ボルシア・ドルトムント

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スタジアムの風景

BVボルシア09 e.V. ドルトムントBallspielverein Borussia 09 e.V. Dortmund[1])、通称ボルシア・ドルトムント(Borussia Dortmund、テンプレート:IPA-de)は、ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州ドルトムントに本拠地を置くスポーツクラブである。ドルトムントあるいはBVB(ベーファウベー)としても知られている。会員制のスポーツクラブであり、サッカー部門が最も大きい[2]。クラブの会員数は8万8千人でドイツのスポーツクラブとしては3番目の規模である。サッカー部門は現在、ドイツ・ブンデスリーガ(1部)に所属しており、ドイツサッカー史上最も成功したクラブの1つである[3][4]

概要

ボルシア・ドルトムントは1909年にドルトムントの17名のサッカー選手によって創設された。これまでにドイツリーグを8回、DFBポカール(カップ戦)を3回、DFLスーパーカップを4回、UEFAチャンピオンズリーグを1回、UEFAカップウィナーズカップを1回、インターコンチネンタルカップを1回制している。1966年のカップウィナーズカップ制覇はドイツのクラブとして初の欧州タイトル獲得であった。

テンプレート:要出典範囲

1974年から、ヴェストファーレンシュタディオンでホームゲームを開催している。このスタジアムはドイツ最大で、2009-10シーズンのドルトムントの1試合当たりの平均観客動員数(76780人)[5]ならびにスタジアム観客入場率(約94%)は世界一である[6]。チームカラーの黒色と黄色から、「die Schwarzgelben(黒と黄)」[7][8]の愛称で呼ばれている。ホームスタジアムの名物はホーム側ゴール裏スタンドで、このスタンドだけで2万2千人を収容できる。ドルトムントがこのスタジアムで試合を行うと、この一角はユニフォームを纏ったサポーターで一面びっしりと埋まり、まさに黄色い壁と化す。

バイエルン・ミュンヘンとのライバル関係は、「デア・クラシカー Der Klassiker」(クラシック)として知られており[9][10]、両者の対戦はドイツにおけるナショナルダービーと見なされている[11]。また、長年のライバルはルール地方の隣人シャルケ04であり、この2クラブの対戦はルールダービーとて知られている。

デロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2013年のクラブ収入は欧州第11位、ブンデスリーガではFCバイエルン・ミュンヘンに次いで第2位である[12]。クラブのモットーは「Echte Liebe」(真実の愛)。

歴史

創立期

1909年、教会が運営していた厳しいサッカークラブに飽き足りない青少年により創設された。「ボルシア」(Borussia)はラテン語での「プロイセン」の意味で、ドルトムントがプロイセン王国に属していたこと、および近隣にあるボルシア醸造所の名称にちなむ。ブンデスリーガ発足前の1955-56シーズンに初優勝し、1956-57シーズンには連覇も果たした。ブンデスリーガ発足後は1962-63シーズンに優勝し、 1965-66シーズンにはUEFAカップウィナーズカップも制した。ちなみに、旧西ドイツ国内では初めてUEFA主催の大会でのタイトル獲得でもあった。しかし、1970年代に失速し、1971-72年シーズンでブンデスリーガ2部へと降格した。1976年に2部で準優勝して1部復帰を果たしたものの、その後は中位を推移していた。

躍進〜欧州制覇

ゲルト・ニーバウムが会長に就任したことでクラブに大きな変化が訪れ、1990年代よりクラブは躍進の時代を迎えることになる。海外のリーグで疲れたドイツ代表選手( シュテファン・ロイターマティアス・ザマーカール=ハインツ・リードレなど)を次々に獲得して戦力アップを図り、1991年にオットマー・ヒッツフェルトを監督に招聘して以降は、ドイツの盟主バイエルン・ミュンヘンと毎年優勝争いを演じて、チームはバイエルンの「最大のライバル」と呼ばれるようになっていく。

1992-93シーズンには、UEFAカップで躍進し決勝まで上り詰めたが、ユヴェントスとの決勝戦ではロベルト・バッジョアンドレアス・メラーなどにゴールを許して大敗した。

1994-95シーズンにメラーなどが加入したことで戦力がさらに強化され、圧倒的な強さでリーグを制し、翌シーズンには連覇を果たす。そして、1996-97シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグで優勝を果たす。そのチャンピオンズリーグでは前評判は決して高くなく、ユヴェントスとの決勝では圧倒的に不利と言われたが、結果は3-1の圧勝であった。

