マイルス・デイヴィス
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マイルス・デューイ・デイヴィス三世(Miles Dewey Davis III, 1926年5月26日 - 1991年9月28日)は、アメリカ合衆国のジャズトランペット奏者。アルバム『カインド・オブ・ブルー』『ビッチェズ・ブリュー』などで知られている。日本には彼を「ジャズの帝王」[1][2][3]、「モダン・ジャズの帝王」[4][5]と呼ぶファンや評論家も多い。クール・ジャズ、ハード・バップ、モード・ジャズ、エレクトリック・ジャズ、フュージョンなど、時代に応じて様々な音楽性を見せ、ジャズ界を牽引した。
目次
来歴
出生〜1940年代
イリノイ州アルトン生まれ。翌年にイーストセントルイスへ転居。祖父はアーカンソー州に広い土地を持ち、父は歯科医、母は音楽の教師という裕福な環境で育った。13歳の誕生日に父親からトランペットをプレゼントされ、演奏を始める。高校在学中の15歳のときにユニオン・カードを手に入れ、セントルイスのクラブに出演するようになる。当時のセントルイスにはアフリカ系アメリカ人の労働者の居住区が多く、ジャズライブが定期的に行われていた。そのためマイルスは多数のジャズプレイヤーを見て学んでいた。
18歳の頃マイルスは、セントルイスにビリー・エクスタイン楽団が来たとき、病気で休んだ第3トラッペッターの代役を務め、ディジー・ガレスピーとチャーリー・パーカーとの共演を果たした。このときのことをマイルスは「バードとディズの演奏を聴いてても何が何だかさっぱりわからなかった」と語っている。
彼はその後直ぐにニューヨークに出てジュリアード音楽院に入学(後、中退)。間もなくパーカーを探し当て、1年間同じ部屋で暮らしながら演奏を共にする。
1945年、ライオネル・ハンプトンの楽団に所属していたハービー・フィールズの録音に参加。公式な初レコーディングである。
1947年には、パーカーやマックス・ローチのサポートを得て、初のリーダー・セッションを行う。
パーカーの元でのビバップからキャリアは始まったが、マイルスは新たな可能性を求め、1948年に編曲家のギル・エヴァンスと出会う。ギルの協力を得て、後のウェスト・コースト・ジャズの興盛に多大な影響を与えた『クールの誕生』を制作。その後もギルとは度々共同制作を行う。
1950年代
1950年代に入ると、アート・ブレイキーなどと共演するが、麻薬の問題で一時演奏活動から遠ざかる。しかしマイルスは立ち直り、1954年プレスティッジ・レコードから発表した『ウォーキン』以降、ハード・バップの旗手として活躍。1954年12月24日にはセロニアス・モンクと共演するが、両者は音楽に対する考え方が相容れなかったとされ、この共演は俗に「喧嘩セッション」と呼ばれていた。しかし実際の所、このセッションは演出上マイルスが吹くときにはモンクに演奏しないよう、マイルスが指示したというだけであり、評論家が不仲であるかのように曲解してそう名付けただけのものである(他ならぬモンク自身もマイルスの指示を了解していた事が判明している)。
1955年、ジョン・コルトレーン、レッド・ガーランド、ポール・チェンバース、フィリー・ジョー・ジョーンズのメンバーで、第一期クインテットを結成。同年、ニューポート・ジャズフェスティバルにおいて、チャーリー・パーカー追悼のために結成されたオールスター・バンドに参加。このときの演奏がきっかけとなりコロムビア・レコードと契約。1956年に移籍第一作『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』発表。その一方で、プレスティッジとの間に残された契約を済ませるために、アルバム4枚分のレコーディングをたった2日間で行った。24曲、すべてワンテイクであったといわれる。俗に「マラソン・セッション」と呼ばれるが、連続した2日間ではなく、2回のセッションの間には約5ヶ月のブランクがある。これらの演奏は『ワーキン』『スティーミン』『リラクシン』『クッキン』の4枚のアルバムに収録され、プレスティッジはこの4枚を毎年1枚ずつ4年かけて発売した。また、1957年には『死刑台のエレベーター』の音楽を即興演奏で録音し、自身初めての映画音楽を制作した[6][7]。
