四條畷市
四條畷市(しじょうなわてし)は、大阪府北河内地域に位置する市。
概要
大阪市から約15kmほどの近郊に位置しており、奈良県と接する。市域の3分の2は生駒山地の一部である北生駒山地であり、市の中心部は生駒山地の西麓に広がる。 市東部の田原地区は大阪府で唯一生駒山地の東麓に位置しており、しばしば奈良県域と誤解される[1]。なお、奈良県生駒市北田原町・南田原町に隣接しており、当市域を西田原、生駒市域を東田原と呼ぶこともある。
市中心部では国道163号と国道170号が交差しており、かつJR片町線の沿線でもあり、四條畷地区の東側は金剛生駒紀泉国定公園に指定されている。反対に生駒山地の東側は農業地帯・新興住宅地である。
遺跡が多く、平安時代には荘園、南北朝時代には四條畷の戦いの舞台となり、戦国時代初期には飯盛山城の攻防戦が幾度かあり、江戸時代には農業地帯であった。明治時代に入ると、北河内地区に四条畷中学(現在の大阪府立四條畷高等学校)が開校して、教育の中心となる。第二次世界大戦以降は「住宅都市」を目標とし、1955年頃から大阪市の近郊都市として四條畷地区を中心として開発が進み、大阪外環状線の開通・JR片町線が四条畷駅まで複線化され、都市化が進んだ。その結果、1970年7月1日に市制を施行するにまで至った。市制施行後は、田原地区が関西文化学術研究都市に指定されると、それに則った開発が進められ、田原台などの新興住宅地が誕生した[2][3][4][5][6][7][8][9]。
地理
人口
- 四條畷町時代の1965年から市制施行後の1975年までは大幅な増加を示しており、1960年の国勢調査では10,779人であり、1965年の国勢調査では19,314人であったが、1970年の国勢調査では37,893人であり、住宅開発をしていた四條畷地区の岡山・雁屋(雁屋北町・雁屋南町)を中心に増加し、1960年から1965年の増加率は大阪府下の自治体では1番である79.6%を記録した。そして、1975年の国勢調査では52,368人であり、一旦ピークを迎えた。その後は減少し、1980年・1985年・1990年の国勢調査では5万人を少し上回る人口で推移してきた。しかし、田原地区が関西文化学術研究都市に指定されると、開発が進みその後は増加し、2003年には57,000人を突破した。その後は57000人台で推移しているが、市内の西部の再開発と田原地区の新興住宅地の開発でこれからも増加すると予測されている[11][4][5][12][8][9][13][14]。
- 平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、0.37%増の57,554人であり、増減率は府下43市町村中17位、72行政区域中35位。
人口の内訳
調査名[15] | 総数[15] | 15歳未満[15] | 15歳から64歳まで[15] | 65歳以上[15] |
---|---|---|---|---|
2005年国勢調査 | 57,342人 | 9,330人 | 38,597人 | 8,991人 |
2010年国勢調査 | 57,561人 | 8,721人 | 34,629人 | 11,623人 |
面積
面積の変遷
- 1890年8月1日 - 町村制施行して、10.85km²になる。[16]
- 1961年6月25日 - 田原村を編入して18.90km²になる。[16]
- 1988年10月1日 - 国土地理院による面積を改定して0.16km²狭くなって、18.74km²になる。[16]
広袤(こうぼう)
テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-break テンプレート:座標一覧 国土地理院地理情報によると四條畷市の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは7.3km、南北の長さは5.4kmである。[3][5]
隣接自治体
歴史
市制施行前
- 1348年(正平3年/貞和4年) - 四條畷の戦い[2]
- 1882年(明治15年) - 讃良郡中野村上郷が清滝村に、中野村逢阪郷が逢阪村に改称。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、讃良郡甲可村、田原村が発足。
- 甲可村 - 砂村、岡山村、中野村、清滝村、逢阪村、蔀屋村、南野村が合併
- 田原村 - 下田原村、上田原村が合併
- 1896年(明治29年)4月1日 - 北河内郡が成立。
- 1925年(大正14年)7月1日 - 四條畷警察署が設置される。[3]
- 1932年(昭和7年)4月1日 - 甲可村が四條畷村に改称。
- 1947年(昭和22年)7月1日 - 四條畷村が町制施行。北河内郡四條畷町となる。[3]
