廿日市駅
廿日市駅(はつかいちえき)は、広島県廿日市市駅前にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線の駅。
駅構造
相対式2面2線のホームを持つ地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡している。 かつては巻取式の発車案内があったが2014年(平成26年)3月14日に老朽化のため撤去された。広島支社管内で巻取式の発車案内があった最後の駅は当駅である。桜の古木が上りのホームに植えられており、春には息をのむほど美しい。
西広島駅が管理し、ジェイアール西日本広島メンテックが駅業務を受託する業務委託駅である。
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | テンプレート:Color山陽本線 | 下り | 宮島口・岩国方面 |
2 | テンプレート:Color山陽本線 | 上り | 広島・三原方面 |
※上下線の間にホームのない待機線(運転指令上は「2番線」)があるが、現在は架線がなく、配線上の理由(広島側で上り線のみ、岩国側で下り線のみに接続)によって電車は入線できない。かつては両側で上り線、下り線両者に接続した、いわゆる中線であった。この名残で、2番のりばは運転指令上は「3番線」とされている。
現在の廿日市駅は廿日市駅再開発事業の1つとして建て替えられる。自由通路、北口が新しく設置され橋上駅となる。整備事業全体は平成29年完了予定。
駅周辺
駅前には、古くからの商店街がある。かつて二十日の日に、市場が開かれていた。廿日市の名前の由来である。徒歩3分の中央公民館のあたりが、西国街道の廿日市本陣であった。
洞雲寺という禅宗の寺がすぐそばにある。とても古い寺で、毛利元就との厳島の戦いで名高い陶晴賢の墓がある。本尊は釈迦如来像。
桂公園という広い公園がある。元は、桜尾城といって海に浮かぶ城であり、厳島の戦いの折には毛利元就が陣を敷き、後には豊臣秀吉も宮島に参詣する際に滞在している。その後荒れていたが、その城主の子孫の桂太郎(明治期の元老・総理大臣・公爵)が土地を買い戻して当時の廿日市町に寄贈し、公園としたので桂公園という。
天満宮がある。高台にあり、廿日市市内を一望できる。大きな楠が名物で、下から眺めてもよく見える。1991年(平成3年)の台風19号によりいくつかの木は倒されてしまったが、残った現在ある楠もすばらしいものである。
駅裏の北側には田や山が残っていたが、駅裏の工事によって一変し宅地に変わろうとしている。
利用状況
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1994年 | 4,048 |
1995年 | 3,958 |
1996年 | 3,863 |
1997年 | 3,688 |
1998年 | 3,738 |
1999年 | 3,783 |
2000年 | 3,899 |
2001年 | 3,903 |
2002年 | 3,743 |
2003年 | 3,619 |
2004年 | 3,500 |
2005年 | 3,463 |
2006年 | 3,488 |
2007年 | 3,556 |
2008年 | 3,479 |
2009年 | 3,376 |
2010年 | 3,325 |
2011年 | 3,324 |
2012年 | 3,410 |
廿日市市の代表駅であるが、一日の利用者数は隣の宮内串戸駅の方が多い。
歴史
- 1897年(明治30年)9月25日 - 山陽鉄道 広島駅 - 徳山駅間の延伸と同時に開業。旅客・貨物の取扱を開始。
- 1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道の国有化により国有鉄道の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。山陽本線の所属となる。
- 1980年(昭和55年)9月24日 - 車扱貨物の取扱を廃止。駅舎の南側に有蓋車用の貨物ホームが設置されていた。
- 1987年(昭和62年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)10月1日 - ジェイアール西日本広島メンテックによる業務委託駅となる[1]。
- 2014年(平成26年)
隣の駅
- 西日本旅客鉄道
- テンプレート:Color山陽本線
- テンプレート:Color快速「通勤ライナー」
- 通過
- テンプレート:Color普通(呉線内で快速となる列車を含む)
- テンプレート:Color快速「通勤ライナー」
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Navbox- ↑ みどりの窓口の営業時間は5:20 - 24:00だったが、委託化の半年前に5:15 - 22:45となり、委託化で5:45 - 20:00(11:30 - 15:20は閉鎖)となった。