山本一太
テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:政治家 山本 一太(やまもと いちた、1958年1月24日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(4期)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)、内閣府特命担当大臣(宇宙政策担当)、中央大学大学院客員教授。
自由民主党参議院政策審議会長、外務副大臣(福田康夫改造内閣)、参議院外交防衛委員長を歴任した。学位はMSFS(ジョージタウン大学)。
目次
来歴
生い立ち
群馬県吾妻郡草津町出身。1976年、群馬県立渋川高等学校を卒業した[1]。その後、中央大学に進学し、1982年に同大学の法学部を卒業した[1]。1985年5月、ジョージタウン大学大学院の国際政治学修士課程を修了した[1]。大学院時代について、山本は「1983年(84年?)に米国のジョージタウン大学でMSFS(Master Science of School of Foreign Service [原文ママ Master of Science in Foreign Serviceの間違い])という国際政治学の修士号を取得した。2年間、毎日のように授業に通い、夜遅くまでキャンパスにある図書館で猛勉強した」[2](原文ママ)と述懐している。
大学院修了後に朝日新聞社の入社試験を受けて合格し、福島支局に配属された[3]。1986年11月に国際協力事業団に採用され、一時は国際連合開発計画に出向していた[1]。
父の死去に伴って1995年の第17回参議院議員通常選挙に群馬県選挙区から出馬し、初当選。同年の自民党総裁選挙においては、小泉純一郎が出馬するために必要な推薦人集めに奔走した。小泉は出馬したが結果は惨敗だった。2001年の第19回参議院議員通常選挙で再選。
第1次安倍政権
2006年の自民党総裁選挙では早くから安倍晋三の総裁擁立を訴えたため、地元群馬では福田康夫を推す福田寄りの自民党群馬県議が反発。
自民党群馬県連では福田系から現職の山本を2007年7月の第21回参議院議員通常選挙の群馬県選挙区で推さずに、2004年の第20回参議院議員通常選挙で落選した上野公成を自民党公認候補に推す動きも出たが、最終的に山本が選挙区公認候補となった(上野は比例に回った)。
参院選においては年金問題や政治と金の問題などでの与党への逆風が吹いた上に、参院選と同時期に群馬県知事選挙が実施されたため、自民群馬県連は県知事と参院選に分かれて運動せざるを得ず、参院選のみに力を注げない状況だった。しかし山本は、自民・公明の支持層だけでなく角田義一の違法献金疑惑でレースから外れた民主党支持層の一部にも食い込み戦いを優位に進め、当時の参議院・群馬選挙区史上最大の得票数で3選。
福田政権
2008年8月発足の福田康夫改造内閣で外務副大臣に就任。直後の8月26日にアフガニスタンで起きた邦人の拘束・殺害事件の対策本部長となった。
その後、福田の総理総裁辞任を受け、9月5日、自民党総裁選への出馬を表明し、外務副大臣の辞任を表明(1972年に自民党総裁選で推薦制が導入されて以来、参議院議員の自民党総裁選立候補表明は初である)。河野太郎ら、プロジェクト日本復活のメンバー6人に支持されたが、出馬に必要な20人の推薦人集めが難航し、棚橋泰文との一本化も決裂したために3日後の9月8日に出馬を断念した。
谷垣体制
2010年4月、所属していた町村派を退会。同年8月11日に行われた党参議院議員会長選挙では中曽根弘文の推薦人に名を連ねて当選させ、その後の参院自民党の人事で山本が参院政審会長に起用された。参院政審会長として党務における3つの目標(自民党役員会の正式メンバー昇格、執行部の一員としての総務会出席、本部政調会長代理との兼任)を掲げ、翌9月に発足した新党三役(幹事長:石原伸晃・総務会長:小池百合子・政調会長:石破茂)が山本の主張を取り入れたことで3つの目標が実現した[4]。
第2次安倍政権
2012年12月26日に発足した第2次安倍内閣にて初入閣し、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)、内閣府特命担当大臣(宇宙政策担当)の3ポストを兼務することとなった[5][6]。また、国務大臣としての所管事項として、「情報通信技術(IT)による産業・社会構造の変革を円滑に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[5]と「海洋及び領土問題に関する施策を集中的かつ総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[5]をそれぞれ担当することとなった。
