前田幸長
テンプレート:Infobox baseball player 前田 幸長(まえだ ゆきなが、1970年8月26日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。シンクバンク所属。日本球界では極めて珍しい、魔球といわれるナックルボールを操る。彼はナックルボールにスライダー系の回転を加える等の変化をつけ、オリジナルナックルボールを確立していた(後述参照)。
現在、日本経済大学にて准教授を務めている傍ら、野球評論家としてアール・エフ・ラジオ日本と九州朝日放送(KBCラジオ)の中継に出演している。
愛称は「チョコ」。
目次
来歴・人物
プロ入り前
テンプレート:By、福岡第一高等学校のエースとして、山之内健一らとともに春夏連続甲子園出場を果たす。同年夏の大会では決勝戦で広島商業に敗れ準優勝に終わるも、甘いマスクと戦国武将を思わせる名前で人気を集めた。
同年のプロ野球ドラフト会議では、地元に誕生した福岡ダイエーホークスが2位指名すると宣言したが、本人は大学進学の意思を表明し同志社大学のセレクションを受ける。ところが実は裏で西武ライオンズとの間で「1位指名する」との密約が進められていたという[1]。しかしドラフト会議で西武は指名を回避し、結局ロッテオリオンズからの1位指名を受け、ロッテに入団。「チョコ」のニックネームは入団直後のバレンタインデーで大量のチョコレート(本人によれば「約1500個」[2])が贈られた事が由来。
ロッテ時代
高卒新人ながら1年目から一軍で登板し、園川一美、小宮山悟、伊良部秀輝らとロッテの先発ローテーション投手として活躍した。西武ライオンズの主砲・清原和博と幾度となく名勝負を演じた。チームの低迷もあり、年間8~9勝の勝ち星に対し、12~14敗の負け星といった成績だった。しかし千葉マリンスタジアムでの1992年のオールスターゲーム第1戦に先発。人気・実力ともに村田兆治引退後のロッテの顔であった。
引退後に本人が明らかにした話として、実は入団1年目の春季キャンプで左肩を痛めてしまったという。しかも本人は「肩を痛めていることを球団に知られたら二軍に落とされてしまう」ことを危惧し、左肩痛のことをトレーナーに報告せず隠し通してしまった。このため適切な処置を受けられなかった左肩痛はその後慢性化し、引退まで長きに渡って苦しめられた[2]。
テンプレート:Byオフに仁村徹、酒井忠晴、山本保司との3対3の大型トレードで平沼定晴、樋口一紀とともに星野仙一が監督復帰した中日ドラゴンズに移籍。
中日時代
1996年、足の故障で途中離脱したが先発ローテーションの一角としてプロ初の勝ち越しを記録した。1997年開幕からローテーションに加わったものの2勝13敗と大幅に負け越しを記録。1998年、自身の希望もあり中継ぎ投手に転向。これが見事にハマり初の防御率2点台を記録した。この年以降中継ぎ投手として活路を見出し飛躍したが、チームの事情によりローテーションの谷間には先発投手も務め、テンプレート:Byにはリーグ優勝に貢献。福岡ドームでの日本シリーズ第1・2戦は登板機会皆無だった。
テンプレート:By9月24日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)この試合チームが負けるとジャイアンツがリーグ優勝してしまう試合に先発し、上原浩治、槙原寛己、木村龍治、平松一宏と投げ合い8回まで被安打5・無四球無失点と生涯最高のピッチングを展開。しかし9回裏に先頭・元木大介、高橋由伸と二者連続でライト前ヒットを浴び降板。リリーフしたエディ・ギャラードが松井秀喜にもライト前ヒット、江藤智に同点満塁弾、更に二岡智宏からサヨナラホームラン浴び、巨人に4年ぶりをリーグ優勝を決められた。
テンプレート:Byは前半戦まで先発投手を任されていたが、後半戦から再び中継ぎ投手に転向した。
山田久志投手コーチとはソリが合わず[3]、星野監督の退任と山田コーチの監督昇格が決まった2001年オフにFA宣言し、読売ジャイアンツに移籍(人的補償は平松一宏)。
巨人時代
巨人ではセットアッパーとして固定されると、移籍1年目から安定した力を発揮。テンプレート:By9月26日に通算500試合登板を達成し、勝利投手にもなっている。テンプレート:Byには史上11人目となる1イニング4奪三振を記録。中継ぎ専任後は比較的安定していた防御率も、テンプレート:Byは7.23、テンプレート:Byは5.06と悪化したが、左のワンポイント要員や、敗戦処理投手としてチームの泥を被り、陰から5年ぶりのリーグ優勝に貢献した。10月30日、国内でやり残した事はないとの理由のもと、メジャーリーグ挑戦のため球団へ退団を申し入れると了承され、11月30日に自由契約公示された。
MLB時代
11月12日にSFXベースボールジャパン社と代理人契約を結ぶと、1月26日渡米、28日に10球団を招いて合同トライアウトを実施している。
テンプレート:By、テキサス・レンジャーズとマイナー契約。3Aオクラホマでは36試合登板、5勝3敗、防御率4.55の成績を記録したが、メジャー昇格は果たせなかった。そして、同年12月3日に現役引退を表明した。
引退後
現在は九州朝日放送野球解説者、タレントをはじめとして、企業主催の講演会や母校・福岡第一高校の系列大学である日本経済大学で教壇に立つなど幅広い活動を展開している。2011年8月から10月にかけて東京スポーツ紙上で集中連載「流浪の左腕 前田幸長 細く長く」を執筆し、自らの半生を振り返っている。
プライベート
21歳の時に高校時代の同級生と結婚。現在4児の父。 卒業式当日、取材対応していた間も「一緒に帰りたい」と彼女はずっと待っていたという。それを知って「この子と結婚しよう」と心に決めた。
