諏訪大社

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ファイル:Japanese crest Suwa Kajinoha(White background).svg
上社神紋「諏訪梶の葉」
神紋は上社が四根の梶、下社は五根の梶。

諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県諏訪湖周辺4ヶ所にある神社式内社名神大社)、信濃国一宮旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社神紋は「梶の葉」。

全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社である。旧称は諏訪神社。通称として「お諏訪さま」・「諏訪大明神」等とも呼ばれる。

概要

ファイル:Suwako2.jpg
諏訪盆地
中心に諏訪湖。湖の左下(南東)に上社、右上(北)に下社が鎮座する。

長野県中央の諏訪湖を挟んで、以下の二社四宮の境内が鎮座する。

上社は諏訪湖南岸、下社は北岸に位置し遠く離れているため、実質的には別の神社となっている。なお「上社・下社」とあるが社格に序列はない。

創建の年代は不明だが、日本最古の神社の1つといわれるほど古くから存在する。『梁塵秘抄』に「関より東の軍神鹿島香取、諏訪の宮」と謡われているように軍神として崇敬された。また中世に狩猟神事を執り行っていたことから、狩猟漁業の守護祈願でも知られる[1]

社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木柱が立っているほか、社殿の配置にも独特の形を備えている。社殿は多数が重要文化財に指定されているほか、6年に一度(7年目に一度)催される御柱祭で知られる。

祭神

当社全体で祀る主祭神は以下の2柱(各宮の祭神については各項参照)。両神とも上社・下社で祀られている。

上社本宮祭神。『古事記』の葦原中国平定(国譲り)の段において、大国主命の御子神として登場する。母は沼河比売(奴奈川姫)とされる。
『先代旧事本紀』には建御名方神が信濃国諏方郡の諏方神社に鎮座すると明示されている[2]
上社前宮・下社主祭神。建御名方神の妃。

なお、本来の祭神は出雲系の建御名方ではなくミシャグチ神、神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの諏訪地方の土着の神々であるという説もあるテンプレート:要出典。現在は神性が習合・混同されているため全てミシャグチか建御名方として扱われる事が多く、区別されることは非常に稀であるテンプレート:要出典。神事や祭祀は今尚その殆どが土着信仰に関わるものであるとされるテンプレート:要出典

八幡神住吉三神など他の信仰にも見られるように個々の祭神が意識される事は少なく、まとめて「諏訪大明神」・「諏訪神」として扱われる事が多い。

特徴

御柱

ファイル:手長神社 摂末社.JPG
小社にも設けられた御柱の例
(諏訪市 手長神社境内社)

当社の社殿の周りには、御柱(おんばしら)と呼ぶ以下4本のモミの柱が立てられている。柱の樹皮は本来は剥がさなかったが、1986年頃以降剥がすようになった。

  • 一之御柱 - 拝殿に向かって右手前(前宮・秋宮・春宮の場合。本宮は左手前)
  • 二之御柱 - 向かって左手前(本宮:左奥)
  • 三之御柱 - 向かって左奥(本宮:右奥)
  • 四之御柱 - 向かって右奥(本宮:右手前)

前宮・秋宮・春宮では一之御柱・二之御柱は正面を向いているが、本宮では南方の守屋山の方向を向いている。諏訪地方では、大きい神社から小さい祠にいたるまで、当社にならってこの御柱を設ける社が多い。御柱の由来は明らかでなく古来より説があるが、今日では神霊降臨の依り代説、聖地標示説、社殿建て替え代用説が検討の余地を残している[3]

諏訪大社の御柱はの年に建て替えられ(御柱祭)、全国の諏訪神社や関連社でも同様の祭(小宮祭)が行われる。『諏方大明神画詞』には平安時代初期の桓武天皇年間(781年-806年)に御柱祭実施の記載があり[4]、その頃にはすでに御柱が設けられていたとされる。 テンプレート:-

神体・宝殿

ファイル:大国主命社 (諏訪市中州宮ノ脇).JPG
旧宝殿
(本宮近くの大国主命社)