2013年7月21日の第23回参議院議員通常選挙では、次点候補に40万票以上の差をつけ4選。
政策
- 政局
- テンプレート:要出典範囲。
- 産業・経済
- テンプレート:要出典範囲。
- テンプレート:要出典範囲。
政治活動
交友
- 世耕弘成
- 安倍内閣の広報担当補佐官として官邸入りした世耕弘成をYS懇談(山本と世耕のイニシャルから)と称して頻繁に訪ねた。山本は自身のブログの中で「ほぼ毎日、首相官邸に足を運ぶ。たとえ10分でも、『YS懇』をやらねばならない。(これは2人の約束だ)」と述べている。
- 河野太郎
- 河野太郎とはジョージタウン大学の先輩後輩の関係であり、親友だとしている。2009年自由民主党総裁選挙では河野の推薦人となった。
人物
大学時代にロックバンドを組み、現在も作詞・作曲を行う。学生時代にはプロレス雑誌「週刊ゴング」を愛読。ミル・マスカラスのフライングチョップに感動する。好きな漫画は『あしたのジョー』。使用しているパソコンはMacBook Air。
政治番組だけでなくバラエティ番組などにも頻繁に登場する。
家族
父は農林水産大臣や自由民主党の参議院幹事長等を歴任し、福田赳夫の側近であった山本富雄。父方の祖父は元群馬県草津町長の山本泰太郎[12]。
姉の夫は群馬県議会議員の田島雄一(1949年1月13日 - )。田島の父・由雄(1917年 - 1975年)も群馬県議を一期務めている[13][14]。
妻は国際連合職員。
また、本人によれば母方が内村鑑三の遠い親せきにあたるという[15]。
略歴
- 1958年1月24日 - 出生。
- 1976年3月 - 群馬県立渋川高等学校卒業。
- 1982年3月25日 - 中央大学法学部政治学科卒業。
- 1985年
- 1986年
- 1991年10月15日 - 出向。ニューヨークで国際連合開発計画本部勤務。
- 1994年10月15日 - JICAへ復帰。
- 1995年
- 1月31日 - JICA退職。
- 2月1日 - 父である山本富雄(参議院自民党幹事長(当時))の秘書となる。
- 7月23日 - 第17回参議院議員通常選挙(群馬県選挙区・自由民主党公認)初当選。
- 1999年10月5日 - 外務政務次官就任(小渕内閣第2次改造内閣、第1次森内閣)。
- 2001年7月29日 - 第19回参議院議員通常選挙(群馬県選挙区・自民党公認)2期目当選。
- 2003年 - 参議院外交防衛委員長就任。
- 2006年
- 党内役職の他に、自由民主党拉致対策本部・対北朝鮮経済制裁シミュレーションチーム座長及び国連改革議員連盟幹事長を務めている。
- 10月 - 舛添要一参議院政策審議会長の下、政策審議会副会長に就任。
- 2007年7月29日 - 第21回参議院議員通常選挙(群馬県選挙区・自由民主党公認)3期目当選。
- 2008年
- 2010年
- 2011年10月‐役員改選では参議院政策審議会長を退任。
- 2012年12月26日 - 第2次安倍内閣において、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当、科学技術政策担当、宇宙政策担当)に就任。
- 2013年7月21日 - 第23回参議院議員通常選挙(群馬県選挙区・自由民主党公認)4期目当選。
主な所属団体・議員連盟
- 創生「日本」(副幹事長)
- 日本の前途と歴史教育を考える議員の会(事務局次長)
- 北京オリンピックを支援する議員の会(幹事)
- 平和を願い真の国益を考え靖国神社参拝を支持する若手国会議員の会
- 神道政治連盟国会議員懇談会
- 日韓議員連盟
- 外国人材交流推進議員連盟
- 再チャレンジ支援議員連盟
- 対北朝鮮外交カードを考える会
- 北朝鮮外交を慎重に進める会
テレビ出演
タイトル 放送日 自民党よ、なぜ奪権しないのか【3】民主党政権の末路―その不甲斐なさの根因 2012年7月14日 自民党よ、なぜ奪権しないのか【4】自民党再生の鍵は何か? 保守政党の必要性 2012年7月21日 自民党よ、なぜ奪権しないのか【5】危機に直面する21世紀世界 2012年7月28日
著作
- 『なぜいま安倍晋三なのか』 リヨン社、2006年7月、ISBN 457606083X
- 『私が総理になったなら-若き日本のリーダーたち- 』角川書店、2002年11月
論文
音楽活動
- 『見せかけのデモクラシー』1998年
- 『かいかくの詩』2003年