プレースタイル
プロ野球選手と思えないほどの細身であるが、連日の登板をものともしないタフネス左腕。140km/h台の速球と、日本球界では珍しくナックルボールを使いこなす投手である(彼のナックルボールは山なりの軌道を描いて激しく揺れながら落ちる変化ではなく、微妙に回転がかかっており、直球と同じ軌道からランダムに沈む変化を描くため、厳密に言えばナックルボールではない。いわばオリジナルのナックルボールであるフォークボールの代替として高校の先輩に教わったという)。
NPBでの最後のシーズンとなった2007年の春期キャンプでは起死回生を目指し、サイドスローへの転向に挑み、従来の無駄の無いスリー・クォーターから一転、変則サイドスローでの投球となった。村田真一バッテリーコーチからは「ジェフ・ウィリアムスのようになってほしい」と期待を寄せられていたが、2008年度は上手投げを基本線に、時折横手を交えて投げていた。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | ロッテ | 17 | 7 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | -- | .400 | 165 | 36.1 | 43 | 7 | 22 | 0 | 1 | 31 | 3 | 2 | 29 | 28 | 6.94 | 1.79 |
テンプレート:By2 | 33 | 20 | 8 | 1 | 1 | 8 | 13 | 2 | -- | .381 | 697 | 167.0 | 162 | 19 | 51 | 3 | 4 | 130 | 12 | 0 | 79 | 74 | 3.99 | 1.28 | |
テンプレート:By2 | 30 | 22 | 10 | 1 | 1 | 8 | 11 | 2 | -- | .421 | 699 | 163.1 | 145 | 30 | 72 | 4 | 5 | 130 | 10 | 0 | 79 | 70 | 3.86 | 1.33 | |
テンプレート:By2 | 28 | 26 | 10 | 2 | 0 | 9 | 14 | 0 | -- | .391 | 751 | 173.0 | 151 | 20 | 86 | 2 | 1 | 158 | 12 | 0 | 82 | 76 | 3.95 | 1.37 | |
テンプレート:By2 | 27 | 26 | 6 | 0 | 1 | 9 | 12 | 0 | -- | .429 | 736 | 171.1 | 176 | 21 | 68 | 0 | 2 | 100 | 6 | 0 | 85 | 79 | 4.15 | 1.42 | |
テンプレート:By2 | 23 | 18 | 0 | 0 | 0 | 4 | 10 | 0 | -- | .286 | 467 | 103.0 | 114 | 14 | 55 | 1 | 3 | 59 | 9 | 0 | 76 | 71 | 6.20 | 1.64 | |
テンプレート:By2 | 17 | 9 | 0 | 0 | 0 | 3 | 6 | 0 | -- | .333 | 265 | 60.0 | 61 | 11 | 24 | 2 | 0 | 49 | 6 | 0 | 34 | 34 | 5.10 | 1.42 | |
テンプレート:By2 | 中日 | 17 | 13 | 1 | 0 | 0 | 7 | 4 | 0 | -- | .636 | 328 | 77.0 | 73 | 9 | 22 | 2 | 0 | 55 | 4 | 0 | 44 | 36 | 4.21 | 1.23 |
テンプレート:By2 | 25 | 18 | 0 | 0 | 0 | 2 | 13 | 0 | -- | .133 | 448 | 101.1 | 112 | 11 | 37 | 4 | 3 | 91 | 2 | 0 | 59 | 57 | 5.06 | 1.47 | |
テンプレート:By2 | 36 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | -- | .667 | 176 | 42.1 | 43 | 2 | 11 | 1 | 0 | 34 | 1 | 1 | 11 | 11 | 2.34 | 1.28 | |
テンプレート:By2 | 25 | 4 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | -- | 1.000 | 145 | 37.2 | 26 | 5 | 10 | 3 | 1 | 34 | 2 | 0 | 12 | 11 | 2.63 | 0.96 | |
テンプレート:By2 | 41 | 12 | 0 | 0 | 0 | 5 | 4 | 0 | -- | .556 | 392 | 97.2 | 82 | 10 | 18 | 1 | 2 | 71 | 2 | 0 | 46 | 41 | 3.78 | 1.02 | |
テンプレート:By2 | 36 | 13 | 1 | 0 | 0 | 4 | 10 | 0 | -- | .286 | 430 | 103.0 | 98 | 10 | 26 | 4 | 0 | 81 | 6 | 0 | 39 | 39 | 3.41 | 1.20 | |
テンプレート:By2 | 巨人 | 53 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 1 | -- | .500 | 188 | 46.0 | 47 | 4 | 6 | 3 | 2 | 43 | 2 | 0 | 17 | 14 | 2.74 | 1.15 |
