犬食文化

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ベトナムハノイ近郊の市場で販売される犬肉

犬食文化(けんしょくぶんか、食犬とも)とは、用としてを飼育してそのを食べる習慣、及び犬肉料理の文化の事である。

概要

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東南アジアの犬鍋

犬食文化は、中国朝鮮半島のような古くからの農耕社会、或るいはアジアオセアニア島嶼域の様な農村的社会が支配的な地域に認められる。一方、犬食が忌まれる地域は、牧畜社会、遊牧社会、狩猟採集社会の支配的な地域と、西アジアのように、食用動物に関する宗教上の忌避が存在する地域がある。

犬肉料理としては、韓国料理ポシンタン等が有名だが、犬食の歴史は古く、中国大陸をはじめとする広い地域で犬を食用とする習慣があった。犬食の習慣は日本を含めた東アジア東南アジア及びハワイポリネシアミクロネシアオセアニアなどの島嶼に於いて多く存在した。

イエイヌは人間により品種選別されることにより誕生した品種であり、そもそも益獣としての位置づけであった。欧州での犬食忌避はイギリスに顕著である一方で大陸諸国では伝統料理に犬肉を用いるものが複数ある。「欧州は牧畜文化であり、イヌが有史以前からパートナーであったため忌避された」との言説もしばしばみられるが、欧州地域の歴史は麦作以降に形成されてきたものであり、これには史実上の根拠はない。一方で、近世まで純放牧生活を続けてきた中央アジアモンゴル地域において犬を重要な益獣として食料にしない傾向がある。現代人の多くのが犬食に対して示す原初的な忌避感は現代の牧畜文化とはまったく無縁のものであり、文化的伝統から解釈することにも一定の限界がある。犬食忌避の原像は、外国人として訪問した国の市場(いちば)で犬が食用として売買され、目にふれる場所で解体され調理されているのをみて衝撃を受ける、というある種のステレオタイプの「物語」に集約される。

自分たちが常食しないものに対して忌避する傾向は原初的であり(食わず嫌い)その心理的忌避と倫理的な善悪認定がしばしば混同されることから、犬食文化がしばしば文明論における優劣や人種差別の格好の材料とされることがある。

イスラム圏では宗教上の教義としてイヌを食料とすることが禁じられている。ユダヤではカシュルートの規定があり宗教上タブーとされている。

社会心理学的な解釈

犬食文化が忌避される理由は文化的な要因に負うところが大きい。一般的には人間と心理的に関係性が強い動物(ネコ目には人間に馴れるものが多く愛玩されやすい)を食用と見なすことに対する嫌悪感から来るものであり、犬をペットと見なす文化圏においてこの感情は強い。しかし、食糧事情が切迫している状況においてこれを食すことに対しては、人食に対する嫌悪とは異なり、倫理的な批判が向けられることはあまりない[1]。法的にはほとんどの場合なんら問題はない(希少生物に関する各種立法、あるいは自然保護について規定がある各地域で狩猟することについて除く)。動物愛護の観点から全面禁止する場合や旧宗主国の意向を受け規制するケースがむしろ例外的である。日本では動物愛護法があるが、これは対象がを含む。

自民族の文化として犬をペット(愛玩具)化してきたことの反照として犬肉食の文化を忌避あるいは糾弾することがある。同じ愛玩動物でもカニエビ、魚類全般、両生類(カエル)、爬虫類(カメ、ワニ)、鳥類(ハトやキジ)、大半の哺乳類(ウサギ、ウマ、シカ、カンガルーなど)が忌避の対象として指弾されることは珍しい。

犬食の習慣が一時的に衰退し、再び盛んになる背景として、犬食文化に対する忌避が外圧によってもたらされ、為政者がその主張を国民に押し付けてくることに対する反発が上げられる。犬食文化への批判者(主に西欧)による主張が、自分達の文化の優位性にもとづき、他国の食文化を野蛮なもの、倫理的に劣ったものとして批判する似非普遍主義的なエスニック・セントリズム自文化中心主義)から派生していることに、犬食の習慣を批判されている国や地域の人々が気付くようになるということがある。