この試合の勝因として、スタメンが元ユヴェントスの選手で占められ、しかもマルチェロ・リッピのサッカーを知り尽くしていたユルゲン・コーラーパウロ・ソウザがスタメンにいたこと、ユヴェントスとの対戦がチャンピオンズリーグやUEFAカップなどの大会で何度も行われて手の内を知り尽くしていたこと、この試合で唯一の失点を許したアレッサンドロ・デルピエロがユヴェントスのスタメンから外れていたことなどが挙げられる。また、チャンピオンズリーグ決勝という舞台でヨーロッパカップ初出場したラーシュ・リッケンが、途中出場のファーストタッチで豪快なミドルシュートを決めたことはサポーターの語り草となっている。ちなみに、決勝戦は最大のライバル、バイエルンの当時のホームスタジアムであるミュンヘン・オリンピアシュタディオンで開催された。

混乱と低迷

チャンピオンズリーグの優勝は、しかし、その後10年余りに渡る混乱と低迷の始まりでもあった。数人の主力の放出を含めたチームの刷新をヒッツフェルトはクラブに望んでいたが、結局放出候補の主力選手は残留、ヒッツフェルトはスポーツディレクターに降格、新監督にネヴィオ・スカラが就任し、1997年にはトヨタカップも制したが、国内リーグでは低迷を続けた。

また、ドイツのクラブでは初めて株式上場を果たし、これによって大物選手獲得が可能になった。しかし、選手獲得によって2チーム分のオーダーを組める陣容になり、これに起因する選手の不満が続出、シュテファン・クロスシュテファン・フロイントなどはこれが原因でチームを去っていった。また、主力のザマーが選手生命に関わるほどの大怪我をしたことや大半の主力がピークを過ぎたこともチームの低迷に少なからず影響し、1999-2000シーズンには2部降格の危機を迎えることになった。シーズン終盤には、監督にウド・ラテックが、ヘッドコーチにマティアス・ザマーがそれぞれ就任し、チームを立て直して1部残留に成功する。シーズン終了後にラテックが辞任したため、2000年にザマーが監督に就任した。これによりザマーは、1998年に就任したミヒャエル・スキッベの最年少監督記録を更新し、クラブ史上最年少監督となった。

一瞬だけの栄光

監督に就任したザマーは、人員整理とチームの立て直しに着手する。メラーがライバルのシャルケ04に移籍して話題をさらわれたが、ヨルク・ハインリッヒを連れ戻すなどしてチームの再建に成功し、3位というまずまずの成績で就任1年目を終了した。そして、マルシオ・アモローゾトマーシュ・ロシツキーヤン・コラーセバスティアン・ケールを補強して戦力アップが図られたことで、2001-02シーズンには久しぶりのリーグ優勝を果たす。UEFAカップでも決勝に進出したが、フェイエノールトに敗れてしまい、UEFAカップウィナーズカップ、UEFAチャンピオンズリーグに続く3つ目のタイトルを逃した。この試合では、コーラーが退場によって選手生活を終えてしまった。コーラーをはじめとして、2004年にはロイターも引退してチームは中軸を失った。

経営危機

21世紀に入るとクラブの株式を上場する経営戦略が裏目に出て巨額の損失を抱え込み、2004-05シーズン途中には債務超過による破綻寸前にまで追い込まれた(何より問題だったのは成績を見込んで大金を出すことで、見込みが違えば大きな赤字となることだった)。成績がダイレクトに株価推移に反映される株式上場は成績の良い時ならばクラブ経営の推進力をこの上無く高めるが、少しでも成績が下降すれば人気の有無に拘わらずクラブの経営体力を株価下落と言う形で奪っていく(特に痛かったのが2003-04シーズンのチャンピオンズリーグ予備予選敗退を始めとする低調な結果である)。そして€120,000,000と言われる借金だけが残り、ゲルト・ニーバウム会長、現場最高責任者のミヒャエル・マイヤーがクラブを去ることとなった。

ドイツでも屈指の人気を誇るドルトムントがこのような形で苦境に立たされた事は、上場によって選手移籍金の高騰を招いたイタリアのクラブ、パルマラツィオが資金難に陥った状況に似ており、クラブ経営と株式上場との不和を印象付けるものでもあった。

