔵 | 1969年(昭和44年)8月17日 | 1973年(昭和48年)8月16日 | |
6 | 3 | 三島虎好 | 1973年(昭和48年)8月17日 | 1977年(昭和52年)8月16日 | |
7 | 1977年(昭和52年)8月17日 | 1981年(昭和56年)8月16日 | |||
8 | 1981年(昭和56年)8月17日 | 1984年(昭和59年)10月6日 | 池子問題において池子米軍住宅建設を条件付きで受け入れ辞職 | ||
9 | 4 | 富野暉一郎 | 1984年(昭和59年)11月11日 | 1987年(昭和62年)8月28日 | 住宅建設反対派。池子問題で当時建設容認派多数の市議会と対立し辞職 |
10 | 1987年(昭和62年)10月12日 | 1988年(昭和63年)11月10日 | |||
11 | 1988年(昭和63年)11月11日 | 1992年(平成4年)11月10日 | |||
12 | 5 | 澤光代 | 1992年(平成4年)11月11日 | 1994年(平成6年)11月30日 | 池子米軍住宅建設の白紙撤回要求を断念、条件付き合意後辞職。住宅建設反対派 |
13 | 6 | 平井義男 | 1994年(平成6年)12月25日 | 1998年(平成10年)12月24日 | 住宅建設容認派 |
14 | 7 | 長島一由 | 1998年(平成10年)12月25日 | 2002年(平成14年)12月24日 | |
15 | 2002年(平成14年)12月25日 | 2003年(平成15年)8月24日 | 米軍住宅追加建設問題で、市民の信を問うため辞職 | ||
16 | 2003年(平成15年)9月14日 | 2006年(平成18年)12月24日 | |||
17 | 8 | 平井竜一 | 2006年(平成18年)12月25日 | 2010年(平成22年)12月24日 | |
18 | 2010年(平成22年)12月25日 |
人口
産業
姉妹都市・提携都市
国内
海外
地域
町丁名
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公共施設
- 逗子文化プラザ
- 逗子市立図書館
- 文化プラザホール
- 市民交流センター
- 第一運動公園
- 野球場
- テニスコート
- 弓道場
- 屋外プール(第一運動公園プール) ほか
- 逗子アリーナ(市立体育館)
- 飯島公園プール
- 逗子市高齢者センター
- 池子デイサービスセンター
- 逗子市環境クリーンセンター
- 青少年会館
- 小坪公民館
- 沼間公民館
- 逗子市郷土資料館
教育
高等学校
中学校
小学校
交通
鉄道路線
横須賀線が北西から東へ、京浜急行電鉄逗子線が北東から中央部へと走る。市の代表駅は市の中心部にある逗子駅および新逗子駅。
バス路線
道路
海岸沿いと谷筋に沿って幹線道路が延びている。他の自治体とは基本的にトンネルで連絡するが、山上に住宅団地が造成されているため住宅地の区画道路が市境となっている箇所も見られる。幹線道路を含め、大半の道路が2車線以下である。
- 国道134号
- 横浜横須賀道路:逗子IC
- 逗葉新道
- 神奈川県道24号横須賀逗子線
- 神奈川県道207号森戸海岸線
- 神奈川県道217号逗子葉山横須賀線
- 神奈川県道205号金沢逗子線
- 神奈川県道311号鎌倉葉山線
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
国指定文化財
重要文化財
- 五輪塔
- 石造五輪塔で「乾元二年(寛元2年、1244年)癸卯七月八日」の刻銘がある。池子の東昌寺に所在。1935年に「石造五輪塔一基」として重要美術品等に認定[10]、1953年8月29日に「高養寺五輪塔」として重要文化財指定[11]、1977年6月27日に「五輪塔」へ名称変更[12]。
史跡
景勝十選
- 田越川の桜と柳
- 久木大池公園
- 名越切通し
- 大崎公園の展望
- 濾花記念公園
- 六代御前の墓
- 岩殿山
- 逗子海岸と浪子不動
- 披露山公園
- 神武寺
その他
関連人物
出身人物
- 愛甲猛(元プロ野球選手、実業家)
- 藍田美豊 (少女隊メンバー)
- 有川治男 (美術史家)
- 飯島彰己 (実業家、第11代三井物産社長)
- 石原伸晃(第45代自由民主党幹事長。衆議院議員)
- 石原延啓 (画家。石原慎太郎の四男)
- 石原宏高(衆議院議員。石原慎太郎の三男)
- 石原良純(俳優、タレント、気象予報士)
- 石渡省吾 (イチノイーヴォーカル&ギター)
- 伊奈祐介 (将棋棋士)
- 大野済也 (アナウンサー、岐阜県各務原市育ち)
- 小此木八郎 (衆議院議員)
- 小山田春樹(フリーアナウンサー)
- 鎌田奈緒子(セーリング選手)
- 川地民夫 (俳優)
- 北村隆二 (サッカー選手)
- キマグレン(歌手)
- 小島慎也(チェスプレーヤー)
- 小林至(元プロ野球選手、福岡ソフトバンクホークス海外担当兼中長期戦略担当部長)