そして例えばオリンピック招致のような政治的な思惑から、当該国の為政者が外圧を無批判に受け入れ、その主張に追随することに対する反発からブームが再燃していると考えられることもある[2]

犬食忌避はきわめて文化的な要素であり、イエイヌが人間に従順たるべく品種選別されてきた経緯と無関係ではない。

日本の状況

先史・古代

日本では、縄文時代に集落遺跡などの土坑底部から犬の全身骨格が出土する例があり、これを埋葬と解釈し[3]、縄文時代の犬(縄文犬)は、狩猟犬として飼育され、死後は丁重に埋葬されたとする説が一般的になっていた。

しかし、1990年代になって、縄文人と犬との関係について、定説に再考を迫る発見があった。霞ヶ浦沿岸の茨城県麻生町(現:行方市)で発掘調査された縄文中期から後期の於下貝塚からは、犬の各部位の骨が散乱した状態で出土し、特に1点の犬の上腕骨には、解体痕の可能性が高い切痕が確認された。調査報告では、当時犬を食用として解体していた事を示す物的証拠と評価しており、日本列島における犬食の起源がさらに遡る可能性が高い[4][5]

弥生時代は、遺跡から出土する犬の骨格も縄文期とは異なっている。この時代はその犬の解体遺棄された骨格の出土例の報告が多くなる。このため、日本に犬食文化が伝播したのは、縄文文化と別の特徴を持つ弥生時代からと見る意見もある。弥生時代に大陸からの渡来人(ここでは弥生人を指す)が日本に伝来し、これに伴い大陸由来の犬食文化と食用の犬が伝来した可能性も考えられている[6][7]

日本書紀天武天皇5年(675年4月17日のいわゆる肉食禁止令で、4月1日から9月30日までの間、稚魚の保護と五畜(ウシウマイヌニホンザルニワトリ)の肉食が禁止されたことから、犬を食べる習慣があったことはあきらかである。また、長屋王邸跡から出土した木簡の中に子供を産んだ母犬の餌に米を支給すると記されたものが含まれていたことから、長屋王邸跡では、貴重な米をイヌの餌にしていたらしいが、奈良文化財研究所の金子裕之は、「この米はイヌを太らせて食べるためのもので、客をもてなすための食用犬だった」との説を発表した。以後たびたび禁止令がだされ、表面上は犬食の風習を含め、仏教の影響とともに肉食全般が「穢れ」ることと考えられるようになった[8]

中世

もっとも、武士河原者の社会では、犬がある程度常食されていた。15世紀に記された相国寺の『蔭涼軒日録』によると、犬追物の後、犬を「調斎」し、蔭涼軒に集まって喫したとある。武士の鍛錬法(場合によっては見せ物にもなった)である犬追物は、広場で放たれた犬を標的として鏑矢で射つものであるが、その後の処理についての記述である。また、犬追物のための犬は、専用に飼育されていたとは限らず、多くは町内や市内といった人間の生活空間の中にいた犬を捕獲することでまかなっていたらしく、それを生業とする専門集団や独自の道具まで存在していた[9]

また『建内記』(大日本古記録)には「播磨美作など山名氏領国で山名一党は狩猟を好んで田畑を踏み荒らし、犬を捕らえ終日犬追い物を射、あるいは犬を殺してその肉を食す」という記述もあり、犬を撃ち殺して食べる習慣があったことをうかがい知ることができる。

15世紀の日本で犬が食用されていたことは、考古学の事例でも示唆されている。大内文化大内教弘が公家や文人墨客をもてなした)の舞台となった大内氏当主の別館・築山館跡の発掘調査では、食用に供された可能性のある犬や亀などの切断された骨が2006年に出土している。前述のとおり、中世では西日本で犬が食用に供されていた文献が残っているが、本州西端の山口でも普及していたことを示す史料として注目された[10]

