城之内邦雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox baseball player 城之内 邦雄(じょうのうち くにお、1940年2月3日 - )は、千葉県香取市(旧佐原市)出身の元プロ野球投手

来歴・人物

佐原中学校入学と同時に野球部に入部し本格的に取り組むが、中学時代は万年控えであり、3年生の春には野球部を退部。その後進学した佐原一高(現・佐原高校)では入学時にバレーボール部に入部した。しかし部員不足の野球部から勧誘を受け同年6月に野球部に移籍。2年時まで控え選手であったが、一念発起し毎朝10キロのランニング、ハンドグリッパーを握り続けながら登校するなどの努力を続け、3年生のとき投手に抜擢、1957年全国高等学校野球選手権大会の地区予選では、エースとして活躍し、チームが東関東大会準決勝まで進出する原動力となった。その後、佐原高校の先輩である北川芳男の誘いにより、日本ビール(現・サッポロビール)に入社。4年間所属し都市対抗野球で活躍した。

1962年巨人に入団。新人ながら開幕投手を務める[1]。この年24勝、防御率2.21で新人王を獲得。豪快なフォーム(一旦打者に背を向ける、野茂英雄の「トルネード投法」の先祖ともいうべきスタイル)から投げ込む速球と曲がって落ちるシュートを武器に[2]、入団から5年で101勝を挙げ、7年連続で2桁勝利を記録した。入団から5年で100勝に到達した投手は城之内以降、現れていない。プロ4年目の1965年には21勝を挙げ、この年から1973年にかけて続いたV9時代の初期におけるエースとして活躍。愛称は『エースのジョー』(宍戸錠のニックネームにあやかったもの)。1968年5月16日大洋戦(後楽園球場)でノーヒットノーランを達成した。

1969年10月10日中日戦では先発するも3-1でリードした5回にベンチの指示で金田正一にマウンドを譲り降板。金田はそのまま勝利投手となり通算400勝を達成した[3]。同年、登板過多から腰を痛めると、成績が下降し登板機会も減少。1971年には腰痛は回復し球威も全盛期に近い状態まで戻っていた(本人談)が、キャンプから二軍に落とされ一軍でも敗戦処理に甘んじた[4]。「シーズン後、「巨人の城之内」で終わりたいという本人の希望もあり、任意引退となった。

文化放送野球解説者を経て、巨人時代の同僚の金田監督に請われ1974年に1シーズンだけロッテで現役に復帰した[5]。2度目の引退後はロッテの投手コーチ(1975-76年)、スカウト(1977-83年)を経て、巨人のスカウトとなる。ロッテ時代に落合博満(元・中日監督)を入団に導いたスカウトとして知られており、口説き文句は一切言わない物静かなスカウトらしくないスカウトで、ある種の信頼感さえあったという。

歌手の城之内早苗大叔父。また俳優の地井武男とは親戚関係(城之内の兄と地井の姉が夫婦、2013年3月10日放送の「ウチくる!?」より)である。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 巨人 56 31 14 5 2 24 12 -- -- .667 1091 280.2 207 11 62 5 8 173 3 0 78 69 2.21 0.96
テンプレート:By2 45 34 12 3 3 17 14 -- -- .548 994 247.2 219 15 53 4 9 112 3 0 97 74 2.69 1.10
テンプレート:By2 52 32 17 5 4 18 16 -- -- .529 1040 262.0 238 15 39 2 6 119 2 0 79 65 2.23 1.06
テンプレート:By2 52 40 13 6 5 21 12 -- -- .636 1008 258.0 206 12 52 2 12 121 2 0 80 70 2.44 1.00
テンプレート:By2 40 35 21 6 5 21 8 -- -- .724 1108 282.0 231 11 53 11 7 134 0 0 70 63 2.01 1.01
テンプレート:By2 33 33 16 5 3 17 8 -- -- .680 895 227.0 190 23 37 4 4 94 2 0 73 65 2.58 1.00
テンプレート:By2 30 26 9 4 1 11 7 -- -- .611 654 162.0 147 19 40 3 6 83 0 0 63 55 3.06 1.15
テンプレート:By2 20 19 5 1 1 4 5 -- -- .444 492 120.1 106 20 29 3 6 41 2 0 56 55 4.13 1.12
テンプレート:By2 21 20 5 1 4 7 6 -- -- .538 475 118.0 111 13 16 3 2 50 0 0 42 39 2.97 1.08
テンプレート:By2 5 0 0 0 0 1 0 -- -- 1.000 41 9.0 12 1 1 0 1 0 0 0 6 5 5.00 1.44
テンプレート:By2 ロッテ 5 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 43 11.0 11 0 1 0 0 9 0 1 5 5 4.09 1.09
通算:11年 359 271 112 36 28 141 88 0 -- .616 7841 1977.2 1678 140 383 37 61 936 14 1 649 565 2.57 1.04

表彰

記録

背番号

  • 15 (1962年 - 1971年)
  • 12 (1974年)
  • 86 (1975年 - 1976年)

テレビ出演

出典、脚注

テンプレート:Reflist

参考文献

  • 澤宮優『後楽園球場のサムライたち 沢村栄治から城之内邦雄まで』 現代書館 2006年 ISBN 978-4768469286
  • 和田正樹 『房総白球伝 野球王国ちばの100年』崙書房 1992年

関連項目


テンプレート:Navboxes
  1. その後新人の開幕投手は1984年 ヤクルトスワローズ高野光まで出現しなかった
  2. 巨人49年前の“破格の新人”城之内邦雄氏
  3. テンプレート:G5000
  4. 沢村で再び脚光「エースのジョー」巨人退団の真相は?
  5. 【3月2日】1974年(昭49) 帰ってきた“エースのジョー”、893日ぶりのマウンド