京成バス市川営業所

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市川営業所(柏井車庫)

京成バス市川営業所(けいせいバスいちかわえいぎょうしょ)は、千葉県市川市柏井町に位置し、市川市北部、松戸市南部、船橋市西部に路線を持つ京成バスの営業所である。主なターミナルとして、市川駅本八幡駅の2駅が挙げられる。従来は市川市南部、鎌ケ谷市白井市印西市浦安市にも路線を有していたが、現在これらの路線はちばレインボーバス京成トランジットバスに移管されている。

沿革

市川には大正時代からバスが運行されていたが、京成(または京成乗合)運行を開始したのは昭和初期である。その当時はこの地域に営業所がなく、奥戸営業所(現・京成タウンバス)による浅草 - 八幡線(旧・奥戸線)と、習志野営業所(船橋営業所の前身)による市川船橋線(国府台 - 船橋線)が乗り入れていた。ただし、車庫が全くなかったわけではない。「京成電鉄85年のあゆみ」に掲載されている当時の路線図によると、旧・京成八幡駅(現・八幡神社付近に鉄道駅があり、その真南すなわち市役所前付近に(旧)京成八幡駅バス停があった。その当時、今の京成八幡駅は「新八幡」という名称だった。)よりもさらに東に旧・八幡車庫が存在していたことが示されている。

1942年1月24日東京地下鉄道(株)(ただし、1941年11月末までは葛飾乗合自動車(株)。京成の買収にあたって、事前に東京地下鉄道と合併。)より路線を継承し、浦安・行徳新小岩西新井などが京成のエリアとなった(ただし、西新井については戦時統合により東武エリアに変更。)。同日には行徳馬車自動車(資)より船橋 - 行徳線(現在の原木線に近い。)も買収している。

その後1943年7月14日には、森田祐吉の経営する八幡 - 木下間を主とする路線を買収した。このときに、国鉄本八幡駅の南側に初代・市川営業所が開設された。(その時点で旧八幡車庫は不要となったのだろうが、詳細は不明である。)。こうして、初代・市川営業所は千葉街道沿線、浦安方面、大柏、国分方面等に至る比較的短距離の路線と、白井・木下に至る長距離路線を営業することとなった。

戦後、昭和20年代には、大柏線が高塚入口で分岐した高塚線(現在は、大柏線と高塚線をまとめて高塚線と呼称)、通称市川市内循環と呼ばれた富貴島線(現在とルートが異なる)が新設され、本八幡駅及び市川駅近傍の輸送力は大幅に増強された。 2008年12月17日ICカードPASMO」を導入した。

現行路線

高塚線

  • 本31:本八幡駅 - 京成八幡駅 - 昭和学院 - 高塚入口 - 高塚
  • 本31:本八幡駅 - 京成八幡駅 - 昭和学院 - 高塚入口 - 高塚 - 東松戸駅
  • 本32:本八幡駅 - 京成八幡駅 - 昭和学院 - 高塚入口 - 市川大野駅 - 大町公民館 - 大町駅
  • 本33:本八幡駅 - 京成八幡駅 - 昭和学院 - 高塚入口 - 市川大野駅 - 大町公民館 - 大町駅 - 市川営業所
  • 本34:東松戸駅 - 高塚
  • 本35:医療センター入口 - 保健医療福祉センター - 姫宮団地入口 - 市川大野駅 - 大町公民館 - 大町駅
  • 本36:本八幡駅 - 京成八幡駅 - 昭和学院 - 高塚入口 - 市川大野駅 - 殿台入口 - 高塚
    • 戦前:本八幡駅 - 大柏を開通。
    • 1953年5月1日:本八幡駅 - 高塚を開通。
    • 昭和:大柏線を本八幡駅 - 大柏 - 旧・大町(現・大町公民館)に延長。
    • 1970年頃:大町発着便を本八幡駅 - 大柏 - 現・大町に延長。
    • 1990年12月1日:大町発着出入庫便として本八幡駅 - 市川大野駅 - 大町 - 大町東 - 柏井車庫を開通。
    • 1991年3月31日北総線の開通により、高塚発着便の一部が東松戸駅まで延長となる。大町発着便が大町駅を経由するようになる。
    • 2012年8月16日:本35 医療センター入口 - 保健医療福祉センター - 市川大野駅 - 大町駅を開通
    • 2013年12月16日:本36 本八幡駅 - 高塚入口 - 市川大野駅 - 殿台入口 - 高塚を開通