宣教師ルイス・フロイスは『日欧文化比較』で「ヨーロッパ人は牝鶏や鶉・パイ・プラモンジュなどを好む。日本人は野犬や鶴・大猿・猫・生の海藻などをよろこぶ」とあり、また 「われわれは犬は食べないで、牛を食べる。彼らは牛を食べず、家庭薬として見事に犬を食べる」という記述があることからも、当時の日本人が薬効も期待して犬を食べていたことをうかがい知ることができる。

近世

近世になっても犬食の文化は存続していたとされ、松井章などの報告によると下層民だけではなく上級武士などでも食されていたとされる。例えば明石城武家屋敷跡内のゴミの穴からは刃物による傷のある犬の骨が発見されている。また岡山城の発掘時には食肉獣の骨の中に混じって犬の骨も出土しており、体の一部分のみ多数出土したことから、埋葬ではなく食用であった可能性がある。

鹿児島にはエノコロメシ(犬ころ飯)という犬の腹を割いて米を入れ蒸し焼きにする料理法が伝わっていた[11]

「薩摩にては狗の子をとらへて腹を裂き、臓腑をとり出し、其跡をよくよく水にて洗ひすまして後、米をかしぎて腹内へ入納、針金にて堅くくりをして、其まま竈の焚火に押入焼くなり、納置きたる米よくむして飯となり、其色黄赤なり、それをそは切料理にて、汁をかけて食す、甚美味なりとぞ。 是を方言にてはゑのころ飯といふよし。高貴の人食するのみならず、薩摩候へも進む。但候の食に充るは赤犬斗を用るといへり」

犬肉主体というよりも蒸した米を食す事が眼目の調理法と思われるが、切料理とあることから、広義の犬肉料理の一つである。

江戸時代に入ると、犬食は武士階級では禁止されたが、17世紀の『料理物語』には犬の吸い物を紹介する記述がある。18世紀の『落穂集』には、「江戸の町方に犬はほとんどいない。武家方町方ともに、江戸の町では犬は稀にしか見ることができない。犬が居たとすれば、これ以上のうまい物はないと人々に考えられ、見つけ次第撃ち殺して食べてしまう状況であったのである。」としている[12]

しかし、徳川綱吉生類憐れみの令で、表立っての動物殺生に対する忌避感が増幅され、犬がとりわけ「将軍家の護神」とされて保護されたことにより犬食の習慣はかなり後退した可能性がある。また、「座敷犬」「抱き犬」としてなどが流行する等、日本では犬は食料ではなく愛玩用としての存在に変化し、犬食文化の衰退の要因は増えた。

江戸時代中期以降も犬や猫の肉が食用として一部で流通していたようだが、天明の大飢饉により米価が高騰し深刻な不足が起こった際、江戸北町奉行曲淵景漸が犬や猫の肉の価格を示して「米がないなら犬や猫の肉を食え」と発言し町人の怒りを買い、江戸市中で打ちこわしまで引き起こす結果となったことから、当時既に犬や猫の肉は、食材として存在はしていたものの、一般的な食材として認識されていなかったことが伺われる。

19世紀初頭の文化文政の頃からは、蘭癖(らんぺき=蘭学流)からももんじ屋などの獣肉専門店も出現し、教養のある者もそこに出入りした。しかし、これら不浄の気により江戸が「祝融の怒りに逢う」ので、災害が絶えないとの文献[13]もあり、一般には肉食全般が「穢れ」であるとの禁忌意識は強かった様である。江戸時代の庶民が肉食をする朝鮮通信使を野蛮視していたとする見解もあり[14]、犬食がこの時代の日本で一般的であったとは言い難い。

近代以降

明治維新以降、文明開化により西洋肉食文化が持ち込まれ、日本は肉食タブーから解放されたが、同時に西欧の「愛玩動物」の概念も持ち込まれ、愛玩動物に該当する動物を食べる行為は嫌悪の対象となった。昭和時代に入ると、忠犬ハチ公の物語が多くの人々の感動を誘い、全国で犬を愛玩する風潮が高まった。