- 1953年(昭和28年)5月1日 - 片町線忍ケ丘駅が開業する。[3]
- 1959年(昭和34年)7月 - 上下水道が完成する。[3]
田原村編入後
- 1961年(昭和36年)6月25日 - 田原村を四條畷町に編入。[18][19]
- 1963年(昭和38年) - 国道163号が開通する。[3]
- 1964年(昭和39年)11月5日 - 役場の新庁舎が完成し、業務を開始する。[3][22][23]
- 1966年(昭和41年)7月1日 - 水道局庁舎が完成する。[3]
- 1967年(昭和42年)7月1日 - 四條畷市上下水道局が完成する。[3]
- 1969年(昭和44年)5月20日 - 田原地区がこれまで都市計画区域に非指定されていたが、建設省によって指定される。[7][21]
市制施行後
1970年代
- 1970年(昭和45年)7月1日 - 四條畷町が市制施行(泉南市と同日)。[24]大阪府下32番目の市、四條畷市となり、市制施行当時は35,833人である。[3]同時に市章を制定する。[25] [3][26][27] [28] [26]
- 1971年(昭和46年)6月 - 大阪府営清滝団地が完成する。[28]
- 1975年(昭和50年)3月 - 生活環境条例を制定する。[28]
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 四條畷市立老人福祉センターが開所する。[3]
- 1979年(昭和54年)10月 - 片町線が四条畷駅から長尾駅まで複線化する。[28]
1980年代
- 1980年(昭和55年)10月 - 市制施行10周年記念式典を開催する。[28]
- 1983年(昭和58年)4月1日 - 大阪府立四條畷北高等学校が開校する。[28]
- 1984年(昭和59年)3月23日 - 非核平和都市・青少年健全育成都市を宣言する。[29] [30] [3]
- 1985年(昭和60年)11月15日 - 四條畷市立歴史民俗資料館が開館する。[3]
- 1986年(昭和61年)3月25日 - 健康づくり都市を宣言する。[31] [3]
- 1987年(昭和62年)10月1日 - 大阪電気通信大学四條畷学舎が開校する。[3]
1990年代
- 1990年(平成2年)5月 - 国道163号清滝トンネルが開通する。[28]
- 1991年(平成3年)4月1日 - 四條畷市立田原中学校が開校する。[33][28]
- 1993年(平成5年)4月1日 - グリーンホール田原が開館する。[3][28]
- 1995年(平成7年)4月1日 - 四條畷市立市民総合体育館(サン・アリーナ25)が開所する。[3][28]
- 1999年(平成11年) - 当市と守口市・門真市の3市でくすのき広域連合を設立する。[28]
2000年代
- 2002年(平成14年)2月14日 - 阪奈サナトリウム駐車場建設中に日本最古のキリシタン墓碑が発見される。[3][36]
- 2007年(平成19年)3月31日 - 当市と寝屋川市・枚方市・交野市で北河内4市リサイクル施設組合を開設する。[3][28]
- 2008年(平成20年)2月29日 - 2007年12月からの調査で教育委員会で、文部科学省が負担する自治体への委託費用の委託費について、最低でも685万円の使途不明金があることが明らかになる。この問題の責任を取り、当時の教育長が26日に辞表を提出。[38] [39]
- 2010年(平成22年)3月20日 - 第二京阪道路が開通する。[3]
- 3月31日 - 大阪府立四條畷北高等学校が閉校する。[3]
- 2011年(平成23年)3月20日 - 男女共同参画都市を宣言をする。[40] [3]
- 2014年(平成26年)大東市と消防機能を合併し大東・四條畷消防組合設立。本部は大東市。
地区
町丁・大字
市内では1961年6月25日に編入された田原村に編入される前の四條畷町と旧・田原村の田原地区に分けられる。[18]
四條畷地区
- 田原村との編入合併前の旧・四條畷町の範囲であり、大阪平野の一部である。大阪市の近郊都市として、国道163号と国道170号が交差しておりかつJR片町線の沿線である。また、農地や史跡が残されている地域もあり、地区の東側は生駒山地の北側に位置しており、金剛生駒紀泉国定公園に指定されている。また、旧大阪府立四条畷北高等学校・第二京阪道路の近隣地帯である砂地区の開発も進められている。[3][5] [41]
郵便番号 | 大字名 |
---|---|
575-0001 | 砂 |
575-0002 | 岡山 番地が大字の次に来る場合は575-0004 |
575-0003 | 岡山東 |
575-0011 | 逢阪 |
575-0021 | 南野 番地が大字の次に来る場合は575-0022 |
575-0023 | 楠公 |
