トマーシュ・ロシツキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:サッカー選手

トマーシュ・ロシツキーTomáš Rosický, テンプレート:IPA-cs , 1980年10月4日 - )はチェコプラハ出身の同国代表プレミアリーグアーセナルFC所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。チェコ代表ではキャプテンを務める。

クラブ経歴

かつてACスパルタ・プラハに所属していたサッカー選手である父イジー[1]卓球選手であった母エヴァ[1]の間にプラハで生を受けた。ČKDコンプレソリー・プラハでサッカーを始め、兄イジーとともに1987年にスパルタ・プラハに加入した。1999年4月14日に行われたカップ戦の1.FCブルノ戦でトップチームデビューを果たすと、5月16日に行われたFKヤブロネツ97戦でリーグデビューを飾り、その後の2試合もスターティングメンバーとして出場した[2]。翌シーズンからは多くの出場機会を与えられ、9月11日に行われ7-0で勝利したSKディナモ・チェスケー・ブジェヨヴィツェ戦で2得点を挙げ、初得点を記録した[2]。スパルタ・プラハでレギュラーとして活躍し、チャンピオンズリーグでも印象深い活躍を見せ、インテル・ミラノSSラツィオ(ともにイタリアセリエA)、バイエルン・ミュンヘンドイツブンデスリーガ1部)、アーセナルFCFAプレミアリーグ)などのビッグクラブから獲得のオファーが来る中、2000-01シーズン途中、当時ブンデスリーガ史上最高額の2500万マルク移籍金ボルシア・ドルトムントに移籍した[3]

ファイル:Stephen Carr and Tomas Rosicky.jpg
アーセナルでプレイするロシツキー(2010年)

ボルシア・ドルトムントでは10番を与えられ、2001年1月14日に行われたDFBハレンポカールでドルトムントデビューを飾り、2001年2月2日に行われたTSV1860ミュンヘン戦に60分から出場し、ブンデスリーガデビューを果たした[2]2001年8月11日VfLヴォルフスブルク戦で初得点を挙げ[2]、2001-02シーズンは中心選手として、チームの優勝、マイスターシャーレ獲得に貢献し、フェイエノールトに敗れはしたが、チームはUEFAカップの決勝にも進出した[4]。2003-04シーズンは、UEFAチャンピオンズリーグ本戦への出場を逃し[5]、自身も2004年2月28日ブレーメン戦で腕を骨折するなど苦しんだ[6]。チームの財政難から移籍話が絶えず、自身も2005-06シーズン終了後にはドルトムントからの移籍を希望し[7]、一時はアトレティコ・マドリードと合意間近と見られていたが[8]、最終的にアーセナルへと移籍した[9]

2006年5月23日にアーセナルと契約を結んだ[3][10]。移籍金の額は公表されていないが、1000万ユーロだと言われている。8月8日に行われたチャンピオンズリーグ予備予選3回戦のディナモ・ザグレブ戦でデビューを飾り、9月13日に行われたハンブルガーSV戦でロングレンジからシュートを決め、初得点を記録した。リーグ戦初得点は、2007年2月11日に行われたウィガン・アスレティックFC戦で決めたものである[11]

2008年1月26日に行われたFAカップニューカッスル・ユナイテッドFC戦でハムストリングを負傷[12]。当初は数週間で復帰する見込であると伝えられていたが、最終的に残りのシーズンを欠場することとなった。オフに手術を受け、9月に復帰する予定であるとされていたが怪我は完治せず、11月に2度目の手術を受けた[12]。 長いリハビリを経て2009年5月14日に全体練習に復帰したが[13]アーセン・ヴェンゲル監督の判断により、2008-09シーズンは一試合も出場することなくシーズンを終えた。