しかし、戦中戦後の食糧難の時代には、犬を食べたという証言はある。忠犬ハチ公の子孫が盗まれ、鍋物の具になったとの当時の新聞報道が残されている(畑正憲の大学時代のエピソードも参照)。北海道の浦河でもアイヌ・和人関わりなく冬の食糧不足の時期には犬を食べたという証言もある[15]が、日本で犬を食用とする文化は一般的にはなくなった。 その後「飽食」とすら呼ばれるほど食糧事情が豊かになった現在の日本国内では、食用を目的とした犬の屠殺はほとんど行われていない。米軍統治に置かれ日本から分断された沖縄においては、戦後も山羊などと同様に食用家畜として存続したが、本土復帰以降は漸減し現在は皆無に等しい。

一方、食用犬の犬肉は現在でも輸入されており、2008年の動物検疫による輸入畜産物食肉検疫数量によると中華人民共和国から5トン輸入されている[16]。これらの犬肉は、主に中国・朝鮮系の移民を中心に需要があり、大久保猪飼野などのコリアン・タウン池袋等の中国人が集まるチャイナタウンなど、一部アジア系料理店で提供されており、日本人も食べることが出来る。

上記のように、正式な手続きに則って手に入れた犬の肉を調理、食することは、法律上は何の問題も無い。しかし、一般の日本人が犬肉を食べることは皆無に近くなっている。2005年12月に東京都足立区に住む韓国籍の輸入販売業の男が、韓国料理店等に卸す予定で、中国・大連から頭と胴体が切断された冷凍状態で食肉用として輸入し、胴体は食用として売れたが、精力剤などに使う頭部が売れ残ったため処分に困り、東京都葛飾区の東京拘置所の北側にある水路に大量に不法投棄して逮捕され[17]、世間を騒がせた。日本で犬食が存在したこと自体が話題になる程、犬食は現代日本では稀な習慣とみなされている[18]。先述の犬肉を提供する料理も、一種のゲテモノとされる事が多い。

また、日本の楽器である三味線には、種類により犬の皮が張られることがある。この傾向は太棹種の三味線(津軽三味線義太夫三味線など)ではごく当たり前のことであり、実際に音質面・耐久性ともに犬の皮が適している。これらに用いられる犬の皮は、本来は国内で屠殺された犬を使用していたのだが、現在の日本国内では犬猫の屠殺に従事する業者がほぼ存在せず、また演奏家や職人の要求に応えられるような犬種も国内では手に入りにくい。犬皮を職人や三味線店に卸す業者は、ほぼすべてをアジアの食用犬(中国・韓国における犬食の中心である赤毛の中型犬)からまかない、皮をなめした上で日本に輸入している。

世界の状況

中国

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湖北省の犬肉店(貴州省の名物と宣伝されている)
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上海で販売される解体された犬

中国新石器時代の遺跡からは、犬の骨が大量に出土している。これは犬を食用として大量に飼育していたためである。黄河流域にも[19]長江流域にも犬食文化は存在した。古代中国で犬肉を食べていた事実は、「羊頭狗肉」「狡兎死して走狗烹らる」などの諺、前漢高祖に仕えた武将樊噲がかつて犬の屠殺を業としていたことからもうかがえる。

しかし、狩猟遊牧を主たる生業とする北方民族は、狩猟犬として、或いは家族や家畜群を外敵から守る番犬として飼っており、犬肉を食べない。こうした犬は生業や家族の安全に寄与する生活の仲間であり、家族同様だったからとする見方がある。農業生産性の低かったヨーロッパでは伝統的に牧畜が重要な生業であり、現在の西洋の犬食いに対する嫌悪感には、北方民族と同じ源があると見られる。

華北では、五胡十六国時代鮮卑など北方遊牧民族の支配を受けた影響から、犬食に対する嫌悪感が広まった。北方民族が入らなかった南朝でも、5世紀頃から犬を愛玩用として飼う風習が広まり、特に上流階級ペルシャ犬を愛好した。このため、南朝でも犬食を卑しいとする考えが広まり、時代が進むに連れて犬食の風習は廃れていった。但し『本草綱目』にも犬の記載があり、全く廃れた訳ではなかった。