当社には本殿が設けられていない。本宮は拝殿後背林(通称 御山)、秋宮はイチイ神木、春宮はスギの神木を神体とし、拝殿からそれらを拝する[5]。なお、前宮は古くは上社摂社であった関係で本殿を有している。

本宮・秋宮・春宮には、本殿がない代わりに2つの宝殿がある。宝殿の一方には神輿が納められ、の年の御柱祭で御柱建て替えと同時にもう一方へ遷座し、古い宝殿は建て替えられる。すなわち1つの宝殿は12年ごとに建て替えられ、神明造に似た古い様式を現在に伝えている。寅年から申年の間、神輿は向かって右の宝殿に納められる(申年から翌寅年は逆)。神輿の納められる宝殿は「神殿」と呼ばれて祭祀が行われ、もう一方は「権殿」と呼ばれる[6]。このように宝殿は一般の本殿にあたると解され、神社に本殿が設けられる過渡期の状態と考えられている。

そのほか、宝殿を含め当社の社殿は華美な装飾・塗装はなされず、全て素木造である。 テンプレート:-

歴史

概史

創建

古事記』・『先代旧事本紀』では、天照大神の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先立ち、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が大国主命国譲りするように迫ったとされる。これに対して、大国主命の次男である建御名方命が国譲りに反対し、武甕槌命に相撲を挑んだが負けてしまい、諏訪まで逃れた。そして、以後は諏訪から他の土地へ出ないこと、天津神の命に従うことを誓ったとされる[7]。説話には社を営んだことまでは記されていないが、当社の起源はこの神話にあるといわれている。なお、この説話は『日本書紀』には記載されていない。

以上はあくまでも神話の域を出ないが、これを基に土着の勢力の上に外から入った神氏によって成立したのが当社であると考えられている[8]。諏訪一帯の遺跡分布の密度・出土する土器の豪華さは全国でも群を抜いており[9]、当地が繁栄していた様子がうかがわれる。

古代

祭祀が始まった時期は不詳。文献上は『日本書紀』の持統天皇5年(691年)8月に「信濃須波」の神を祀るというのが初見である[10]

平安時代の『日本三代実録』には「建御名方富命神社」[11]、『左経記』には「須波社」と記載されている[12]。また『延喜式神名帳』では「信濃国諏訪郡 南方刀美神社二座 名神大」と記載され名神大社に列しているが、この二座が上社・下社を指すとされる[13]。また、信濃国一宮とされた。

古くから軍神として崇敬され、坂上田村麻呂蝦夷征伐の際に戦勝祈願をしたと伝えられる。

中世

鎌倉時代には「諏訪社」の表記が見られ、また「上宮」・「上社」の記載もあり[14]、この頃には上社・下社に分けられていた。なお、治承4年(1180年)が上下社の区別が明示されている初見である[15]。他の神社同様、当社も神仏習合により上社・下社に神宮寺が設けられて別当寺(神社を管理する寺)となり、上社は普賢菩薩・下社は千手観音本地仏とされた。

上社南方の御射山で行われた御射山祭には鎌倉を始め甲斐・信濃など周辺の武士が参加した[16]。それに加えて、軍神としての武士からの崇敬や諏訪氏の鎌倉・京都への出仕により、今日に見る諏訪信仰の全国への広まりが形成された[10]。また、諏訪両社においても大祝を中心として武士団化が進み、両社間で争いも多かった[13]

戦国時代武田信玄が諏訪へ侵攻し、信玄によって永禄8年(1565年)から翌年にかけて上社・下社の祭祀の再興が図られた[17]。信玄からの崇敬は強く、戦時には「南無諏訪南宮法性上下大明神」の旗印を先頭に諏訪法性兜をかぶって出陣したと伝えられる。

近世

江戸時代に入り、江戸幕府第3代将軍徳川家光によって上社に朱印1,000石・下社に500石が安堵された。また高島藩から上社50石(のち100石)・下社30石(のち60石)、会津藩主・保科正之から上社100石・下社50石が寄進された[10][17]

