1971年の日本シリーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox プロ野球日本シリーズ 1971年の日本シリーズ(1971ねんのにっぽんシリーズ、1971ねんのにほんシリーズ)は、1971年10月12日から10月17日まで行われたセ・リーグ優勝チームの読売ジャイアンツパ・リーグ優勝チームの阪急ブレーブスによる日本プロ野球日本選手権シリーズである。

概要

川上哲治監督率いる読売ジャイアンツ西本幸雄監督率いる阪急ブレーブスの対決となった1971年の日本シリーズだが、戦前は「阪急有利」の予想が多かった。しかし1勝1敗で迎えた第3戦、阪急の先発の山田久志が9回2死まで巨人打線をほぼ完璧に抑える好投を続けていたが王貞治が山田から逆転サヨナラ3ランを放って劇的を勝利をおさめた。巨人は第4,5戦も制し、シリーズは4勝1敗で巨人が制した。王のサヨナラ本塁打はシリーズの流れを変えた一発と絶賛された。第4戦で史上2人目となる満塁本塁打を放ち、7打点の末次民夫がMVP。

試合結果

第1戦

10月12日 西宮 入場者23503人

巨人 1 0 0 1 0 0 0 0 0 2
阪急 0 0 1 0 0 0 0 0 0 1

(巨)○堀内(1勝)-
(急)●足立(1敗)、米田、宮本幸-岡村、岡田

[審判]パ道仏(球)セ竹元 パ田川 セ岡田功(塁)パ久喜 セ松橋(外)

巨人が初回、長嶋茂雄のタイムリーヒットで先制すれば、3回阪急は長池徳士のタイムリーで同点と、主軸の働きによる点の取り合いで幕開け。巨人は4回、長嶋が二塁打でチャンスを作り、末次民夫がレフト前にタイムリーヒットを放ち、勝ち越し点を挙げた。阪急は堀内恒夫から9安打7四球を奪いながら残塁や走塁死などの拙攻を重ね、1点どまり。特に1番打者の福本豊が3安打1四球で計4度出塁しながら、いずれも得点に繋げられなかったのが痛かった。

第2戦

10月13日 西宮 入場者19914人

巨人 0 0 0 2 0 0 2 1 1 6
阪急 0 0 1 0 0 3 1 3 X 8

(巨)関本高橋一、渡辺秀、●菅原(1敗)、山内新-森
(急)山田、○米田(1勝)-岡村
本塁打
(巨)王1号2ラン(4回山田)、柳田1号2ラン(7回山田)、長嶋1号ソロ(8回米田)、黒江1号ソロ(9回米田)

[審判]セ富澤(球)パ久喜 セ竹元 パ田川(塁)セ岡田功 パ(外)

阪急の先発は山田久志、巨人は関本四十四と、ともにこのシーズン大きな飛躍を遂げた2人が日本シリーズ初登板。しかし、投手戦の予想に反し試合は点の取り合いになった。大方の巨人先発予想は高橋一三だったが、川上監督の関本先発の狙いは第1試合で4度出塁した福本封じだった。右投手ではあるが左打者に強い関本を立てて福本をまず抑えこみ、気負って来たところで左投手を送り、福本をはぐらかす、もしくは福本交代に持ち込むというものだった。しかし関本は1回裏いきなり福本に安打を許し、その狙いは外れる。更に川上の采配が裏目に出たのが2回。末次の二塁打と森昌彦の四球で2死1、2塁のチャンスで関本に打順が回ると、川上は早くも代打に広野功を送る。しかし広野はセカンドフライに倒れ、代打策失敗。しかもリリーフに送り込んだ高橋一が5四球、渡辺秀武が3四球、菅原勝矢が4四球と大乱調。この3投手で7失点、さらに5番手の山内新一岡村浩二に痛打され、救援投手だけで計8失点を喫してしまった。阪急の先発山田は王貞治柳田俊郎に本塁打を許し4失点だったが、初先発としてはまずまずの内容。巨人は8回長嶋、9回黒江透修の本塁打で米田哲也を攻略、追いすがるが、最後は米田が三者連続三振で締めくくり、阪急が逃げ切った。

第3戦

10月15日 後楽園 入場者33867人

阪急 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1
巨人 0 0 0 0 0 0 0 0 3x 3

(急)●山田(1敗)-岡村
(巨)○関本(1勝)-森、吉田孝
本塁打
(巨)王2号3ラン(9回山田)

[審判]パ沖(球)セ富澤 パ久喜 セ松橋(塁)パ道仏 セ竹元(外)

