大東市
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大東市(だいとうし)は、大阪府北河内地域に位置する市。
平安時代より、東高野街道など大阪と奈良を結ぶ交通の要衝として栄え、また戦乱の舞台ともなってきたが、江戸時代の治水・新田開発などにより、商都大阪の重要な後背地となった。
地名の由来は「大阪府東部」である事「大阪市の衛星都市として展望が期待される」事を「光は東方より」という古代ローマのことわざに託したことによる。
目次
地理
隣接する自治体・行政区
大阪府
人口
平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、0.81%増の127,534人であり、増減率は府下43市町村中13位、72行政区域中28位。 テンプレート:人口統計
歴史
- 古代[1]
- 縄文時代前期の頃には生駒山の麓まで河内湾であったこの付近も、中期に入ると縮小に入り弥生時代には河内湖へと変貌し、中垣内や野崎、北条辺りに集落がつくられた。
- 古墳時代に入ると、堂山古墳群など飯盛山の麓一帯に多くの古墳が造営された。この頃になるとこの地域は国の歴史の流れに組み込まれるようになり、西大寺の荘園であった「河内国更占(讃良)郡須濱庄」(現須波麻神社周辺)が奈良時代の文献に残されている。また当時、土地開発(条里制)がおこなわれたが、その名残が中垣内から北条という地名の残っている。
- 中世
- 平安時代になると河内湖は更に大きな池へと変化した(枕草子/勿入渕(ないりそのふち)と呼称されている)。それに合わせるように東高野街道沿いには集落ができ、とくに奈良へ向かう中垣内越の道と交差する寺川や中垣内辺りは交通の要衝として重要な地となった。大東市含めこの地方は古代より水害に見舞われることの多い地域ではあったが、利点として豊富な魚介や特産物の蓮があり、そのため今の赤井付近には皇室の食料を調達するための供御領が存在した。またこの頃になると低地開発がすすみ集落がより拡大した。
- 戦乱の世になると、東高野街道をはじめとするこの地域は戦略上重要な場所となり、たびたび舞台として名が登場する事となった(四条畷の戦い、飯盛城)。この頃、東に深野池、西南に新開池と2つの池に範囲が確定し、深野池に浮かぶ島には飯盛城の支城である三箇城(現存せず/三箇菅原神社)があった。城主の三箇氏はキリシタンでこの地に教会を建設するなど、意欲的に活動を行い、それは宣教師ルイス・フロイスによって欧州にまで伝えられていた。
- 近世
- 1704年の大和川のつけかえとそれに伴う深野池、新開池の干拓、新田の造成は地域の姿一変させた。とくに本願寺難波別院が中心となって行われた新田開発は各地からきた開拓民によって進められ、それらの定着は以降の農業の歴史において大きな力となった。結果、稲作を中心に木綿、菜種などの生産高は飛躍的に増大し、「天下の台所」と称されていた大坂を支える地位を確立。また農業生産の伸びは地域を発展させ、大坂―奈良の中継地として農産物の集散地として貸客舟運の拠点(角堂浜、住吉神社)として大きな賑わいを見せた。野崎観音参りなど都市部との行き来も盛んになった。これらは「河内名所図絵」や「人形浄瑠璃―お染久松」を通して窺い知れる。
- 近代
- 江戸期に引き続き、豊かな農業生産を基礎に大阪を支える支柱となった。地元篤志家による私学校、深野郷学校の開設、1892年の片町・四条畷間の鉄道、浪速鉄道の開通(のちに国有鉄道片町線となった)など近代化が推し進められた。大正に入ると人口が1万人を超え、電灯の設置や上水道整備を実現させ、特に浄水場の建設は情勢からすれば画期的なものであった。大正から昭和初期にかけて少しずつ人口は増え続けた。
- 現代