1958年にはキャノンボール・アダレイを加えて、バンドはセクステット(6人編成)になる。同年にはキャノンボールの『サムシン・エルス』に参加。また、レッド・ガーランドが退団したため、ピアノにビル・エヴァンスを迎える。ビルはバンドにクラシック音楽(特にラヴェル、ラフマニノフ)の知識を持ち込みマイルスに影響を与えたが、黒人のピアニストを雇わなかったことでマイルスのバンドの黒人ファン等からの人種差別問題<出典が不明です>など(当時唯一の白人メンバーだった)で7ヶ月余りで脱退。ウィントン・ケリーが代わって参加した。
1959年代表作の一つ『カインド・オブ・ブルー』を制作。その際にはビルを特別に呼び戻した。この作品でマイルスは、これまでのコード進行に頼る楽曲ではなくスケール(音列)を指標とした手法、いわゆるモード・ジャズの方法論を示した。この作品は革新的である以上に演奏の完成度が非常に高く、半世紀以上経過した現在でもモダン・ジャズの最高傑作の一つとして高い人気を誇っている。
1960年代
1960年にジョン・コルトレーンがグループを脱退、他のメンバーも随時交替する。ここからしばらくメンバーは固定されず(この時期ソニー・ロリンズや、J・J・ジョンソンらと再び共演している)、作品的にも目立ったものは少なく、ライブレコーディングが中心となっていく。1963年ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスがグループに参加。このメンバーにサックスのサム・リヴァースを従えて1964年7月に初来日した。同年秋にはウェイン・ショーターを迎え、マイルス、ウェイン、ハービー、ロン、トニーという第二期クインテットが確立。1968年前半までこのメンバーで活動した。途中マイルスが健康状態の悪化で活動の休止を余儀なくされる時期もあり、録音された作品はあまり多くは無かったが『E.S.P.』『マイルス・スマイルズ』『ソーサラー』『ネフェルティティ』など優れたスタジオ・アルバムと数枚のライブ・アルバムを発表した。特に前述の4作品は60年代4部作と呼ばれ、50年代のマラソンセッション4部作と並んで人気が高い。演奏面でも作曲面でも4ビートスタイルのジャズとしては最高水準まで昇りつめた5人は、「黄金クインテット」と呼ばれる。マイルス自身もこのクインテットを「偉大なバンド」と評しており、4人から学んだことも多かったと語っている。
1968年、8ビートのリズムとエレクトリック楽器を導入した、『マイルス・イン・ザ・スカイ』を発表。この年の後半には、リズム・セクションがチック・コリア、デイヴ・ホランド、ジャック・ディジョネットに交替。このメンバーによる録音は長らく公式には発表されなかったため、ファンの間では「幻のクインテット」「ロスト・クインテット」と呼ばれていたが、マイルスの死後1993年になってようやくライブ盤『1969マイルス』が発表され、黄金クインテットに劣らない高水準の演奏がようやく日の目を見ることになった。
1969年、ジョー・ザヴィヌル、ジョン・マクラフリンの参加を得て、『イン・ア・サイレント・ウェイ』を発表。さらに翌年にはLP2枚組の大作『ビッチェズ・ブリュー』を発表する。3人のキーボード、ギター、ツイン・ドラムとパーカッション、という大編成バンドでの演奏で、重厚なリズムとサウンドは70年代のジャズの方向性を決定づけた。この時期、マイルスはジェームス・ブラウンやスライ・ストーン、ジミ・ヘンドリックスなどのアルバムを好んで聴いていたと伝えられており、そのファンク・ロックの要素を大胆にジャズに取り入れた形となった。この2作品が、70年代以降のクロスオーバー、フュージョンブームの方向性を示すことになったとよく言われるが、実際にその当時の彼の音楽を聴くと分かることだが、マイルスが志向しているのはフュージョンではなく、ロックのリズムあるいはアフリカ音楽にあるポリリズムをベースにしたファンク・ジャズであり、70年以降、マイルスはファンク・ジャズを極めていくことになるのである。
1970年代
1970年代に入るとマイルスはファンク色の強い、よりリズムを強調したスタイルへと進展、ブームとなりつつあったフュージョンとは一線を画するハードな音楽を展開する。マイルスのエレクトリック期とはこの時期を指すことが多い。マイルスは次々にスタイルを変えながらスタジオ録音とライヴを積極的に行ったが、公式に発表された音源は必ずしも多くはなく、後に未発表音源を収録した編集盤が多く発売されることになる。1972年に発表された公式アルバムである『オン・ザ・コーナー』は、現在でもその先進性が話題となる問題作であった。しかし、フュージョンブームでかつてのメンバーのハービー・ハンコックやチック・コリアなどがヒット作を連発する一方で、こういったマイルスの音楽はセールス的には成功とはいえなかった。