本八幡駅北側の主幹路線である。途中の高塚入口までは全便が共通のルートで、それ以北で高塚・東松戸駅側と大町駅・市川営業所側に分かれる。京成電鉄五十五年史(昭和40年代初期)では高塚方面便と大町方面便をそれぞれ「高塚線」「大柏線」と区別しているが、初期の市川市統計資料ではすべて「大柏線」と取り扱っており、当時の本社と営業所の路線の呼び方が異なっていたことがうかがえる。結局、昭和50年代頃よりまとめて高塚線と呼ぶようになったようである。

大町側については1970年前後までは現在の大町公民館が終点であり、その当時はここが「大町」と名乗っていた。ちなみに、かつてこの付近は新京成電鉄によるバス路線(八柱線)があり、同社の停留所については廃止されるまで「大町」のままだった。柏井車庫(現:市川営業所) - 大町間は1990年12月、大町 - 大町駅間と高塚 - 東松戸駅間は北総線全通時の1991年3月にそれぞれ延長された。

高塚側については、1953年の開通以後しばらく変化が無かったが、1991年3月の北総線開通に伴い、一部の便が東松戸駅まで延長された。延長前の1991年3月30日までは本八幡駅 - 高塚入口便が朝にあり、高塚入口には操車場もあった(現在は廃止)。この高塚入口の操車場は早期から存在していたが、容量が小さかったため、高塚に新しい操車場ができると、その役目を譲り、晩年は折返場となっていた。朝だけしか使わなかったので、昼間はくさりで入れないようになっていた。

少なくとも昭和末期以降、高塚行きは7 - 10分おき、大町行きは15分おきと頻繁運行されていたが、利用者は高塚入口までに多い。2003年4月1日の改正で高塚側の便数が減らされ、高塚までが15分おき、東松戸駅までが30分おきとなった。

市川営業所と後述の医療センター入口(旧:市川北高校)はほとんど同じ場所にある。医療センター入口停留所は車庫の南側にあり、市川営業所停留所は車庫の北側にある。わざわざ名前を変えたのは誤乗防止が理由と考えられる。

国分線

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松51系統のみ松戸営業所が担当
  • 市41:市川駅 - 市川真間駅 - 菅野六丁目 - 国分 - 国分高校
  • 市42:市川駅 - 市川真間駅 - 菅野六丁目 - 国分 - 高塚入口 - 市川大野駅 - 姫宮団地入口 - 医療センター入口
  • 市43:市川駅 - 市川真間駅 - 菅野六丁目 - 国分 - 国分操車場 - 北国分駅
  • 市44:市川駅 - 市川真間駅 - 菅野六丁目 - 国分 - 国分操車場 - 聖徳学園
  • 市45:市川駅 - 市川真間駅 - 菅野六丁目 - 国分 - 高塚入口 - 高塚 - 東松戸駅

(※松戸 - 聖徳学園線は松戸営業所を参照のこと。)