- 1956年(昭和31年)3万人を超えたところで現「大東市」が誕生する。高度経済成長期によって住宅、工場、事業所の進出が著しく増大し、急速な人口増加と都市化を経験。1975年(昭和50年)には人口約11万人にまで膨れ上がった。農地比率が高く、地盤も弱いこの地域は高い行政需要を生み出し、対応の難しさが様々な都市問題を引き起こす原因となった。こうした中で1972年(昭和47年)と1975年(昭和50年)には集中豪雨による河川氾濫により未曾有の水害に襲われ多くの市民が被害にあった。
- その後この大災害を教訓に、水道事業の推進、河川や水路の改修を最重点に道路、公園、教育、福祉施設等に力を入れ、住道駅、野崎駅、四条畷駅の三拠点を中心に官民一体となって積極的なまちづくりを行っている。「人間尊重の快適なまちづくりをめざして」を掲げる第2次総合計画、「つくろうヒューマン新都心・大東」をテーマとする第3次総合計画、「いきいき安心のまち・大東」[2]をテーマする第4次総合計画[3](2001年策定)はその意識に基づかれたものである。
・1986年(昭和61年)、市制施行30周年を記念して大東市立総合文化センター(サーティホール)がつくられた。
・2011年(平成23年)、市制施行55年を記念してマスコットキャラクター(ゆるキャラ)「ダイトン」が制作された。
- 1886年(明治19年)、讃良郡尼ヶ崎新々田を尼ヶ崎新田に編入。
- 1889年(明治22年)4月1日、町村制施行により、茨田郡南郷村、讃良郡住道村、四条村が発足。
- 南郷村 - 御領村、氷野村、赤井村、太子田村、新田村、諸福村が合併
- 住道村 - 三箇村、御供田村、灰塚村、尼ヶ崎新田、横山新田、中村新田が合併
- 四条村 - 北条村、野崎村、寺川村、中垣内村、龍間村、深野北新田、深野新田、深野南新田が合併
- 1896年(明治29年)4月1日、北河内郡が成立。
- 1937年(昭和12年)1月1日、住道村が町制施行。北河内郡住道町となる。
- 1947年(昭和22年)4月1日、四条村が町制施行。北河内郡四条町となる。
- 1956年(昭和31年)4月1日、住道町・四条町・南郷村が合併。大阪府下22番目の市、大東市が誕生。
- 1972年(昭和47年)、寝屋川の堤防が洪水で決壊。市域が水没する(大東大水害)。
行政
歴代市長
氏名 | 在職期間 | |
---|---|---|
初代市長 | 川口房太郎(名誉市民第1号) | 1956年 〜1976年 |
二代目 | 西村昭 | 1976年 〜1992年 |
三代目 | 近藤松次 | 1992年 〜2000年 |
四代目 | 岡本日出士 | 2000年5月5日 〜2012年5月4日 |
五代目 | 東坂浩一 | 2012年5月5日 〜 |
経済
産業
大東市に本社を置く主な企業
工場
(岐阜県安八郡安八町のソーラーアークより一回り小さな太陽光発電の看板があることで有名)
教育
小学校
- 大東市立四条小学校
- 大東市立四条北小学校
- 大東市立住道北小学校
- 大東市立住道南小学校
- 大東市立南郷小学校
- 大東市立深野小学校
- 大東市立深野北小学校
- 大東市立北条小学校
- 大東市立北条西小学校
- 大東市立諸福小学校
- 大東市立泉小学校
- 大東市立灰塚小学校
- 大東市立氷野小学校
- 大東市立三箇小学校
- 四條畷学園小学校
中学校
- 大阪桐蔭中学校
- 四條畷学園中学校
- 太成学院大学中学校
- 大東市立四条中学校
- 大東市立住道中学校
- 大東市立谷川中学校
- 大東市立大東中学校
- 大東市立南郷中学校
- 大東市立深野中学校
- 大東市立北条中学校
- 大東市立諸福中学校
高等学校
- 大阪桐蔭高等学校
- 四條畷学園高等学校
- 大阪府立緑風冠高等学校(旧:大阪府立大東高等学校)
- 大阪府立野崎高等学校
- 太成学院大学高等学校
大学
大阪府教育機関
- 大阪府立消防学校
日本郵政グループ
(2012年12月現在)
- 大東郵便局(曙町) - 集配局。★
- 大東泉郵便局(泉町)
- 大東新町郵便局(新町) ★
- 大東津の辺郵便局(津の辺町)
- 大東氷野(ひの)郵便局(氷野町)
- 大東錦郵便局(錦町)
- 大東住道郵便局(住道) ★
- 大東野崎郵便局(野崎) ★
