塩浜駅
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塩浜駅(しおはまえき)は、三重県四日市市にある、近畿日本鉄道(近鉄)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。
近鉄の名古屋線と、JR貨物の関西本線(貨物支線)が乗り入れる。両社の駅は隣接しているものの、線路は繋がっておらず独立している。
目次
駅構造
近畿日本鉄道
島式ホーム2面4線を有する待避可能な地上駅で、橋上駅舎を備える。ホーム有効長は6両編成分である。改札口は1か所のみで、駅出入口は東西双方に各1か所設置されている。近鉄塩浜検修車庫(車両工場)が隣接している。トイレは改札内橋上駅舎内に設置されている。
のりば
1・2 | テンプレート:Color名古屋線(下り) | 津・鳥羽・賢島・大阪・神戸方面 |
---|---|---|
3・4 | テンプレート:Color名古屋線(上り) | 四日市・桑名・名古屋方面 |
内側2線(2番線と3番線)が主本線、外側2線(1番線と4番線)が待避線である。なお、1番のりばからは名古屋方面への出発も可能である。
駅設備その他
自動改札機、自動精算機(回数券カードに対応。スルッとKANSAIおよびJスルーカードは非対応)が設置されている。自動精算機ではICOCAへのチャージが可能。正式にアナウンスされてはいないが、自動券売機(新型のタイプ)に同カードを挿入することにより乗車券類を購入することができる。
定期券・特急券は自動券売機で購入が可能。かつては定期券・特急券は窓口発売であったが、2008年11月26日より窓口は廃止となり、自動券売機での対応に切り替えられた。
当駅に停車する急行・普通列車の大半は乗務員交代を行うほか、ラッシュ時の一部と日中の名古屋方面の急行および普通列車は当駅で特急を待避する(伊勢中川方面についてはラッシュ時の一部のみで日中の急行は大半が伊勢若松駅で待避となる)。早朝と夕方以降に当駅を発着する普通列車も設定されている。
JR貨物
近鉄塩浜駅に隣接し駅の着発線を有する操車場と、近鉄海山道駅に隣接する側線群からなる。
着発線は到着線1線と出発線1線からなる。最も西側(近鉄塩浜駅寄り)の線路が到着線で、その東隣が出発線となっている。出発線の東側には貨車留置線が計10本敷設されている。構内はすべて非電化であり、駅構内の入換作業はJR貨物が保有する本線牽引機(DD51形ディーゼル機関車)が担当する。石油輸送用タンク貨車の常備駅であり、四日市駅と当駅で分担して留置されている。
専用線
当駅に接続する専用線・専用鉄道は1本ある。
- 昭和四日市石油専用線
- 着発線から南へ伸びる線路があり、途中で2つに分かれた線路の一方が昭和四日市石油専用線に繋がっている。昭和四日市石油専用線は同社四日市製油所の構内へ伸びている。
- 専用線の入換作業は、日本通運が保有する小型ディーゼル機関車(スイッチャー)が担当している[1]。主に1996年(平成8年)に新造された北陸重機工業製・28tの「No14」と「No15」の2両が常時重連運転で使用されている[1]。このほか、日立製作所製・25tの「No10」「No11」が存在するが、駅に出てくることはまれである[1]。
廃止された専用線
- 石原産業専用鉄道
- 2008年廃止。着発線から南へ伸びる路線が2つに分かれた路線の一方で同社の四日市工場へ続いていた。作業距離3.7キロ総延長8.7キロ[2]。
- 運転は昭和町駅 (愛知県)や能町駅より1日1往復。 液化塩素専用タキ5450が使用され[3]、 入換作業は石原産業が保有するスイッチャーが担当し、日本車輌製造製・25tの「DL106」と、日本輸送機(ニチユ)製・20tの「BH205」が交代で使用されていた[1]。1968年までは蒸気機関車が使用されており、B6形2412と戦時中中国海南島の鉱山で使用される予定だった日本車両製Cタンク(S108)がいた。現在2412は名古屋市科学館、S108は神戸市の本山交通公園に保存されている[4]。他にニチユのDL101-103、BH204がいた[5]。
- 三菱化学専用線
- 2011年3月末で廃止。近鉄海山道駅に隣接する側線群の南端から、三菱化学四日市事業所(旧・三菱化成工業四日市工場)へ伸びる専用線が分岐していた。
- 入換作業は日本トランスシティ保有のスイッチャーが担当していた[1]。スイッチャーは3両あり、主に新三菱重工業製・20tの「BH203」と日本車輌製造製・25tの「DB251」が交代で使用されていた。なお、もう1両の「BH201」は「BH203」と同じく新三菱重工業製・25tである[1]。
- 三菱油化専用線
- 1980年ごろまでに廃止。現存する昭和四日市石油専用線から分岐し、四日市製油所の北側にある三菱化学四日市事業所(旧・三菱油化四日市工場)へ続いていた。
- 三菱モンサント化成専用線
- 近鉄海山道駅に隣接する側線群の北端から、三菱化学四日市事業所(旧・三菱モンサント化成四日市工場)へ延びていた。
取扱う貨物の種類
