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代打(だいだ)とは、野球において打順が回ってきた打者に代わって打席に入り、打撃を行う選手。ピンチヒッターとも呼ばれる。
目次
起源・概要
19世紀に野球が始まった当初は、試合中の怪我や病気などの理由で先発した選手が試合に出られなくなった場合を除いて、選手の交代は認められていなかった。その後1試合に1人ないし2人といった人数制限、あるいはイニングの間のみといった制限のあるルールが運用された期間を経て、1891年に試合中の選手交代を制限なく行うことができる規則が設けられた[1]。このことで選手交代は野球において監督の作戦のひとつとして戦略的に行えるようになった。
攻撃側は、ボールデッドのときならいつでも、打者をまだ試合に出場していない控えの選手と交代することができる。このときの交代選手を代打という。なお、指名打者に限り、投手が交代するか当該指名打者が1回打席を完了するまで代打を出すことができない。また、投手は打者を1人以上アウトにするか一塁に到達を許すか(最低1打席の対戦を完遂するか)、イニングを終了するまでは交代できないため、1回表に投手が打席に立った時も代打を出すことはできない。代打は、交替した選手の打順、ボールカウント、守備位置をそのまま引き継いで、引き続き試合に出場する。また代打と交代した選手は試合から退き、以後その試合で出場することはできない。ただし、投手が交代した場合は、そのときの打者・代打者がアウトになるか一塁に達するかして打撃が完了するか、攻守交替になるまでは投球する義務があるのに対し、代打には打撃を完了する義務はない。したがって、例えばある打者に対して代打が出され、これを見た守備側が投手を交代した場合、この投手交代を見た攻撃側がまだ一球も投じられていない代打に対して代打を出すことはできる。しかし、代打の代打を出されたことに対して守備側が直ちに交代投手に対して更なる投手の交代を行うことは認められない。
記録上の扱い
打席の途中で打者が交代した(代打が出された)場合、打席が完了した時点における打者にその記録が付く。
ただし、例外として、2ストライクを取られた後に代打として出場した打者がストライクを取られ三振した場合は、2つ目のストライクを取られた打者に三振が付く。これは、打席に立った打者が2人であればもっとも多くストライクを受けたのは第2ストライクを受けた打者であることによると思われる。
代打が出される局面
代打は主に以下のような場面で起用される。
試合終盤の好機
試合が接戦のまま終盤に突入し、走者が出て同点、逆転、あるいは決定的な追加点を奪う機会を得た場面。このような場面での打撃結果はチームの勝敗に直結するため、得点圏打率が高く、チーム内で信頼されている打者が起用される。守備に難があったり、高齢によりレギュラーを退いたが打撃には自信を持つ選手がこのような場面での「代打の切り札」としてベンチ入りすることになる。
どうしても1点が欲しい場面で走者を確実に進塁させるために、チーム内で最もバントの上手な選手が、犠牲バントを目的として代打として出場する場合もある。このような犠牲バント専門で代打に出る選手は、俗にピンチバンターと呼ばれることがある。ピンチバンターは最初からバントで走者を進塁させるのが目的のため、奇襲的な性質の強いスクイズプレイを仕掛ける場面では起用されにくい。スクイズが考えられる場面でバントの上手な選手が代打に出れば、十中八九スクイズが行われるということが守備側に察知されてしまうためである。
利き腕と打席の相性
球の出所が見やすいことから、左投げの投手に対しては右打者、右投げの投手に対しては左打者が有利とされている。これを利用して、打席の左右が異なる選手を出し、利き腕についての優位を得るための代打が起用されることがある。絶対的な切り札がいないチームでは、終盤の好機でもこれを考慮した代打が出される。右投手の場面で左打者を代打に送ったところ、相手が投手を左に代えてくることもあり、その時にさらに右打者を起用する「代打の代打」も時折見られる戦術である。この場合、救援投手にはそのときの打者・代打者がアウトになるか一塁に達するかして打撃が完了するか、攻守交替になるまでは投球する義務があるため、「代打の代打」に対応してさらなる投手の交代を告げることは認められず、プレイ再開となる。また、投手との相性を考え起用されることもある。
投手の打席
指名打者制のない試合の場合、一般に野手に比べて打撃力が劣る投手の打席では安打は期待しにくい。そのため、試合中盤以降に走者を置いた場面で投手に打席が回った場合、代打が出されることが多い。この代打起用は投手の投球数も考慮して判断され、打席が投手交代の時機に重要な影響を及ぼしている。
記録継続の為
連続出場記録を継続させるための手段に用いられる事がある。金本知憲は2010年4月18日に連続フルイニング出場が1492試合でストップして以降、7月16日までの約3か月間の間、指名打者制度が使えない試合において代打のみの出場で連続出場記録を継続した。