2009年7月18日に行われたバーネットFCとのプレシーズンマッチにキャプテンマークを巻いて前半の45分間に出場し、18ヶ月ぶりにピッチに立った[14]。復帰戦となった9月12日に行われたマンチェスター・シティFC戦には52分から出場し、2-4で敗れたものの、1ゴール、1アシストの活躍を見せた[15]

代表経歴

各年代の代表を経た後、2000年2月23日アイルランド戦でA代表デビュー[16]。同年に開催されたEURO2000にも出場した。EURO2004では、10番を背負い、準決勝まで進んだチェコ代表チームにおいて5試合中4試合に出場、2006 FIFAワールドカップでは3試合に出場しグループリーグ突破はならなかったものの、アメリカ戦では印象的なミドルシュートを含む2得点を挙げた[17]。ワールドカップ終了後には、パベル・ネドベドの代表引退に伴い、史上最年少でキャプテンに指名された[18]EURO2008は、シーズン中に負った膝の怪我が完治せず、招集は見送られた[19]

2009年9月9日に行われたワールドカップ予選サンマリノ戦にスターティングメンバーとして56分間出場し、怪我から回復して初めて公式戦のピッチに立った[20]

代表で記録したゴール

2013年9月6日現在

ゴール 日付 会場 対戦国 スコア 結果 大会 詳細
1. 2001年10月6日 レトナ・スタジアムプラハ テンプレート:BULf 1–0 6–0 2002 FIFAワールドカップ予選 [1]
2. 5–0 [2]
3. 2002年8月21日 アンドルーヴ・スタディオンオロモウツ テンプレート:SVKf 3–1 4–1 親善試合 [3]
4. 4–1 [4]
5. 2002年10月12日 スタディオヌル・リパブリカンキシナウ テンプレート:MDAf 2–0 2–0 UEFA EURO2004予選 [5]
6. 2003年4月30日 ナ・スティナドレフテプリツェ テンプレート:TURf 1–0 4–0 親善試合 [6]
7. 2004年2月18日 スタディオ・レンツォ・バルベラパレルモ テンプレート:ITAf 2–2 2–2 親善試合 [7]
8. 2004年6月2日 レトナ・スタジアムプラハ テンプレート:BULf 3–0 3–1 親善試合 [8]
9. 2004年10月13日 リパブリカン・スタジアムエレバン テンプレート:ARMf 2–0 3–0 2006 FIFAワールドカップ予選 [9]
10. 2005年3月26日 ナ・スティナドレフテプリツェ テンプレート:FINf 2–0 4–3 2006 FIFAワールドカップ予選 [10]
11. 2005年3月30日 エスタディ・コムナル・ダンドラ・ラ・ベリャアンドラ・ラ・ベリャ テンプレート:ANDf 4–0 4–0 2006 FIFAワールドカップ予選 [11]
12. 2005年6月4日 ウ・ニシ・スタジアムリベレツ テンプレート:ANDf 6–1 8–1 2006 FIFAワールドカップ予選 [12]
13. 2005年6月8日 ナ・スティナドレフテプリツェ テンプレート:MKDf 5–1 6–1 2006 FIFAワールドカップ予選 [13]
14. 2005年10月12日 ヘルシンキ・オリンピック・スタジアムヘルシンキ テンプレート:FINf 1–0 3–0 2006 FIFAワールドカップ予選 [14]
15. 2005年11月16日 レトナ・スタジアムプラハ テンプレート:NORf 1–0 1–0 2006 FIFAワールドカップ予選 [15]
16. 2006年6月12日 ヴェルティンス・アレーナゲルゼンキルヒェン テンプレート:USAf 2–0 3–0 2006 FIFAワールドカップ [16]
17. 3–0 [17]
18. 2007年9月8日 スタディオ・オリンピコサン・マリノ テンプレート:SMRf 1–0 3–0 EURO2008予選 [18]
19. 2007年11月17日 レトナ・スタジアムプラハ テンプレート:SVKf 3–0 3–1 EURO2008予選 [19]
20. 2011年2月9日 スタディオ・アルト・ドロシナプーラ テンプレート:CROf 2–2 2–4 親善試合 [20]
21. 2013年9月6日 レトナ・スタジアムプラハ テンプレート:ARMf 1–1 1–2 2014 FIFAワールドカップ予選 [21]