575-0024 | 塚脇町 |
575-0031 | 蔀屋 |
575-0032 | 米崎町 |
575-0033 | 美田町 |
575-0034 | 江瀬美町 |
575-0035 | 雁屋北町 |
575-0036 | 雁屋南町 |
575-0041 | 蔀屋新町 |
575-0042 | 蔀屋本町 |
575-0043 | 北出町 |
575-0044 | 二丁通町 |
575-0045 | 雁屋西町 |
575-0051 | 中野本町 |
575-0052 | 中野 番地が大字の次に来る場合は575-0053 |
575-0054 | 中野新町 |
575-0061 | 清滝中町 |
575-0062 | 清滝新町 |
575-0063 | 清瀧 |
- Minamino Shijonawatecity Osakapref.JPG
四條畷地区の街並み
南野で撮影
田原地区
- 旧田原村の範囲であり、奈良県の県境に位置する地区である。生駒山地の一部である北生駒山地の麓の農業地帯であるが、1969年5月20日に都市計画区域に指定され、その後は関西文化学術研究都市に指定されるとそれらに似合った開発し、1978年10月に土地区画整理事業の計画を終えてから、1984年10月に田原ニュータウンの起工が行われ、宅地として開発された。その結果、1990年5月11日にパークヒルズ田原が街開きされ、田原台などの新興住宅地が点在しており、それまで減少傾向であった市内の人口が増加した[3][33][6][42][43][7]。
郵便番号 | 大字名 |
---|---|
575-0012 | 下田原 |
575-0013 | 田原台 |
575-0014 | 上田原 |
575-0015 | さつきケ丘 |
575-0016 | 緑風台 |
- Kamitahara Shijonawatecity Osakapref Osakapref and Narapref 701 Nakagaito Minamitahara line No,2.JPG
田原地区の古くから残る既存集落
上田原で撮影 - Taharadai5 Shijonawate Osakapref.JPG
田原地区の新興住宅地
田原台4丁目で撮影
警察署・消防署
かつては警察署は市内にあったが、1978年1月9日に大東市にある四條畷警察署に移転し、それ以降は市内にはない。消防は大東・四條畷消防組合で本局は大東市内にあり、市内には四條畷消防署と田原分署がある。[44]
図書館
公園
病院
- 畷生会脳神経外科病院
- 田原病院
- 阪奈サナトリウム
福祉施設
その他の施設
- グリーンホール田原[44]
- 四條畷市民センター[44]
- 四條畷市立市民総合体育館[44]
- 四條畷市立野外活動センター[44]
- 四條畷市シルバー人材センター[44]
- 四條畷市立歴史民俗資料館[3]
- 飯盛霊園[44]
- 大阪生駒霊園
- 寝屋川市立野外活動センター
- 四條畷市立野外活動センター[44]
- 大阪パブリックゴルフクラブ
行政
役所
- 四條畷市役所(旧・四條畷町役場)
1912年に竣工した庁舎であり、老朽化・第二室戸台風に伴う被害・急激な人口増加に対する対応・田原村との合併に伴う行政の向上のために当町の建設計画事業の一環として建設され、1964年11月5日に新築移転され、現在の場所で業務を開始している。[3][22][23][45][46][47][48]
- 田原支所(旧・田原村役場)
田原村と編入合併した結果、田原村役場跡に田原支所を設置した。[49]
歴代市長
代[44] | 氏名[44] | 就任期間[44] | 備考 |
---|---|---|---|
初代市長 | 三牧信知 | 1967年10月15日 - 1972年10月14日 | 四條畷町長から継承 |
二代目 | 森本稔 | 1972年10月15日 - 2002年7月31日 | 汚職事件により辞職 |
市長職務代理者 | 2002年8月1日 - 2002年9月8日 | ||
三代目 | 田中夏木 | 2002年9月9日 - 2012年11月30日 | 健康状態を理由に辞職 |
市長職務代理者 | 大井俊道 | 2012年12月1日 - 2013年1月19日 | 副市長 |
四代目 | 土井一憲 | 2013年1月20日 - 現職 |
友好都市
- テンプレート:Flagicon 日本 三重県北牟婁郡紀北町
- テンプレート:Flagicon ドイツ ノルトライン=ヴェストファーレン州 ライン・ノイス郡 メアブッシュ (Meerbusch)
財政
市町村合併
田原村との合併