1973年と1975年に来日。このころから健康状態も悪化、75年の大阪でのライブ録音『アガルタ』『パンゲア』を最後に、以降は長い休息期間となる。
1980年代以降
1980年に活動再開。ドラムのアル・フォスター以外はビル・エヴァンス(サックス)、マイク・スターン、マーカス・ミラーなど、当時それほど有名ではなかったフュージョン系の若手がメンバーとなった。1981年に復帰作『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』発表。同年10月には新宿西口広場(現在の東京都庁)で来日公演を行った。この模様は後日NHKテレビで放映された。この時の演奏の一部がライブ盤『ウィ・ウォント・マイルス』に収録されている。以降83年、85年、87年、88年、90年とたびたび来日した。
1980年代はポップ色を強め、85年に発表された『ユア・アンダー・ザ・アレスト』ではマイケル・ジャクソンやシンディ・ローパーなどの作品を取り上げた。
86年、長年在籍したコロンビアからワーナー・ミュージックへ移籍。同年発表の『TUTU』は、マーカス・ミラーのプロデュース(1曲のみジョージ・デュークのプロデュース)で、バンドを従えずあらかじめ出来上がったトラックの上にトランペットをかぶせるポップスミュージシャンのような制作スタイルを取り入れた。またプリンスなどにも接近しいくつかのセッションや録音をした他、ペイズリーパークでのプリンスのライブにゲストとして一部参加している。また、TOTOの『ファーレンハイト』にもゲストとして参加。以降も、チャカ・カーンやスクリッティ・ポリッティなどジャズ以外のジャンルの作品にも多くゲスト参加した。
1990年には東京ドームにて行われたジョン・レノン追悼コンサートに出演し、ビートルズのストロベリー・フィールズ・フォーエバーをカバーした。さらに遺作『ドゥー・バップ』(1991年)ではヒップホップのミュージシャンであるイージー・モー・ビーをゲストに迎え、最後まで時代を見据えて活動した。1991年9月28日、肺炎のため死去。65歳没。 死後の2006年、ロックの殿堂入りを果たした。
音楽性
テンプレート:独自研究 マイルスのトランペットのプレイのおおまかな特長としては、ミュートを(1940年代後半〜1950年前半に使用しているミュートは「カップ・ミュート」が主流で、「ハーマン・ミュート」を頻繁に使用するのは1950年代中頃から)使い、ビブラートをあまりかけず、速いパッセージや跳躍の激しい演奏などといったテクニックにはあまり頼らないことがあげられる。また、ディジー・ガレスピーのようなハイトーンを避け、中音域がトランペットにおいて最も美しい音がでる、として多用し、音から音へ移動する場合、半音階を用いている。
後には、無駄な音を一切出さないといった方向性にも繋がっていき、テンプレート:独自研究範囲。楽曲上の主な特徴は、初期においては、テーマの後、それぞれが順にソロ演奏を行い、その間バックアップとして呼応したり煽る事はあっても、アドリブ演奏を同時に2つ以上ぶつけることはせず、その後、再びテーマに戻って終わるといった、ジャズでの典型的なものである。1960年代以降は、テーマに戻らずに終了する作品も見られる。また、1980年代のステージでは、トランペットの他にシンセサイザーも演奏することがあった。
スタジオ盤においては、収録時間の関係上、編集でカットされたり、つなぎ合わすことが多かったが、音を差し替えることはなかった。ステージに於いては、テンプレート:独自研究範囲、スタジオ収録の新作曲や最先端の音の披露よりも、その時の楽器編成で有名な曲を演奏する事が多かった。
クラシックなどのアレンジも研究し、クール・ジャズや後の完全にアレンジされたジャズにおいて、その成果が発揮された。特に、彼が導入したスタイルにモード (旋法)がある。これらは、チャーリー・パーカーらが創出したビバップに限界を感じ、コードが導入される以前の古い教会旋法を積極的に採りいれたアルバム『カインド・オブ・ブルー』で、モード・ジャズの発端を開いた。