当駅は、専用線発着のコンテナ貨物と、専用線発着の車扱貨物の取扱駅である。 取扱品は石油であり、タンク車で昭和四日市石油専用線から発送される。発送先は南松本駅(日本オイルターミナル松本営業所)である。
かつてはこのほか化成品の扱いもあり、タンクコンテナで輸送される酸化エチレンや、タンク車で輸送される液体塩素である。酸化エチレンは奥野谷浜駅(三菱化学鹿島事業所)から三菱化学専用線へ運ばれ、液体塩素は昭和町駅(東亞合成名古屋工場)から石原産業専用鉄道へ運ばれていた。
貨物列車
2013年3月改正時点では上り列車(四日市方面)は高速貨物列車(タキ1000形貨車のみで編成)が1日1本のみ稲沢駅を経由して南松本駅まで運行、専用貨物列車が1日5本(2本は稲沢駅経由で南松本駅まで、1本は臨時で稲沢駅まで運転)運行されている。下り列車(当駅終着)は高速貨物列車(タキ1000形のみで編成)が1日1本、専用貨物列車が1日3本運行されている。
利用状況
近鉄
「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1997年 | 3,200 |
1998年 | 3,044 |
1999年 | 3,004 |
2000年 | 2,958 |
2001年 | 2,835 |
2002年 | 2,852 |
2003年 | 2,865 |
2004年 | 2,826 |
2005年 | 2,810 |
2006年 | 2,834 |
2007年 | 2,840 |
2008年 | 2,910 |
2009年 | 2,755 |
2010年 | 2,744 |
2011年 | 2,836 |
2012年 | 2,892 |
塩浜駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 2008年11月18日の調査結果によると、1日の利用客は6,330人(前回2005年11月8日の調査では5,928人)。
- 近鉄の全調査対象駅(287駅)中、106位。
- 名古屋線の駅(44駅、他線接続駅含む)の中では、14位。
- 三重県内の近鉄の駅(116駅、但し調査当時の数)の中では、15位。
- 2008年11月18日の調査結果によると、1日の利用客は6,330人(前回2005年11月8日の調査では5,928人)。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(塩浜駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特記事項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1950年(昭和25年) | 1,110,840 | ←←←← | 480,375 | 1,591,215 | |||
1951年(昭和26年) | 1,377,840 | ←←←← | 535,306 | 1,913,146 | |||
1952年(昭和27年) | 1,339,440 | ←←←← | 570,342 | 1,909,782 | |||
1953年(昭和28年) | 1,384,290 | ←←←← | 635,672 | 2,019,962 | |||
1954年(昭和29年) | 1,397,310 | ←←←← | 647,521 | 2,044,831 | |||
1955年(昭和30年) | 1,489,530 | ←←←← | 595,554 | 2,085,084 | |||
1956年(昭和31年) | 1,585,860 | ←←←← | 604,907 | 2,190,767 | |||
1957年(昭和32年) | 1,662,150 | ←←←← | 676,636 | 2,338,786 | |||
1958年(昭和33年) | 1,655,340 | ←←←← | 712,619 | 2,367,959 | |||
1959年(昭和34年) | 1,973,100 | ←←←← | 745,128 | 2,718,228 | |||
1960年(昭和35年) | 2,084,040 | ←←←← | 703,384 | 2,787,424 | |||
1961年(昭和36年) | 2,514,000 | ←←←← | 775,034 | 3,289,034 | |||
1962年(昭和37年) | 2,670,900 | ←←←← | 804,314 | 3,475,214 | |||
1963年(昭和38年) | 2,454,570 | ←←←← | 866,995 | 3,321,565 | |||
1964年(昭和39年) | 2,859,900 | ←←←← | 964,425 | 3,824,325 | |||
1965年(昭和40年) | 2,793,990 | ←←←← | 899,558 | 3,693,548 | |||
1966年(昭和41年) | 2,719,020 | ←←←← | 719,021 | 3,438,041 | |||