- 四條畷町(当時)は当村との合併を1961年初頭に活発な動きをし、編入合併を目指し、6月25日に発足を予定していた。その結果、合併が可決され、同年5月19日に合併調印式を開催し、同年5月22日に議会臨時会で議決され、同年5月23日に合併申請書を提出し、5月31日に定例府会で議決された。そして、予定通りに同年6月25日に編入された。そして、同年7月1日に合併を記念した祝賀式を開催した。[18] [49] [19]
大東市との合併
- 勉強会は設置しているが、具体的な実現には至っていない。[51]
市制施行
- 地方自治法の一部改正により、3万人以上の人口を要していれば市制施行が可能であることから、市制施行を目標とし、当自治体では3万人以上の人口を要しており、市制施行が可能であることから市制施行を目標として来た。すでに、大阪市のベッドタウンにより、急激な人口増加をしたことから、行政の質の向上を目的として早急な市制施行を目標とした。1970年5月26日に当町で議会臨時会を開催し、同年6月20日に官報告示をし、同年7月1日に四條畷町から四條畷市へと市制を施行した。[52] [53][24] [54] [55]
紋章
- 町章は1961年に田原村の編入合併を記念して2回にわたって公募で募集して同年12月に当町議会によって制定された。[56][57][58][59] 市章は市制施行に合わせて住民意識の向上のために公募で募集し、募集した結果、「し」と畷の「ナ」を鳩に図案化したもので未来に向かって羽ばたく姿を意味して、1970年7月1日の市制施行の日に合わせて制定された。[25] [3] [27] [26] [60]
- Shijonawate-town Osaka chapter.JPG
四條畷町章
- Mark of Shijōnawate (Ōsaka).svg
四條畷市章
表記 「四條畷」と「四条畷」
市の固有名詞としては、前々身である四條畷村以来一貫して「四條畷」と表記するのが正式である。「条」は「條」の略字であるが、戦後「条」が当用漢字(現・常用漢字)に指定されたため、「四条畷」と表記されることがある。
新聞や道路標識などで「四条畷市」と書かれることが未だにあり、2003年度末までは四條畷市内の郵便局(当時は民営化前)ですら「四条畷」表記だった(現在は「四條畷」表記となっている)。
JR西日本の四条畷駅は「条」の字を使っている。1895年に北河内郡四条村に開業した当初は、四条畷駅および所在地の四条村(のち町制を施行して四条町)ともに、当然ながら「條」の字を使っていた。しかし、四条町は1956年の町村合併によって大東市となり消滅し、当時の国鉄が当用漢字の使用を推進していたこともあって、「条」の字を使うようになった。四條畷市はJR西日本に駅名の変更を申し入れているが、JR西日本側が「駅名変更は地元からの要望で行うが費用は自治体の全額負担」としており、さらに費用は数億円かかるため市側での負担が困難な状態なことから、現在も駅名の変更はされていない。
一方、四条畷駅と同様に大東市の旧・四条町に所在する四條畷警察署は「條」の字を使っている。これは1978年に現在地へ移転するまで四條畷市内に庁舎があった名残で、移転後も変更されることなく現在に至る。
2003年の大阪府議会において、四條畷の表記に関する条例が可決された。大阪府庁ホームページ 大阪府議会だよりNo.119。四條畷市及び大阪府は、表記について次のように定義している。四條畷市役所ホームページ よくあるご質問!「四條畷?」「四条畷?」
以上の歴史的経緯から、四條畷市・大阪府の地方自治体は、官公庁関連の施設に関しては「條」を使用し、民間施設に関しては「条」を使用している。
経済
産業人口
調査名[61] | 総数[61] | 第1次産業[61] | 第2次産業[61] | 第3次産業[61] |
---|---|---|---|---|
2010年国勢調査 | 23,404人 | 106人 | 6,431人 | 15,793人 |
商業施設
大阪府下の市では珍しく、大型スーパーマーケットがないため隣接市などのショッピングセンターへ向かう流れが強い。
清滝峠以西の住民は守口市のイオンモール大日や大阪市鶴見区のイオンモール鶴見緑地、大東市のポップタウン住道、寝屋川市のイオンモール寝屋川、ビバモール寝屋川または平和堂アル・プラザ香里園店への商圏になっている。
清滝峠以東にある上田原・下田原・田原台・緑風台・さつきヶ丘地区の住民は奈良県生駒市にある近鉄百貨店生駒店やイオン奈良登美ヶ丘ショッピングセンター(現:イオンモール奈良登美ヶ丘)、2007年5月1日に開業した京都府木津川市のイオン高の原ショッピングセンター(現:イオンモール高の原)への商圏になっている。
また、2014年に寝屋川市との境目にイオンモール四條畷ショッピングセンターが完成する予定である[62]。
四條畷市に本社を置く企業
日本郵政グループ
(2012年12月現在)
- 四條畷郵便局(中野本町) - 集配局。★
- 四條畷楠公(なんこう)郵便局(雁屋(かりや)南町) ★
