市川中学校・高等学校
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市川中学校・高等学校(いちかわちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、千葉県市川市本北方二丁目にある、学校法人市川学園が経営する私立中高一貫制男女共学校である。高等学校では、中学校から入学した内部進学生徒と高等学校から入学した外部進学生徒との間で、第2学年から混合クラスを編成する併設型中高一貫校である[1]。2009年度文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール (SSH) の指定を受けた。
目次
概要
1937年(昭和12年)、教育者で東京府立四中教諭・主任であった古賀米吉が市川市八幡字新田(現:東菅野四丁目)に旧制中学校として市川中学校を開校させたことに始まる。戦後、旧制中学校が新制の高等学校に移行するとともに中学校が併設された。
創立以来およそ70年間男子校であったが、2003年(平成15年)本北方への高校・中学校舎の移転に伴い、中学の共学化を開始、その第一期生が高校に進学する2006年(平成18年)年からは高校の共学化も実施された。略称が公立校と勘違いもされるが、「市川」、「市学」などである。なお、学校法人としては、市川高等学校・中学校の他に3ヶ所の幼稚園を経営している。
東邦大学付属東邦中学校・高等学校と渋谷教育学園幕張中学校・高等学校とともに、千葉県私学御三家の一角として、1950年代から1990年代の千葉県公立高校全盛期の時代にあっても、屈指の進学校であり続け、伝統ある名門校として知られた。
沿革
- 1937年(昭和12年) 学校法人市川学園設立。市川中学校(旧制中学)を開校(なお、初代校長として七博士建白事件で知られる中村進午を招聘している(~1938年))開校時の新入生はわずか32名であった。
- 1941年-1946年 臼井町の明倫中学廃校に伴う、同校生徒の救済の為の八幡中学校を併設。
- 1948年(昭和23年) 学制改革により、市川高等学校に移行され、同時に中学校(新制中学)が併設される。
- 2003年(平成15年) 校舎移転に伴い中学が共学となる。
- 2004年(平成16年) 日本で初めて中学入試が幕張メッセで行われる。
- 2006年(平成18年) 高校が共学化される。
- 2009年(平成21年) 文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール (SSH) の指定を受ける。
教育方針・校風
市川学園の教育方針は「個性の尊重」と「自主自立」である。
これを実現するために
- 「独自無双の人間観」
- 「よく見れば精神」
- 「第三教育」
という三本柱を立てている。
ちなみに「第三教育」とは、自分で自身を教育するということである。また、こういった教育方針は自由主義的な校風を念頭に置いたものである。
年度始めには全員にシラバス(授業計画)が配布され、生徒が学習の流れをつかみやすいように工夫されている。
創設者 古賀米吉
1891年(明治24年)福岡県三井郡三国村に生まれる。9歳で父を失い、貧乏な母子家庭に育つ。旧制中学では野球部主将、剣道部大将など文武の道に励んだ。1915年(大正4年)福岡師範学校卒業。その後、経済的理由で上級学校に進めず、小学校教師として教える傍ら、学資を貯めて苦学する生活が続いた。
27歳で上京し、1922年(大正11年)東京外国語学校英語科卒業。その後、府立四中(現・都立戸山高校)の英語教師・主任として多くの生徒を旧制第一高等学校などの旧制高校へ送り込んだ。当時の府立四中は「天下の一中」と言われていた府立一中に肉迫あるいは凌駕する進学実績を挙げ、全盛期ともいえる時期だった。その間、自身も苦学し、1930年(昭和5年)東京帝国大学文学部社会学科卒業。卒業後、2年間ロンドン大学に留学。
イギリスで見たパブリックスクールの紳士教育を理想として1937年(昭和12年)に旧制市川中学校を創設した。以後、長く校長を務め、県下有数の進学校へと大きく発展させた。私学の振興・発展に対する永きにわたる功労が認められ、藍綬褒章、勲四等瑞宝章、従五位勲四等旭日小綬章。1983年(昭和58年)死去。享年92。
現在の理事長である古賀正一は1936年、東京生まれ。市川中・高を経て東京大学工学部卒業。1959年、東芝に入社。米国駐在、部長、常務、専務などを経て、1996年に代表取締役副社長に就任。副社長在任中には、東芝パソコン訴訟事件、東芝クレーマー事件などにも対処してきた。2001年、取締役を退任し、現在に至る。
部活動
文化会
体育会
- 山岳
- 硬式野球
- 軟式野球(高校生)
- 軟式野球(中学生)
- バスケットボール
- バレーボール
- 柔道
- 相撲
- 陸上
- ソフトテニス
- 硬式テニス
- 体操
- 水泳
- サッカー
- 自転車
- ラグビー
- ハンドボール
- スキー
- 剣道
- 卓球
- 応援部
愛好会
- ワンダーフォーゲル
- 調理