テンプレート:By2 | 50 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 3 | -- | .714 | 236 | 60.0 | 49 | 4 | 7 | 2 | 1 | 49 | 3 | 0 | 22 | 21 | 3.15 | 0.93 | |
テンプレート:By2 | 44 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | -- | .667 | 170 | 41.2 | 43 | 3 | 2 | 0 | 2 | 48 | 1 | 0 | 13 | 11 | 2.38 | 1.08 | |
テンプレート:By2 | 50 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | ---- | 269 | 62.0 | 67 | 9 | 18 | 6 | 1 | 58 | 2 | 0 | 35 | 32 | 4.65 | 1.37 | |
テンプレート:By2 | 28 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | ---- | 100 | 23.2 | 32 | 4 | 3 | 0 | 0 | 15 | 1 | 0 | 19 | 19 | 7.23 | 1.48 | |
テンプレート:By2 | 15 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | .000 | 51 | 10.2 | 20 | 2 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 6 | 6 | 5.06 | 1.97 | |
通算:19年 | 595 | 188 | 36 | 4 | 3 | 78 | 110 | 9 | 12 | .415 | 6713 | 1577.0 | 1544 | 195 | 539 | 38 | 28 | 1241 | 84 | 3 | 787 | 730 | 4.17 | 1.32 |
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- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- JA全農Go・Go賞 (救援賞:1998年7月)
記録
- 初記録
- 初登板:1989年4月15日、対近鉄バファローズ2回戦(川崎球場)、9回表2死に4番手として救援登板・完了、1/3回を無失点
- 初奪三振:1989年7月8日、対西武ライオンズ10回戦(川崎球場)、9回表に笘篠誠治から
- 初先発:1989年7月23日、対近鉄バファローズ19回戦(川崎球場)、1回0/3を4失点で敗戦投手
- 初勝利・初先発勝利:1989年9月17日、対日本ハムファイターズ26回戦(川崎球場)、6回1/3を1失点
- 初完投勝利・初完封勝利:1990年4月26日、対福岡ダイエーホークス3回戦(川崎球場)
- 初セーブ:1990年8月18日、対オリックス・ブレーブス18回戦(札幌円山球場)、7回表に3番手として救援登板・完了、3回無失点
- 初ホールド:2005年4月6日、対横浜ベイスターズ2回戦(横浜スタジアム)、6回裏に2番手として救援登板、1回無失点
- 初安打・初打点:2000年8月26日、対ヤクルトスワローズ21回戦(明治神宮野球場)、2回表に山部太から右前適時打
- 節目の記録
- 1000投球回数:1997年6月10日、対広島東洋カープ9回戦(広島市民球場)、8回裏に木村拓也を空振り三振で3死目をとり達成 ※史上271人目
- 1000奪三振:2001年8月8日、対横浜ベイスターズ20回戦(札幌ドーム)、6回表にジョン・ズーバーから ※史上105人目
- 500試合:2004年9月26日、対阪神タイガース27回戦(東京ドーム)、8回表に2番手として救援登板、1回無失点で勝利投手 ※史上76人目
- 1500投球回数:2005年5月11日、対オリックス・バファローズ2回戦(東京ドーム)、11回表に阿部真宏を投手前犠打で1死目をとり達成 ※史上155人目
- その他の記録
- 1イニング4奪三振:2005年4月6日、対横浜ベイスターズ2回戦(横浜スタジアム)、6回裏に佐伯貴弘(振り逃げ)・多村仁・ケビン・ウィット・村田修一から ※史上11人目(12度目)
- オールスターゲーム出場:1回 (1992年)
背番号
- 11 (1989年 - 1995年)
- 31 (1996年 - 1997年)
- 18 (1998年)
- 29 (1999年 - 2007年)
関連情報
出演番組
- KBCラジオ
- KBCホークスナイター/KBCダイナミックホークス実況中継 - 解説
- 前田幸長のサンデースポーツマガジン - メインパーソナリティ
- ラジオ日本ジャイアンツナイター - ゲスト解説
- 准教授、前田幸長のチョコゼミ - メインパーソナリティー
- パ・リーグマニア (2012年1月22日 - 2月26日) - 司会
- メジャーリーグ中継 - 解説
関連項目
脚注
外部リンク
- 所属事務所の公式プロフィールページ
- 前田幸長 公式ブログ
- 前田幸長講演
- 前田幸長インタビュー
- 個人年度別成績 【前田幸長 (読売ジャイアンツ)】 - 日本野球機構オフィシャルサイト
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube