永六輔の誰かとどこかで
テンプレート:基礎情報 ラジオ番組 テンプレート:ウィキポータルリンク 『永六輔の誰かとどこかで』(えいろくすけのだれかとどこかで)とは、TBSラジオをキーステーションに、全国JRN系列で放送したラジオ番組である。
目次
出演者
概要
永六輔が世相批評などを交えながら日々の雑感を語っていたほか、聴取者からの投書などによるやり取りも活発に行っていた。
提供スポンサーは当初呉羽化学工業(現:クレハ)だった[1]が、その後鐘淵化学(現:カネカ)[2]を経て1972年ごろより桃屋に変更[3]され、以後は一部のネット局を除き桃屋の一社提供で定着した。 しかし2013年4月以降は桃屋の提供がTBSラジオのみとなることに伴い、同年3月29日をもってネットワークセールス枠から外され、一部のネット局が相次いで放送を打ち切った。
TBSラジオが制作し、録音してから全国にネットするテープネット番組であるが、TBSラジオで報道特別番組が編成されるなど放送できなくなった場合は、裏送りに変更していた。
当初は土曜日にも放送しており、TBSラジオでは1974年4月12日まで月曜 - 金曜・土曜日ともに独立番組だったが、同年4月13日から土曜のみ『永六輔の土曜ワイド』に内包された(永は1975年3月29日午前中の放送で一旦土曜ワイドから降板するが、ワイド内包コーナーは継続していた)。
1981年1月31日をもって土曜日の放送が終了すると、同年2月2日から月曜 - 金曜の独立帯番組となり、1985年4月5日まで続いた。
その後月曜 - 金曜の放送も、1985年4月8日放送開始の『スーパーワイドぴいぷる』(1986年4月4日まで、1985年10月3日までは、木曜日のみ『村野武憲のいきなりラジオ』)からワイド番組に内包するようになった。
沿革
- 1967年
- 1969年
- 10月6日 - 現在の番組タイトルに変更。
- 2003年
- 9月1日 - 放送回数が10,000回に到達。
- 2007年
- 2011年
- 5月2日 - 放送回数が12,000回に到達。
- 2013年
- 8月29日 - 放送を9月27日で終了すると発表。理由はスポンサーの桃屋が降板する意向を伝えられたことに加え、永自身も医師から「体に無理がかかっているので、休むように」と助言を受けたこと[4]、さらにパーキンソン病の影響から滑舌が悪くなることが増え、聴取者からも「痛々しいから休んでほしい」という声が多く寄せられたことをあげている[5]。TBSラジオも終了について「永さんの体調を含め総合的に考えた結果」としている[6][7]。
- 9月27日 - この日の放送をもってレギュラー放送を終了。総放送回数は12,629回にのぼり、放送期間も約46年9か月にわたった。同一人物によるラジオ番組としては、同じくTBSラジオなどで放送された「秋山ちえ子の談話室」の12,512回を上回り、TBS制作のラジオ番組としては最長寿番組となった[4][8]。永自身は放送を「やめる」とはせず「休む」とし、終了後も番組宛のメールボックスが残され、はがきや封書での投書は引き続き可能。TBSラジオでも、今後同名の特別番組を放送することを検討している[6]。
- 2014年
- 1月1日 - レギュラー放送終了後初の特別番組として「永六輔の誰かとどこかで 2014年初場所」を放送(放送日はTBSラジオのもの、後述)。
主なコーナー
- 七円の唄
- 毎週金曜日に放送。
