門真市

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テンプレート:Infobox 門真市(かどまし)は、大阪府北河内地域に位置する

地名の由来は「潟沼(かたぬま)」や「門間(かどま/船だまりや寺や神社の門前の土地を表す言葉)」から転じたなど諸説あり、室町時代初期までは「普賢寺荘」、室町時代末期には現在の名が使われ、戦国時代には「門真荘」と呼ばれた。

地理

ファイル:Kadoma city center area Aerial photograph.1985.jpg
門真市中心部周辺の空中写真。1985年撮影の3枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

隣接している自治体・行政区

歴史

先史[1]
現市がある河内平野紀元前20世紀以前は河内湾とよばれる海の中だった。紀元前15世紀頃の縄文時代後期になると、市域の陸地が一部顔を出すようになり、市西部の西三荘遺跡で期節的な生活が始まった。紀元前3世紀前後の弥生時代前期には定住生活が可能になり、古川遺跡では方形周溝墓群が、大和田遺跡では銅鐸が確認されている。
古代
8世紀の「古事記日本書紀」によると仁徳天皇河内湖へと流れる淀川の度重なる洪水被害から河内湖周辺のこの地方を守るために茨田宿禰(まむたのすくね)に命じ、茨田堤を築かせた。これは記録上、日本初の河川堤で、大規模な治水工事とされている。茨田宿禰はこの堤の守護神として茨田氏の先祖彦八井耳命(神武天皇の皇子)を奉祀し、それが市内にある宮野町堤根神社の起源となっている。境内には茨田堤跡が残されている。茨田堤の完成後、この地方の農地が急速に発展。市内には普賢寺古墳が築造された。また現黄梅寺付近に伊勢神宮に奉仕した斎宮が神宮からの帰途に立ち寄った茨田真手御宿所があったと伝えられている。
中世
平安時代後期になると、河内にも朝廷寺院武家などの荘園が作られていった。大和田庄・馬伏庄・岸和田庄(現在も地名として残っている)などは河内八箇所として経営された。
鎌倉時代室町時代の頃にはほぼ全域農地として開拓され集落としての環境が整い、現在に近い環境が形成された。室町時代には室町幕府直轄地として「門真」荘という名が出てくる。
近世
京や大坂に近い事や立地の重要性により8割以上が江戸幕府の天領となった。代々譜代大名永井氏がこの地を支配した。この時代になると古川の氾濫も収まり豊かな水郷農村として発達し、低湿地を生き抜く知恵として段蔵バッタリが生み出され、江戸時代後期には菜種木綿の栽培、蓮根栽培が活発化した。また江戸末期には、旧家・茨田家の茨田郡士(まったぐんじ)ほか多くの豪農の「大塩平八郎の乱」参加者を出した。
近代
蓮根栽培が石川県岡山県から優良な種類を導入し改良を加えた結果、最高期に達し、「河内レンコン」の名が全国に広まった。1910年(明治43年)の京阪電車の開通により、まちは変化し、工場誘致など産業都市としての発展にも力を入れるようになった。しかし京阪沿線沿いのこの地方一帯は大阪(城)の北東に位置する関係で企業進出が中々進まなかった。そんな中、松下電器産業株式会社(現パナソニック)の創業者松下幸之助が「日本全体が北東に伸びており、日本全てが鬼門である。新しい工場を生かすのは人である」と一喝し、工場を建設。こうして1933年(昭和8年)、松下電気器具製作所の誘致に成功し、それ以後は企業城下町として発展した。
現代
1963年(昭和38年)、約6万人をもって市制を施行、門真市が誕生した。高度経済成長期大阪都市圏の拡大によって市の人口は急増、60年~65年には人口増加率178%を記録し、1970年代には約14万人にまで達した。しかしながらこの急速な人口増加は更なる都市化を促進する一方、農村農業を著しく衰退させ、かつて経験した事のない様々な都市問題を引き起こした。市はこれらの問題を改善する為に1971年(昭和46年)第一次総合計画を策定。以降、時代の変化に対応しながら計画を策定し、2010年(平成22年)からは第五次総合計画[2]を推進している。第五次総合計画はこれからの人口減少・成熟社会への移行等を背景に、将来都市像を「人・まち"元気"体感都市 門真」と定め、都市整備を軸に、教育の向上、地域力、防災・安全の強化、産業活性化等を公民競働によって目指す内容となっており、基盤となる財政の一層の健全化と共に取り組まれている[3]。なお計画期間は2010年(平成22年) から 2019年(平成31年)で、都市整備は古川橋駅門真市駅周辺の北西部、大和田駅周辺の北東部、第二京阪道路沿道周辺の中部、門真南駅周辺の南部を中心に行われる。とりわけ北西部の「幸福町・垣内町・中町地区まちづくり」計画は統合中学校(門真市立門真はすはな中学校)・公園・広場・市立総合体育館(平成28年度完成予定)の設置等、拠点地区整備や公共施設の再生を謳い新たな市の顔づくりとして位置づけられている。