その後、2011年4月15日の中日戦において代打で出場したものの、走者の盗塁死によって打席完了せず、その後守備につかずに交代したため、連続試合出場記録は1766試合で途切れた。
負傷交代
自打球などによる負傷で、打者が打席の途中で出場不可能となった時には代打が送られる。この際、代打した選手のボールカウントは代打が出される前の打者のボールカウントを引き継ぐ。
記録
プロ野球
- 通算代打起用回数
順位 | 名前 | 回数 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 宮川孝雄 | 778 | セ・リーグ記録 |
2 | 桧山進次郎 | 757 | |
3 | 川又米利 | 632 | |
4 | 藤波行雄 | 610 | |
5 | 浅井樹 | 582 | |
6 | 淡口憲治 | 569 | |
7 | 高井保弘 | 559 | パ・リーグ記録 |
- 通算代打安打
順位 | 名前 | 本数 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 宮川孝雄 | 186 | セ・リーグ記録 |
2 | 桧山進次郎 | 158 | |
3 | 浅井樹 | 154 | |
4 | 淡口憲治 | 137 | |
5 | 川又米利 | 131 | |
6 | 藤波行雄 | 128 | |
7 | 長田幸雄 | 122 | |
8 | 高井保弘 | 120 | パ・リーグ記録 |
- 通算代打本塁打
順位 | 名前 | 本数 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 高井保弘 | 27 | 世界記録(パ・リーグ記録) |
2 | 大島康徳 | 20 | セ・リーグで16本(歴代2位)、パ・リーグで4本 |
2 | 町田公二郎 | 20 | セ・リーグ記録 |
4 | 淡口憲治 | 17 | |
5 | 川又米利 | 16 | セ・リーグ歴代2位 |
6 | 河村健一郎 | 15 | |
7 | 広永益隆 | 14 | |
7 | 吉村禎章 | 14 | |
7 | 桧山進次郎 | 14 |
- 通算代打打点
順位 | 名前 | 打点 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 宮川孝雄 | 118 | セ・リーグ記録 |
2 | 桧山進次郎 | 111 | |
3 | 高井保弘 | 109 | パ・リーグ記録 |
4 | 川又米利 | 105 | |
4 | 八木裕 | 98 | |
6 | 遠井吾郎 | 96 | |
7 | 浅井樹 | 93 |
- 通算代打打率(起用数300以上)
順位 | 名前 | 打率 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 若松勉 | .349 | セ・リーグ記録 |
2 | 浅井樹 | .315 | |
3 | 五十嵐信一 | .292 | パ・リーグ記録 |
4 | 宮川孝雄 | .290 | |
5 | 高木由一 | .287 |
- 年間代打起用回数
順位 | 名前 | 回数 | 年度 |
---|---|---|---|
1 | 真中満 | 98 | 2007 |
2 | 立浪和義 | 93 | 2007 |
3 | 麻生実男 | 87 | 1962 |
3 | 宮川孝雄 | 87 | 1966 |
5 | 桧山進次郎 | 86 | 2008 |
5 | 立浪和義 | 86 | 2008 |
- 年間代打安打
順位 | 名前 | 本数 | 年度 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 真中満 | 31 | 2007 | セ・リーグ記録 |
2 | 三沢今朝治 | 26 | 1969 | パ・リーグ記録 |
3 | 立浪和義 | 23 | 2007 | |
3 | 桧山進次郎 | 23 | 2008 | |
5 | 石川進 | 22 | 1962 | |
5 | 宮川孝雄 | 22 | 1966 | |
5 | 大田卓司 | 22 | 1978 | |
5 | 永尾泰憲 | 22 | 1986 | |
5 | 若松勉 | 22 | 1988 |
- 年間代打本塁打
順位 | 名前 | 本数 | 年度 |
---|---|---|---|
1 | 大島康徳 | 7 | 1976 |
2 | 高井保弘 | 6 | 1974 |
2 | 石嶺和彦 | 6 | 1985 |
2 | 大豊泰昭 | 6 | 1999 |
- 年間代打打点
順位 | 名前 | 打点 | 年度 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 真弓明信 | 30 | 1994 | セ・リーグ記録 |
2 | 立浪和義 | 27 | 2007 | |
3 | 宮川孝雄 | 24 | 1966 | |
3 | 平田薫 | 24 | 1985 | |
5 | 高井保弘 | 23 | 1974 | パ・リーグ記録 |
- 通算代打満塁本塁打