- リスナーから投稿された日常の風景を紹介する。タイトルは、番組開始当時の郵便料金(はがき)が7円だったことに由来。
- 長らく永と遠藤の2人でハガキを読む形式だったが、2008年10月3日以降は遠藤がハガキを読み、その内容に永がひと言付け加える形式に変更された。
- 1981年1月までは土曜日に放送していたが、同年2月から金曜日に移行した。
- BGMはタレガの「アルハンブラの思い出」が使われていた。
- 五十円の小言
- 2008年以降、主に木曜日に放送(2010年4月以降は不定期)。タイトルは、2008年当時の郵便料金(はがき)が50円だったことに由来。
- 主にリスナーが感じた苦言や小言に関する投稿を読み、永が感想などを加えていた。
上記以外は、永六輔が自分の思ったことや感じたこと、旅をした各地のことなどを述べるコラムが中心となっていた。
そのほか、「七円の旅」「五十円の感謝状」といった投稿企画もあった。
番組の構成
本編は冒頭で遠藤が放送月日・曜日をアナウンスして始まるが、月曜日のみ放送月日・曜日に加え放送回数もアナウンスするのが通例となっていた(ただし、最終週は毎日放送回数まで読み上げていた)。
オープニングやエンディング時は、桃屋提供となっている局とそれ以外で一部異なっていた。以下は一例。
- 桃屋提供ありの場合
- オープニングは「遠くへ行きたい」がフルで流れる。この曲をBGMに、﨑南海子作の「○月の唄(桃屋を織り込んだ詩)」が遠藤によって朗読される。この中で「窓辺、(または空の下、)桃屋の空き瓶に・・・・」というくだりが日替わりで変更される。
- 遠藤によるスポンサー紹介ナレーションは、番組開始時・終了時ともに「この番組は味を大切にする桃屋がお送りします(しました)」となっている。
- 本編のトーク後に、遠藤が桃屋製品の紹介をする(プレゼントの紹介・案内をする時もある)。
- 終了時は、遠藤が提供アナウンスのあとに「誰かとどこかで、ではまた明日(来週)です」と締めていた[注 1][注 2]が、このときのBGMはワイド番組内包局と独立番組局で若干長さが異なる(前者は後者より早く、フェイド・アウトしている)。
- 桃屋提供なしの場合
- オープニングは「遠くへ行きたい」のBGMと共に、遠藤アナウンスのタイトルが放送される。その後、各局の提供 → CMになる。CMが無い局は、本編に入るまでテーマ曲が流れ続ける。
- 桃屋提供より、本編のトークが若干長くなっている。
- 「誰かとどこかで、おしゃべりは永六輔、遠藤泰子でした」と締めたあと、BGMが時間まで流れ続ける。局によってCMや提供アナウンスを挿入するところもある。
- <例>山梨放送の場合(2007年12月現在の内容)
- 提供なし版タイトル後、一旦、音楽が下がってから「ローカル提供」 → ローカルCM → 再び音楽が上がって、本編へ → 挨拶後、音楽が下がって、ローカルCM → ローカル提供 → 再び音楽が上がって、11:49に音楽が下がって、番組が終わる。
ネット局一覧
テンプレート:節stub 北から順に掲載。
- 凡例
- 放送局名が太字:終了まで桃屋提供
- 放送局名が細字:桃屋以外の複数社提供、またはスポンサーなし
- ☆印:2013年3月までは桃屋提供
終了時までネットした局
終了時点でワイド番組に内包していた場合は、その番組名を記載する。
- ☆青森放送
- ☆東北放送
- 山形放送
- ラジオ福島(朝から全開!)