- 坂元亮介(俳優、日本舞踊家)
- 三遊亭右女助 (3代目) (落語家)
- 重松理 (ユナイテッドアローズ代表取締役社長)
- シャンティ・スナイダー (歌手、作詞家)
- 新藤宗幸 (政治学者)
- 逗子三兄弟(歌手)
- 高木完 (ヒップホップミュージシャン)
- 高橋正治 (国文学者)
- 武川雅寛 (ミュージシャン、ムーンライダーズのバイオリン、トランペット担当)
- 竹腰美代子 (美容研究家、香淳皇后の体操講師)
- 常磐津松尾太夫 (三代目) (常磐津節太夫)
- 中村夏子(元さまぁさまぁのお笑い芸人)
- 中村宗弘 (日本画家。中村岳陵の孫)
- 辺見マリ (歌手、女優。京都府京都市育ち)
- 宮沢明子 (ピアニスト)
- 森田浩康 (アナウンサー)
- 諸角敬 (建築家)
- 山際淳司 (作家、「江夏の21球」筆者)
- 山内美郷 (エッセイスト)
- 吉野万理子 (小説家、脚本家)
- 米山香織(プロレスラー)
- 陵あきの (元宝塚歌劇団宙組の娘役。宝塚歌劇団76期生。中村岳陵の孫)
- 和田城功 (プロレスラー)
在住者
逗子に在住した人物(すでに移住した人物、故人も含む)
- 阿部義晴(ミュージシャン、ユニコーン)
- 石田博英 (元内閣官房長官)[13]
- 石原慎太郎(東京都知事、政治家、作家。逗子海岸には『太陽の季節』を記念したオブジェがある)[13]
- 石原裕次郎(俳優、歌手。兵庫県神戸市生まれ)
- 上野ひとみ(タレント、おさかなマイスター)
- 江刺昭子 (評伝作家、女性史研究家)[14]
- 岡田武史(元サッカー日本代表監督)
- 岡本雨 (作家、編集者)
- 尾崎行雄 (政治家、披露山の風雲閣を住まいとした。)
- 小田和正(歌手)
- 折原みと(少女漫画家、恋愛小説家)
- 釜屋忠道 (海軍中将)
- 上泉徳弥 (海軍中将)
- 川西實三 (元日本赤十字社社長)[13]
- 菊池福治郎 (政治家、池子に在住した。)
- 久世隆一郎 (スバルテクニカインターナショナル初代社長)
- 国木田独歩 (小説家、詩人)
- 小林與三次 (元自治省事務次官・元読売新聞社社主)[13]
- 正力松太郎(元読売新聞社社主)[13]
- 鈴木英人(イラストレーター)
- 反町隆史(俳優)
- 田中秀太(元プロ野球選手、逗子シニア・小倉シニア出身)
- 辻嘉六 (実業家)
- 徳富蘆花 (『不如帰』『自然と人生』などの作者)
- 徳富蘇峰 (思想家、評論家)
- 長島一由 (政治家、元逗子市長)
- なかにし礼 (小説家、作詞家)
- 新田恵利 (タレント、歌手)
- 林京子(小説家)
- 福井勇 (政治家)[13]
- 伏見広綱 (源頼朝の右筆)
- 藤森成吉 (小説家、劇作家)
- 松嶋菜々子(女優)
- 村上格一 (海軍大将、新宿に在住した)
- 三田一也 (海軍中佐、警備救難監、海上保安庁次長、Y委員会のメンバー)
- みのもんた(タレント、かつて久木に在住)
- 稔(プロレスラー)
- 安井英二 (元内務大臣、元国家公安委員会委員長)[13]
- 矢野義明(作曲家)
- 山下亀三郎 (実業家。桜山に在住し、その家はのちに石原一家が移住。)
- 山田俊介 (内務官僚、政治家)[13]
- 和歌山静子 (挿絵画家、絵本作家)
- 脇村義太郎 (東京大学名誉教授)[13]
ゆかりの人物
- 石井貴(元プロ野球選手、コーチ)
- 伊集院静 (作家)
- 加賀美希昇 (プロ野球選手、逗子リトルシニア出身)
- 東郷平八郎 (海軍大将、元帥。東郷浜)
- 成瀬正恭 (別荘が現存。黒門として有名。)
- 平田東助 (元内大臣)
- 藤瀬政次郎 (別荘を所有。のちに脇村義太郎が購入し、旧脇村邸として蘆花記念公園に現存)
- 松任谷由実(歌手)
- 養父鉄 (元プロ野球選手、逗子リトルシニア出身)
脚注
外部リンク
- 行政
- 観光
- ↑ 逗子市の市の花 - 逗子市役所
- ↑ 『ビートたけしの教科書に載らない日本人の謎2010』(日本テレビ系)
- ↑ 同日、政令第4号
- ↑ 4.0 4.1 歴代逗子市長、副市長(助役)及び収入役
- ↑ 誰か昭和を想わざる 昭和ラプソディ 昭和28年(7月~9月)<神奈川・箱根>早雲山で山津波、10人死亡
- ↑ 山田俊介追悼録編集委員会『山田俊介追悼録』昭和46年12月20日発行
- ↑ 逗子市公式サイト>伊香保町との姉妹都市交流について
- ↑ 逗子市公式サイト>国際友好都市 (ナザレ市)
- ↑ 在ポルトガル日本国大使館>日・葡関係
- ↑ 同年、文部省告示第202号
- ↑ 同年10月2日、文化財保護委員会告示第75号
- ↑ 同日、文部省告示第130号
- ↑ 13.0 13.1 13.2 13.3 13.4 13.5 13.6 13.7 13.8 『池子の森』 逗子市編集 ぎょうせい発行 1993年2月20日発行 p.75
- ↑ 『逗子は燃えた、そして 池子住民訴訟ノート』インパクト出版会 1990年12月25日発行