2006年になってついに名物スタジアムの命名権売却に至る。各金融機関へ融資を頼み込むなどして、ようやく財政は上向き、増資を株主総会で発表できる状態にまでなった。その間、優秀な若手選手が下部組織から出てきており、それなりに新しい方向を見いだし始めている。但し、ベルト・ファン・マルワイクはレヴィアダービー(ルールダービー)の結果およびホームでの低調なパフォーマンスによりサポーターから不評を買い、対バイエル・レバークーゼン戦ではサポーターが自チームではなく対戦相手を応援するという異常事態に陥る。その試合の結果を受け、ファン・マルワイクは前半戦終了を待たずに解任された。クラブ自体は2006-07シーズンを9位で終えるも一時は残留争いに巻き込まれた。

しかし、このような低迷期にあっても数多くのサポーターがドルトムントに対する情熱を持ち続けスタジアムに集う光景は変わらず、スタンドからの地鳴りをも引き起こす熱狂的な大声援はドルトムントを強く後押しし続けた。

再建へ

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ボルシア·ドルトムントの選手は、2011年にブンデスリーガを受賞祝う

2007-08シーズンはDFBポカールで準優勝しUEFAカップの出場権を得たものの、国内リーグでは1999-00シーズン以来の二桁順位となる低迷が続いたが、平均観客動員はブンデスリーガで1位、欧州主要リーグ全体でもレアル・マドリードマンチェスター・ユナイテッドFCに続く3位となる7万3000人弱を記録している(ホームスタジオの最大観客数8万3000人)。

2008年夏、1.FSVマインツ05を躍進させたユルゲン・クロップ監督を招聘した。新加入のDFネヴェン・スボティッチがブレイクを果たし、リーグ2位の37失点と鉄壁を誇った守備陣を支えた。25節から7連勝で順位を上げ、UEFAヨーロッパリーグ出場権まであと一歩の6位に入った。ホームでは8勝9分と無敗で、シーズンを通しての敗戦数5はリーグ最少だった。

2008-09シーズン終了後にFWアレクサンダー・フライが母国のFCバーゼルに復帰したが、CSDコロコロで36試合出場34得点を挙げたパラグアイ代表FWルーカス・バリオスを獲得するなど、戦力維持に努めた。

2010年夏、Jリーグ1部・セレッソ大阪のMF香川真司らを獲得。香川を始めケヴィン・グロスクロイツマリオ・ゲッツェロベルト・レヴァンドフスキらがブレイクし主力の多くが23歳以下、スタメンの平均年齢が22~24歳という若いチームが完成、序盤から勝ちを積み重ねたチームは2010-2011シーズン前半戦終了時点でブンテスリーガ史上第2位となる勝ち点43を達成し首位で折り返し[13]、圧倒的な強さで9シーズンぶり7度目の優勝を飾った[14][15][16]

2011年11月のチームの収支報告では、収入は前のシーズンの1億100万ユーロから大きく増えて1億5000万ユーロに、利益はチーム史上最高額の950万ユーロを記録した。一時は1億4000万ユーロ近くまで膨れ上がった負債額も、5600万ユーロと大幅に減らしている[17]

2011-12シーズン、UEFAチャンピオンズリーグ 2011-12ではグループ最下位で敗退、リーグ戦も低調なスタートに沈むも、その後はブンデスリーガ新記録となるリーグ戦28試合無敗・勝ち点81を成し遂げ、優勝を争うバイエルン・ミュンヘンとの直接対決を2戦2勝と制するなど安定した強さを見せ、2シーズン連続8回目の優勝を達成した[18][19]。さらに、DFBポカール決勝でもバイエルンを破りクラブ創設史上初の国内2冠を達成した。

2012-13シーズン、リーグではバイエルンの独走優勝を許し3連覇を逃す。DFBポカールは準決勝で敗退した。UEFAチャンピオンズリーグ 2012-13では、グループリーグでレアル・マドリード、マンチェスター・シティといった強豪と同組となるもグループ1位で突破。決勝トーナメントでも準決勝でマドリードを下し決勝に進出するも、決勝でバイエルンに敗れ16シーズンぶりのCL制覇を逃しチームは3シーズンぶりの無冠に終わった。