  • 松51:市川駅 - 市川真間駅 - 菅野六丁目 - 国分 - 国分操車場 - 胡録神社 - 松戸駅(松戸営業所担当)
  • 松54 : 松戸駅 - 山下 - 一条会病院前 - 北国分駅 - 聖徳学園 - 国分操車場 - 国分 - 菅野六丁目 - 市川駅(松戸営業所担当)
  • 松55 : 松戸駅 - 山下 - 一条会病院前 - 北国分駅 - 国分操車場 - 国分 - 菅野六丁目 - 市川駅(松戸営業所担当)
    • 戦前:市川駅 - 国分を開通。当初は市川真間駅非経由。市川真間駅を経由するようになった日は不明。
    • 1961年8月25日頃:市川駅 - 国分 - 松戸駅を開通。折返便として、市川駅 - 国分が多数。当時は全便が市川営業所担当。
    • 1965年9月1日:市川駅 - 国分高校を開通。
    • 1984年4月6日:市川駅 - 聖徳学園を開通。
    • 1985年12月20日:市川駅 - 高塚入口 - 市川大野駅 - 五中入口 - 市川北高校および聖徳学園 - 五中入口 - 市川北高校を開通。この頃に市川 - 松戸便が松戸営業所担当となる。
    • 1991年3月31日:北総線開通に伴い、市川駅 - 北国分駅および北国分駅 - 市川北高校(現:医療センター入口)を開通。
    • 1997年10月6日:北高発着便をこざと公園入口・姫宮団地入口経由に変更。北国分駅・聖徳学園の北高出入庫便を廃止。
    • 2000年6月1日:北国分駅便を大幅増便し、市川 - 聖徳便を通学時間帯のみに変更する。
    • 2008年11月17日:中国分線が北国分駅まで延伸されたのに伴い、北国分駅便が大幅減便。
    • 2011年4月1日:市川北高校閉校に伴い市川北高校停留所名を医療センター入口に改称。
    • 2012年8月16日:市川駅-国分-高塚入口-高塚-東松戸駅を開通
    • 2013年8月1日:松51を大幅減便。それに対する措置として市43から北国分駅・市44から聖徳学園で松52への乗継ぎ制度を開始。[1]
    • 2013年10月1日:市43・44系統が松戸営業所との共同運行になる。[2]
    • 2014年5月1日 : 市43・市44系統と乗り継ぎ先の松52系統を統合、松54・55系統新設。北国分駅・聖徳学園での乗継ぎ制度終了。

国分線は市川駅から北の国分地区に向かう系統である。終点側で多くの方向に枝分かれしていることが特徴である。

この線の開通は戦前であり、市川駅 - 国分間を運行していたことや、当時は市川真間駅 - 菅野駅間の踏切を渡っていたことを、当時の路線図から確認することができる。ただし、運行頻度、営業所等、詳細な情報は不明である。

その後、市川真間駅経由となったが、市川と松戸がつながった時期は意外と新しく、1961年のことである。その時点では、国分の折返便が多かったが、1965年に国分高校便が新設され、線の主力はこの便に変わっていった。

富貴島線・鬼越線・市川学園線

  • 市61:市川駅 - 市川真間駅 - 菅野六丁目 - 市川総合病院 - 昭和学院 - 八方橋 - 市川学園(東菅野五丁目)
  • 市62:市川駅 - 市川真間駅 - 菅野六丁目 - 市川総合病院 - 昭和学院 - 八幡六丁目 - 市川学園
  • 市63:市川駅 - 市川真間駅 - 菅野六丁目 - 市川総合病院 - 昭和学院 - 京成八幡駅 - 本八幡駅
  • 本71:本八幡駅 - 鬼越駅 - 八方橋 - 市川学園
  • 本71:本八幡駅 - 鬼越駅 - 八方橋 - 市川学園 - 姫宮団地入口 - 医療センター入口
  • 本72:本八幡駅 - 京成八幡駅 - 八幡六丁目 - 市川学園
  • 本73:本八幡駅 - 現代産業科学館・メディアパーク - 鬼越駅 - 八方橋 - 市川学園
  • 本73:本八幡駅 - 現代産業科学館・メディアパーク - 鬼越駅 - 八方橋 - 市川学園 - 姫宮団地入口 - 医療センター入口
  • 西55:西船橋駅 - 東中山駅入口 - (無停車) - 市川学園
    • 1957年10月15日:市川駅 - 市川真間駅 - 菅野六丁目 - 東京歯科大(現在の市川総合病院) - 菅野一丁目 - 東菅野広小路 - 菅野交番前 - 八方橋 - 鬼越駅 - 市役所 - 京成百貨店入口 - 市川駅が開通。1977年頃の方向幕は「市内循環 眞間駅廻り」(青文字)と「市内循環 郵便局廻り」(赤文字)
    • 1979年8月28日またはそれ以前:東菅野五丁目 - 中山団地 - 八方橋 - 菅野四丁目 - 市川駅 - 市役所 - 八方橋 - 中山団地 - 東菅野五丁目(現・市川学園)に変更。
    • 1983年10月31日:循環線が昭和学院経由となる。本八幡駅(復路終点は京成百貨店入口) - 鬼越駅 - 東菅野五丁目が開通。
    • 昭和:折返線(東菅野五丁目 - 昭和学院 - 市川駅)が設けられる。
    • 1995年4月1日:循環線が市川駅で分割される。
    • 1997年10月6日:市役所経由便が本八幡駅 - 鬼越駅 - 東菅野五丁目に短縮。復路終点が本八幡駅に変更。
    • 2003年4月1日:市川学園の移転に伴い、本八幡駅発の朝ラッシュ時の便が八幡六丁目経由に変更。西船橋駅 - 東菅野五丁目の直通バスが運行開始(平日通学時間帯)。
    • 2005年12月1日:東菅野五丁目バス停名が市川学園に変更。(方向幕も市川学園に変更)
    • 2009年11月16日:市63系統を新設、富貴島線の市川学園行の一部便が本八幡駅行に変更。
    • 2014年5月16日:鬼越線の一部便がニッケコルトンプラザに乗り入れ。