順位 | 名前 | 本数 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 町田公二郎 | 4 | |
1 | 藤井康雄 | 4 | 2001年の年間3本も歴代1位 |
3 | 佐藤竹秀 | 3 |
- 通算代打サヨナラ本塁打
順位 | 名前 | 本数 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 高井保弘 | 3 | 1974年オールスター第1戦でも記録 |
1 | 若松勉 | 3 |
- 代打サヨナラ満塁本塁打
名前 | 日時 | 備考 |
---|---|---|
樋笠一夫 | 1956年3月25日 | 逆転(3点差) |
藤村富美男 | 1956年6月24日 | 逆転 |
池田純一 | 1970年7月29日 | |
広野功 | 1971年5月20日 | 逆転 |
今井務 | 1972年8月30日 | |
飯田幸夫 | 1974年9月3日 | |
岩下正明 | 1982年4月6日 | |
柳原隆弘 | 1984年6月11日 | 逆転 |
藤田浩雅 | 1988年6月18日 | 逆転 |
グレン・デービス | 1996年5月1日 | |
広永益隆 | 1998年7月7日 | |
北川博敏 | 2001年9月26日 | 逆転(3点差)・優勝決定 |
藤井康雄 | 2001年9月30日 | 逆転(3点差) |
小田嶋正邦 | 2003年7月18日 | |
長野久義 | 2011年10月22日 | 逆転 |
- 代打連続打数安打
順位 | 名前 | 記録 | 年度 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 松原誠 | 7 | 1980 | 6打席連続のあと四球1を挟む |
1 | 初芝清 | 7 | 2003 | 連続打席 |
3 | 後藤次男 | 6 | 1953 | 連続打席 |
3 | 宮川孝雄 | 6 | 1972 | 連続打席 |
3 | 谷沢健一 | 6 | 1986 | 四球1を挟む |
3 | 井上純 | 6 | 1999 | 連続打席 |
3 | 種田仁 | 6 | 2000 | 四球4を挟む |
3 | 片岡篤史 | 6 | 2005 | 連続打席 |
3 | 小笠原道大 | 6 | 2014 | 四球1を挟む |
- 代打連続打席出塁
順位 | 名前 | 記録 | 年度 | 内訳 |
---|---|---|---|---|
1 | 種田仁 | 11 | 2000 | 安打6、四球5 |
2 | 町田公二郎 | 9 | 1996 | 安打4(うち本塁打1)、四球5 |
2 | ペドロ・カステヤーノ | 9 | 1997 | 安打5(うち本塁打1)、四球3、死球1 |
2 | 小笠原道大 | 9 | 2014 | 安打6、四球3 |
- その他の代打記録
- 連続試合代打サヨナラ本塁打(2試合)
- 豊田泰光(1968年8月24日・25日)
- 若松勉(1977年6月12日・13日)
- 連続打席代打本塁打(3打席)
- マーシャル・ブラント(1984年)
- 真弓明信(1989年)
- 藤立次郎(1996年)
- 連続試合代打サヨナラ本塁打(2試合)
メジャーリーグ
- 通算代打安打
順位 | 名前 | 本数 |
---|---|---|
1 | レニー・ハリス | 212 |
2 | マーク・スウィーニー | 175 |
3 | マニー・モタ | 150 |
4 | スモーキー・バーガス | 145 |
5 | グレッグ・グロス | 143 |
- 通算代打本塁打
順位 | 名前 | 本数 |
---|---|---|
1 | マット・ステアーズ | 23 |
2 | クリフ・ジョンソン | 20 |
3 | ジェリー・リンチ | 18 |
- 年間代打本塁打
順位 | 名前 | 本数 | 年度 |
---|---|---|---|
1 | デイヴ・ハンセン | 7 | 2000 |
1 | クレイグ・ウィルソン | 7 | 2001 |
3 | ジョニー・フレデリック | 6 | 1932 |
記録は2013年シーズン終了時点。
その他、代打に関する記録・エピソードを持つ選手
メジャーリーグ
- ミッキー・ウェルチ(メジャーリーグ史上最初のピンチヒッター)
- ジェレミー・ハーミダ(メジャー初打席代打満塁本塁打)
プロ野球
- 麻生実男(元祖代打専門選手と呼ばれた)[2]
- 金田正一(投手として代打ホームランを2本打っている)
- 川相昌弘(前述したピンチバンターの有名な例)
- 川藤幸三(代打専門として知られ、守備をしないために不要なのでグローブを持ってなかった、などの数々の逸話がある。)
高校野球
- 宮内洋(宇部商業)1年生で出場した第70回全国高等学校野球選手権大会の3回戦東海大甲府戦の9回表、史上唯一の代打逆転本塁打を記録。
転語
転じて、ある人に代わって代理を務める人を代打やピンチヒッターと呼ぶことがある。
関連項目
脚注
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- ↑ 洋泉社「三原脩の昭和三十五年―「超二流」たちが放ったいちど限りの閃光」富永 俊治