- ギター
- クイズ研究会
- 鹿島神流武道
- ユースホステル
制服
男子の制服は黒の詰襟で、黒ボタンが特徴である。黒ボタンは旧制中学時代からの伝統で、市川学園の校章である耳章がかたどられている。黒地に黒ボタンの制服は見た目が真っ黒で離れたところから見てもかなり目立つ。なお開成中学校・高校も黒地に黒ボタンの詰襟であるが、これは全くの偶然である。
ちなみに旧制第一高等学校の制服も黒ボタンであったため、両校ともそれを模した可能性もある。
入試・進路
県内有数の進学校として知られる。千葉県内の高校が次々と共学化していくところが多い中、男子校を貫き通したが、新校舎に移転、共学化に移行した結果、偏差値は再上昇した。東大などの合格者数の増加に力を入れている。現役進学率は毎年増加しており、東大の合格者(浪人含む)については2013年から2年連続で2桁の合格者を輩出している。
進路実績
大学名 | 2008年 | 2009年 | 2010年 | 2011年 | 2012年 | 2013年 | 2014年 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
東京大学 | 5名 | 2名 | 4名 | 3名 | 5名 | 11名 | 7名 |
京都大学 | 3名 | 0名 | 1名 | 1名 | 0名 | 0名 | 1名 |
一橋大学 | 2名 | 1名 | 1名 | 2名 | 1名 | 6名 | 16名 |
東京工業大学 | 5名 | 4名 | 3名 | 6名 | 9名 | 13名 | 8名 |
東北大学 | 3名 | 2名 | 0名 | 0名 | 1名 | 5名 | 6名 |
千葉大学 | 7名 | 18名 | 22名 | 20名 | 24名 | 20名 | 19名 |
筑波大学 | 5名 | 7名 | 9名 | 5名 | 16名 | 15名 | 8名 |
慶應義塾大学 | 34名 | 27名 | 44名 | 45名 | 75名 | 74名 | 85名 |
早稲田大学 | 79名 | 74名 | 96名 | 129名 | 176名 | 138名 | 113名 |
上智大学 | 22名 | 32名 | 29名 | 49名 | 54名 | 52名 | 64名 |
東京理科大学 | 44名 | 70名 | 87名 | 87名 | 48名 | 79名 | 61名 |
明治大学 | 72名 | 74名 | 99名 | 121名 | 102名 | 92名 | 109名 |
(学校側の資料による)
出身者
公人
- 村越祐民(衆議院議員・民主党)
- 臼井正一(元千葉県議会議員)
- 臼井正人(千葉県県議会議員)
- 伊澤史夫(千葉県白井市長)
- 星野順一郎(千葉県我孫子市長)
- 長富祐一郎(元大蔵省関税局長、大平総理首席補佐官 / 転入、高校は日比谷高へ)
学者・研究者
- 鎌滝哲也(北海道大学名誉教授、東京工業大学特任教授、紫綬褒章受章)
- 大野弘幸(東京農工大学工学研究院長、生命機能科学部門教授)
- 細矢雅弘(東芝研究開発センター首席技監、電子写真技術、2007年紫緩褒章受章)
- 宮本英昭(東京大学総合研究博物館准教授、(併)東京大学大学院理学系研究科准教授)
- 飯田芳男(成蹊大学名誉教授、環境科学、分析化学)
実業家
- 荒井邦彦(ストライク社長、公認会計士、税理士)
- 大西啓介(ナビタイムジャパン社長兼CEO)
- 川村龍夫(ケイダッシュ会長)
- 古賀正一(市川学園理事長・元東芝副社長)
- 後藤忠治(セントラルスポーツ社長・現市川学園同窓会会長)
- 駒崎弘樹(社会起業家、NPO法人フローレンス代表理事)
- 周防郁雄(バーニングプロダクション社長)
- 平渡淳一(インターブレインズ社長)
- 吉越浩一郎(トリンプ・インターナショナル・ジャパン前社長)
文化人
- 高橋義夫(直木賞作家)
- 皆川ゆか(作家)
- 百瀬博教(作家)
- 千家和也(作詞家、作家)
- 大野ケイスケ(放送作家)
- えびはら武司(漫画家)
- 綱本将也(漫画家)
- 横塚孝弘(東映プロデューサー)
- 土屋孝博(熊本朝日放送アナウンサー)
- 吉井祥博(テレビ神奈川アナウンサー)
芸能人
スポーツ
- 中野隆良(元中央競馬調教師)
- 岩佐吉章(元陸上競技選手)- 県大会(1981年)、1500m・5000m・1500m障害の3種目優勝。南関東大会(1981年)、1500m・5000m・1500m障害の3種目優勝により市川高校、団体優勝。横浜インターハイ(1981年)、1500m優勝、5000m優勝により瀬古利彦以来のインターハイ中長距離三冠挑戦者となるも最後の1500m障害で6着、瀬古利彦同様、惜しくも三冠を逃す。順天堂大学の選手として箱根駅伝区間賞2回(1985年第61回・3区、1986年第62回・3区)。日産自動車の選手としてニューイヤー駅伝区間賞1回(1991年2区)。
脚注および参照
関連項目
- 東葉高等学校 - 古賀米吉が同様に運営に関わった私立校。役員や教職員で交流があるなど現在でも関係が深い。
- 千葉県中学校一覧 - 千葉県高等学校一覧
- 寮がある日本の中学校・高等学校の一覧