富貴島線は、1957年に市川市内を循環する路線として市川駅 - 市川総合病院 - 八方橋 - 市役所 - 市川駅が開通した。当時は道路状況が悪くなかったため、頻繁運行が行なわれ市民の足となっていた。なお、今の市川総合病院バス停近くに菅野操車場があり、そこで乗務員の交代が行われていた。

その後、中山団地線(京成百貨店入口・京成八幡駅→市役所→鬼越駅→八方橋→北方団地(現・中山団地)→市川学園→京成八幡駅、という循環線。のち中山団地線と名称変更)が開通し、さらにそれが市川北高線に変わった際に、この線が中山団地経由で東菅野五丁目まで延長し、変型のラケット型循環線となった。この際に始発終着は東菅野五丁目となり、双方とも行き先が「東菅野五丁目」となったので八方橋基準に右回り系統の幕は青文字で市役所・市川駅・真間駅廻り東菅野五丁目、左回り系統の幕は赤文字で真間・市川駅・市役所廻り東菅野五丁目という表示を掲出していた。尚左回り系統の文字は赤であったので、最終便は赤ランプを点灯するため、最終便の行き先表示が非常に見づらかった。

しかし、1)乗客のほとんど全員が途中の市川駅と京成百貨店入口(本八幡駅前だが国道14号上にあった。現在は廃止)で乗降してしまうこと、2)南側が総武線・京成線と並行しているために乗客の利用が少ないこと、3)道路の混雑のために、循環線だと定時制が確保しにくくなった、などの理由のために以下の変更が行われた。

  1. 東菅野五丁目 - 菅野交差点 - 市川駅の折返便の新設
  2. 東菅野五丁目 - 鬼越駅 - 本八幡駅(北口ロータリー,ただし、本八幡駅到着停留所は京成百貨店入口を使用していた。)の新設
  3. 1995年4月1日に東菅野五丁目 - 菅野交差点 - 市川駅と東菅野五丁目 - 鬼越駅前 - 京成百貨店入口 - 市川駅(上と同じく、ラッシュ時には本八幡駅発着便あり)の2系統に分割および、鬼越経由便の減便

その後も、国道14号区間においては状況の改善には至らず、1997年10月6日に市役所 - 市川駅が廃止となった。残った区間についても、市川駅発着便と本八幡駅発着便とで本数に差が見られ、後者は1時間に1本という時間帯まで現れた。

国道14号上にあった、本八幡駅の最寄りの停留所は京成百貨店入り口と名乗っていた(同百貨店ができるまでの名称は八幡十字路)。1997年10月以前において、本八幡駅折返便の本八幡駅行の終点は駅停留所ではなく京成百貨店入口だった(その後駅ロータリーまで回送)。それ以後は、京成百貨店入口停留所そのものが無くなったため、この便の終点も駅ロータリー側に変更された。 後に菅野交差点経由系統は平日夜間、市川駅で総武快速線との接続を重視するダイヤが組まれたことがあった。

