守邦親王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:基礎情報 皇族・貴族 守邦親王(もりくにしんのう)は、鎌倉幕府9代(最後の)征夷大将軍で、鎌倉幕府将軍の中で24年9カ月と在職期間が最長であった。8代将軍久明親王の子。
生涯
8代将軍久明親王と、7代将軍惟康親王の娘の間の子として生れる。
延慶元年(1308年)8月、父に代わってわずか8歳で征夷大将軍に就任したが、当時幕府の実権は執権の北条氏(中心は得宗家)が握っており、将軍は名目的な存在に過ぎなかった。
また、題目宗の是非を問う問答対決の命を亡き日蓮の六老僧の一人日朗(武蔵国長栄山池上本門寺住職)に下している。日朗は高齢ゆえに弟子日印を出し、文保2年(1318年)12月30日から翌元応元年(1319年)9月15日にかけて題目宗と日本仏教全宗派と法論を戦わせた(鎌倉殿中問答)。結果、日印は仏教全宗派を論破し、幕府は題目宗の布教を正式に認める。
元弘3年(1333年)、後醍醐天皇による倒幕運動が起きると、鎌倉は足利義詮や新田義貞の攻撃により陥落。結果、幕府は滅亡した。
得宗北条高時が5月22日に自刃すると、同日に守邦親王は将軍職を辞して出家し、年内に鎌倉で薨去した。
官歴
日付は旧暦である。
将軍在職中の執権
- 北条師時(宗政の子。10代執権)
- 北条宗宣(宣時の長男。11代執権)
- 北条煕時(為時の長男。12代執権)
- 北条基時(時兼の長男。13代執権)
- 北条高時(9代執権貞時の三男。得宗。14代執権。長男(北条邦時)に「邦」の字を偏諱として与える。)
- 北条貞顕(顕時の四男。15代執権)
- 北条守時(久時の長男。16代執権、「守」は親王が偏諱として与えたもの)
関連項目
登場作品
- 太平記 (NHK大河ドラマ) - 1991年、演:吉川英資