- 大東灰塚郵便局(灰塚)
- 大東朋来(ほうらい)郵便局(朋来)
- 大東寺川郵便局(寺川) ★
- 大東深野五郵便局(深野=ふこの)
- 大東深野郵便局(深野)
- 大東諸福郵便局(諸福)
- 大阪支店 JR四條畷駅前出張所(学園町)(ATMのみ/ホリデーサービス実施)
- その他上記の各郵便局にATMが設置されており、★印の郵便局ではホリデーサービスを実施。
※大東市内全域の郵便番号は「574-00xx」(大東郵便局の集配担当)となっている。
交通
鉄道
市内にはJR線以外の鉄道路線は無い。
バス
- 近鉄バス:住道駅からは近鉄八尾駅(荒本駅経由)、吉田駅、瓢箪山駅(産業大学・新石切駅経由)、萱島駅(門真市の八尾枚方線沿い経由)へ市外各方面と市内の生駒登山口への路線を、四条畷駅から瓢箪山駅および四條畷市内への路線を運行する。
- 大東市コミュニティバス:住道駅と三箇、南新田、朋来住宅、西部(新田・諸福地区)方面への路線を近鉄バスにより運行。
- 近鉄バスの住道駅前発梅田(大阪市)行は2008年3月31日を以て廃止されたが、梅田発JR住道行は土曜日の夜間に1本のみ運行されている。
- 京阪バス:四条畷駅へ乗り入れ、寝屋川市駅、大和田駅への市外路線および、四條畷市のコミュニティ路線がある。
- 大阪市営バスも市内を走行するが停留所はない。
道路
国道
ただし、近畿自動車道はわずかに大東市にかかっている程度で、また大東鶴見ICの大部分は大阪市鶴見区である。
府道
純民間道路
- 信貴生駒スカイライン(有料)
名所・旧跡
大東八景
- 住道駅周辺
- 寝屋川治水緑地(大阪府営公園深北緑地)
- 御領水路(水郷を偲ばせる景観保存地域 / 御領)
- 三箇城址‐三箇菅原神社(深野池に浮かぶ島(大箇)があったと推定されている / 三箇)
- 飯盛山(山頂には楠木正行の像があり大阪平野が一望できる / 大阪みどりの百選)
- 福聚山慈眼寺(野崎観音)(「野崎参り」で有名 / 大阪みどりの百選)
- 野崎飯盛ハイキング道
- 須波麻神社(市内唯一の式内社・祭神は大国主命 / 中垣)
- 東高野街道[4]
- 古堤街道
- 大東市立総合文化センター(サーティホール)(新町)
- 大東市立公民館
- 大東市立歴史とスポーツふれあいセンター
- 大東市立歴史民俗資料館
- お染・久松の供養塚
- 野崎城址
- 平野屋会所跡(平野屋)
- 坐摩神社(平野屋)
- 深野屋会所跡
- 堂山古墳群
- 北条神社(北条)
- 龍間神社(龍間)
- 諸福天満宮(諸福 / 本殿は市指定文化財)
- 勿入渕(ないりそのふち)跡
- 中垣内遺跡
- 北条西遺跡
出身有名人
スポーツ
- 牛島和彦 - 元プロ野球選手(中日ドラゴンズ・ロッテオリオンズ・千葉ロッテマリーンズ)・元監督(横浜ベイスターズ)※出生地は奈良県河合町
- 宮地克彦 - 元プロ野球選手(西武ライオンズ・福岡ダイエーホークス・富山サンダーバーズ※富山在籍時はコーチ兼任)・コーチ(福岡ソフトバンクホークス・埼玉西武ライオンズ)
- 久本祐一 - プロ野球選手(広島東洋カープ)
- 中村剛也 - プロ野球選手(埼玉西武ライオンズ)(2009年-市民栄誉賞第一号)
- 西岡剛 - プロ野球選手(阪神タイガース、元千葉ロッテマリーンズ)
- 小瀬浩之 - 元プロ野球選手(オリックス・バファローズ)
- 竹村千里 - プロゴルファー
- 竹村真琴 - プロゴルファー
- 金本明博 - 元プロ野球選手(中日ドラゴンズ)
- 星原健太 - プロサッカー選手(ギラヴァンツ北九州)
- 山本大明 - プロ野球選手(東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 建山義紀 - プロ野球選手(阪神タイガース、前テキサス・レンジャーズ、元北海道日本ハムファイターズ)
- 吉野恵悟 - プロレスのレフェリー(大阪プロレス)
芸能
その他
- 藪下泰司 - 日本のアニメーション監督。『白蛇伝』など東映動画の基礎を築いた。