- 「チャレンジャーにささげる詩」(作曲:西井慶太、作詞:山本一太)2006年
- 自民党総裁選出に際し安倍晋三を応援する歌。
脚注
外部リンク
- 山本一太「シンプル・メッセージ」 - 公式サイト
- 山本一太の「気分はいつも直滑降」 - ブログ
- テンプレート:Twitter
テンプレート:S-off
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
樽床伸二
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 特命担当大臣(沖縄及び北方対策)
第20代:2012年 -
|style="width:30%"|次代:
現職
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
前原誠司
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 特命担当大臣(科学技術政策)
第21代:2012年 -
|style="width:30%"|次代:
現職
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
前原誠司
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 特命担当大臣(宇宙政策)
第3代:2012年 -
|style="width:30%"|次代:
現職
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
小野寺五典
木村仁
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 外務副大臣
伊藤信太郎と共同
2008年
|style="width:30%"|次代:
伊藤信太郎
橋本聖子
テンプレート:S-par
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
松村龍二
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 参議院外交防衛委員長
2003年 - 2004年
|style="width:30%"|次代:
林芳正
テンプレート:S-ppo
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
林芳正
|style="width:40%; text-align:center"|自由民主党参議院政策審議会長
2010年 - 2011年
|style="width:30%"|次代:
岩城光英
- 転送 Template:End
テンプレート:沖縄及び北方対策担当大臣 テンプレート:宇宙政策担当大臣 テンプレート:科学技術政策担当大臣
テンプレート:外務副大臣- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 「山本一太(やまもといちた)」『山本 一太(やまもと いちた):参議院議員プロフィール:参議院ホームページ』参議院、2010年11月10日。
- ↑ 山本一太「博士と修士」『博士と修士:山本一太の「気分はいつも直滑降」:So-netブログ』2005年11月20日。
- ↑ 山本一太「山本一太にスキャンダル発覚?!」『山本一太にスキャンダル発覚?!:山本一太の「気分はいつも直滑降」:So-netブログ』2006年6月27日。
- ↑ 参院政策審議会、3つの差別条約を撤廃!:その2
- ↑ 5.0 5.1 5.2 「人事異動」『官報』号外特35号、国立印刷局、2012年12月26日、1面。
- ↑ 「人事異動」『官報』号外特35号、国立印刷局、2012年12月26日、2面。
- ↑ 山本一太のプロフィール
- ↑ 山本 一太、「政論!―山本一太vs次世代を担う政治家たち」 2007年
- ↑ 山本一太氏にくら替え要請…自民空白の群馬2区
- ↑ 自民、次期衆院選2区候補 井野市議擁立で決着 群馬
- ↑ 山本一太の密かでない願望
- ↑ 【第2のバンソウコウ大臣は誰だ】山本一太、ゲンダイネット、2007年8月9日
- ↑ 『サンケイ日本紳士年鑑 第18版』(サンケイ新聞データシステム)
- ↑ 『群馬県人名大事典』(上毛新聞社)
- ↑ [http://ichita.blog.so-net.ne.jp/2014-06-10-1 偉大なる上州人、内村鑑三のDNA:その1 2014年6月10日
- ↑ テンプレート:Cite news