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

過去の成績

シーズン ディビジョン ドイツカップ 欧州カップ/その他 最多得点者
リーグ 試合数 得点 失点 勝ち点 順位 選手 得点数
1973-74 レギオナルリーガ 34 15 7 12 63 50 37 6位 1回戦敗退 ブルクハルト・ゼクレア 20
1974-75 2.ブンデスリーガ 38 17 12 9 65 44 46 6位 準決勝敗退 ブルクハルト・ゼクレア 14
1975-76 2.ブンデスリーガ 38 22 8 8 93 37 52 2位 2回戦敗退 Hans-Werner Hartl 18
1976-77 ブンデスリーガ 34 12 10 12 73 64 34 8位 3回戦敗退 マンフレート・ブルクスミュラー 14
1977-78 ブンデスリーガ 34 14 5 15 57 71 33 11位 2回戦敗退 マンフレート・ブルクスミュラー 20
1978-79 ブンデスリーガ 34 10 11 13 54 70 31 12位 4回戦敗退 マンフレート・ブルクスミュラー 15
1979-80 ブンデスリーガ 34 14 8 12 64 56 36 6位 準決勝敗退 マンフレート・ブルクスミュラー 20
1980-81 ブンデスリーガ 34 13 9 12 69 59 35 7位 3回戦敗退 マンフレート・ブルクスミュラー 27
1981-82 ブンデスリーガ 34 18 5 11 59 40 41 6位 3回戦敗退 マンフレート・ブルクスミュラー 22
1982-83 ブンデスリーガ 34 16 7 11 78 62 39 7位 準決勝敗退 UEFAカップ 1回戦敗退 Rüdiger Abramczik 16
1983-84 ブンデスリーガ 34 11 8 15 54 65 30 13位 1回戦敗退 エルダル・ケセル
ベルント・クロッツ
9
1984-85 ブンデスリーガ 34 13 4 17 51 65 30 14位 2回戦敗退 ミヒャエル・ツォルク 8
1985-86 ブンデスリーガ 34 10 8 6 49 65 28 16位 準決勝敗退 ユルゲン・ヴェーグマン 14
1986-87 ブンデスリーガ 34 15 10 9 70 50 40 4位 2回戦敗退 ノルベルト・ディッケル 20
1987-88 ブンデスリーガ 34 9 11 14 51 54 29 13位 3回戦敗退 UEFAカップ 3回戦敗退 ミヒャエル・ツォルク 13
1988-89 ブンデスリーガ 34 12 13 9 56 40 37 7位 優勝 ノルベルト・ディッケル 12
1989-90 ブンデスリーガ 34 15 11 8 51 35 41 4位 2回戦敗退 カップウィナーズカップ 2回戦敗退 アンドレアス・メラー
ミヒャエル・ツォルク
10
DFLスーパーカップ 優勝
1990-91 ブンデスリーガ 34 10 14 10 46 57 34 10位 1回戦敗退 UEFAカップ 3回戦敗退 ミヒャエル・ルンメニゲ 8
1991-92 ブンデスリーガ 38 20 12 6 66 47 52 2位 3回戦敗退 ステファン・シャプイザ 20
1992-93 ブンデスリーガ 34 18 5 7 61 43 41 4位 4回戦敗退 UEFAカップ 準優勝 ステファン・シャプイザ 15
1993-94 ブンデスリーガ 34 15 9 10 49 45 39 4位 2回戦敗退 UEFAカップ 準々決勝敗退 ステファン・シャプイザ 17
1994-95 ブンデスリーガ 34 20 9 5 67 33 49 1位 2回戦敗退 UEFAカップ 準決勝敗退 ミヒャエル・ツォルク 15
1995-96 ブンデスリーガ 34 19 11 4 76 38 68 1位 準々決勝敗退 UEFAチャンピオンズリーグ 準々決勝敗退 ミヒャエル・ツォルク 15
DFLスーパーカップ 優勝
1996-97 ブンデスリーガ 34 19 6 9 63 41 63 3位 1回戦敗退 UEFAチャンピオンズリーグ 優勝 ステファン・シャプイザ 13
DFLスーパーカップ 優勝
DFBリーガポカール 準決勝敗退
1997-98 ブンデスリーガ 34 11 10 13 57 55 43 10位 3回戦敗退 UEFAチャンピオンズリーグ 準決勝敗退 ステファン・シャプイザ 14
UEFAスーパーカップ 準優勝
インターコンチネンタルカップ 優勝
1998-99 ブンデスリーガ 34 16 9 9 48 34 57 4位 3回戦敗退 DFBリーガポカール 準決勝敗退 ステファン・シャプイザ 8
1999-2000 ブンデスリーガ 34 9 13 12 41 38 40 11位 3回戦敗退 UEFAカップ 4回戦敗退 フレディ・ボビッチ 7
2000-01 ブンデスリーガ 34 16 10 8 62 42 58 3位 2回戦敗退 フレディ・ボビッチ 10
2001-02 ブンデスリーガ 34 21 7 6 62 33 70 1位 1回戦敗退 UEFAカップ 準優勝 マルシオ・アモローゾ 18
DFBリーガポカール 準決勝敗退
2002-03 ブンデスリーガ 34 15 13 6 51 27 58 3位 2回戦敗退 UEFAチャンピオンズリーグ 2回戦敗退 ヤン・コレル 13
DFBリーガポカール 準決勝敗退
2003-04 ブンデスリーガ 34 16 7 11 59 48 55 6位 2回戦敗退 UEFAカップ 2回戦敗退 エベルトン
ヤン・コレル
16
2004-05 ブンデスリーガ 34 15 10 9 47 44 55 7位 3回戦敗退 ヤン・コレル 15
2005-06 ブンデスリーガ 34 11 13 10 45 42 46 7位 1回戦敗退 エウゼビウシュ・スモラレク 13
2006-07 ブンデスリーガ 34 12 8 14 41 43 44 9位 2回戦敗退 アレクサンダー・フライ 16
2007-08 ブンデスリーガ 34 10 10 14 50 62 40 13位 準優勝 ムラデン・ペトリッチ 13
2008-09 ブンデスリーガ 34 15 14 5 60 37 59 6位 3回戦敗退 UEFAカップ 1回戦敗退 アレクサンダー・フライ 12
2009-10 ブンデスリーガ 34 16 9 9 54 42 57 5位 3回戦敗退 ルーカス・バリオス 19
2010-11 ブンデスリーガ 34 23 6 5 67 22 75 1位 2回戦敗退 UEFAヨーロッパリーグ グループステージ敗退 ルーカス・バリオス 16
2011-12 ブンデスリーガ 34 25 6 3 80 25 81 1位 優勝 UEFAチャンピオンズリーグ グループステージ敗退 ロベルト・レヴァンドフスキ 22
2012-13 ブンデスリーガ 34 19 9 6 81 42 66 2位 準々決勝敗退 UEFAチャンピオンズリーグ 準優勝 ロベルト・レヴァンドフスキ 24
2013-14 ブンデスリーガ 34 22 5 7 80 38 71 2位 準優勝 UEFAチャンピオンズリーグ 準々決勝敗退 ロベルト・レヴァンドフスキ 20