近代以降

明治4年(1871年)に近代社格制度において国幣中社に列し「諏訪神社」を正式名称とした。その後、明治29年(1896年)に官幣中社、大正5年(1916年)に官幣大社と昇格した。

戦後は神社本庁別表神社の一社となり、昭和23年(1948年)から他の諏訪神社と区別する必要等により「諏訪大社」の号が用いられている。

神階

建御名方神
  • 承和9年(842年)5月14日、無位勲八等から従五位下勲八等 (『続日本後紀』) - 表記は「南方刀美神」[18]
  • 嘉祥3年(850年)10月15日、従五位上 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「御名方富命神」
  • 仁寿元年(851年)10月27日、従三位 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「建御名方富命大神」
  • 貞観元年(859年)1月27日、正三位勲八等から従二位勲八等 (『日本三代実録』) - 表記は「建御名方富命神」
  • 貞観元年(859年)2月11日、正二位勲八等 (『日本三代実録』) - 表記は「建御名方富命神」
  • 貞観9年(867年)3月11日、従一位勲八等 (『日本三代実録』) - 表記は「建御名方富命神」
  • 寛平5年(893年)11月3日、正一位 - (『日本紀略』)[19]
八坂刀売神
  • 承和9年(842年)10月2日、無位から従五位下 (『続日本後紀』) - 表記は「健御名方富命前八坂刀売神」[18]
  • 嘉祥3年(850年)10月15日、従五位上 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「健御名方富命前八坂刀売命神」
  • 仁寿元年(851年)10月27日、従三位 (『日本文徳天皇実録』) - 表記は「前八坂刀売命大神」
  • 貞観元年(859年)1月27日、正三位 (『日本三代実録』) - 表記は「建御名方富命前八坂刀売命神」
  • 貞観元年(859年)2月11日、従二位 (『日本三代実録』) - 表記は「建御名方富命前八坂刀売命神」
  • 貞観9年(867年)3月11日、正二位 (『日本三代実録』) - 表記は「建御名方富命前八坂刀自命神」
  • 寛平5年(893年)11月3日、従一位 - (『日本紀略』)[19]
  • 天慶年間(938年-946年)、正一位 - (『諏方大明神画詞』)[19]

神職

当社には、神体と同視される「テンプレート:ルビ」(= 現人神)のもと、五官のテンプレート:ルビ(神職)が置かれた。

上社
祭神・建御名方神の後裔。古代から代々、上社の大祝を務めた。中世には大祝を中心として武士団化した。上諏訪の祭政の権を握っていたが室町時代に兵馬の惣領家・祭祀の大祝家に分かれ、のち惣領家に統一された[20]。江戸時代には諏訪藩を治めたが、諏訪頼忠の四男・頼広が大祝家として分かれ、藩主家と異なる「諏方」の字を用いて書き分けた。居館はテンプレート:ルビ(現 前宮)のち諏訪市中洲([[[:テンプレート:座標URL]]36_00_01.28_N_138_07_37.68_E_region:JP-20&title=%E5%A4%A7%E7%A5%9D%E5%B1%8B%E6%95%B7 位置][21]
上社五官の1つで筆頭。建御名方神の諏訪入りに抵抗したとされる洩矢神の後裔。上社の神事全般を掌握した。居館は茅野市宮川([[[:テンプレート:座標URL]]35_59_43.53_N_138_07_42.21_E_region:JP-20&title=%E7%A5%9E%E9%95%B7%E5%AE%98%E5%B1%8B%E6%95%B7 位置])。
上社五官の1つ。祭神の御子・八杵命の後裔。
上社五官の1つ。祭神の御子・池生神の後裔。居館は諏訪市中洲神宮寺([[[:テンプレート:座標URL]]35_59_48.04_N_138_07_32.90_E_region:JP-20&title=%E6%A8%A9%E7%A5%9D%E5%B1%8B%E6%95%B7 位置])。
上社五官の1つ。
上社五官の1つ。祭神の御子・方倉辺命の後裔。
下社
科野国造の後裔。中世には大祝を中心として武士団化した。室町時代に金刺氏は上社との争いに敗れ他国へ去り、以後は武居祝から大祝が立てられた[17]。居館は下諏訪町上馬場のち下諏訪町武居。
下社五官の1つで筆頭。
  • 禰宜太夫
下社五官の1つ。
  • 権祝
下社五官の1つ。
  • 擬祝
下社五官の1つ。
  • 副祝
下社五官の1つ。