他にも、ブルースやロック、はたまたヒップホップなども採り入れ、ジャズを超えた、様々なジャンルの音楽に注目していた。1967年頃マイルスはブルースが大好きでマディーウォーターズ、BBキングのボイシングをどう取り入れようかと考えていたという。そしてジミ・ヘンドリックスやプリンス、ジェームス・ブラウンやスライ・ストーンを高く評価していた話はよく知られているが、ジミとの共演は非公式なセッションだけで終わり、プリンス作曲の「ジェイルバイト」の音源は、今も未発表のままとなっている。ただし、ブートというかたちでプリンスと共演したもう一つの作品「キャン・アイ・プレイ・ウィズ・ユウ」は出回っている。この曲は元々、アルバム『TUTU』に入る予定であったが、曲調が他の収録曲と合わないため外れた。また、『ユア・アンダー・アレスト』では、スティングがナレーションでゲスト参加し、マイケル・ジャクソンやシンディ・ローパーのカバーも収録している。
音楽的には柔軟で先進的な姿勢のマイルスも、フリー・ジャズの分野には手を染めず、オーネット・コールマンを批判したこともある。ステージパフォーマンスにおいては観客に背を向ける事が多く一部批判されたが、ケニー・ギャレットは「彼は指揮者なんだ」と擁護する発言を行っている。
人物
マイルスは、アメリカにおける人種差別問題には常に批判的であった。「白人によるアメリカ」に嫌悪しており「カストロはアメリカを批判するのに3日かかると言ったが、俺なら2週間かかる」と喧伝していた。
また、「今生きている人間で最も大切な人を5人挙げてくれないか」とインタビューで聞かれ、「僕自身と弁護士のハロルド・ロベット、ギル・エヴァンスと妻のフランセス。あとの一人は50歳をこえたアメリカン・ニグロなら誰でもいい。みんな白人にひどい目に遭わされたのに我慢したからさ」と答えている。
しかし、音楽性の追求のためには人種は関係ないというスタンスを貫き通した。マイルスが一番の親友と称しているアレンジャー、ギル・エヴァンスには生涯に渡って強い影響を受けていた他、初期の名作『クールの誕生』にはリー・コニッツやジェリー・マリガンといった白人ミュージシャンを起用した。リー・コニッツを雇った際、当時の主なマイルス音楽のリスナーだったアフリカ系アメリカ人の層からは多くの批判を浴びせられたが、マイルスは「いいプレイをする奴なら、肌の色が緑色の奴でも雇うぜ」と豪語したと伝えられている。
第一期クインテット時代に、一時的にビル・エヴァンスをバンド・メンバーに迎え入れ、ビルは音楽的には大きな貢献をしたものの、客達による白人バッシングに耐えきれず、わずか1年程度で脱退した。1960年代末のエレクトリック導入期には、ジョー・ザヴィヌルやジョン・マクラフリンの存在抜きには考えられないほど彼らの才能を評価していたし、その後もチック・コリアやキース・ジャレット、デイヴ・リーブマンなど多くの白人メンバーが在席した。唯一のアジア系人種として、ピアニストのケイ赤城が1989年から2年間レギュラー・メンバーとして活躍した。70年代後半の休養期にも、日本人ピアニスト菊地雅章が未発表セッションに参加していた。
速いモノを好む。常にフェラーリなどのスポーツカーを乗り回していた。彼曰く最速のスポーツであることから、ボクシングをたしなんでいた。この速さへのこだわりは車で移動すれば1時間のところを、飛行機に乗ることに固執し、3時間かかってしまった事にも現れている。
1980年に復帰以降は、絵を描くことに没頭し、『スター・ピープル』のジャケットの絵は自分で描いた。タモリがマイルスにインタビューした時、インタビュー中もずっと絵を描き続けその絵をプレゼント、さらにタモリが持参したトランペットにも絵を描き、タモリが「『自分(マイルス)の音楽をよく聴いている。』と褒めてくれた、案外いい人だった。」と明かしている。
バンド・メンバーの変遷
- 第一期クインテット・シクステット(1955~1958)
- ジョン・コルトレーン(サックス)
- レッド・ガーランド(ピアノ)
- ポール・チェンバース(ベース)
- フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラム)
- キャノンボール・アダレイ(サックス)
- カインド・オヴ・ブルー時代(1958-1963)
- ジョン・コルトレーン(サックス) (~1961)
- ポール・チェンバース(ベース)
- キャノンボール・アダレイ(サックス)
- ビル・エヴァンス(ピアノ) (~1959)
- ジミー・コブ(ドラム)
- ウィントン・ケリー(ピアノ) (1958~)
- ソニー・スティット(サックス) (1960)
- ハンク・モブレー(サックス) (1961)
- 第二期クインテット(1963-1968)
- ジョージ・コールマン(サックス) (~1964)
- ハービー・ハンコック(ピアノ)
- ロン・カーター(ベース)
- トニー・ウィリアムス(ドラム)
- サム・リヴァース(サックス) (1964)