- 四條畷岡山郵便局(岡山東) ★
- 四條畷南野(みなみの)郵便局(南野)
- 四條畷二丁通(にちょうどおり)郵便局(二丁通町)
- 田原(たわら)簡易郵便局(田原台)
- 田原簡易郵便局を除く各郵便局にゆうちょ銀行のATMが設置されており、★印の郵便局ではホリデーサービスを実施。
※四條畷市内各区域の郵便番号は「575-00xx」(四條畷郵便局の集配担当)となっている。
交通
鉄道
四条畷駅は四條畷市ではなく、隣の大東市にある。しかし、四條畷市の中心駅である。大阪府下では珍しく、市内には私鉄がなくJR線しか走っていない。(隣の大東市も同様。また、市内に鉄道路線が1本しかないという市は、大東市の他にも松原市(近鉄南大阪線のみ)、大阪狭山市(南海高野線のみ)の2市がある)。
バス
- 京阪バス:四条畷駅から寝屋川市駅、京阪大和田駅へ伸びるが、大和田駅行きを除き、本数は少ない。またコミュニティバス(下記)を運行する。
- 近鉄バス:四条畷駅から清滝団地および大阪電気通信大学四條畷キャンパス、近鉄瓢箪山駅(新石切駅経由)への路線がある。また、お彼岸やお盆の季節などに四条畷駅と飯盛霊園を結ぶ直通バスを臨時運行している。
- 奈良交通バス:奈良県生駒市にある近鉄生駒駅(南口)から田原台地区への路線がある。
- 四條畷市コミュニティバス
道路
教育
幼稚園
- 四條畷市立四條畷あおぞら幼稚園
- 星子学園 星子幼稚園(旧・若松幼稚園)
- 山本栄学園 畷幼稚園
- 大柴学園 忍ヶ丘幼稚園
小学校
中学校
高等学校
大学
- 大阪電気通信大学四條畷キャンパス
特別支援学校
名所・旧跡
- 小楠公御墓所(楠木正行の墓(大阪府指定文化財 史跡))
- 小楠公(御墓所)の楠(大阪府指定文化財 天然記念物)
- 四條畷神社(桜や楓の名所)
- 飯盛山城
- 室池
- 権現の滝
- 忍陵神社
- 和田賢秀墓(大阪府指定文化財 史跡)
- 忍岡古墳(石室/大阪府指定文化財 史跡)
- 龍尾寺
人物
市出身の有名人
- 角淳一 - アナウンサー
- 村井美樹 - 女優
- 山口智充 - お笑い芸人、俳優
- 宇治原史規(ロザン) - お笑いタレント
- なるみ - タレント
- 田中さなえ -タレント
- 泉ゆうこ -タレント
- 福岡サヤカ - タレント
- 高橋幸慈 - 漫画家(「押忍!空手部」の著者)
- 石川優吾 - 漫画家(「格闘美神 武龍」の著者)
- 俵万智 - 詩人(中学校時代まで四條畷市に在住)
- 高畑耕治 - 詩人
- 山脇光治 - プロ野球選手
- 谷口功一 - プロ野球選手
- 順風秀一 - プロ野球選手
- 今村信貴 - プロ野球選手
- 山下裕史 - ラグビー日本代表選手
- 青木豊彦 - (民間初の人工衛星「まいど1号」)
- 谷口智則 - 絵本作家
- 相原裕介 - アグレッシブインラインスケート選手 (Asian Indoor Games 2007 金メダリスト) (X-GAMES ASIA 2012 世界第3位)
- 鳥居充子[63][64] - 陸上競技選手
市ゆかりの有名人
- 3代目桂南光 - 落語家(四條畷市在住)
- 河島英五 - シンガーソングライター(晩年は四條畷市に在住)
- 石川優子 - 歌手(Chageとのデュエット曲「ふたりの愛ランド」などのヒットで知られる)
- 井田由美 - 日本テレビ解説委員・元アナウンサー。府立四條畷高校に在学(福岡県北九州市生まれでその後大阪府に転居)
- 安岡正篤 - 陽明学者、旧制四條畷中学校に在学
- 伊與田覺 - 成人教学研修所学監
- 持統天皇 - 字名を鸕野讃良皇女(ウノノササラノオオキミ)という(四條畷市史より)
- 楠木正行 - (くすのきまさつら)- 南北朝時代、南朝方の武将、楠木正成の長男。貞和4年(1348年)、四條縄手の合戦にて敗れる。享年22。
- 和田賢秀 - (にぎたかたひで)- 楠木正成の甥であり,「新発意」(しんぼち)とも呼ばれる。一族での武勇の誉れ高く,常に楠木正行とともに参戦。貞和4年(1348年)1月5日(旧暦),四條縄手の合戦において,敵本陣への潜入を試みるが発見され,敵兵を道連れに最期を遂げる。死亡時の年齢は不詳だが,20歳くらいと考えられている。
- 行基 - 当市を東西に走る旧道,清滝街道を開いたといわれる。
- 星原健太 - サッカー選手(ギラヴァンツ北九州:四条畷FC出身)
参考文献
関連項目
脚注
外部リンク
テンプレート:Navbox- ↑ 電話のMA地域でも実際に奈良MA(市外局番0743、市の大部分は072 (旧0720)枚方MA)であり、大部分の有線放送の営業エリアも敗戦の都合上奈良県扱いになっている。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 テンプレート:Cite web