2014年現在でも中国東北部・南部では犬肉を食べる習慣があり[20][21]広東省広西チワン族自治区湖南省雲南省貴州省江蘇省等では、広く犬食の風習が残っている。江蘇省沛県や貴州省関嶺県花江、吉林省延辺朝鮮族自治州は犬肉料理で有名な場所である。地名にも養殖場があった場所として、「狗場」等の名が使われている場所が多くある。広東省広州では「狗肉」(広東語カウヨッ)の隠語として「三六」(サムロッ)や「三六香肉」(サムロッヒョンヨッ)と呼ぶが、「3+6=9」で同音の「狗」を表した表現である。おおむね、シチューに似た煮込み料理に加工して食べられる。調理済みのレトルトパックや、冷凍犬肉も流通している。

しかし、中国でも犬肉を食べることへの批判は年々強まっている[21]。中国広西チワン族自治区玉林市で、犬肉を食べる伝統の「犬肉祭り」をめぐり、愛犬家・人気女優が反対しており、食文化だと反論する食堂などとの間で大論争となった[22]。玉林市は「10歩に一軒の犬肉料理店がある」と言われるほど、犬肉食が盛んな地域とされており、犬肉祭りだけで1万匹の犬が食用処理され、表通りでも犬をさばき、至る所に犬の死体が散乱しているなど、規模・残酷さで際立っているとされている[21]。玉林市では犬肉とライチを食べる「玉林ライチ犬肉祭」が1995年から開かれていたが、本物の犬肉だと証明するために業者が客の目の前で犬を殺すため、愛犬家・著名人などから激しい抗議を受けるようになっていた[20]。浙江省金華市では、犬肉祭をめぐって世論の批判を受け、2011年に600年以上続いていた「金華湖犬肉祭」が廃止されている[20]

古代よりの伝承では、黄(赤)、黒、花(斑模様)、白の順にうまいとされている。一般に、中国医学では、犬肉には身体を温める作用があると考えられているため、冬によく消費されるが、広西チワン族自治区玉林市では、夏至の頃に「狗肉茘枝節」と称して、犬料理とレイシを食べる行事が行われている。夏に犬肉を食べるとのぼせるが、身体を冷やすレイシと合わせて食べると問題ないとされる。

なお、香港では犬食に嫌悪感の強い英国の支配を受けたため、犬は「猫狗条例」により保護され、現在も犬肉の流通が解禁されていない。2006年12月22日に、香港で4人が禁を破って犬食を行ったため刑務所へ30日間拘留される事件があった。

台湾

台湾では香肉という呼び名で好事家の食文化として存在していたが、2001年1月13日に、犬、猫を食用目的で屠殺する事を禁じる動物保護法が施行された。2003年12月16日には改正され、販売も罰則対象に含まれるようになった。これ以降、それまでの犬肉料理店の多くは羊肉料理店に変わったが、客の需要に応え犬肉を羊肉として売っていた羊肉料理店が摘発されるという事件がたびたび起こっている。

なお、グァルティエロ・ヤコペッティ監督1962年の映画作品『世界残酷物語』での一幕に台湾の犬食屋なる大衆食堂が出てくる。食用犬にされる犬が檻に入れられており、それを見ながらお客が食事をするのである。

韓国・北朝鮮

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ソウル市内の飲食店で提供される犬鍋

韓国における犬食は、今なおきわめて盛んである。2006年、韓国国務調整室が行なった調査によると年間200万頭の犬が食べられている[23]。2008年の調査によると、ソウル市内だけで530店の食堂が犬食を扱っている。違法のため、当局による衛生管理が行なわれておらず社会問題化している[24]。犬市場としては城南市牡丹市場が有名である。犬から作った犬焼酒(酒ではない)も飲まれている。