その他の神職として、若宮祝・宮津子祝・神楽役検校大夫・天王祝などの祝、八乙女。荷子などが文献に見られている[17]

なお、明治以降は神社本庁から神職が派遣されるようになり、上記の氏族の世襲は廃止され現在祭祀に関わっていない。

各社概要

上社

テンプレート:神社 上社(かみしゃ)は、諏訪湖南岸、諏訪盆地の西南端にある。下社に対しては上流の位置にあたる。

本宮・前宮からなり、下社と異なり二宮は古くは本社・摂社という関係であった。御頭祭・蛙狩神事に見られるように狩猟民族的な性格を有している。

かつては本宮を主として上諏訪の中心地であったが、近世以後は北方の高島城城下町に移り、そちらに甲州街道の上諏訪宿も設けられた。

祭神

本宮

本宮(ほんみや)は、赤石山脈北端の守屋山北麓に鎮座する。

社殿6棟が国の重要文化財に指定され、社叢は落葉樹からなる自然林で長野県の天然記念物に指定されている。

  • 硯石 (すずりいし)
境内最上段に位置し、上部の凹面に水を張っていることに由来する。神が降臨した磐座として信仰された。

前宮

前宮(まえみや)は、本宮の南東約2kmの地に鎮座する。諏訪の祭祀の発祥地とされる。境内にはテンプレート:ルビ川が流れる。

当地には上社大祝の始祖とされる諏訪有員が初めて大祝に就いて以来、大祝の居館が設けられていた。大祝は神体と同視(= 現人神)されていたことから、その居館は「テンプレート:ルビ」と尊称され、周辺は「テンプレート:ルビ」と呼ばれた。当地では代々の大祝職位式のほか多くの祭事が行われ、摂末社も多く置かれた。大祝は祭政両権を有したことから、当地は諏訪地方の政治の中心地であった。

のち諏訪氏は兵馬の惣領家と祭祀の大祝家とに分かれ、政治の中心地は惣領家の居城である上原城に移った。そして大祝の屋敷もまた慶長6年(1601年)に移転したが、祭事は引き続いて当地にて行われていた。

江戸時代までは「前宮社」として上社境外摂社筆頭の社格[22]を有して鎮座していたが、明治以降上社の前宮と定められた。上社の祭政一致時代の姿を色濃く残していることから、現在境内は「諏訪大社上社前宮神殿跡」として長野県の史跡に指定されている。

テンプレート:-

摂末社

本宮境内社
三十九所

上社には上・中・下十三所ずつの計三十九所の摂末社が設けられていた。現在摂末社は上社で42社・下社で27社あり、明治以後独立した関係社を含めると計95社に及ぶ[23]

本宮にはこれらの神々を遥拝する遥拝所があり、朝夕に遥拝が行われる。遥拝所は文政11年(1828年)造営。

三十九所は以下の通り[24]