- ウェイン・ショーター(サックス) (1964~)
- ロスト・クインテット(1968-1970)
- ウェイン・ショーター(サックス)
- チック・コリア(キーボード)
- デイヴ・ホランド(ベース)
- ジャック・ディジョネット(ドラム) (1969~)
- トニー・ウィリアムス(ドラム) (1968)
- ビッチェズ・ブリュー期(1970)
- ウェイン・ショーター(サックス) (~1970年春)
- スティーヴ・グロスマン(サックス)
- ゲイリー・バーツ(サックス) (1970年夏~)
- ジョン・マクラフリン(ギター) (不定期)
- チック・コリア(キーボード)
- キース・ジャレット(キーボード)
- デイヴ・ホランド(ベース)
- ジャック・ディジョネット(ドラム)
- アイアート・モレイラ(パーカッション)
- ライヴ・イーヴル期(1970-1971)
- ゲイリー・バーツ(サックス)
- ジョン・マクラフリン(ギター) (不定期)
- キース・ジャレット(キーボード)
- マイケル・ヘンダーソン(ベース)
- ジャック・ディジョネット(ドラム) (~1970前期)
- レオン・ンドゥグ・チャンスラー(ドラム) (1970後期~)
- ジム・ライリー(パーカッション) (~1970初期)
- アイアート・モレイラ(パーカッション) (~1970前期)
- ムトゥーメ(パーカッション) (1970後期~)
- ドン・アライアス(パーカッション) (1970後期~)
- オン・ザ・コーナー期(1972-1973)
- カルロス・ガーネット(サックス)
- レジー・ルーカス(ギター)
- セドリック・ローソン(キーボード)
- マイケル・ヘンダーソン(ベース)
- アル・フォスター(ドラム)
- ムトゥーメ(パーカッション)
- カリル・バラクリシュナ(シタール)
- バダル・ロイ(タブラ)
- 一時引退直前期(1973-1976)
- デイヴ・リーブマン(サックス)(~1974)
- ソニー・フォーチュン(サックス)(1974~1975)
- サム・モリソン(サックス)(1975~)
- レジー・ルーカス(ギター)
- ピート・コージー(ギター)
- ロニー・リストン・スミス(キーボード)(~1973初期)
- マイケル・ヘンダーソン(ベース)
- アル・フォスター(ドラム)
- ムトゥーメ(パーカッション)
- カリル・バラクリシュナ(シタール) (~1973初期)
- バダル・ロイ(タブラ) (~1973初期)
- カムバック後 前期(1981~1984)
- カムバック後 中期(1984~1986)
- ボブ・バーグ(サックス)
- ジョン・スコフィールド(ギター)
- ロバート・アーヴィング(キーボード)
- ダリル・ジョーンズ(ベース)
- ヴィンセント・ウィルバーン(ドラム)
- スティーヴ・ソートン(パーカッション)
- ロベン・フォード(ギター)
- カムバック後 後期(1987~1991)
- ケニー・ギャレット(サックス)
- ジョセフ・フォーリー・マクレアリー(ギター)
- アダム・ホルツマン(キーボード)
- ケイ赤城(キーボード)
- ジョーイ・デフランセスコ(キーボード)
- ベニー・リートベルト(ベース)
- リッキー・ウェルマン(ドラム)
- マリリン・マズ-ル(パーカッション)
- ムニュンゴ・ジャクソン(パーカッション)
- ラスト・バンド(1991)
- ケニー・ギャレット(サックス)
- ジョセフ・フォーリー・マクレアリー(ギター)
- デロン・ジョンソン(キーボード)
- リチャード・パターソン(ベース)
- リッキー・ウェルマン(ドラム)
ディスコグラフィ
Capitol
- クールの誕生 - Birth of the Cool(1949~50録音。12インチ (30cm) LPとしての発売は1957年頃)
Blue note
- 10インチ (25cm) LPオリジナル・アルバム
- ヤング・マン・ウィズ・ア・ホーン - Young Man With a Horn (1952)
- マイルス・デイヴィス Vol.2 - Miles Davis Vol.2 (1953)
- マイルス・デイヴィス Vol.3 - Miles Davis Vol.3 (1954)
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- 12インチ (30cm) LP編集盤(上記の10インチのアルバムを、別テイクを入れて再構成し、2枚にしたもの)
