上田文雄
テンプレート:政治家 上田 文雄(うえだ ふみお、1948年6月11日 - )は、日本の政治家、弁護士。北海道札幌市長(3期)。
来歴・人物
北海道中川郡幕別町生まれ。北海道帯広三条高等学校、中央大学法学部卒業。1975年、26歳で司法試験に合格し、司法修習第30期を修了。弁護士登録し、道央法律事務所に所属する(当時の同僚に後の北海道知事・衆議院議長となる横路孝弘)。弁護士時代は主に少年事件、医療事故訴訟、多重債務訴訟を扱い、旭川学力テスト事件も担当した。1994年、札幌弁護士会副会長に就任。2001年から日本弁護士連合会人権擁護委員会副委員長を務める。
2003年4月、札幌市長選挙に出馬し、全候補者中最多の票を獲得したものの、得票率が25パーセントを下回ったため、公職選挙法の規定により当選せず、異例の再選挙が実施される。6月に行われた、政令指定都市では史上初の再選挙に再び市民ネットワーク北海道推薦、民主・社民支持で立候補し、自民・保守新2党が推薦し、公明党が支持する元北海道放送キャスターの石崎岳、元参議院議員の中尾則幸らを破り、初当選を果たした。2007年の札幌市長選挙では、元国土交通官僚の清治真人らを破り再選。2011年の札幌市長選挙では、民主党に強い逆風が吹き荒れる中、震災の影響による、選挙戦自粛ムードなども手伝って、元総務官僚の本間奈々を破り、3選を果たした。
札幌市長
- 全国市民オンブズマン連絡会議による全国の政令指定都市を対象にした全国情報公開度ランキングにおいて、上田が市長に就任した後の札幌市は2004年度は前年度(桂信雄市政下)の9位から大幅に順位を上げ全国1位[1]、2005年度は静岡市に次ぐ2位[2]、2006年度はまた1位に返り咲いた[3]。
- 2003年以降毎年、札幌市で開催されるゲイ・パレードでスピーチを行っている。
- 2011年大阪市長選挙では、現職の平松邦夫の街頭演説に駆けつけ「平松さんは19政令市のリーダー」として持ち上げた[4]。
がれき受け入れ問題
上田文雄市長は2012年3月7日の定例記者会見で、東日本大震災の被災地で発生したがれきの受け入れについて「(放射性物質が)国の基準を下回っていても受け入れるつもりはない」との考えを表明した。 国の示す基準に対しては「放射性物質は微量でも有害で極めて長寿命。十分な知識を持ち、風評被害のことも考えた上で判断してほしい」との考えを示した[5]。
家族
息女に弁護士の上田絵理がいる。
著書
- 「医療はかく裁かれた - 患者の人権は護られているか」 クルーズ、2003年 ISBN 4905756197
- 「札幌ちょっといい話 私が札幌を好きになった理由」 コア・アソシエイツ、2006年 ISBN 4902969386
脚注
関連項目
外部リンク
- 上田文雄のウェブマガジン
- 札幌市役所
- 常磐に誓う - 帯広三条高校90年の足跡 その他・下 - 上田文雄も登場している
- ↑ 第9回政令指定都市総合ランキング
- ↑ 第10回政令指定都市総合ランキング
- ↑ 第11回政令指定都市総合ランキング
- ↑ 産経新聞 2011.11.20 21:03 [1]
- ↑ 北海道新聞 2012.03.12 23:17 [2]