巨人関本、阪急山田と両チームとも第2戦に続いての連続先発。第2戦1回しか投げていない関本はともかく、7回105球を投げている山田の中1日での連続先発は大方の予想を覆すものだったが、その山田が快調なピッチング。2回、大熊忠義のタイムリー二塁打で挙げた1点を守り、8回まで無失点。ピンチらしいピンチは2回裏、末次に三塁打を喫し1死3塁になった場面だけで、3回から8回2死まで1人の走者も出さない完璧なピッチング。8回、土井正三の代打・上田武司に「なんだこんなバッター」と見下して投げたボールを安打されるが、動じることなく次打者・吉田孝司を打ち取っていた。そして9回、1死から柴田勲が四球で出塁。続く柳田をライトフライに打ち取り2死。山田は「子供の頃から憧れていた長嶋さんを打ち取って、巨人に完封勝利」を思い描いたという。その長嶋に対し、絶妙のコースにカーブが決まり、長嶋は泳ぎながらもなんとかバットに当てたが、打球はボテボテ。しかし打球は長嶋の執念が乗り移ったかのようにショート阪本敏三のグラブをかすめてセンター前に抜けた。2死1、3塁となり、第2戦でも本塁打を浴びている王を迎えたが、山田も西本監督も敬遠する気は全くなかった。カウント1-1からの3球目、内角低めのストレートを王がライトスタンドに逆転サヨナラ3点本塁打で、巨人が逆転サヨナラ勝ち(巨人の日本シリーズでのサヨナラ勝ちは前年の対ロッテ第1戦での黒江の本塁打以来2年連続4回目。全体でも1969年第2戦から3年連続14回目)。この本塁打は、この年のみならず日本シリーズ史上でも屈指の名場面と言われている[1][2]

なお、王は第2戦の経験から「セットポジションの山田ならタイミングを合わせられる」と考え、柴田になんとしても塁に出るように頼んでいたという(第3戦のここまでの王の3打席はいずれも無走者だった)。また、長嶋の打球を取れなかった阪本は名手で鳴らしていた選手だったが、西本監督はこのプレーがきっかけで、このシリーズ後、阪本を放出し、東映フライヤーズ大橋穣獲得に踏み切ったといわれる。

第4戦

10月16日 後楽園 入場者42182人

阪急 0 0 0 0 0 3 0 0 1 4
巨人 0 0 4 0 0 0 3 0 X 7

(急)●足立(2敗)、石井茂、宮本幸、米田、梶本-岡村、岡田
(巨)○堀内(2勝)-森
本塁打
(巨)末次1号満塁(3回足立)

[審判]セ岡田功(球)パ道仏 セ松橋 パ久喜(塁)セ富澤 パ田川(外)

3回、2死1、3塁で王という第3戦9回裏と同じ場面を迎え、阪急の先発・足立光宏はさすがに王を敬遠。しかし続く末次が初球を叩き、先制の満塁アーチ。6回阪急は2死1、2塁から阪本、加藤秀司の連続二塁打で3点を返すが、巨人は7回裏、黒江透修のタイムリー三塁打で再び突き放し、末次、高田繁のタイムリーでとどめ。中3日の堀内が第1戦に続いて完投勝利。

第5戦

10月17日 後楽園 入場者43467人

阪急 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1
巨人 0 0 2 0 4 0 0 0 X 6

(急)●米田(1勝1敗)足立、山田-岡村
(巨)○高橋一(1勝)-森、吉田孝
本塁打
(急)長池1号ソロ(6回高橋一)
[審判]パ田川(球)セ松橋 パ道仏 セ竹元(塁)パ沖 セ岡田功(外)

2回1死3塁から四球で出塁した高田がすかさず盗塁。黒江のタイムリーヒットであっさり先制し、長嶋の犠牲フライで追加点。5回には米田から代わった足立をKO、上田の二塁打などで4点を奪い、あっさりと勝負を決めた。6回途中からリリーフした山田が長嶋、王を連続三振に仕留めるなど無失点の好投を見せたが、時すでに遅しだった。阪急は6回、長池のホームランで完封を逃れるのがやっとで、高橋一が完投で3年連続の日本シリーズ胴上げ投手となった。最終打者は山田の代打、福本。遊撃フライだった。

表彰選手

  • 最優秀選手賞、打撃賞 末次民夫(巨)
  • 敢闘賞 山田久志(急)
  • 最優秀投手賞 堀内恒夫(巨)
  • 技能賞 王貞治(巨)
  • 優秀選手賞 黒江透修 (巨)

テレビ・ラジオ中継

テレビ中継

  • 関西テレビ≪フジテレビ系列≫ 実況:塩田利幸 解説:吉田義男、荒川博

ラジオ中継

  • NHKラジオ第1 解説:小西得郎、鶴岡一人
  • TBSラジオ(JRN) 実況:新村尚久 解説:松木謙治郎 ゲスト解説:江藤愼一(ロッテ シーズン終了とともに大洋へ移籍)
  • 文化放送(NRN) 解説:堀本律雄、荒川博
  • ニッポン放送(NRN) 実況:深澤弘 解説:関根潤三、豊田泰光 ゲスト解説:平松政次
  • ラジオ関東
  • NHKラジオ第1 実況:佐藤隆輔 解説:加藤進
  • TBSラジオ(JRN) 実況:渡辺謙太郎 解説:松木謙治郎 ゲスト解説:平松政次
  • 文化放送(NRN) 実況:月岡逸弥 解説:荒川博 ゲスト:城之内邦雄巨人 この年、引退。のちロッテで現役復帰)
  • ニッポン放送(NRN) 実況:深澤弘 解説:関根潤三、豊田泰光 ゲスト解説:醍醐猛夫(ロッテ)

脚注・出典

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:NavboxYears2
  1. テンプレート:G5000
  2. 巨人は1965年(V1)~1970年(V6)までの日本シリーズで、第3戦は必ず勝利しており、3勝あるいは2勝1敗と勝ち越していた。この第3戦を落とすと1勝2敗と初めて負けが先行することとなり、巨人の日本一はV6で止まっていたかも、と語られている。下馬評でも「阪急絶対有利」と言われていた。それだけに、「シリーズの流れを巨人に大きく引き寄せた本塁打」と評されている。