- マイルス・デイヴィス・オールスターズ Vol.1 - Miles Davis Vol.1 (1952~54)
- マイルス・デイヴィス・オールスターズ Vol.2 - Miles Davis Vol.2 (1952~54)
Prestige
- ディグ - Dig (1951)
- ブルー・ヘイズ - Blue Haze (1954)
- ウォーキン - Walkin' (1954)
- バグス・グルーブ - Bags Groove (1954)
- マイルス・デイヴィス・アンド・ザ・モダン・ジャズ・ジャイアンツ - Miles Davis and the Modern Jazz Giants (1954)
- マイルス~ザ・ニュー・マイルス・デイヴィス・クインテット - Miles (1955)
- ザ・ミュージングス・オブ・マイルス - The Musings of Miles (1955)
- ブルー・ムーズ - Blue Moods (1955)
- クッキン - Cookin' (1956)
- リラクシン - Relaxin' (1956)
- スティーミン - Steamin' (1956)
- ワーキン - Workin' (1956)
- マイルス・デイビス・アンド・ホーンズ - Miles Davis and Horns (1951~53)
- コレクターズアイテム - Collector's Item (1953~55)
CBS
- ラウンド・アバウト・ミッドナイト - Round About Midnight (1955~56)
- マイルス・アヘッド - Miles Ahead (1957)
- マイルストーンズ - Milestones (1958)
- 1958マイルス - 1958Miles(日本編集盤)(1958)
- ポーギー&ベス - Porgy And Bess (1958)
- マイルス・デイヴィス・アット・ニューポート - Miles Davis at Newport (1958)
- ジャズ・アット・ザ・プラザ - Jazz at the Plaza Vol.1 (1958)
- カインド・オブ・ブルー - Kind of Blue (1959)
- スケッチ・オブ・スペイン - Sketches of Spain (1959)
- サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム - Someday My Prince Will Come (1961)
- ブラックホークのマイルス・デイビス - At the Blackhawk (1961)
- マイルス・デイヴィス・アット・カーネギーホール - Miles Davis at Carnegie Hall (1962)
- クワイエット・ナイト - Quiet Nights (1963)
- セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン - Seven Steps to Heaven (1963)
- マイルス・デイヴィス・イン・ヨーロッパ - Miles Davis in Europe (1963)
- マイ・ファニー・ヴァレンタイン - My Funny Valentine (1964)
- フォア&モア - Four & More (1964)
- マイルス・イン・トーキョー - Miles in Tokyo (1964)
- マイルス・イン・ベルリン - Miles in Berlin (1964)
- E.S.P. (1965)
- ライヴ・アット・ザ・プラグド・ニッケル - Live at the Plugged Nickel (1965)
- マイルス・スマイルズ Miles Smiles (1966)
- ソーサラー - Sorcerer (1967)
- ネフェルティティ - Nefertiti (1967)
- マイルス・イン・ザ・スカイ - Miles in the Sky (1968)
- キリマンジャロの娘 - Filles De Kilimanjaro (1968)
- イン・ア・サイレント・ウェイ - In a Silent Way (1969)
- 1969マイルス - 1969Miles (1969)(1993年発売)
- ビッチェズ・ブリュー - Bitches Brew (1969)
- ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト - Live at the Fillmore East : It's About That Time (1970)(2001年発売)
- ブラック・ビューティ - Black Beauty(日本編集盤)(1970)
- マイルス・アット・フィルモア - Miles Davis at Fillmore (1970)
- ライヴ・イヴル - Live=Evil (1970)
- オン・ザ・コーナー - On the Corner (1972)
- イン・コンサート - Miles Davis in Concert (1972)
- ゲット・アップ・ウィズ・イット - Get Up With It (1970~74)
- ダーク・メイガス - Dark Magus (1974)
- アガルタ - Agharta (1975)
- パンゲア - Pangaea (1975)
カムバック後
- ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン - The Man With the Horn (1981)
- ウィ・ウォント・マイルス - We Want Miles (1981)
- スター・ピープル - Star People (1983)
- デコイ - Decoy (1984)
- ユア・アンダー・アレスト - You're Under Arrest (1985)
- オーラ - Aura (1985)
Warner Bros.
- TUTU (1986)
- アマンドラ - Amandra (1988~89)
- ライヴ・アット・モントルー - Miles & Quincy Live at Montreux (1991)
- ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド - Live Around the World (1987~91)(1996年発売)
- ドゥー・バップ - Doo-Bop (1991)
映画音楽
- 死刑台のエレベーター - Ascenseur Pour L'Echafaud (Lift to the Scaffold) (1958)
- ジャック・ジョンソン - A Tribute to Jack Johnson (1970)
- シエスタ - Music From Siesta (1987)
- ディンゴ - Dingo (1990)
- コラテラル - Collateral (2004)
編集盤
- サークル・イン・ザ・ラウンド - Circle in the Round (1955-1970)(1979年発売)
- ディレクションズ - Directions (1960-1970)(1980年発売)
- ウォーター・ベイビーズ - Water Babies (1967~68)(1976年発売)
- ビッグ・ファン - Big Fun (1969~72)(1974年発売)
ボックスセット
- マイルス・デイヴィス 1955-1985 - The Columbia Years 1955-1985 (1955-1985)(1988年発売)
- ザ・コンプリート・マイルス・デイヴィス&ギル・エヴァンス - Miles Davis and Gil Evans: The Complete Columbia Studio Recordings (1957-1968)(1996年発売)
- ザ・コンプリート・マイルス・デイヴィス&ジョン・コルトレーン 1955-1961 - The Complete Columbia Recordings: Miles Davis & John Coltrane (1955-1961)(2000年発売)
- コンプリート・ブラックホーク - In Person Friday and Saturday Nights at the Blackhawk, Complete (1961)(2003年発売)
- セブン・ステップス:ザ・コンプリート・マイルス・デイビス 1963-1964 - Seven Steps: The Complete Columbia Recordings 1963-1964(1963-1964)(2004年発売)
- コンプリート・ライヴ・アット・プラグド・ニッケル1965 - The Complete Live at the Plugged Nickel 1965(1995年発売)