現所属メンバー

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2014年7月3日現在

テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 開始 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手(副主将) テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手(副主将) テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 (12px) テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 中央 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 選手 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 終了

ローン移籍選手

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out

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歴代監督

歴代所属選手

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GK

DF

MF

FW

脚注

  1. Ballspielvereinは球技クラブ、e.V.は社団法人の意。
  2. テンプレート:Cite web
  3. テンプレート:Cite web
  4. テンプレート:Cite web
  5. footballista、ソルメディア、2010年6月9日号
  6. テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite web
  8. テンプレート:Cite web
  9. テンプレート:Cite web
  10. テンプレート:Cite web
  11. テンプレート:Cite web
  12. テンプレート:Cite web
  13. 経営危機を越えブンデス史上最強に!ドルトムントの“黄金の成功術”。 - Number Web(更新日: 2010年12月5日)
  14. 香川所属のドルトムントが優勝目前!!圧倒的強さを生んだ、3つの要因。 - Number Web(更新日: 2011年4月23日)
  15. ドルトムントの強さの秘密 熱血指揮官と若き選手たちの優勝への道 - スポーツナビ(更新日: 2011年5月10日)
  16. 日本人所属クラブがブンデスで躍進。ドルトムントの成長はまだまだ続く? - Number Web(更新日: 2011年5月24日)
  17. ドルトムントが史上最高利益を記録!育成&勝利を両立させたクラブ運営。 - Number Web(更新日: 2011年12月9日)
  18. クロップ監督が異例の長期契約延長。欧州制圧を狙うドルトムントの野望。 - Number Web(更新日: 2012年2月12日)
  19. 香川のドルトムントがブンデス2連覇。偉業をもたらした「信じる」気持ち。 - Number Web(更新日: 2012年4月23日)

関連項目

  • トルコ航空 - 2013年にプレミアム・パートナーシップを締結

外部リンク

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