  • 上十三所
1. テンプレート:ルビ社 (前宮)
2. 前宮社 (前宮)
3. テンプレート:ルビ社 (茅野市宮川高部)
4. テンプレート:ルビ社 (茅野市ちの茅野町)
5. テンプレート:ルビ社 (前宮)
6. テンプレート:ルビ社 (亀石社) (茅野市宮川西茅野)
7. テンプレート:ルビ社(若御子社) (前宮)
8. テンプレート:ルビ社 (前宮)
9. テンプレート:ルビ社 (茅野市ちの上原)
10. テンプレート:ルビ社 (前宮)
11. テンプレート:ルビ社 (茅野市宮川高部)
12. 玉尾社 (茅野市宮川高部)
13. テンプレート:ルビ社 (茅野市宮川高部)
  • 中十三所
1. 藤島社 (諏訪市中洲神宮寺)
2. テンプレート:ルビ (前宮)
3. テンプレート:ルビ社 (前宮)
4. テンプレート:ルビ社 (茅野市ちの横内)
5. テンプレート:ルビ社 (諏訪市湖南)
6. テンプレート:ルビ社 (茅野市塚原)
7. 御飯殿 (本宮)
8. 相本社 (茅野市宮川高部)
9. 若宮社 (諏訪市中洲神宮寺)
10. テンプレート:ルビ (富士見町御射山)
11. テンプレート:ルビ (富士見町御射山)
12. テンプレート:ルビ社 (不明)
13. テンプレート:ルビ社 (原村室内)
  • 下十三所
1. [[八剣神社 (諏訪市)|テンプレート:ルビ社(八剣神社)]] (諏訪市小和田)
2. テンプレート:ルビ社 (岡谷市湊)
3. [[先宮神社|テンプレート:ルビ社(先宮神社)]] (諏訪市大和)
4. 荻宮 (諏訪市四賀上桑原)
5. テンプレート:ルビ社 (茅野市ちの横内)
6. テンプレート:ルビ社 (茅野市宮川酒室)
7. テンプレート:ルビ社 (茅野市宮川高部)
8. テンプレート:ルビ社 (前宮)
9. テンプレート:ルビ社 (本宮)
10. テンプレート:ルビ (茅野市宮川高部)
11. 武居会美酒 (諏訪市中洲神宮寺武居平)
12. テンプレート:ルビ (前宮→神宮寺)
13. 長廊神社 (本宮)

その他

『上社古図』

上社の境内に関しては天正年間(1573年-1592年)に描かれたと伝えられる[25]『上社古図』があり、当時の様子がわかっている。絵図は現在は諏訪市博物館で保管され、神長官守矢史料館に模写版が展示されている。

上社神宮寺

別当寺。社伝では空海の創建といわれ、本宮の周りに大坊・上ノ坊・下ノ坊・法華寺の上社4寺ほか多くの坊があった[26]。普賢堂・五重塔・二王門といった伽藍があったことが絵図からわかっている。なお、絵図に描かれる法花寺は法燈を現在に伝えている(現 法華寺)。

守屋山

赤石山脈北端の山で、本宮南方に位置する。古来から上社の神体山とされた[27]

山名から物部守屋に関する伝承があり守屋を祀る守屋神社が南山麓(里宮)と山頂(奥宮)にあるほか、神長官の守矢氏との関係が指摘されている。

御小屋

上社の御柱を伐り出す御柱山。


下社

テンプレート:神社 下社(しもしゃ)は、諏訪湖北岸、諏訪盆地の北縁にある。上社に対しては下流の位置にあたる。

秋宮・春宮からなり、上社と異なり二宮の地位は同格で、御霊代(依り代)が2月と8月に両社間を遷座する。南側が開けており古くから農耕が盛んな地であり[28]、農耕民族的な性格を有している。

一帯は下諏訪の中心地で、近世には中山道甲州街道の宿場町として下諏訪宿も設けられた。

祭神

  • 建御名方神 (たけみなかたのかみ)
  • 八坂刀売神 (やさかとめのかみ) - 主祭神
  • 八重事代主神 (やえことしろぬしのかみ) - 合祀。建御名方神の兄神。国譲りの際にはすぐ服従したとされる[7]

秋宮

秋宮(あきみや)は、下諏訪の春宮の町の東端に鎮座する。東方には承知川が流れている。

毎年8月-翌1月に祭神が祀られている。境内は社殿4棟が国の重要文化財に指定されている。周辺は温泉の湧出地で、境内にも御神湯がある。社殿の形式は春宮と同じで、古くは秋宮・春宮間で建築の技が競われた[29]

  • 根入りの杉 - 境内正面に立つ
  • 千尋池 - かつて賣神祝印(重要文化財)が掘り出された

春宮

春宮(はるみや)は、下諏訪の町の北端、秋宮の北西約1.2kmの地に鎮座する。下社最初の遷座地とされる。西方には砥川が流れている。

毎年2月-7月に祭神が祀られている。境内は社殿3棟が国の重要文化財に指定されている。

摂末社

下社の摂末社は現在27社ある[23]