- ザ・コンプリート・マイルス・デイヴィス・クインテット 1965-1968 - The Complete Columbia Studio Recordings 1965-1968 (1965-1968)(1998年発売)
- ザ・コンプリート・イン・ア・サイレント・ウェイ・セッションズ - The Complete in a Silent Way Sessions (1968-1969)(2001年発売)
- ザ・コンプリート・ビッチェズ・ブリュー・セッションズ - The Complete Bitches Brew Sessions (1969-1970)(1998年発売)
- ザ・コンプリート・ジャック・ジョンソン・セッションズ - The Complete Jack Johnson Sessions (1970)(2003年発売)
- ザ・セラー・ドア・セッションズ1970 - The Cellar Door Sessions 1970 (1970)(2005年発売)
- ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ - The Complete on the Corner Sessions (1972-1975)(2007年発売)
- ザ・コンプリート・マイルス・デイヴィス・アット・モントルー1973-1991 - The Complete Miles Davis at Montreux 1973-1991 (1973-1991)(2002年発売)
映画
CM
1985年ごろ、VANという焼酎のCM(三楽・2012年現在のメルシャン)に自らも出演していた。
1976年ごろ、TDKカセットテープのCMに出演。
テレビ
- 『巨匠たちの青の時代 Miles Davis 帝王への扉を開けたサウンド』 (NHK BSプレミアム)2011年12月22日
関連文献
- 菊地成孔、大谷能生『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究』(エスクアイア・マガジン・ジャパン、2008年3月)ISBN 978-4872951141
- マイルス・デイヴィス、 クインシー トループ 『マイルス・デイビス自叙伝』1・2(中山康樹訳、宝島社、1999年12月) ISBN 978-4796616829 ISBN 978-4796616836
- 中山康樹 『マイルスを聴け! Version8』(双葉社、2008年) ISBN 978-4-575-71350-3
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- フランク・アルカイヤー『マイルス・デイヴィス・リーダー ダウンビート誌に残された全記録』 (上西園誠訳、シンコーミュージック・エンタテイメント 2009年3月)ISBN 978-4401632688
- ジョン・スウェッド『マイルス・デイヴィスの生涯』(丸山京子訳、シンコーミュージック・エンタテイメント 2004年10月)ISBN 978-4401618897
- 小川隆夫 『マイルス・デイヴィスの真実』(平凡社、2002年10月)ISBN 978-4582831276
- 小川隆夫 『マイルス・デイヴィスコンプリート・ディスク・ガイド』(東京キララ社、2002年12月)ISBN 978-4575291612
- 『マイルス・デイヴィスとは誰か 「ジャズの帝王」を巡る21人』
- 中山康樹 『マイルス・デイヴィス ジャズを超えて』講談社現代新書、2000年2月 ISBN 4-06-149490-2
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脚注
関連項目
外部リンク
- ワーナーミュージック・ジャパン - マイルス・デイヴィス
- MilesDavis.com(英語)
- Miles-Davis.com - Sony Music運営サイト(日本語)
- ↑ ETV特集 6月24日(日)
- ↑ これまでの放送NHKアーカイブス(番組)
- ↑ マイルス・デイヴィス (Miles Davis)EMI Music Japan
- ↑ モダン・ジャズの帝王、マイルス・デイヴィスの伝記映画の制作が本格的に始動!シネマトゥデイ 2011年11月11日
- ↑ マイルス・デイビスの伝記映画が製作へ映画.com 映画ニュース 2011年11月11日
- ↑ スタッフ/キャスト死刑台のエレベーター
- ↑ 映画『死刑台のエレベーター』シネマトゥデイ