年表

  • 1886年明治19年) 茨田郡門真一番上村、門真一番下村、門真二番村、門真三番村、門真四番村が合併して門真村となる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、茨田郡門真村、大和田村、四宮村、二島村が発足。
    • 門真村 - 門真村、桑才村が合併。
    • 大和田村 - 常称寺村、打越村、北島村、野口村、横地村が合併。
    • 四宮村 - 上島頭村、下島頭村、上馬伏村、下馬伏村、巣本村、岸和田村が合併。
    • 二島村 - 稗島村、三ツ島村が合併。
  • 1896年(明治29年)4月1日 北河内郡が成立。
  • 1939年昭和14年)4月1日 門真村が町制施行。北河内郡門真町となる。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 大和田村、四宮村、二島村を門真町に編入。
  • 1963年(昭和38年)8月1日 門真町が市制施行。大阪府下27番目の市、門真市となる。
  • 1996年平成8年) なみはやドーム(大阪府立門真スポーツセンター)が三ツ島に完成。
  • 1997年(平成9年) 第52回国民体育大会夏季大会「なみはや国体」が開催された。
  • 2005年(平成17年)に隣接する守口市と合併することが協議され、新名称は「守口門真市」と決定した(その他「松下市」の候補もあった)が、2004年9月にその合併をめぐる住民投票で、合併相手側の守口市の結果(反対派が投票の87%を占めた)により合併協議会は解散した(門真市の投票は投票率不足で不成立、開票されなかった)。
  • 2006年(平成18年) 春日若宮おん祭春日大社)の神饌として奉納する「河内蓮根奉納行列」が140年ぶりに復活した[4]
  • 2013年(平成25年)、同市の都市建設部長(その後退職)ら幹部職員2人が、同市での区画整理事業に関わる不動産会社の社員研修旅行(栃木県福島県などが目的地)に、2005年から2008年にかけて、公務による出張と称して参加していたことが明らかになった。代金が、当該不動産会社が加入する街づくり区画整理協会から、全額もしくは一部が支出されていたことも判明しており、市は職務専念義務違反に当たるとして実態調査を開始[5]

歴代市長

氏名 在職期間
初代 中塚種夫 1963年
1973年
第2代 中田三次郎 1973年
1985年
第3代 東潤 1985年
2005年
第4代 園部一成 2005年

経済

門真市に本社を置く企業

金融機関

なお、指定金融機関三菱東京UFJ銀行三井住友銀行の輪番制。

日本郵政グループ

(2012年12月現在)

  • 門真郵便局(一番町) - 集配局。★
  • 門真元町郵便局(元町)
  • 二島(ふたしま)郵便局(桑才=くわざい)
  • 門真沖町郵便局(沖町) ★
  • 門真下島(しもしま)郵便局(下島町)
  • 門真宮野郵便局(宮野町)
  • 門真巣本郵便局(巣本町)
  • 門真上島頭(かみしまがしら)郵便局(千石西町=せんごくにしまち) ★
  • 門真下馬伏(しもまぶし)郵便局(江端町)
  • 門真古川橋郵便局(幸福町) ★
  • 門真常盤郵便局(常磐町)
  • 門真新橋郵便局(新橋町) ★
  • 門真月出(つきで)郵便局(月出町)

  • 大阪支店 大阪モノレール門真市駅前出張所(新橋町)(ATMのみ/ホリデーサービス実施)
  • 大阪支店 京阪古川橋駅内出張所(末広町)(ATMのみ/ホリデーサービス実施)
その他各郵便局にATMが設置されており、★印の郵便局ではホリデーサービスを実施。

※門真市内の郵便番号は「571-00xx」(門真郵便局の集配担当)となっている。

姉妹都市・提携都市

日本国内

日本国外

国際機関

領事館

地域

人口

平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、1.02%減の130,368人であり、増減率は府下43市町村中28位、72行政区域中49位。 テンプレート:人口統計

教育

人口10万人以上の市であるにもかかわらず、市内には、大学短期大学を含む)や私立高等学校中学校はなく、決して教育環境はいいとはいえない。

小学校

(2012年に門真市立北小学校門真市立浜町中央小学校が統合し門真市立門真みらい小学校設立)

中学校

(2012年に門真市立第一中学校門真市立第六中学校が統合し、設立 )

高等学校

(2001年度入学生から旧門真高等学校と旧門真南高等学校は旧門真高等学校敷地の門真なみはや高等学校に統合された)

特別支援学校

  • 門真市立くすのき園
  • さつき園

大学

市内に大学短期大学を含む)は存在しない。大阪府下の大学が存在しない市で人口は最多である[6]