秋宮境内社
春宮境内社
境外社
  • 御作田社 - 御田植神事が境内で行われる。6月30日に田植えをしても1ヶ月後の8月1日には収穫して神前に捧げられたとされ、「御作田の早稲」として諏訪七不思議の1つ。
  • 青塚社
秋宮近くの青塚古墳上に鎮座。

その他

下社神宮寺跡

別当寺

青塚古墳

下社秋宮近くに残る古墳で、かつては秋宮の境内地であった。諏訪地方では唯一の前方後円墳で、全長57m[30]。埋葬者と当社との関係は不明であるが、現在下社末社の青塚社が祀られている。

祭事

式年祭事

  • 諏訪大社式年造営御柱大祭  →御柱祭(おんばしらさい・みはしらさい)を参照
寅年と申年の6年ごと(7年目ごと)に、を山中から切り出し、各社殿の四方に建てて神木とする祭。諏訪大社の最も重要な祭である。御柱と同時に、宝殿の建て替えのため宝殿内の神器の遷座も行われる。

年間祭事

上社・下社

冬、諏訪湖の湖面に氷が張り、日中に氷の膨張によって亀裂が走る現象で、特に上社から下社の方向へ走るものに対していう。これは男の神が上社から女の神のいる下社へ通った跡とされ、神事が諏訪市の八剱神社の宮司によって執り行われる。なお、同様の現象は摩周湖等でも起きる。

上社

  • 一覧


  • 蛙狩神事
元日の朝に上社本宮で行われる神事。まず御手洗川の川底を掘り返し、を捕らえる。その後拝殿正面にて矢を以てこのを射抜き、生贄として神前に捧げ、宮司祝詞を捧げ国家平安と五穀豊饒を祈願する。蛙を供えるのは、諏訪大社の本来の祭神が、蛇神とされるソソウ神や、諏訪地方ではソソウ神と同一視されやはり蛇神とされたミシャグジ神であったとされ、蛇神に捧げる(蛇は蛙が好物)意味があるとされる。
  • 御頭祭
4月15日に上社で行われる祭。別名「酉の祭り」「大御立座神事(おおみたてまししんじ)」「大立増之御頭」と言われている。
現在では、鹿や猪の頭の剥製が使われているが、江戸時代に菅江真澄の残した資料に、白い兎が松の棒で串刺しにされたものや鹿や猪の焼き皮と海草が串に刺さって飾られていたり、鹿の脳和え・生鹿・生兎・切兎・兎煎る・鹿の五臓などが供され、中世になると鹿の体全体が供され、それを「禽獣の高盛」と呼んだという内容が残っている。また諏訪大社七不思議の1つとして「耳裂鹿」というものがある。これは生贄の鹿の中で、必ず耳が大きく裂けた鹿がいるというものであるという。
  • 御射山祭 (みさやまさい)
上社の狩猟神事。中世には年4回八ヶ岳の裾野で巻き狩り祭を行い、御射山祭はその中で最も長く5日間続いた。青萱の穂で仮屋を葺き、神職その他が参籠の上祭典を行なうことから「穂屋祭り」の名称もある。鎌倉時代に幕府の命で御射山祭の費用を信濃の豪族に交代負担することが決められ、参加する成年期の武士(と馬)はこの祭で獲物を射止めることで一人前の武士、成馬として認められたという。
またこの祭の起こりとして、南北朝時代の神道集『諏訪大明神秋山祭のこと』では、
平安時代初期、坂上田村麻呂蝦夷征討のため信濃まで来た際、諏訪明神が一人の騎馬武者に化身して軍を先導し、蝦夷の首領悪事の高丸を射落としたので田村将軍がとどめを刺すことが出来た。将軍がこの神恩に報いるため悪事の高丸を討ち取った日を狩猟神事の日と定め、御射山祭の始めとなった。この縁日(旧暦7月27日)になると討ち取られた高丸の怨霊が嵐を起こすといわれる」
という伝説を伝えている。現在はこの祭はずっと小規模になっている。