韓国では犬肉を「개고기(ケゴギ)」、北朝鮮では「단고기(タンゴギ)」と言う(「ケ」は犬、「タン」は「甘い」、「ゴギ」は「肉」の意)。朝鮮でも狗肉は新石器時代から食用とされている。犬料理は、滋養強壮、精力増強、美容に良いとされ、陰暦の夏至の日から立秋までの「庚(かのえ)」のつく日の中伏(チュンブク)には、犬料理を食べて暑気を払う習慣がある。黒犬には時別効能があるとされる。

かつて朝鮮半島では人糞を犬に食べさせて飼育する風習があった。犬を人糞で育てる習俗はモンゴルにもあるが、ここでは逆にゲルの成員の糞を与えて育てた犬を、ゲル周辺を警備し、余所者の侵入を防ぐ忠犬として養育するという要素を持つ。また、食肉家畜を人糞で飼育(養豚)するという概念自体は、中国や朝鮮半島の済州島および南方の沿岸地域、近代化以前の日本(現在は沖縄でわずかに残っている)などにも見られた(日本では中国由来の不潔な奇習であるとの偏見から人糞養豚廃絶運動が行われ、現代日本では穀物飼育が行われており、人糞養豚はほぼ消えている)。

韓国の犬肉料理文化は、それを持たない国から問題視されることがあり、韓国では、1988年ソウルオリンピック開催に際して、欧米諸国の批判をかわす為、犬食に対する取締りが行われたが、犬肉料理を愛好する人も少なくない為に大通りから遠ざけられて黙認された。2002年のFIFAワールドカップの際には、FIFAが「犬肉を追放してほしい」と韓国政府に要請してきたが、FIFAの副会長でもあるチョン・モンジュンは拒否した。2008年4月にはソウル市当局が正式に犬を嫌悪食品とする禁止令を撤廃し、食用家畜に分類する発表を行った。これに対し韓国国内の動物愛護団体が反発を強めている[25]。動物愛護団体は城南市で狭い檻に入り犬食文化の反対運動を起こなった[26]

朝鮮半島では韓国だけでも数百万頭の食肉専用に改良された犬種であるヌロンイが、牛や豚と同様の酪農家によって飼育されており、屠殺方法も電気ショックによるシステマチックな方法によるとされ、外圧による安易な犬食禁止は家畜として飼育されている食用犬を無為に全滅させかねない行為であると批判する識者もいる一方で[27]、本来では食用品種ではない犬種、時には野良犬や明らかに愛玩犬であったと思われる犬などが、伝統的とされる撲殺などの残虐な方法で食肉に供されている例が今日でも存在すると主張する者[28]もいる。

北朝鮮においては、食糧難の中、数少ない蛋白源として珍重されている。平壌観光のガイドブックには「朝鮮甘肉店」と記載され紹介されており、案内員に希望すれば朝鮮甘肉店へ連れて行ってもらうことも可能である。なお欧米の批判の影響を受けにくいこともあってか、平壌甘肉店は大通りに面した場所にある。犬は残飯を与えても育つので、家庭で小遣い稼ぎに飼われることがあり、中でも結婚資金を稼ぐために数頭の犬を飼う若い女性を「犬のお母さん」と呼ぶ。育った犬は自由市場で売買される[29]

ベトナム

ベトナムで犬肉はthịt chó(ティッチョー)またはthịt cầy(ティッカイ、イタチ肉の場合もある)と呼ばれ、中国の影響で中国南部と似た犬食・野味文化がある。テンプレート:要出典範囲犬肉は幸運をもたらすと考えられている[30]

肉に関しては、国内でまかなわれてきたが需要が増えてきたためラオスカンボジアから輸入される肉も充当されている[31]。ラオスからの肉は、さらに隣国のタイからの密輸品も含まれているとされ、そのタイでは飼い犬がさらわれて多数犠牲となっていることから問題視されるようになった。タイからラオスに向けた密輸出量は、タイの獣医師団体によって年間50万頭と推定されている[32]。犬泥棒も増えており、盗んだ者が憤慨した群衆に殺された事件もある[33][34]フーコック島では、希少種であるフーコック犬が食べられることもあった。