京成バスの公式プレスリリースにおいて、本八幡駅発着便の路線に「鬼越線」、西船橋駅 - 市川学園直行便に「市川学園線」の名称を使っている例が見受けられる。[1]

ファイターズタウン線

  • Fs01:西船橋駅 - 京成西船駅 - 行田団地 - 前貝塚 - 上山町 - 桐畑 - ファイターズタウン鎌ヶ谷
  • Fs02:西船橋駅 - 京成西船駅 - 行田団地 - 前貝塚 - 上山町 - 桐畑 - 市川営業所
  • Fs03:西船橋駅 - 京成西船駅 - 行田団地 - 前貝塚 - 上山町 - 桐畑
  • Fs04:西船橋駅 - 京成西船駅 - 行田団地
  • Fs05:西船橋駅 - 京成西船駅 - 行田団地 - 前貝塚
  • Fs11:船橋法典駅 - 上山町 - 桐畑 - ファイターズタウン鎌ヶ谷
  • Fs12:船橋法典駅 - 上山町 - 桐畑 - 市川営業所
  • Fs12:船橋法典駅 - 上山町 - 桐畑
  • Fs11:ファイターズタウン鎌ヶ谷 - 市川営業所
    • 1958年12月20日:葛飾線(西船橋駅 - 無電前(行田団地停留所のやや西, 既に道路なし) - 昌行寺入口(現・上山町))を開通。当時は印内町(現・印内) - 前貝塚入口(現・前貝塚)間を短絡運行。船橋営業所担当。
    • 昭和:西船橋駅 - 前・桐畑(のち藤原三丁目、現・藤原六丁目)に延長。
    • 昭和:諏訪神社・行田新田経由となる。
    • 昭和:行田団地線(西船橋駅 - 葛飾駅 - 行田団地)を開通。船橋営業所担当。
    • 1985年9月16日:市川営業所に担当変更(おそらく)の上、終点を中沢に延長。桐畑を藤原三丁目(現・藤原六丁目)と改称し、中沢との間に桐畑停留所および折返場を新設。西船橋駅 - 行田団地 - 中沢線の開通。
    • 1991年6月21日京成西船駅・諏訪神社経由便を船橋中央病院・西船二丁目・行田団地経由に変更。
    • 2006年1月10日:船橋法典駅 - 桐畑の開通。船橋中央病院経由便の廃止。
    • 2006年5月16日:諏訪神社発着便(花輪車庫担当)を京成トランジットバスに移管。
    • 2008年4月21日:一部の便がファイターズスタジアム鎌ヶ谷まで延長。
    • 時期不詳:ファイターズタウン線に改称。(以後、公式の案内でもファイターズタウン線の名称が使われている。[2]
    • 2009年4月16日:一部の便が柏井車庫(現:市川営業所)まで延長、前貝塚発着便新設、中沢折返し廃止。

姫宮団地線

  • 本11:本八幡駅 - 京成八幡駅 - 八幡六丁目 - 市川学園 - 姫宮団地入口 - 医療センター入口(旧:市川北高校)
  • 本12:本八幡駅 - 京成八幡駅 - 八幡六丁目 - 市川学園 - 姫宮団地入口 - 保健医療福祉センター - 医療センター入口
  • 本13:本八幡駅 - 京成八幡駅 - 八幡六丁目 - 市川学園 - 姫宮団地入口 - 市川大野駅 - 五中入口 - 医療センター入口
  • 本14:本八幡駅 - 京成八幡駅 - 八幡六丁目 - 市川学園 - 姫宮団地入口 - 市川大野駅 - 大野町四丁目 - 市営霊園 - 市川営業所
  • 本15:本八幡駅 - 京成八幡駅 - 八幡六丁目 - 市川学園 - 姫宮団地入口 - 市川大野駅 - 大野町四丁目 - 動植物園
    • 1967年:北方団地線(京成百貨店入口または京成八幡駅→鬼越駅→八方橋→北方団地(1978年以降中山団地)→前・市川学園(現・東菅野三丁目)→前・東菅野三丁目(現・東菅野三丁目と東菅野広小路の中間付近)→東菅野広小路→京成八幡駅)を開通。
    • 昭和:八幡六丁目経由となる。
    • 1979年8月28日:本八幡駅 - (往路:中山団地,復路:市川学園) - 東菅野五丁目 - 市川北高校に変更。市川北高校線となる。
    • 1980年3月頃:往復とも市川学園経由となる。
    • 1983年10月31日:本八幡駅 - 東菅野五丁目 - こざと公園入口 - 市川大野駅 - 大柏 - 大野町四丁目を開通。
    • 1987年8月20日:大野町四丁目発着便を、早朝夜間を除き、市川市動植物園まで延長。8/21かもしれない。
    • 1997年10月6日:北高発着便の一部がこざと公園入口・市川大野駅・五中入口経由となる。
    • 1998年9月3日:北高発着便の一部が保健医療福祉センター経由となる。
    • 2004年11月1日:大野町四丁目発着便が市営霊園まで延長される。動植物園系統が土休日のみの運行になる。
    • 2011年4月1日:市川北高校閉校に伴い市川北高校停留所を医療センター入口に改称。また路線名を北高線から姫宮団地線に改称する。