財政

平成18年度

  • 財政力指数 0.75
  • 標準財政規模 248億7974万円
  • 普通会計歳入規模 439億4859万円
    • うち市町村税(地方税) 187億4864万円
    • 地方交付税 50億4019万円
    • 地方債 23億2540万円
  • 普通会計歳出規模 438億9955万円
    • 人件費 104億1376万円
    • 扶助費(生活保護費等) 135億1854万円
    • 公債費(借金の返済) 47億9145万円
  • 経常収支比率 103.1% きわめて硬直化している
  • 実質公債費比率 13.0%
  • 人口一人当たり地方債現在高 34万3481円 普通会計分の地方債のみ
  • 人口1000人当たり職員数 6.97人 大阪府市町村平均 7.91
    • 内訳 一般職員 880人(うち技能労務職 271人) 教育公務員 32人 (消防職は一部事務組合所属のため0名) 合計912名
  • 市職員一人当たり平均給料月額 34万4200円 すべての職員手当てを含まない数字
  • 職員給与費の状況 平均(普通会計分 年額) 給料 430万8825円 職員手当 119万8402円 期末・勤勉手当(民間のボーナス) 199万6317円
    • 平均職員給与 750万3544円 
  • ラスパイレス指数 97.8
  • 門真市職員一人当たりの平均期末・勤勉手当支給額 210万4371円 (平成18年度)
  • 門真市職員 平均定年退職金 2757万1千円 (2007年4月1日現在、59.28月)

地方債等の残高

  • 1 普通会計分の地方債 449億3000万円
  • 2 特別会計分の地方債 444億9700万円
    • 主な内訳 公共下水道事業特別会計分 392億7400万円
  • 3 関係する一部事務組合分の債務 1億1200万円
    • 守口市門真市消防組合分 2億3700万円 (債務x負担割合)
  • 4 第三セクター等の債務保証等に係わる債務 47億1300万円
    • 門真市土地開発公社

地方債等の合計 945億5200万円 (連結会計)

  • 門真市民一人当たりの地方債等残高 72万0537円

交通

鉄道路線

バス

道路

名所・旧跡・遺跡・施設

ファイル:P1000236.JPG
三島神社/薫蓋樟(くんがいしょう)
(昔この地が楠木氏の領地であった事(楠木正澄の隠棲地)から言い伝えられている)
  • 幣原兄弟の碑(一番町)
幣原坦幣原喜重郎兄弟の顕彰碑。題字は吉田茂
幣原家は元は石清水八幡宮御幣をつくる家であったと云われ、庄屋であった)
  • 赤穂義士・村松喜兵衛門の碑(下島町)
  • 安井郁博士誕生の地(常称寺町)
  • 森寿斎の墓(上島町)
  • 旧海軍無線送信所跡(桑才新町)
  • 喜左衛門の碑(桑才町)
  • 天神社(月出町)
  • 西三荘遺跡(門真)
  • 橋波口遺跡(本町)
  • 普賢寺遺跡(幸福町、垣内町)
  • 古川遺跡(御堂町、古川町)
  • 大和田遺跡(常称寺町、宮野町、野里町)
  • 三ツ島遺跡(三ツ島)
  • 巣本遺跡(北巣本町)
  • 門真市歴史資料館(柳町)
  • 門真市民文化会館 ルミエールホール(末広町) - コンサートホールを備えた施設。
  • 門真市立市民交流会館 中塚荘(月出町)
  • 門真市民プラザ(北島) - 閉校した大阪府立門真南高等学校跡を使用した社会教育施設。
  • 大阪府立なみはやドーム(三ツ島) - 国民体育大会ができるプールとして作られたドーム。
  • パナソニックミュージアム 松下幸之助歴史館(門真)
  • さくら広場(門真) - パナソニック旧本社跡地、安藤忠雄設計

出身有名人

門真市にゆかりのある人物

脚注

  1. 門真市HP
  2. 門真市第5次総合計画
  3. 門真市-施政方針 (24年度/参考)
  4. JanJanニュース
  5. 接待旅行:門真市 部課長在職当時、社員旅行に公務参加 毎日新聞 2013年12月29日
  6. http://arc.uub.jp/arc228.html#13223
  7. 本市では一人目
  8. 楠木氏の住んでいた三ツ島の出自とされているが詳細は不明である。墓所と地元に伝わる碑が三ツ島(大阪市営地下鉄鶴見緑地線門真南駅北の児童公園内)にある。
  9. 子孫が寝屋川の真言道場に住んでいたが、明治初頭に廃仏毀釈で廃寺となり、門真にある心願寺が買収移転した際に菩提碑も門真に移ってきたため、直接的な接点は無い。
  10. 1923年(大正12年)の大阪毎日新聞社勤務時代に、現在の京阪電車の軌道敷地内(昭和6年頃現在の線に整備された。それまでは道路と軌道の併用道だった)にあった平屋住宅に住んでいた。
  11. 後見人や夫人が住んでいたので移住。晩年を門真で過ごした。

関連項目

外部リンク

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