1967年(昭和42年) | 2,753,640 | ←←←← | 742,505 | 3,496,145 | |||
1968年(昭和43年) | 2,520,780 | ←←←← | 744,852 | 3,265,632 | |||
1969年(昭和44年) | 2,349,510 | ←←←← | 730,240 | 3,079,750 | |||
1970年(昭和45年) | 2,484,720 | ←←←← | 693,571 | 3,178,291 | |||
1971年(昭和46年) | 2,403,090 | ←←←← | 681,308 | 3,084,398 | |||
1972年(昭和47年) | 2,271,840 | ←←←← | 637,886 | 2,909,726 | |||
1973年(昭和48年) | 2,196,660 | ←←←← | 605,025 | 2,801,685 | |||
1974年(昭和49年) | 2,271,780 | ←←←← | 594,844 | 2,866,624 | |||
1975年(昭和50年) | 2,269,620 | ←←←← | 594,719 | 2,864,339 | |||
1976年(昭和51年) | 2,049,480 | ←←←← | 533,145 | 2,582,625 | |||
1977年(昭和52年) | 1,914,210 | ←←←← | 519,753 | 2,433,963 | |||
1978年(昭和53年) | 1,837,890 | ←←←← | 504,065 | 2,341,955 | |||
1979年(昭和54年) | 1,689,660 | ←←←← | 491,703 | 2,181,363 | |||
1980年(昭和55年) | 1,532,250 | ←←←← | 483,878 | 2,016,128 | |||
1981年(昭和56年) | 1,488,330 | ←←←← | 458,685 | 1,947,015 | |||
1982年(昭和57年) | 1,384,170 | ←←←← | 449,027 | 1,833,197 | 11月16日 | 9,890 | |
1983年(昭和58年) | 1,280,460 | ←←←← | 427,354 | 1,707,814 | 11月8日 | 9,422 | |
1984年(昭和59年) | 1,246,110 | ←←←← | 397,191 | 1,643,301 | 11月6日 | 8,994 | |
1985年(昭和60年) | 1,197,570 | ←←←← | 388,848 | 1,586,418 | 11月12日 | 8,512 | |
1986年(昭和61年) | 1,190,250 | ←←←← | 400,475 | 1,590,725 | 11月11日 | 8,864 | |
1987年(昭和62年) | 1,175,790 | ←←←← | 387,042 | 1,562,832 | 11月10日 | 9,079 | |
1988年(昭和63年) | 1,157,130 | ←←←← | 398,863 | 1,555,993 | 11月8日 | 8,830 | |
1989年(平成元年) | 1,123,170 | ←←←← | 394,546 | 1,517,716 | 11月14日 | 8,377 | |
1990年(平成2年) | 1,105,620 | ←←←← | 400,041 | 1,505,661 | 11月6日 | 7,916 | |
1991年(平成3年) | 1,095,810 | ←←←← | 398,083 | 1,493,893 | |||
1992年(平成4年) | 1,066,170 | ←←←← | 403,497 | 1,469,667 | 11月10日 | 7,810 | |
1993年(平成5年) | 1,027,230 | ←←←← | 393,831 | 1,421,061 | |||
1994年(平成6年) | 961,680 | ←←←← | 353,895 | 1,315,575 | |||
1995年(平成7年) | 972,660 | ←←←← | 364,790 | 1,337,450 | 12月5日 | 7,590 | |
1996年(平成8年) | 913,920 | ←←←← | 333,883 | 1,247,803 | |||
1997年(平成9年) | 853,920 | ←←←← | 313,980 | 1,167,900 | |||
1998年(平成10年) | 809,370 | ←←←← | 301,844 | 1,111,214 | |||
1999年(平成11年) | 786,300 | ←←←← | 313,262 | 1,099,562 | |||
2000年(平成12年) | 765,300 | ←←←← | 314,320 | 1,079,620 | |||
2001年(平成13年) | 728,880 | ←←←← | 305,937 | 1,034,817 | |||