- ↑ 3.00 3.01 3.02 3.03 3.04 3.05 3.06 3.07 3.08 3.09 3.10 3.11 3.12 3.13 3.14 3.15 3.16 3.17 3.18 3.19 3.20 3.21 3.22 3.23 3.24 3.25 3.26 3.27 3.28 3.29 3.30 3.31 3.32 3.33 3.34 3.35 3.36 テンプレート:Cite web
- ↑ 4.0 4.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 テンプレート:Cite web
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 テンプレート:Cite web
- ↑ 7.0 7.1 7.2 町だより 101号
- ↑ 8.0 8.1 町だより 57号
- ↑ 9.0 9.1 町だより 57号
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 町だより 61号
- ↑ 町だより 61号
- ↑ 15.0 15.1 15.2 15.3 15.4 テンプレート:Cite web
- ↑ 16.0 16.1 16.2 16.3 テンプレート:Cite web
- ↑ 17.0 17.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 18.0 18.1 18.2 テンプレート:Cite web
- ↑ 19.0 19.1 町だより 4号
- ↑ 町だより 7号
- ↑ 21.0 21.1 町だより 7号
- ↑ 22.0 22.1 町だより 21号
- ↑ 23.0 23.1 町だより 21号
- ↑ 24.0 24.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 25.0 25.1 25.2 図典日本の市町村章 p154
- ↑ 26.0 26.1 26.2 26.3 テンプレート:Cite web 引用エラー: 無効な
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- ↑ 28.00 28.01 28.02 28.03 28.04 28.05 28.06 28.07 28.08 28.09 28.10 28.11 28.12 28.13 28.14 28.15 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
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- ↑ 作詞・金堀則夫、補作詞・島田陽子、作曲・キダ・タロー、編曲・大前成之(毎日、正午に防災無線を通じてこの曲が流れている。)
- ↑ 33.0 33.1 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 忘れられない「2002年7月23日」 汚職逮捕
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
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- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 44.00 44.01 44.02 44.03 44.04 44.05 44.06 44.07 44.08 44.09 44.10 44.11 44.12 44.13 44.14 44.15 44.16 テンプレート:Cite web 引用エラー: 無効な
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タグ; name ".E6.96.BD.E8.A8.AD"が異なる内容で複数回定義されています - ↑ 町だより 37号
- ↑ 町だより 37号
- ↑ 町だより 44号
- ↑ 町だより 44号
- ↑ 49.0 49.1 町だより 3号
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 町だより 110号
- ↑ 町だより 111号
- ↑ 広報 110号
- ↑ 広報 111号
- ↑ 町だより 5号
- ↑ 町だより 5号
- ↑ 町だより 10号
- ↑ 広報 10号
- ↑ 町だより 特別号
- ↑ 61.0 61.1 61.2 61.3 61.4 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 町だより 49号
- ↑ 町だより 49号