- TBSラジオ(大沢悠里のゆうゆうワイド)※制作局
- 山梨放送
- ☆静岡放送(月曜 - 木曜:ほのぼのワイド 中村こずえのsmile for You、金曜:ラジオWEST〜寺田繭子のわくわく金曜日〜)
- ☆CBCラジオ(つボイノリオの聞けば聞くほど)
- 北日本放送
- 北陸放送
- 福井放送
- ☆中国放送
- ☆四国放送(えんやこらワイド)
- ☆RKB毎日放送
- 大分放送
- 長崎放送
- 熊本放送
- 南日本放送
放送終了以前にネットを打ち切った局
- 2013年3月以前にネットを打ち切った局
レギュラー放送終了後の特別番組
- 永六輔の誰かとどこかで 2014年初場所
- TBSラジオ(制作局)での放送時間:2014年1月1日 18:00-19:00[10]
- 同時ネット:中国放送
- 先行ネット:山梨放送・信越放送・RKB毎日放送
- 遅れネット:北海道放送・東北放送・北日本放送・福井放送・CBCラジオ・大分放送・長崎放送・琉球放送
- 永六輔の誰かとどこかで 2014年春場所
- TBSラジオ(制作局)での放送時間:2014年4月29日 21:00-22:00[11]
- 同時ネット:IBC岩手放送
- 先行ネット:長崎放送・CBCラジオ・福井放送・山口放送
- 遅れネット:東北放送・山梨放送・信越放送・北日本放送・琉球放送
備考
- 永が1995年(平成7年)3月にCBCラジオ『つボイノリオの聞けば聞くほど』へゲスト出演した際、つボイとの話の最中に『誰かとどこかで』の時間になり、つボイが話を一旦終わらせようとすると、永が「(『誰かとどこかで』は)流さなくていいです。桃屋には僕から言っておきますから」とそのまま話を続け、『誰かとどこかで』を放送しなかったことがあった。桃屋からクレームが入ることはなかったが、CBCの編成や営業部門では大きな問題となり、これ以降は必ず放送していた[12]。
- 桃屋提供局の中には、夏の高校野球選手権地方大会の中継時に限り、本編を放送せずCMのみネットする局が一部あった。
- 2011年(平成23年)3月14日から3月25日の放送では11日に発生した東北地方太平洋沖地震に配慮し番組を休止、遠藤泰子が担当し番組休止のお知らせと「この時間は音楽でお楽しみ下さい」とナレーションした後インストゥルメンタル2〜3曲を放送した。この際は桃屋のスポンサーコールはなく、オープニングは「遠くへ行きたい」の別アレンジ曲が使用された。
- 2011年11月に永が転倒によるケガで入院した際も、病室で収録し放送を休むことはなかった。
- CBCラジオでは本番組終了後の後枠として、2013年9月30日より「つボイノリオの誰かとどこまで」と題した当番組のパロディコーナーが放送されており、テーマBGMには「金太の大冒険」を尺八によってアレンジしたものが使用されている。
関連番組
- 1976年度から1983年度にかけて、当番組の増刊号的な姉妹番組「六輔七転八倒」(ろくすけしちてんばっとう)が、プロ野球オフシーズンの毎週水曜20:00〜20:55(JST)(「ゴールデン・ワイド」枠)に放送されていたことがある(提供は桃屋、アメリカ屋靴店など)。こちらは全編生放送で、永・遠藤に加え両者と親交のある中村八大もレギュラー出演。トークの合間に中村がピアノ演奏していた。なお、同番組は近畿広域圏で朝日放送(ABC)がネットしていたが、11月下旬の水曜に「速報!日本レコード大賞」(レコ大ノミネート歌手発表番組。TBSテレビとの同時放送)が放送された場合、「速報! - 」はテレビネットワークの関係上毎日放送(MBS)にネットされるため、本来休止となる「七転八倒」は、ABCのみ裏送りネットで生放送された。ABCには親交のあるアナウンサー道上洋三がいるが、「誰かとどこかで」は編成の都合で放送していない。
番組関連書籍
永六輔・崎南海子・遠藤泰子編『七円の唄 誰かとどこかで』シリーズ(『・・・』1~3、『・・・生きているということは』、『・・・ことづて』、『・・・めぐりあい』、『永六輔の「誰かとどこかで」北から、南から』)朝日出版社
脚注
出典
前後番組
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- ↑ テンプレート:PDFLink
- ↑ テンプレート:PDFLink
- ↑ 4.0 4.1 毎日jp(2013年8月29日)
- ↑ 毎日jp(2013年9月25日)
- ↑ 6.0 6.1 永六輔さんのラジオ番組、46年の歴史に幕 「誰かとどこかで」,産経新聞,2013年8月29日
- ↑ 永六輔の長寿ラジオ番組「誰かとどこかで」終了へ,スポーツ報知,2013年8月29日
- ↑ スポニチアネックス(2013年9月27日)
- ↑ 9.0 9.1 ラジオ新番組速報版(三才ブックス)より。
- ↑ テンプレート:Cite web
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- ↑ 「つボイノリオの聞けば聞くほど本」学研より。
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