2002年(平成14年) | 730,680 | ←←←← | 310,428 | 1,041,108 | |||
2003年(平成15年) | 736,950 | ←←←← | 311,712 | 1,048,662 | |||
2004年(平成16年) | 725,340 | ←←←← | 306,150 | 1,031,490 | |||
2005年(平成17年) | 717,840 | ←←←← | 307,720 | 1,025,560 | 11月8日 | 5,928 | |
2006年(平成18年) | 727,920 | ←←←← | 306,567 | 1,034,487 | |||
2007年(平成19年) | 730,620 | ←←←← | 308,638 | 1,039,258 | |||
2008年(平成20年) | ←←←← | 11月18日 | 6,330 | ||||
2009年(平成21年) | 716,910 | ←←←← | 288,717 | 1,005,627 | |||
2010年(平成22年) | ←←←← | ||||||
2011年(平成23年) | ←←←← | ||||||
2012年(平成24年) | ←←←← | ||||||
2013年(平成25年) | ←←←← |
JR貨物
- 2003年度の発送貨物は744,699トン、125,396トンであった。
駅周辺
- 四日市市役所塩浜地区市民センター
- 四日市塩浜郵便局
- 四日市中里郵便局
- 昭和四日市石油四日市製油所
- 三菱化学四日市事業所塩浜地区
- コスモ電子工場
- 中部クノール食品本社工場
- 東海旅客鉄道(JR東海)関西本線 南四日市駅
バス路線
- 三重交通(四日市市自主運行バス)
- 塩浜駅前
- 92系統 県立総合医療センター・高花平
- 92系統 磯津
- 塩浜駅前
歴史
近鉄
- 1919年(大正8年)10月25日 - 伊勢鉄道の海山道 - 楠間開通時に開業。
- 1926年(大正15年)9月21日 - 伊勢鉄道が伊勢電気鉄道に社名変更。
- 1936年(昭和11年)9月15日 - 参宮急行電鉄が伊勢電気鉄道を合併。参宮急行電鉄伊勢線の駅となる。
- 1938年(昭和13年)12月7日 - 線路名称改定。名古屋線の所属となる。
- 1941年(昭和16年)
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 関西急行鉄道が南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身)と合併、近畿日本鉄道の駅となる。
- 1986年(昭和61年)6月23日 - 橋上駅舎化。
- 2007年(平成19年)4月1日 - PiTaPa、ICOCA対応開始。
JR貨物
- 1944年(昭和19年)
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 貨物の取扱範囲を、専用線発着に限定[6]。
- 1966年(昭和41年)10月1日 - 専用線発着コンテナの取り扱いを開始[6]。
- 1975年(昭和50年)7月1日 - コンテナの取り扱いを廃止[6]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR貨物が継承[6]。
- 1988年(昭和63年)6月20日 - 専用線発着コンテナの取り扱いを再開[6]。
- 1996年(平成8年)3月16日 - コンテナの取り扱いを再廃止[6]。
- 2001年(平成13年)1月14日 - 奥野谷浜 - 当駅間で、タンクコンテナによる酸化エチレン輸送を開始。
- 2008年(平成20年) - 石原産業専用鉄道が廃止
- 2011年(平成23年)3月31日 - 三菱化学専用線が廃止
隣の駅
- 近畿日本鉄道
- 名古屋線
- 日本貨物鉄道
- 関西本線貨物支線
- 四日市駅 - 塩浜駅
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:関西本線 (四日市 - 塩浜)- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 せんろ商会編著 『知られざる鉄道 2』 JTB、2003年、82-83頁
- ↑ 「昭和58年版全国専用線一覧表」『トワイライトゾーンマニュアル6』ネコパブリッシング、1997年、311頁
- ↑ 近藤弘志「石原産業専用線ついに廃止」『トワイライトゾーンマニュアル16』ネコパブリッシング、2009年
- ↑ 近藤弘志「塩浜貨物線界隈の想い出」『トワイライトゾーンマニュアル15』ネコパブリッシング、2007年
- ↑ 『世界の鉄道'70』朝日新聞社、186頁
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 6.5 6.6 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 2』 JTB、1998年、345頁