その他アジア

野良犬を食べるというのは逸脱的とする見方もあるが、アジアでは広く集落や都市内で半飼育、半野良的に犬の群が人間社会と共存関係にあり、廃棄物処理、余所者の侵入の警告の役割を担っている状態がかつては普遍的に見られた。こうした犬群の一部が、食用に用いられた。

フィリピンパラオにおいては古来よりタンパク源・またお祝い事のご馳走として、犬肉が食されている(フィリピン・エディブル・ドッグなど)。

太平洋島嶼地域

ポリネシアミクロネシアの島々では犬は等とともに人間が植民する過程で持ち込まれたものである[35]。ヨーロッパ人との接触以来犬を食用としており、現在も食用家畜として飼養しているところが少なくない[35]。ただしウミガメ魚類よりその価値は低いとされる[35]。多くは祭りなどハレの日の料理として、バナナタロイモなどの葉に包んで地中に埋め、熱く焼いた石で蒸し焼きにされる。ハワイの民族料理として知られるカルア・ピッグはこの調理法を豚に置き換えたものである。

北米

北米のインディアン民族は、コモン・インディアン・ドッグを始め、独自の労働犬を使役し、食用ともしてきた。スー族の「ユイピの儀式」など、犬食(鍋で煮る)が重要な意味を持つ儀式も多く、現在もこれらは行われている。

ヨーロッパ

スイスの山間部では、犬肉を食べる風習が存在している。スイス国内での犬肉の流通は禁止されているが、消費する事自体は黙認されている。犬を食べる場合は、犬を買い、それを肉屋で処理して調理してから食べるか、飼い主自ら屠殺してハムやソーセージ又はラード状に加工して食べる。後者の場合は産まれた子犬を間引きする際に行われる事が多い。レストラン等で、料理として出される場合もある。ドイツにもかつては犬肉屋が存在したが、1986年以降は流通が全面禁止になっている。それまでは食用から医薬用まで、様々な用途で利用されていた。

フランスでは、パリで1910年頃に犬肉精肉店が開店したことや、横断幕で開店を示している例などが見受けられる[36]。また数十種類に及ぶ犬肉料理本が販売されていたり、通信記事では牛肉のように美味しく色もピンクで歯触りもやわらかい、という記述などがあることからも、飢饉でしかたなく食べたのではないことを示し、犬料理が特別なものではなく禁忌としての対象でもないことが明らかである[37]

この他20世紀初頭にパリ市郊外で発達したガンゲット(ダンスホールを兼ねる大衆食堂)において、ウサギ肉と称して実際は蚤の市に出入りする屑屋が拾い集めてきた犬や猫の肉を出す、という都市伝説も広まった[38]

こうした犬食文化がヨーロッパ大陸部に広く見られるのに対し、イギリス人の多くは、交通狩猟等の高速移動手段として重用されたと共に、が他文化で食用にされている事に嫌悪感を抱く。この理由としてイギリスでは、牧羊狩猟上流階級の趣味の世界での生活の友として馬や犬の交配品種改良の歴史が長く、人間社会で共存出来るような調教が行き届いており、他の動物とは異なる扱いがされている点が挙げられる。

ちなみに、南極探検においてアムンセン隊がそり犬を食べていたとされる。これはイヌイットからソリ犬の扱いの手ほどきを受けた際に、緊急時の食料として弱ったりけがをして動けなくなった個体から食料と他のソリ犬の飼料として供すると同時に身軽にするためと教わったからである。また文化とはかかわりないが、同様にジェームズ・クックはその航海記の中で、急病の際にしかたなく犬を食べた事を記している[39]

中東

イスラム教の教義では、犬は不浄な生き物とされ、食することはおろか、触れることすら避けられる[40]。そのため、常食する地域はほぼ見られないが、戦争などで食料が逼迫した場合は犬肉なども食されることがある。危機的状況になると、イスラム法学者が「犬などを食べても良い」とするファトワーを出すこともある[41]