下社

上社に比べて史料が残っておらず不明な神事も多い[17]

  • 一覧


  • 筒粥神事
1月14日の夜から1月15日の明け方にかけて下社春宮境内の筒粥殿にて行われる神事。葦筒を釜で一晩かけて炊き上げ、筒の中の状態でその年の農作物の収穫などを占う神事である。この占いの結果は地元メディアによって報道される。かつては上社でも行われていたが、現在の上社においては上社筒粥殿の遺構が境内に遺るのみである。
  • 犬追物 (江戸時代中期まで)
旧暦7月1日、下社遷座祭で遷座の行列がお宮に到着すると、馬場で犬追物の神事が行われた。
江戸時代中期以降廃れる。
  • 御舟祭 (おふねまつり)
下社の例大祭で、8月1日に催される。神体を舟(柴舟)に乗せて春宮から秋宮へ遷座する祭。舟は南北朝時代に書かれた『諏訪大明神絵詞』には「鉾山」と書いてあり、江戸時代から「御舟」と呼ばれるようになったとされる。舟の上にはとみられる人形が乗せられる。
なお、2月1日に開催される遷座祭は、秋宮から春宮への遷座であるが、あまり大きく行われない。諏訪地域は海から遠く、なぜ舟が出てくるのか不明である。「海の近くにいた神様が諏訪へ逃れた」という説や「健御名方神が妃神とともに諏訪の湖に舟を浮かべ周辺の作物の出来不出来を判じた」という説などがある。

文化財

重要文化財(国指定)

  • 諏訪大社上社 6棟 - いずれも昭和58年指定
    • 本宮幣殿
    • 本宮拝殿
    • 本宮左右片拝殿
    • 本宮脇片拝殿
    • 本宮四脚門
  • 諏訪大社下社 7棟 - いずれも昭和58年指定
    • 秋宮幣拝殿
    • 秋宮左右片拝殿
    • 秋宮神楽殿
    • 春宮幣拝殿
    • 春宮左右片拝殿
  • 太刀(無銘) - 1960年盗難
  • 太刀(銘 忠吉) - 1960年盗難
  • 銅印(印文「テンプレート:ルビ」) - 昭和9年指定[31]

長野県指定文化財

  • 諏訪大社上社神宮寺五重塔鉄製伏鉢残闕 (有形文化財) - 諏訪市博物館所蔵。平成16年指定
  • 青塚古墳 (史跡) - 昭和40年指定[32]
  • 諏訪大社上社前宮テンプレート:ルビ跡 (史跡) - 昭和39年指定
  • 上社社叢 (天然記念物) - 昭和39年指定
  • 諏訪大社の御柱祭り (無形民俗文化財) - 平成6年指定[33]
  • 諏訪大社上社十五夜祭奉納相撲 (無形民俗文化財)

その他


現地情報

上社

所在地
付属施設
  • 上社本宮宝物殿 - 開館時間:午前9時-午後4時
交通アクセス

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  • JR東日本中央本線 上諏訪駅 (6.3km)
    • バス
      • 諏訪バス(有賀・上社統合路線)で、「上社」バス停下車 - 上諏訪駅から平日のみ1日8便
      • 諏訪市営「かりんちゃんバス」(市内循環外回り線・内回り線)で、「神社前」バス停下車 - 外回り線は上諏訪駅から1日6便、内回り線は1日8便
      • 諏訪市かりんちゃんバス(すわっこランド・上社有賀線)で、「諏訪市博物館」バス停下車 - 上諏訪駅から1日4便

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周辺

下社

所在地
付属施設
  • 下社秋宮宝物殿 - 開館時間:午前10時-午後3時
交通アクセス

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  • 最寄駅:JR東日本中央本線 下諏訪駅 (0.8km)
    • 徒歩:約10分
    • バス:下諏訪町循環バス「あざみ号」(循環線、星が丘線、萩倉・樋橋線、星が丘経由萩倉・樋橋線)で、「諏訪大社秋宮前」バス停下車 - 下諏訪駅から終日計13便