本八幡駅から東菅野三丁目、市川学園を経由して姫宮団地経由で医療センター入口(旧:市川北高校)、または市営霊園経由で市川営業所まで行く線である。市営霊園 - 市川営業所便は土休日の昼に動植物園に至る。

中国分線

  • 市81:市川駅 - 国府台駅 - 国立病院 - 中国分 - 国分操車場 - 北国分駅
  • 市82:市川駅 - 国府台駅 - 国立病院 - 中国分 - 国分操車場
    • 1982年9月10日:国分操車場 - 中国分 - 国立病院を開通。両端停留所での乗継券制度の適用開始(現在は終了。終了日不明。)。
    • 1986年2月28日:国分操車場 - 中国分 - 国立病院 - 市川駅 - 国分 - 国分操車場に延長。ほとんどの便は市川駅折返し。
    • 1995年4月1日:循環便を廃止し、国分操車場 - 中国分 - 市川駅となる。
    • 2008年11月17日:北国分駅 - 国分操車場 - 中国分 - 市川駅に延長。ただし、全ての便が北国分駅に乗り入れるわけではなく、従来通り国分操車場止まりの便も存在する。

国分操車場から坂を登って中国分地域を抜けて国府台経由で市川駅に行く路線である。開通当初は国分操車場 - 国立病院の短区間のみを走り、両端で乗り換え(割引のある乗継乗車券使用)るという特殊な運行を行っていたが、現在では市川駅まで走っている。また、以前は国分操車場 - 中国分 - 市川駅 - 国分 - 国分操車場という循環便も存在していた。循環便は国分操車場基準左回り系統は午前中、同右回り系統は午後のみの設定で偏ったダイヤが組まれていた。2008年より国分操車場 - 北国分駅の区間が延伸した。

国立病院付近の道路が非常に狭く、全便中型車(ホイールベース3.75m車限定)にて運行されている。この線が開通した時期は、京成にとって中型車による運行であることや、他線との乗継ぎを前提とした路線という珍しさもあって「ミニバス路線」として乗客へのアピールも行っていた。しかし、結局市川駅まで通しで運行することになり、京成バスの中でも乗客数の多い市川線(国立病院 - 市川駅間)の区間を通ることとなったため、この線の車両だけ混雑度が高くなってしまうというデメリットも生じている。特に朝の市川駅方面の混雑は激しい。しかし、中型車の運行に限定され他の路線との車両の共有化ができないためこれ以上の増便は困難である。

市川市コミュニティバス

ファイル:Keiseibus 2304 ichikawa-communitybus.jpg
市川市コミュニティバス専用車(2304)
  • 北東部・循環ルート:保健医療福祉センター - 医療センター入口 - 船橋法典駅入口 - 東部公民館 - 大野中央病院内 - 大野小学校 - 市川大野駅 - 保健医療福祉センター(右回り9本、左回り10本)
  • 北東部・往復ルート:現代産業科学館・メディアパーク - 深町通り - 東部公民館 - 大野中央病院内 - 大野小学校 - 市川大野駅 - 保健医療福祉センター - 医療センター入口 - 市川市動植物園(4往復+現代産業科学館 - 保健医療福祉センター間1往復、太字は循環ルートと重複する区間)
    • 2005年平成17年)10月:市川市内北東部および南部においてコミュニティバスの社会実験を開始する。運行予定期間は2年半としていた(その後、延長)。