脚注

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参考文献

関連項目

外部リンク

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犬食の歴史や民俗

  • 犬肉のホームページへようこそ(日本語ページあり)
    • 韓国の犬肉食の伝統に関する研究書をまとめた安龍根のサイト。日本語ページのほか、英語、ドイツ語、中国語など各国語のページが用意されている。

その他

猫狗条例

  • アムンゼン隊の南極到達において彼らは食料に窮し犬ぞりの犬を食したが、これはあらかじめ食料として想定されていたものであり、現在倫理的な批判は向けられていない。in The Last Place on Earth: Scott and Amundsen's Race to the South Pole by Roland Huntford Modern Library (September 7, 1999)
  • Lee Chi-dong, ‘Many Koreans Consider Protests Against Dog Meat as Ethnocentrism’, Korea Times, 5 August 2001
  • 山崎京美「縄文文化におけるイヌの埋葬について」『國學院雜誌』86(2)、1985年、27~65ページ。
  • 袁靖「 哺乳綱」、麻生町教育委員会編『於下貝塚 発掘調査報告書』1992年、154~183頁。
  • 袁靖加藤晋平「茨城県於下貝塚出土の小型動物の切痕(英文)」『千葉県立中央博物館研究報告 人文科学』2巻2号、1993年。
  • 西本豊弘「イヌと日本人」『考古学は愉しい』日本経済新聞社、1994年
  • こだわりアカデミー 縄文人の食生活 西本豊弘」『at home Time』1995年6月号
  • 金子裕之『古代の都と村』講談社 1989年 P.47。
  • 服部英雄『武士と荘園社会』山川出版社 2004年
  • 朝日新聞 2006年8月15日
  • 大田南畝 『一話一言補遺』・「薩摩にて狗を食する事」
  • 大道寺友山(大道寺重祐)『落穂集』
  • 『松屋筆記』
  • 吉田光男 編『日韓中の交流』山川出版社 2004年
  • 原田詠志斗『アイヌの治造』2002年
  • 平成20年動物検疫年報仕出地域別輸入検疫状況
  • 犬頭部30個…食肉業者「捨てた」 スポニチ 2005年12月16日
  • "食用犬の頭部29個を捨てる" 『東京新聞』2005年12月17日、『共同通信』2005年12月16日
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  • テンプレート:Cite news
  • 犬肉、年間200万頭・1兆4000億ウォンを消費 中央日報 2006年10月24日
  • ソウルの犬料理店、初の食品安全検査へ AFPBB News 2008年04月14日
  • ソウル市、犬を食用家畜に分類する方針示す AFPBB News 2008年4月3日
  • 女性たちが狭いオリの中に入って犬食文化反対を訴える GIGAZINE 2010年7月20日
  • 主に文化研究の立場から犬食文化を肯定的に論評する者である。こうした者の多くは異文化への不干渉の側面から鯨食やイルカ食などの動物食文化にも一定の理解を示すことが多い。
  • 主に動物愛護の立場から犬食文化を批判する者である。こうした者の多くは鯨食やイルカ食などの動物食文化にも同様の批判を行う事が多い。
  • 宮塚利雄『北朝鮮観光』JICC出版局、1992年。
  • Vietnam's dog meat tradition
  • ハノイの犬肉、仰天の再生法(HOTNAM!コラム 2006年12月26日)2012年1月28日閲覧
  • メコン川岸で栄える犬密輸ビジネス ペット犬も犠牲に(CNN 2012年1月26日)2012年1月28日閲覧
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  • 35.0 35.1 35.2 印東道子『ミクロネシアを知るための58章』、明石書店、2005年11月、pp35-36。
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  • 『パリ史の裏通り』 白水Uブックス 堀井敏夫・著 白水社 1999年08月発行 ISBN 4560073430
  • Bibliography of Captain James Cook R.N., F.R.S., circumnavigator / editor, M. K. Beddie. -- 2d ed.
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