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  • 最寄駅:JR東日本中央本線 下諏訪駅 (1.4km)
    • 徒歩:約15分
    • バス
      • 下諏訪町循環バス「あざみ号」(循環線)で、「諏訪大社春宮」バス停下車 - 下諏訪駅から終日4便
      • 諏訪バス(岡谷-上諏訪-茅野線)で、「春宮大門」バス停下車 (下車後徒歩0.9km)

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周辺

当社関係地

  • 神野
原山とも。八ヶ岳西山麓の広大な原野。御狩神事が行われた。

脚注

注釈

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出典

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参考文献

原典

書籍

  • 『諏訪大社』(諏訪大社)
  • 谷川健一編『日本の神々 -神社と聖地- 9 美濃 飛騨 信濃』(白水社)諏訪大社項
  • 『神長官守矢史料館のしおり』(茅野市神長官守矢史料館)
  • 『守矢史料館周辺ガイドブック』(茅野市神長官守矢史料館)
  • 『日本歴史地名大系 長野県の地名』(平凡社)信濃国節、諏訪郡 各項、諏訪市 各項、茅野市 各項
  • 『国史大辞典』(吉川弘文館)諏訪氏項、諏訪信仰項、諏訪大社項

関連項目

作品

外部リンク

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  1. 「大法輪」第72巻1号、大法輪閣、90頁、2005年。
  2. 巻四 地祇本紀 地祇の系譜
  3. 『国史大辞典』御柱祭項。
  4. 御柱について御柱祭公式サイト)。
  5. 『諏訪大社』。
  6. 『諏訪大社』「下社秋宮参道に沿って」節。
  7. 7.0 7.1 古事記 上-5 葦原中国の平定(古事記全文検索)、巻三 天神本紀 大国主神を封じ祀る(現代語訳 『先代旧事本紀』 )参照。
  8. 『長野県の地名』信濃国 古代項。
  9. 『国史大辞典』諏訪郡項。
  10. 10.0 10.1 10.2 『長野県の地名』諏訪大社上社本宮項。
  11. 『日本三代実録』貞観七年条。
  12. 『左経記』寛仁二年条。
  13. 13.0 13.1 『長野県の地名』諏訪郡節。
  14. 吾妻鏡』、『諸国一宮神名帳』、寛元4年(1246年)の『守矢文書』(以上『長野県の地名』諏訪大社上社本宮項)。
  15. 吾妻鏡』治承四年条(『長野県の地名』諏訪大社下社)。
  16. 『国史大辞典』諏訪項。
  17. 17.0 17.1 17.2 17.3 17.4 『長野県の地名』諏訪大社下社項。
  18. 18.0 18.1 六国史終了までの神階は「神道・神社史料集成」を参考に記載。
  19. 19.0 19.1 19.2 『諏訪市史』p708。
  20. 『国史大辞典』諏訪氏項。
  21. 大祝・五官の屋敷は『守矢史料館周辺ガイドブック』と諏訪大社上社の散歩道(個人サイト)を参考に記載。
  22. 22.0 22.1 『長野県の地名』諏訪大社上社前宮神殿跡項。
  23. 23.0 23.1 『諏訪大社』「上社本宮参道に沿って」節。
  24. 『守矢史料館周辺ガイドブック』と諏訪大社上社上十三・中十三・下十三カ所一覧(個人サイト)を参考に記載。
  25. 通説では江戸時代初期に描かれたとされる(天正のボロボロ絵図(個人サイト))。
  26. 神宮寺跡の案内板。
  27. 『長野県の地名』守屋山項。
  28. 『長野県の地名』下諏訪町節。
  29. 『諏訪大社』「下社春宮参道に沿って」節。
  30. 『長野県の地名』青塚古墳項。
  31. 売神祝ノ印(下諏訪町ホームページ)。
  32. 青塚古墳(下諏訪町ホームページ)。
  33. 諏訪大社の御柱祭り(下諏訪町ホームページ)。
  34. 専女の欅(下諏訪町ホームページ)。


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