市川市からの受託を受けて、京成バスが運行を行っている。柏井車庫近隣の保健医療福祉センター(市川市リハビリテーション病院)を起点に、主に木下街道より北の地域をカバーする。往復ルートはニッケコルトンプラザ近隣の千葉県立現代産業科学館と市川市動植物園を結び、循環ルートの西側を経由する。運賃は大人150円、小児100円で、PASMOでの支払いが可能。狭い道が多いため、三菱ふそう・エアロミディME日野・レインボーHRの7m車で運行されている。

平成17年度は136人/日、平成18年度は248人/日、平成19年度は326人/日(採算率43.2%)の利用があった。なお、市川市は、コミュニティバスに関して北東部および南部路線に対して合計約7,340万円(平成19年度)の負担をしている。

移譲路線

鎌ヶ谷線

1998年6月1日に松戸営業所白井車庫担当から市川営業所に移したが、1999年4月1日付けでちばレインボーバスへ移管された。

ちばレインボーバス 鎌ヶ谷線 を参照。

高塚梨香台線

元は松戸営業所担当であったが、(年次不明)市川営業所に移され、2008年9月16日付けで松戸新京成バスへ移管された。

松戸新京成バス 高塚梨香台線を参照。

柏井線

京成バス船橋営業所花輪車庫へ移管され、 その後、2012年12月23日、京成バスシステムに移管された。

京成バスシステム#柏井線を参照。

車両

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市川営業所所属車両

車両は古くからいすゞの車両を中心に導入し、1970年代には京成自動車工業の車体を載せた車両が導入されていた。但し同社は西日本車体工業のライセンス製造を行っており、当時東日本では数少ない西工バス車体の42MC(当時の「カマボコ」と通称される車体)が見られた。1970年代後半に入ると車体は川重車体工業富士重工の車体をおおよそ半々程度の量で製造し川重は後にアイ・ケイ・コーチ→いすゞバス製造へと変遷していく。2003年からは富士重工がバス車体製造を終了するためいすゞバス製造の車体のみが製造されるが、2004年にはジェイ・バスへの合併に先立ち日野自動車の車両を少数ながら導入する。しかしこの合併後、千葉営業所等からいすゞ車、船橋営業所から日野車が大量に転入(過去には、松戸営業所白井車庫担当の鎌ヶ谷線が、ちばレインボーバス分社化に伴い、鎌ヶ谷線の鎌ヶ谷市役所発着便(鎌ヶ谷市役所~白井工業団地経由白井駅、鎌ヶ谷市役所~白井公民館経由白井駅、鎌ヶ谷市役所~白井工業団地経由平塚便)を市川営業所の担当になり、三菱ふそう車を5台転入したが、1998年10月19日に鎌ヶ谷役所~白井公民館経由白井駅便及び、鎌ヶ谷役所~平塚便廃止に伴い、三菱ふそう車2台を松戸営業所に転属した後、1999年4月1日に、鎌ヶ谷役所~白井公民館経由白井駅便をちばレインボーバスに譲渡した際に、残りの三菱ふそう車3台を松戸営業所に転属した)している。2006年度には三菱ふそう製の新車が導入されているが、こちらも現時点では少数派である。また、中国分線専用の中型バス(1998年度車 KC-LR333F 1台(習志野22を3247)、2004年度車 KK-LR233F 2台(習志野200か461、462))が存在(2010年12現在東京ベイシティバスに転属)した。

ちなみに、非常に珍しい車両であるいすゞ・エルガJも導入されている(京成バス以外では、関東地方は立川バスしか導入されていない。)。

脚注

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関連項目

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  1. 「国分線ダイヤ改正に伴う乗り継ぎ割引」について
  2. 市川駅時刻表(10月1日~)