獲得タイトル

テンプレート:Flagicon スパルタ・プラハ
テンプレート:Flagicon ボルシア・ドルトムント
テンプレート:Flagicon アーセナルFC
個人

個人成績

所属クラブ シーズン 背番号 リーグ戦 カップ戦[21] UEFA主催[22] 期間通算
出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト
スパルタ・プラハ 1998–99 25 3 0 - 2 0 - 0 0 - 5 0 -
1999-00 25 24 5 - 2 1 - 12 2 - 38 8 -
2000-01 25 14 3 - 2 0 - 8 1 - 24 4 -
期間通算 67 12 -
ボルシア・ドルトムント 2000–01 10 15 0 - 1 0 - 0 0 - 16 0 -
2001–02 10 30 5 - 2 0 - 15 1 - 47 6 -
2002–03 10 30 3 - 2 0 - 7 3 - 39 6 -
2003–04 10 19 2 - 4 2 - 4 0 - 27 4 -
2004–05 10 27 4 - 2 0 - 0 0 - 29 4 -
2005–06 10 28 5 - 0 0 - 0 0 - 28 5 -
期間通算 178 25 -
アーセナル 2006-07 7 26 3 3 5 2 1 6 1 0 37 6 4
2007-08 7 18 6 2 1 0 0 5 1 0 24 7 2
2008-09 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
2009-10 7 25 3 4 1 0 0 7 0 1 33 3 5
2010-11 7 21 0 2 8 1 2 5 0 1 34 1 5
期間通算 128 17 16
(2011年7月1日現在)

補足

  • 小さい頃から憧れていた選手は元ドイツ代表ローター・マテウス。ドルトムント時代は、同じくチェコ代表の長身プレイヤー・コレルと共にディーノ(恐竜)とベイビー(子供)という愛称で呼ばれた。
  • デビュー時からナイキ製のスパイクを使用していたが、2007-08シーズンのプレシーズンマッチではプーマ製のスパイクを使用し、2009-10シーズンからはプーマ製のスパイクを使用している。

脚注

  1. 1.0 1.1 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「profil」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 Tomas Rosicky
  3. 3.0 3.1 Arsenal secure Rosicky transfer
  4. Feyenoord 3-2 Dortmund
  5. Former champions Dortmund fall
  6. ROSICKY ENJOYING EURO 2004
  7. ロシツキー「アトレティコ・マドリーでプレーしたい。全ては夏に解決するよ」
  8. A・マドリー、1000万ユーロでロシツキー獲得へ
  9. ロシツキー、小さなサッカー大国から世界へ
  10. Czech midfielder Rosicky signs for Arsenal
  11. Arsenal 2-1 Wigan
  12. 12.0 12.1 ロシツキーがひざを再手術
  13. Rosicky - I was nervous before first session
  14. Tomas Rosicky injury stuns Arsenal as Czech star is ruled out for six weeks
  15. City fire out title warning
  16. Rosicky reprezentace
  17. United States 0-3 Czech Republic
  18. ロシツキーが25歳でチェコ代表キャプテンに
  19. ロシツキー、EURO出場を断念
  20. Czech Republic 7-0 San Marino
  21. ドイツのカップ戦はDFBハレンポカールDFBポカールDFBリーガポカールを、イングランドのカップ戦はFAカップリーグカップコミュニティーシールドを含む。
  22. チャンピオンズリーグ予備予選、チャンピオンズリーグ、UEFAカップ

外部リンク

テンプレート:アーセナルFCのメンバー テンプレート:Navboxes テンプレート:Sister


この項目は、ウィキプロジェクト サッカー選手の「テンプレート」を使用しています。